第9話 新たなる決意 P.36
雰囲気が和やかになり、健斗とヒロとのんちゃんは向き合うような配置についた。
健斗とヒロは机に寄りかかるようにして座り、のんちゃんはきちんと椅子に座っている。
「……最近、サッカー部どうなの?」
ヒロがのんちゃんにそう尋ねた。健斗もそのことはすごく気になっていた。あの松本絢斗が率いる三年生が引退をしてから、人数が極端に減ってしまったという。
試合が出来ないほどではないが、結構ギリギリの人数だとヒロは言っていた。
そのことは聞いていたが、最近の調子や戦績などはまったく耳にしていない。聞きたかったが、聞けるやつが一人もいなかったのだ。
するとのんちゃんは「うん。」と言って小さく頷いた。
「そこそこ……かな。この間練習試合があって、負けちゃったんだけどね。」
「のんちゃんはもう試合出てるの?」
「一応ね。うちの学校って、あんまり経験者がいないんだ。三年生は松本さんとかすごい人がいっぱいいたけど……夏の大会を最後に引退してから、一気に戦力が落ちちゃって。」
そうなんだ……と健斗は意外なことに驚いた。この学校に経験者があまりいないという事実は知らなかった。だが確かに、健斗が知る限りのメンバー――佐久や琢磨、そしてノブやリュウタは違う学校に通っている。
ノブやリュウタのようにサッカーが本気でやりたいのなら、こんな田舎高校よりも実績のある都市部の高校に行くのだろう。
松本だけは違った。あの人は健斗自身直接対決したことがあるから分かるが、ものすごいプレイヤーだった。簡単には抜かせてもらえない、プレッシャーのかかったディフェンス。
正直、健斗にとってはその他のやつは大したことないと思った。だが、松本だけは……隙のない手ごわい選手だった。
さすが、この県で五本指に入る屈指のディフェンスだと健斗は感じた。
もしかしたらあのとき勝てたのは相当運が良かったのかもしれない……いや、何よりも松本には迷いがあった。それが彼の敗因と言えるか……
雑念を抱いて健斗に勝つことなんて出来ない。健斗はそう自負していた。
ともかく、そんなすごい選手が他の人のように都市部の学校に行かなかったのは、サッカー自体にあまり興味がなかったからかもしれない。健斗はそれを聞いてみた。
どうしてあんたみたいなすごい人が、真面目にやらないんだっ!サッカーが好きなんじゃないのか、と。
しかし彼は冷めた目で……そうではないと答えた。好きでも何でもない。ただ自分に向いていて、なおかつ女にもてるからやっているだけだと。
別にその考えを否定する気はなかった。昔の健斗なら真っ向から否定してたかもしれないが、今は違う。
ただ……あの人とやる勝負は楽しくなかった。楽しいと感じるようになったのは後半部分からだ。松本が痛めている健斗の腹を狙わず、正々堂々と勝負に持ち込んでから。
「二年生は二、三人が経験者だったんだけど……一年生は僕以外はみんな初心者なんだ。だからなかなか勝てなくってさ。」
「そうなんだ……」
「…………」
「負けるだけならいいよ。僕は元々、二人とは違ってサッカーをやること自体が楽しいんだ。だから……負けても、試合が出来るならそれでいいんだ。僕は……」
「そっか……」
のんちゃんの考えは健斗もよく分かる。健斗だって元は同じだ。サッカーが本当に好きだから、勝ちたいって思った。上手くなりたいって思った。だからがむしゃらになったし、負けたときは悔しくってその苛々をチームメイトにぶつけてしまったこともある。
のんちゃんはただサッカーがやりたい。サッカーが好きだから……どんなに弱いチームでも、そこで試合が出来るならそれでいいと考えている。だからのんちゃんは神乃高に進学することを決めたのだ。
「……負けるだけならってどういうことだ?」
ヒロがのんちゃんにそう尋ねた。突然ヒロが真剣な目つきでのんちゃんにそう言ったので健斗は驚いてヒロを見た。
するとその言葉を聞いたのんちゃんは明らかにさっきの穏やかな表情とは違い、苦悶の表情を浮かべた。そこに、何か隠れた真実があるということに健斗は一瞬で気がついた。
「……のんちゃん?」
「……うっ……」
すると苦悶の表情を浮かべていたのんちゃんの目から溢れるように涙が零れ落ちた。必死で流れ落ちる涙を止めようとするが、感情がそれを抑えることが出来ないでいるようだった。
健斗とヒロは敢えて何も言わなかった。何故のんちゃんが突然泣き始めたのか、そこには何か深い理由がある。それを話すのを健斗たちは待っていた。
「……負けるだけならまだいいのに……うっ……ダメなんだ。もう……どうしようもなくて……」
「……どういうこと?」
健斗が静かにのんちゃんの肩に手を乗せる。そのがっしりとした肩は昔よりも洗練されていた。きっとたくさん筋力トレーニングをしていたのだろう。努力の色が伺われた。
「……神乃高サッカー部は……ヒック……次の試合に勝たなきゃ、廃部だって……」
「――っ!」
あまりの驚きの事実に、健斗は言葉が出なかった。まさか……サッカー部が廃部なんて聞いたことがない。
「そんな……廃部だなんて……」
一体何故?どうして?
健斗は驚きと混乱で目の前でただ泣いているのんちゃんに何も言えなかった。
すると後ろで大きなため息が聞こえた。後ろ振り返ると、ヒロが苦悶の表情を浮かべて後ろ頭を掻いていた。本当に困ったと思うときヒロのやる癖だった。
「……やっぱりか……」
「やっぱり?やっぱりってどういうことだよ。お前知ってたの?」
ヒロのその言い草に健斗はつい強い口調になってしまいヒロに詰め寄った。ヒロは苦悶の表情を浮かべたまま、小さく首を横に振った。
「いや……でももしかしたらって思ってた。」
「何でっ?サッカー部が何をしたって言うんだよっ!」
「経費の問題だよ。」
ヒロは冷静にそう言った。健斗はそれがよく分からなかった。経費って……何の経費?
「部活っていうのは学校の下で成り立ってるだろ?つまり、部活を経営してるのは学校なんだ。」
「どういうこと?」
「部活があるって言ってもただじゃない。設備や用具や品物、部費や生徒の保険。色々なものにお金をかけている。大会があればそれの運営費だって出してるんだ。」
「……だから……どういうことなんだよっ?」
ヒロの説明はよく分からない。確かにお金が色々とかかるのは分かるけど、それがどう廃部と繋がるのかが分からなかった。
ヒロは面倒くさそうな顔をして小さくため息をついた。
「学校にも金が無限にあるわけじゃない。うちは公立だから県から資金は給付されてるけど、それは予算の元に成り立っている。だからコストをどんどん削減していかないと、学校自体の経営に関わってくるんだ。」
「……つまり、今サッカー部は学校自体の負担になってるってことか?」
健斗がそう尋ねると、ヒロは小さく頷いた。
「要は部活のリストラみたいなもんだよ。実績のないもんに掛けられるほど金には余裕なんてないし、そういう学校全体の荷物になるものは切り捨てる。学校自体を存続させていくためにな。珍しい話じゃない。だから、毎年それぞれの部活は予算案を生徒会に提出しないといけないんだ。」
「そんな……」
健斗は言葉が出なかった。学校側にそんな裏事情があるなんてこれっぽっちも考えたことがなかったからだ。ただ……ヒロの言うことは合理的だった。
負担になる会社員をリストラするように、部活を廃部にしてコストを軽減しなければならない。
サッカー部がそこまで追い込まれてるなんて知らなかった。健斗はチラッとのんちゃんを見た。
未だに涙は止まらず嗚咽を漏らしていた。それを見ていると胸が痛んだ。ここでも壁が立ちはだかるのだろうか。のんちゃんのサッカーがやりたいという純粋な気持ちを、現実が邪魔するのだろうか。
そんなことがあって……いいのだろうか?
「……みんなは何て言ってるんだ?」
ヒロが静かにのんちゃんにそう尋ねた。するとのんちゃんは泣きながら必死でヒロの問いに答える。
「みんなは……もう……諦めてる。先輩は……どうせすぐ引退するからって……それが早まっただけだって。一年生も……それなら仕方ないって……」
信じられなかった。
廃部にならないよう頑張ろうとするやつが一人もいないのか?本当にそれでいいのか?
だが、それが現状なのかもしれない。所詮田舎の弱小校だ。無くなったところで誰も気づかないし、誰も困らない。ただ、透明になって消えて行くだけだ。
歯がゆい気持ちが……とてつもない悔しさが健斗を取り巻いた。
「……何とか……ならないのかな。」
「……無理だろうな。勝ちでもしない限り……条件にそぐわないなら……」
「何でそんな簡単に言えるんだよ。お前は悔しくねぇの?」
健斗はずっと冷静なヒロに腹が立った。こういうときこそ冷静な分析がいるのかもしれないが、それでもあまりに飄々としている態度がむかついた。昔のチームメイトがこんなにも苦しんでいるって言うのに……
しかしヒロは今までと違った威圧のある目で健斗を睨み返してきた。
「……はっきり言うけど……原因はお前にもあるんだぞ。」
「え……?」
突然のことに健斗は言葉が出なかった。しかしヒロは健斗の反応なんか構わず続けて言った。
「松本事件のことだよ。お前……まさかあれが何の問題にもならなかったなんて思ってないよな?」
健斗はそれを聞いて背筋が凍るような思いになった。松本事件……あれが今回のことに大きく関わっている。
「昼休みが終わっても、生徒のほとんど教室に戻らないでお前らの勝負に没頭した。そのせいで本来予定していた授業が進まず学校側はその後の対処で必死。クレームの電話とかも来たらしいぜ?多分、どっかのくそまじめなやつが親に報告したんだろうな。」
聞きたくない話が残酷にもどんどんと健斗を覆っていく。健斗は深い闇に沈みそうになっていた。
「その結果、学校はその事件の責任はどこにかけると思う?もちろん……サッカー部だよな?」
ヒロの言葉に健斗は何も言い返せなかった。そのとおりだった。形式上、あれはサッカー部が起こした事件だ。当然責任はサッカー部にかかる。
「実績もない。面倒事は起こす。そんな部活、あるだけ迷惑なだけだろ?だから……」
「もういいっ!」
健斗はヒロにそう叫ぶようにしてそう言った。ヒロはその言葉を受けて今まで開いていた言葉を閉ざした。
胸が嫌になるほど高鳴った。のんちゃんが今どんな風なのか見ることが出来ない。
自分は今……同じ過ちを犯してしまっている。
同じ過ちを、同じ失敗を犯してしまった。またのんちゃんの邪魔をしてしまった。
何てことをしてしまったのだろう。何て愚かなことをしてしまったのだろう……
自分が原因でまた、一つの部活を崩壊させてしまおうとしている……自分のせいで……自分のせいで……
目の前が真っ暗になりかけた。何も見えない……自分は何をしているのだろう。
するとだった。健斗の肩に何かが触れた。ヒロの手だった。ヒロの大きな手が健斗の肩に触れている。ヒロはさっきまでと違い慈愛に満ちた目で健斗を見ていた。
健斗がまた後悔の波に呑まれようとしているのを察知したらしかった。だが健斗はヒロの顔をまともに見ることが出来ないでいた。
「……のんちゃんが話したいことって、それが全部?」
ヒロがそうのんちゃんに尋ねた。のんちゃんはようやく止まらなかった涙を止めて、強い目で健斗たちを見た。健斗は今、その強い目を真っ直ぐ受け入れることが出来ないでいた。
「僕は……僕はサッカー部を廃部にしたくない。みんながどう思おうと、僕は諦めたくないんだ。だから……」
のんちゃんはそう言いかけてから、しばらく躊躇ったが、すぐに強い決意を目に秘めて健斗たちに言った。
「だから……健斗とヒロに、力を貸して欲しいんだ。」
その言葉が脳内に響いた。力を貸して欲しい……すなわちそれは……
「試合に、出て欲しいんだ。」
ビュウッと強い風が窓越しに吹き抜けた。健斗はその言葉を聞いて、激しくうねる感情を抑えきれないでいた。