第9話 新たなる決意 P.4
「健斗〜。帰ろうぜ」
午後の授業を終え、健斗は帰る支度をしていると、ヒロが笑いながら健斗にそう言ってきた。健斗はきょとんとしてヒロを見る。そんな健斗の反応を見て、ヒロは可笑しそうに笑って見せた
「何、忘れた?俺も帰宅部だぜ?」
「あ……そっか」
健斗は苦笑した。今まではずっとヒロは部活があったため、こんな風に声をかけられたことがなかった。慣れない変化に健斗は戸惑ってしまった
「なーに?あんた本当に辞めたんだぁ」
健斗がそんな風に思っているところに、佐藤愛美が呆れ顔で健斗とヒロのところへ歩み寄ってきた。佐藤愛美、通称マナと呼ばれている彼女は実に男勝りで、大きい声では言えないがヒロと良いコンビだと健斗は思っていた
「うるせぇな、ゴリラ女。早く部活行けよ」
「誰がゴリラ女よっ!このインテリエロメガネッ!」
ドスッと低いうねりのような音を立てて、ヒロの腹に佐藤のキックが的中した。ヒロは悲鳴を上げて、その場にうずくまった
ほら……やっぱり良いコンビだ……
「てっ……めぇ……」
「ヒロ。佐藤には勝てないぞ」
健斗はヒロを宥めるように背中を叩いた。ヒロは悔しそうに唸るが、佐藤は物ともせずヒロを見下す
「残念だけど、今日あたし部活オフなんだよねぇ」
「弓道部?定休だっけ?」
「ううん。今日は弓具の点検の日なの」
なるほど、と健斗は妙に納得した。古い弓矢の道具類の点検は欠かせないものだろう
「じゃあ、三人でどっか行く?」
めったにこうして休みが被らないわけだから、健斗は思いつきでそう言ってみた。ヒロが苦悶な表情を浮かべるのは無視をしよう
「それいいね。よし、行こうっ!」
「あの、私も行っていい?」
突然違う声が聞こえた。その声に健斗は胸を高鳴らせて、ゆっくりと振り向いた
そこにいたのは、早川結衣だ。短めの長さ、綺麗な艶を光らす黒い髪。整った小顔に、肌の肌理。健斗の意中の女の子がそこにいた
「早川」
「ダメ?」
「いや、もちろんいいけど……早川部活は?」
健斗がそう聞いてから、すぐにパッと思い出した。今日はテニス部は定休の日だった
「そっか。今日定休だもんね」
健斗の考えを読み取るように佐藤がそう口にした。早川はにこっと微笑みながらゆっくりと頷いた
「やったぁ。じゃあ結衣もいっしょに行こう!」
「うんっ!あ、あと麗奈ちゃんも。今日麗奈ちゃんも部活休みだって言ってたから」
それはまったく聞いてなかった、と健斗は心の中で呟いた。麗奈は吹奏楽部に所属している。しかし今日は定休日ではないはずだが……
「へぇ~!みんなの休みが被るなんて珍しいね。じゃあみんなで行こうよ」
「うんっ」
「でも……その麗奈は?」
健斗が訪ねると早川は少し考えるような素振りを見せた
「えっと……多分、ロッカーじゃない?教科書とか持ってたから」
この神乃高にはそれぞれ各自のロッカーが存在する。二、三年のロッカーは教室を出てすぐ目の前にあるのだが、一年のロッカーだけ教室から少し離れたとこにある。健斗は軽くため息を吐いた
「そっか。じゃあ俺呼んでくるから。先、行ってて」
健斗は自らそう言うと、教室を後にした。残されたヒロ、早川、佐藤は歩いていく健斗の後ろ姿を見つめる
「じゃあ行こうか」
早川が二人にそう促すと、佐藤は大きく頷いた
「うんっ!って、あんたはいつまで苦しんでるのよっ!」
佐藤の下でうずくまっているヒロの頭をパチンと気持ちのいい音を立てて叩いた
麗奈は自分のロッカーの前でしゃがみこんでいた。手には手紙を持って……
――もしお前がいいのなら、また父さんといっしょに暮らさないか?
この手紙の文面を読んで、麗奈はため息をつく。麗奈の誕生日の日、父、達也から贈られてきた手紙。それを麗奈は持ち歩くようにしていた
達也からの手紙、というのが嬉しいという気持ちもあるが、理由はそこではない。健斗に見られたくないからだ
恐らく健斗の父さんと母さんには達也の方から話を聞くのだろう。と麗奈は考えていた
だが、健斗にはまだ話したくはなかった。今はまだ話せない……自分の気持ちに整理がついてないから
達也ともう一度いっしょに暮らす。それは麗奈にとって本当に思いがけない提案で、だからこそ嬉しかった。あの達也が自分のことを気にかけてくれているのだから……
だから嬉しいし、達也ともう一度いっしょに暮らしたいという娘の気持ちがあった
それに反発しているのは、我が儘でどうしょうもない女の子の気持ち
この町を離れたくない
大好きな友達や、地域の人、そしてもう一つの家族がこの町にはいる
幾度か引っ越しを繰り返し、色々な地域を転々とした
だが、これほどまでに居心地の良い町は初めてだった
だから余計に思い入れが強くなる。ずっと、いや、せめて高校の三年間の間だけでもこの町にいたいという気持ちがある
そんなんじゃないんだろうなぁ――と麗奈は軽く笑った
もう一つの気持ち、それは恋する女の子の気持ち
目を閉じれば思い浮かぶ、あの人の顔
何度も自分を助けてくれた。何度も自分を支えてくれた
大切で、大切で、純粋に好きという気持ちが強くて、どんな形でもいいから、ずっと傍にいたいと思える人がこの町にはいる
その人と別れたくない
声を笑顔を吐息を……その人の一番近くで聞いていたい、見ていたい、感じていたい……
だから、本当は話すべきなのだ。この手紙のことを……それこそ、この間の帰省事件の二の舞になってしまう
もう二度と、家族に対して想いを隠すようなことはしない。そう誓ったではないか――
「………」
ふと肩に誰かが触れた感覚を感じた。麗奈は驚いてパッと振り向いた。そこには健斗がいて、不思議そうな顔を浮かべていた
「何してんだ?」
「え……」
「何度も名前呼んだんだぞ。でも全然気づかないから……」
不安気な顔へと変わる。麗奈はそんな健斗に申し訳なく思い、わざと笑顔を作った
「あ……何でもないよ。ちょっと考え事してただけ」
「考え事?」
「うん」
「……その読んでたもんと関係あんの?」
健斗が麗奈が手に持ってる物を指差してそう言った。麗奈は手紙を後ろに回して隠す
「これは――」
「これは?」
「これは……その……ラブレター的なやつかな?」
と言って、麗奈は笑った。健斗はそれを聞くと表情を緩めて呆れたような顔を浮かべた
「ラブレター?」
「そう」
「ふ~ん……人の声がまったく届かなくなるほど見入るってことは……相当な人からのラブレターなんだろーな」
健斗が皮肉を込めてそう言うので麗奈はすぐに首を横に振った
「そんなんじゃないよ。もしかして嫉妬してる?」
「嫉妬?誰が?」
「健斗くんが」
「誰に?」
「もちろん私♪」
「冗談はほどほどにしとけよ」
健斗がニヤリと笑みを浮かべた。麗奈はむっと頬を膨らませた
「もうっ!素直じゃないんだから」
「俺は充分素直だよ」
「あっそうですかっ」
何で私はこんな人を好きになってしまったんだろうかっ!
「で、何か用だった?」
話を変えるように麗奈がそう言うと、健斗はあぁっと思い出すように言った
「今日部活休みなんだって?」
「そーだよ。何で?」
「これからいつもの五人でどこか行こう的な話になってんだけど行く?」
麗奈はその話を聞いて、すぐに行きたい衝動に駆られた。だが、それが胸の奥を締め付けるのは何故だろうか……
「どうすんだよ」
低い声で返答を求めてくる。麗奈は小さく頷くと、健斗は肩の荷が降ろすようにため息をついた
「じゃ、行くぞ。みんなを待たせてるから」
健斗はそう言うと踵を返して、みんなの待っている外へと向かおうとした。だが、途中で麗奈が近くにいないことに気がつき、後ろを振り返る。すると麗奈はその場をまったく動いてない
健斗は顔をしかめて、麗奈の元に歩み寄る
「お前何してんだよ。みんなを待たせてるって言ってる――」
健斗は途中で言葉を止めた。麗奈の瞳に光る雫があって、それが頬を伝っているから。肩が微かに震えている
「れい……な?」
泣いている
小さな涙が確かに目から流れていた
「おい……何だよ。どうした?」
泣いている麗奈の肩にそっと手を添えた。麗奈は伝う涙を拭った。弱々しい瞳で健斗を見る
「何か……あったのか?」
優しげな口調でそう問うてみる。しばらく無言の調子が続いた。そして麗奈は何かを言おうとして、また口を閉じた
「何だよ」
「……なの……」
「え?」
するとだった
突然麗奈が健斗の足を蹴った。あまりの突然のことに、そして痛みに健斗は驚きながら飛び退いた
「いってぇっ!」
麗奈は健斗を蹴ってから、濡れた涙を拭った
「ふんっだっ!健斗くんに最近言われっ放しだから、そのお返しよっ!」
「てっめぇっ!」
「女の子の涙に騙されるようじゃ、健斗くんはまだまだだねぇ♪」
「このやろうっ!」
「キャアッ!」
健斗が追いかけると麗奈は疾風のごとく逃げ去っていく。意外と麗奈は逃げ足だけは早いのだ
………麗奈が流した涙のわけ
あれは果たしてどう意味だったのでしょうか……
皆さんには分かりますか?