第9話 新たなる決意 P.42
ヒロは改札を抜けて、ゆっくりと空を仰ぐようにして見上げた。さすが、神乃崎と違って都市化が随分進んでいる。
建物がたくさん建っているし、目の前のショッピングモールは神乃高の人間もよく利用するし、そこは健斗と佐藤といっしょに買い物に来た場所でもあった。
と、考えている場合ではない。ヒロはチラッと腕にしてある時計を見た。時刻は十時を回っている。約束の時間に間に合うように行かなくてはならない。ヒロは少し急ぎ足で、佐久と琢磨が通っている“桜山高校”へと向かっていった。
会ってからどんな話をしようか。何を言おうか、そんなこと全く考えていなかった。本当に久しぶりに会う二人だからこそ、用意してきた言葉ではなくその場で抱いた気持ちに任せようと考えていた。
ヒロは息を切らしながら桜山高校の校門の前に着いた。ガードレールの敷かれた歩道の前にあるその校門から見える校舎は、神乃高の数倍は綺麗な校舎だった。
校門からはそこの生徒が帰路に着くため、校門から次々と出て行く。
桜山高校も神乃高と同じく、テスト期間らしい。昨日そういう事情を聞いた。午前中に学校が終わり、尚且つ部活もテスト休みである今の期間だからこそ都合が合うのだった。
その中、一人制服が違うヒロに何人かの人が気づいて視線を送ってくるものもいた。
桜山高校の人は神乃高の制服を知っているはずだ。だから、ヒロが神乃高でどうしてこんなとこにいるんだろうって思っているのだろう。
ヒロはそんな視線にわざと気にも留めず、二人が出て来るのを待っていた。ふぅっとため息をつきながらガードレールに寄りかかる。
そして桜山高校の名所である、校門を覆う大きな桜の木を見上げた。今では葉が散ってしまっているが、春になると見事な桜の花を咲かす。桜山高校の人気の一つでもあった。
今頃神乃高ではテストが行われているだろう。今日は二科目だから、昼前に終わるのだ。まだ十時半だから、二科目目の真っ最中だ。
テストをサボることは初めての経験ではなかった。中学時代にも面倒と思い、ちょこちょこサボった。いつも成績が良いヒロは、別に少しくらいテストを受けなくても何の問題はなかった。
気持ちがそれを勝っていたのだ。一刻でも早く二人に会い、話をしたいと思っていた。
そんな風に考えていると……
「ヒロッ!」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。ヒロはゆっくりと前を見つめた。校舎の方から男子生徒が二人、ヒロに向かって走ってくるのが見えた。
その二人の顔はとても懐かしいものだった。神乃中サッカー部を辞めてからほとんど会話を交わしてなかったし、中学を卒業してからは全く会わなかった。
感覚的には二年半振りだった。桜山高校の制服を着た前田佐久と横内琢磨の二人が、徐々に速度を緩めてヒロに歩み寄ってくる。ヒロはにっこりと微笑んで、立ち上がると自分からも二人に歩み寄った。
「よっ!久しぶりっ!」
気さくな態度で二人にそう言った。佐久と琢磨は息を切らしてヒロをじっと見つめていた。
「……まさか本当にここに来るなんて。」
「冗談で言うわけないだろ。」
「別に神乃崎でもよかったのに。うちらそんなに家離れてないべ?」
琢磨がそう言うとヒロは苦笑いを浮かべた。
「うん……そうなんだけど、一刻でも早く二人と話がしたくってさ。つい、来ちゃった。」
ヒロが気さくに笑ってそう言うと、佐久と琢磨は呆れたような顔をして互いに見合った。
「今日学校どうしたの?」
「ふけた。どうせテストだし。」
「大丈夫なの?」
「当たり前じゃん。俺を誰だと思ってんだよ。」
ヒロがそう言うと佐久と琢磨は初めて笑みを浮かべた。「まったく……」と呆れ返っているみたいだった。
「相変わらずだな。ヒロ……」
琢磨が笑ってそう言った。佐久もそれにつられるようにして笑った。ヒロは照れくさそうに笑って、「まぁな。」と言って答えた。
「佐久と琢磨も……元気だった?どう?ここは。」
ヒロがそう尋ねると、佐久と琢磨はお互いに見合って首を傾げた。そして小さく声を立てて笑って佐久が答えた。
「どうだろうね。でも結構いいとこだよ、ここ。」
「ヒロもここ受ければ良かったのに。ヒロの学力なら、ここだって余裕だったでしょ?」
琢磨がヒロにそう尋ねると、ヒロは苦笑いを浮かべて肩をすくめるようにして答えた。
「どうだろうな。まっ、どっちにしたって俺には問題児が着いてるからな。」
「問題児って……まぁ、そうかもな。」
「それに神乃高もそんなに悪くないぜ?むしろ面白いことが結構ある。」
そんなことを話していると佐久がふと周りに視線を送った。ヒロはその様子に気づいて、同じように視線を周りに送ると、校門から出て来る桜山高校の生徒がヒロたちを物珍しそうに見ていることに気がついた。
そうか。自分の学校の者が違う学校のやつと話をしている。それはめったに見れる光景ではないから、彼らにとって興味の対象に値するのだろう。何人かの生徒が、ヒロたちを指差してコソコソと話をしている。
「ここじゃちょっと……向こうに行こうか。」
佐久が気を効かしてそう言った。ヒロはその提案を素直に受け入れ、佐久や琢磨の後について行った。
佐久と琢磨がヒロを連れてきたのは、駅前のチェーン店のカフェだった。そこは健斗と佐藤といっしょに買い物に行ったときに利用したとこと同じ場所だった。ヒロたちは適当に飲み物を頼み、三人は互いに向き合うようにして座った。
「……のんちゃんから、ある程度の事情は聞いてるよ。」
早速本題に入るように、琢磨がそう呟くように言った。ヒロと佐久は急に表情を強ばらせる。
琢磨の前髪が風に靡かれて揺れる。中学のときよりも大分伸びている前髪を鬱陶しそうにかき分けた。
「そっちのサッカー部が廃部になるんだって。正直驚いた。」
「……うん。」
「でもそれ以上に驚いたのは、健斗とヒロがまたサッカーを始めようとしてるって……それって本当?」
ヒロは昨日、唯一連絡の取れた佐久にそれを話していた。佐久の親とヒロの親は比較的繋がりが深く、そのためお互い連絡先を知っていた。
とは言っても連絡を取り合うことは本当に久しぶりだった。佐久に電話をして、概ねのことを話し、話したいことがあるから会って欲しいと頼んだのだ。
急なことだったが佐久はすぐに了承して、こうして佐久、琢磨、ヒロの三人で話せる機会を作ってくれた。
ヒロは琢磨の問いかけにしばらく間を置いてからゆっくりと頷いた。
「……そっか。」
琢磨がそう呟いてからしばらく沈黙が続いた。琢磨だけではなく佐久の方も神妙な赴きで下を俯いていた。
ヒロはその二人の複雑な心境に気づいていた。
「俺がここに来た理由は二つあるんだ。まず、二人に何よりも謝りたかった。ずっと……ずっとそのことが気にかかっててさ。」
ヒロは頭を下げてそう言うと、二人は黙って小さく頷いた。
「俺と健斗が原因で神乃中サッカー部は崩壊した。そして二人には、本当に謝っても謝り切れないくらい大きな迷惑をかけちゃって……今更かもしれないけど……本当にごめん。あのときは俺らが……」
「……もう、いいよ。ヒロ。そこまで言わなくっても……」
佐久がヒロにそう言った。深く頭を下げて謝ってくるヒロを見てられないと言った感じだった。
「ヒロたちの気持ち、分からなくないもん。小学校のときからずっと……三人はいっしょだったんだもん。だから……健斗やヒロだけが悪いわけじゃないよ。」
「…………」
佐久は全く気にしてないと、ヒロに言ってくる。いや、そうではない。それよりも二人の気持ちには「今更……」という気持ちが強いのだろう。今更謝られたところで何かが変わるわけではない。
だから謝ってくれなくても、もう何とも思わない。そう思ってしまっているのだろう。そう考えると自分が今ここにいることが正しいのかどうか分からなくなる。
「でも、ヒロがわざわざ僕らに会いに来て、こうやって謝るってことは……やっぱりのんちゃんの頼み事を受け入れるっとことなんだよね。」
佐久がヒロにそう尋ねてみる。まさにその通りだった。だからヒロはここにいる。ヒロはゆっくりと顔を上げて、小さく頷いてみせた。
「うん……それが俺がここに来た二つ目の目的。二人に謝って、許してもらおうって思って……じゃないと前に進めない気がしてさ。」
「健斗が……そう言ったんだよな?」
琢磨がそう聞いてきた。琢磨の目の奥に光るものがあった。ヒロは琢磨の視線を受け入れて、もう一度小さく頷いた。すると琢磨は思った通りだと言わんばかりに口元で小さく笑みを浮かべた。
「やっぱり……健斗の考えそうなことだもんな。バカだなぁ……俺らのことなんか気にしなくたっていいのに。」
琢磨は腕組みをしながら呆れるようにそう言って、同意を求めるように「なっ?」と佐久に言った。佐久も小さく笑って頷き返した。
「うん、琢磨の言うとおりだよ。僕らはもう何も気にしてないよ?だから、何も考えないでのんちゃんの力になってあげて――」
「本当にいいの?」
ヒロが佐久の言葉を遮るようにしてそう言った。顔を上げて二人の目を交互に見つめた。突然の言い草に、佐久と琢磨は思わず驚いた顔を浮かべて口を閉ざした。
本当にいいのだろうか?ヒロはその疑問が頭の中を巡っていた。
「本当に……佐久と琢磨は、何とも思ってないのか?もう何も気にしてないのか?」
ヒロの蒸し返すような問いかけに二人は答えずただ黙り込んでいた。
「今二人の気持ちにはきっと……のんちゃんのことが絡んでるからだと思う。でも、それを差し引いて考えて欲しいんだ。俺と健斗があんなことをしといて、結局高校に入ったらサッカーを始める。……虫が良すぎるってそう思わないか?」
ヒロはそこのところの二人の気持ちが聞きたかった。のんちゃんの事情で同情心が芽生えてしまい、許す気持ちが生まれているのなら、ヒロは今日ここに来た意味がなくなる。
そうではない。ヒロと健斗が自分の都合でサッカー部を辞め、その後今目の前にいる二人の中学校生活をめちゃくちゃにしてしまった。まともな試合も出来ず、苦しい部活生活に仕立て上げたのは紛れもなくヒロと健斗なのだ。
そこに対する責任は当然大きい。だからヒロは今ここにいる。自分の責任を果たすため、二人に会い、二人の本当の気持ちを確かめ、二人に許しを求めたい。
それなのにのんちゃんのことを入れられてしまうと、それはまた話が違ってくる。そうではなく……二人自身が自分らのことをどう思っているかを聞きたかったのである。
佐久と琢磨は何か言いたげだったが困惑するように口を閉ざしていた。ヒロはそんな二人を真っ直ぐ見つめて、二人の本当の気持ちを聞くのを待っていた。
すると店員がヒロたちが注文した飲み物を運んできた。三人それぞれの目の前に飲み物を置いていく。ヒロは軽く会釈をすると、店員は忙しそうに身を引いていった。
しばらく沈黙が続く。車の音が近くで聞こえて、そのとき初めてヒロはここは神乃崎ではないことを思い出した。神乃崎と違い、車の数も多く、たった数駅違うだけでこんなにも町の雰囲気が変わるんだな、とヒロは少し考えていた。
そして目の前にある注文したコーヒーカップに手を伸ばしたときだった。
「確かにそうかもな。」
琢磨が重い口を開くようにしてそう言った。厳しい表情でヒロを見る。ヒロはその表情を見て、背筋が凍るのを感じた。その表情は明らかにヒロに対する敵意を表していた。それはヒロが辞める際、振り返って全員を見渡したときの表情と同じだった。
「……確かに……虫が良すぎるよ。あんだけ俺らは止めた。辞めないでくれって。なのに……二人は俺らの意見に耳を貸さないで辞めて行った。その後俺らがどれだけ……どれだけ大変な思いをしたか、ヒロには分からないだろ。なのに、高校入ってまたサッカーをやりたくなったって?都合が良すぎるよ。」
琢磨の一言一言がヒロを追い詰めるようだった。琢磨、そして佐久の思いの根底にあったのは……やっぱりヒロと健斗の身勝手さだった。
「都合が良すぎる……でも、もうそれをどうしてもらおうとも思わない。今俺と佐久はここの高校で新しい生活を始めてるし……今更謝って許しを求められても、正直俺はもう……」
琢磨の言葉にヒロは何も言い返せなかった。やっぱりここに来るべきではなかったかもしれないな、とヒロは次第にそう思うようになっていた。
二年半前の出来事を、終わった出来事を……こういう形でしか償えない。償うことが出来ない自分に苛立ちを覚えた。そう、健斗はおそらくこうなるってことが分かっていた。だからずっと……ずっと思い悩んでいたのだろう。
終わった事を蒸し返すなんて、それこそ佐久や琢磨に申し訳ないことだ。二人にはもうヒロの知らない新しい生活を送っている。それをわざわざ邪魔するようなことをして、一体誰が得をするのだろうか。
ヒロはカップに入っているコーヒーの水面を見つめた。自分の顔が写っていて、その顔は酷く情けない顔をしていた。
「ただ、一つだけ聞いてもいいかな?」
琢磨がヒロにそう問いかける。ヒロはそう言われて無言のまま顔を上げてゆっくりと頷いた。琢磨はしばらく間を置いてから、ゆっくりとした口調で言った。
「健斗が辞めて行ったのはある程度理解出来る……でも、ヒロは何で辞めようと思ったの?それだけ……聞きたい。」
ヒロはその言葉を聞いたとき再びのんちゃんが最後に言った言葉を思い出していた。
――ヒロが一番かっこ悪いよ!ヒロは結局、健斗に流されてるだけだろっ?健斗だけが大切なのかよっ!
その言葉を聞いたとき、胸の中にざわつき抑えきれないものを感じた。思わず振り返って、「違うっ!」と思いっ切り否定しようと思った。
でも出来なかった。何故?その理由は……
「……分からない。正直、自分はどうして辞めようと思ったのか……上手く思い出せないってのが正直な気持ち。」
ヒロの言葉に琢磨と佐久は残念そうな表情を浮かべた。その表情からはヒロに対して改めて落胆したという気持ちが表れているようだった。
結局……自分は健斗に流されただけなのかもしれないな。と自分でもそう思った。
「……実はさ、翔が事故に遭う前……健斗、翔に酷いことを言ったらしいんだ。」
「酷い事?」
佐久が不思議そうに聞き返した。ヒロはゆっくりと頷いて見せた。
「うん。ほらあの時翔さ、委員会のこととかで結構忙しそうにしてたじゃん?そのせいで、あまり部活に出れなくって……そのことを健斗が不満に思っててさ。」
その話は当然の如く、佐久や琢磨も知っていた。部室で小言を言う健斗の姿をこの二人も見ていたからだ。
「それで健斗の後を追いかけてきた翔に、健斗は“お前なんかもう友達でも何でもないっ!”って……翔にそう言ったんだって。その後、健斗の身代わりに翔が……」
「……それって本当の話?」
琢磨が信じられないと言った表情でヒロに聞いてきた。二人とも言葉が浮かばないようだった。その話を聞くのはおそらく初だったのだろう。そして、健斗の悲しみと罪悪感の根底に潜んでいた何かに触れたのだとヒロはそう思った。ヒロは頷きながら続けて言った。
「……そういう風に仕向けちゃったのって、実は俺なんだ。」
「えっ?」
「…………」
「帰りの学活が終わった後さ、翔が俺のとこに来たんだ。健斗の場所を訊きに……俺、それを教えたんだよ。今帰ったばかりだから、追いかければまだ間に合うって……だからあいつは……」
息が苦しくなるのを感じた。このことはまだ健斗にも言っていない。自分の中にずっと閉じ込めていたヒロが犯してしまった罪だった。自分の罪を今目の前の二人に話している。
呼吸が乱れて、ヒロは目の前がぼんやりとしてきた。そして脳裏に最後に見せた翔の笑顔が浮かんだ。
「俺が翔に教えなければ、何も言わなければ……翔は死ぬことなんてなかった。いや、俺が健斗と帰ってればあんなことにはならなかった。だから……俺……」
「ヒロ、もういいよ。」
琢磨が哀れむような声でヒロにそう言ってくる。しかしヒロは首を横に振って話を続けた。
「健斗は自分のせいだって悔やんでた。でも本当は違うんだ。俺の責任なんだ。二人を巡り合わせたのは俺……全部俺が……俺が翔を殺し――」
「違うよっ!!」
佐久が金切り声を上げるように立ち上がってそう叫んだ。その突然の出来事に、店内にいた人々が一斉にこちらの方を見てくる。ヒロはその声ではっと我に返った。そして立ち上がってる佐久を見る。
佐久もヒロと同じように息を切らしていた。すると、肩で呼吸をしながら佐久の目から一粒の涙が落ちた。そしてそれから佐久の目から涙が零れ落ちる。
佐久はそれを一生懸命拭おうとして制服の袖で顔を隠した。
「ごめんっ!ヒロッ!」
「え?」
佐久は泣きながら叫ぶようにしてヒロにそう言ってきた。顔を隠して、止められない涙を必死に拭おうとする。
「僕、何も知らなかった……そんなことがあったなんて知らずに……なのに僕はヒロと健斗のことを……ごめん……本当にごめん……最低だ僕……うっ……ごめん……」
「佐久……」
ヒロは泣きたい気持ちを抑えながら佐久を見つめた。泣き続ける佐久の肩にそっと手を乗せて宥めたのは琢磨で、佐久をゆっくりと座らせる。佐久は手のひらで顔を覆い隠し、嗚咽を漏らしながらひたすら泣き続けた。
すると琢磨は佐久からヒロへと視線を変えて、ヒロを見つめる。すると琢磨はこのときに初めて穏やかな表情を浮かべてくれた。
「分かったよヒロ。」
「……琢磨。」
「今日会えて良かった……本当に良かった……」
琢磨はそう言って何度も何度も頷いた。その瞳から微かに涙が零れ落ちるのをヒロは見逃さなかった。
ヒロの心にずっと抱き続けてきたわだかまりが暖かな温もりによって溶けていく。そんな感覚を覚えながらヒロはただ二人を見つめた。