第9話 新たなる決意 P.31
後片付けを店員に任し、健斗とその女性は一旦外に出ることにした。
ヒロも連れて来るべきかと思ったのだが、今は自分一人で話を聞きたかった。
ノブの姉だという女性はこのファミリーレストランに高校時代の友人と食事に来ていると言った。
健斗はノブの姉だという女性に動揺を隠せないまま言った。
「本当に……ノブの?」
「はい。突然ごめんなさい。私もちょっと驚いてるんです。まさかこんなところで山中くんに会えるなんて……」
彼女は嬉しそうに目を細くして微笑んだ。健斗はどう反応すればいいのか困り「はぁ…」とため息混じりに答えた。
動悸が激しく何を訊けばいいのか分からなかった。健斗だって充分驚いていたのだ。こんな偶然があっていいのだろうか……
「えっと……俺のことはノブから?」
「はい。色々と聞いてました。あの子、あなたに強く影響されてた部分があって、昔あなたの話をよく聞きました。」
「そう……なんですか。」
意外だった。ノブが自分のことをそんな風に見ていてくれたことを。いつも意見とかが食い違い、言い合いばかりしていたのに……だから余計に裏切ってしまったことを激しく後悔した。
「それに……私自身もあなたを見たことがあって……」
「えっ?」
「二年前……五月の地区大会の決勝戦の日です。」
健斗は心の中だけで納得した。中二の五月の地区大会……優勝を決めた大会であり、それが健斗の最後の大会でもあった。神乃中サッカー部がまだ崩壊する前の話だ。
「私も応援で見に行ったんです。そこであなたを見ました。サッカーのことなんて全然知らないけど……あなたのプレーはよく覚えてます。すごかったです。それくらい魅力的で、印象的でした。」
確かにあの頃の健斗はまさに全盛期だった。あの地区大会中に、まるで魔法のようにボールを扱う白いユニフォームを着た選手……“白魔術師”通称“ホワイト・マジシャン”の名前がスポーツ新聞で特集をされてたのを健斗は覚えていた。
だが、その話も……今では過去のものとなっていた。
「……えっとお姉さんは……」
「佐奈です。」
佐奈はにこっと笑ってそう言った。健斗は苦笑いを浮かべた。
「……佐奈さんはノブが今どうしてるか知ってますか?」
それが一番聞きたかった。何よりも……ノブが元気でやってるかどうかが気になった。
健斗が部活を止めた日以来、ノブとは一言も口を聞いていなかった。ノブだけではなく、リュウタも琢磨も、佐久とも口を聞いていない。その状態のままで二年が過ぎた。
ノブとリュウタは元気でやってるだろうか?サッカーを頑張っているのだろうか?それが知りたかった。
佐奈は小さく微笑んでゆっくりと頷いた。
「はい。今あの子といっしょに暮らしてるから。」
「あ、そうなんですか?俺は寮生活って聞いてたんですけど……」
健斗がそう言うと、佐奈は困ったように苦笑いを浮かべた。
「最初はそうだったんです。でも……ほら、あの子あんな性格してるから、寮内で結構揉め事を起こして……七月から私のアパートで二人暮らしを……」
「あぁ……」
健斗は大きく納得した。確かにノブは自分の気にくわないことにはとことん反発する。そこが健斗との言い合いが多かった理由でもあった。
寮生活というのは言わば共同生活のようなものだ。その中では争いや言い合いが頻繁にあることだろう。佐奈が言う理由も納得のいく話である。
「でも部活はすっごい頑張ってます。というか、あの子その話しかしないんですよ。“今日俺二点も決めて大活躍した!”とか言って……子供みたいでしょ?」
と言いながら、佐奈は恥ずかしそうにクスクスと笑った。健斗もつられて小さく笑った。確かに相変わらずだ。試合の度に自分の活躍をアピールするやつだった。
「そっかぁ……頑張ってんだ、あいつ……」
健斗は穏やかな表情でほっとため息をついた。自分のせいで不甲斐ない中学校生活を送らせてしまった。だが、今は高校で楽しく元気にやっている。これほど嬉しいことはなかった。
「……山中くんは……今はもうサッカーを辞めたって……」
佐奈が言葉を濁らせながら恐る恐るそう訊いてきた。健斗は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべて、小さく頷いた。
「あ、はい……ちょっと色々あって……中学二年の夏に……」
「そう……ですか。」
「だから、ノブには本当に悪いことをしたなって……すごく後悔してて……今すぐにでもあいつに会って謝りたいとは思うんですけど……あいつの連絡先とか知らないし……」
そう言うと、健斗は顔を上げてにこっと笑った。
「だから……話が聞けてよかったです。あいつは今、楽しくやってる……それが聞けて……充分です。」
「…………」
「あ、すみません。何か暗い話しちゃって。」
「いえ。私もあの子から色々聞いてましたから。お友達のこと……本当に残念です。」
健斗は軽く笑いながら頷いた。さすがに姉となれば、そのへんの事情を聞いているのだろう。
「えっと……佐奈さんは今何をなさってるんですか?」
健斗は決まりが悪くなるのを避けるように、話題を変えてみた。すると佐奈はちょっと意外そうな顔をしてすぐにクスッと笑って答えた。
「私は今年で大学の四年です。あ、あの子が通ってる附属高校の大学で……」
「あ、じゃあいっしょなんですね。」
「まぁ校舎は違いますけど。でもバスで二駅くらいの距離だから、よく試合の応援とかに行くんです。」
「今日は……どうしてこっちに?」
「大学はまだ夏休みなんです。就活で忙しかったのもあって、ここんとこずっとこっちに戻ってなかったから……たまには帰らなきゃなって。」
「親孝行なんですね。」
「そんな。息抜きみたいなもんですよ。大それたもんじゃないです。明日の始発には帰りますし。」
と言って佐奈はクスクスと小さく笑った。笑顔が綺麗な女性だ。きっと大学でも彼女に近づく男がたくさんいたはずだ。そんなことノブが聞いたら怒りそうだな……と健斗は想像してみて可笑しさを感じクスッと笑った。
「……何だか、想像と違ってちょっと驚いてます。」
「えっ?」
佐奈にそんなことを言われて健斗はちょっと戸惑いを見せた。佐奈はそんな健斗の様子を見て、またクスッと笑った。
「すごく大人びていらっしゃるんですね。ノブとは大違い。今、高校一年生ですよね?」
「あ……まぁ、一応。そんな……俺なんてまだまだガキんちょです。」
と健斗は照れるように笑った。大人と言われて気持ちが高ぶるのはまだまだ子供だという証拠みたいなものだ。
しかし佐奈は首を横に振った。
「いえ。頼もしい人だなって……ノブがあなたに憧れていたのもよく分かります。」
「ノブが……」
「はい。あの子は今でも、あなたに憧れていますよ。」
「そんな……俺に?」
信じられなかった。自分はノブを裏切った人間だ。恨まれているなら分かるが、それを憧れているなんて誰が思うだろう。しかし佐奈はにっこりと微笑んだ。
「はい。今でもよく言うんです。“見返したいやつがいるんだ。中学のときは何も出来なかったけど、高校ですげーことして後悔させてやりたいやつがいるっ!目を覚まさせてやるんだ、俺がっ!”って……」
「ノブ……っ」
健斗は顔を逸らして唇をギュッと噛み締めた。信じられないくらいに嬉しさが健斗を包んだ。
あんなに自分を憎んでいるだろうと思ったノブが……
裏切ってしまったことを今でも許していないと思っていたノブが……
今でも自分を気にかけてくれている。今じゃ自分なんかよりも遠くに行ってしまったあいつが……嬉しかった。
健斗は目に涙が溜まるのを感じた。
「大丈夫ですか?」
佐奈が心配するように健斗に言った。健斗ははっと我に返って顔をあげて、溜まった涙を拭った。鼻を啜り、誤魔化すように笑った。
「すみません。感激しちゃって……そっか……ノブが……」
「……あの子はあなたのことを今でも誇りに思ってます。あなたのことを、恨んだりなんかしてませんよ。」
佐奈が穏やかな口調でそう言った。健斗は鼻を啜りながら小さく頷いた。
心の中の闇に一筋の光が差し込んだような、そんな感覚を覚えた。
佐奈と共に店内に入り、健斗はヒロたちが待つ席へと向かった。佐奈は「それじゃ」と軽くお辞儀をしたので、健斗もすぐにお辞儀を返した。
健斗がヒロたちの待つ席に戻ると、ヒロが健斗が帰ってきたことに気がついて憤慨したような口調で言ってきた。
「何やってたんだよっ。ドリンクバー取りに言ってたんじゃなかったの?」
「ワリィワリィ。ちょっとな。」
そう言って、健斗はヒロの隣に腰掛けた。ヒロたちはどうやら自分でドリンクを取りに行ったらしい。そして寛太は「う~ん」と頭を抱えながら目の前のプリントと戦っていた。
健斗はチラッと前を見ると、佐奈と他の二人の女性が会計を済ましていた。佐奈が振り返り健斗の視線に気がつくと、小さく微笑んで会釈をした。健斗も笑って会釈を返した。
「誰?知ってる人?」
ヒロがその女性に気がつき健斗にそう聞いてきた。健斗は話すかどうか一瞬悩んだが、今この場で話すべきではないと思って「ちょっとな」と言ってごまかした。
そしてドリンクを少し飲み、心を落ち着かせた。
ようやく道が見えてきた。
そんな気がした。