第9話 新たなる決意 P.27
ヒロは保健室を出たあと、健斗を探し始めた。教室には戻ってないだろう。もしかしたら、もう家に帰ったかもしれない。そんなことが頭によぎっていた。
――いた。
中庭のベンチに腰掛けている健斗を見つけた。ヒロはゆっくりと健斗に歩み寄った。健斗はヒロが来ても無反応で、ただ目の前を見つめていた。それでもヒロは健斗から目をそらさずじっと見つめていた。
「……南ちゃんの言う通りかもな。」
「え?」
健斗は久しぶりに穏やかな表情をしていた。生気を失っていた顔は肌色を取り戻していた。何かが見えだした、とヒロは思っていた。
「俺は……翔に助けられたんだよな。翔に生かされた。」
「うん。」
「あいつは俺のことを恨んでるかもしれない。それでも俺は……今生きてる。」
「うん……」
「ただ……もう俺は……」
健斗はそれだけ呟くと、そっと瞳を閉じた。さらさらと風の流れる音が聞こえた。
ヒロは覚悟した。自分にも責任があると分かった以上、健斗をこのまま放っとくわけにはいかない。健斗がどんな道を選ぼうとも、同じ道についていく。健斗を独りにはさせない。自分が健斗を支えなければ、支えてくれる者がいなければ……今の健斗はダメなのだ。
健斗はすっと立ち上がって、ヒロを見た。笑ってもない悲しそうにもしてない。無表情だけど、どこか穏やかなそんな表情をしていた。
「……今日は……帰る。明日になったら、全部決める。」
健斗はそう言うと、ヒロに背を向けて歩き出していった。ヒロはそれを追いかけることはしなかった。どんな結果になろうとは言え、健斗はようやく次の道を見つけたのだ。それを……自分が止められるわけがない。
「健斗。」
去っていく健斗に声をかけると、健斗は足を止めてゆっくりと振り返った。ヒロは大きく息を吸い込んだ。そしてゆっくりと吸い込んだ息を吐いて、健斗を見る。
「……お前がそういうつもりなら、俺もそうする。」
健斗はその言葉を聞くと、驚いたような顔を見せた。それでもヒロはひるまなかった。
「お前を独りにはさせない。絶対に。」
健斗はサッカーを辞めるつもりだ。その時点でヒロは確信していた。そして健斗は自ら孤独になる道を歩むことを決意するはずだった。
誰にも頼らない。誰かを好きになることなく、誰かと笑うことなく、こいつは生きることを決める。
それが翔に対する償いのつもりなのだろう。そうすることで自分の心は救われると思っているのだろう。
しかしそんなことはさせない。今はいい。時間をかければいい。いつかまた健斗が心を取り戻し、閉じこもろうとしている殻を破り、本当の意味で心を開くことの出来る翔のような人物に出会えるまで、自分は健斗のそばで見守る。
それがヒロの、健斗や翔に対する償いでもあり、自分の心を救う方法でもあった。
健斗は何かを言いたげな様子だったが、何も言い返してこなかった。決まり悪そうに口を噤んで、またくるりとヒロに背中を見せた。
その寂しげな後ろ姿を、ヒロはただ黙って見ていることしかできなかった。
次の日の放課後、ノブたち五人を集めて、健斗とヒロは自分の思いを告げた。
「嘘だろ?」
リュウタが微かに笑った。目は笑っていなかったが、相手にしたくないというように笑い飛ばそうとした。ヒロはその問いかけにゆっくりと首を振った。
「……何でヒロまで……」
リュウタはそれ以上言葉を出すことが出来ず、下を俯いた。みんな言葉が上手く出せない状況だった。その中で健斗がゆっくりと顔をあげた。
「ごめん……みんな……俺、もう……そうするしかダメなんだ。もう……嫌なんだ。」
「ダメだよ。」
のんちゃんがそう言った。目には涙を浮かべて必死でこらえていた。けどそれが崩れ去ったとき、のんちゃんは健斗の服の胸部分を掴んだ。ギュッと力を込めて、健斗の胸を叩いた。
「健斗やヒロまでいなくなっちゃダメだよっ!何で……僕たちこれからどうすればいいんだよっ!ねぇっ!答えろよっ!」
健斗は答えることができなかった。それは健斗自身も分かっていたからだ。今健斗とヒロが抜ければ、神乃中サッカー部は10人になる。そうなれば残された人たちはどうすればいいのだろうか。
その後のことを分かっていた。だけど……健斗は決めたのだ。もう、翔のいないサッカーはしない……と。その決断が、みんなを悲しませ、サッカー部を崩壊することになるって分かっていても……
「健斗、ヒロ……お願いだから……辞めないでよ。辞めないでくれよっ!僕……嫌だよ。」
「のんちゃん……」
琢磨も佐久も、そしてリュウタものんちゃんに便乗するように涙を流し始めた。リュウタは「クソッ……」とつぶやきながら溢れる涙を拭ろうとしていた。琢磨や佐久も、ヒロの服を掴んで「お願いだ!辞めないでくれ。」と頼み続けてきた。
ヒロ自身の決意も変わらなかった。健斗の決意も変えられなかった。ここにいる五人は、一体どういう思いでいるのだろう。辞めることを止められない……己の無力さ。無責任に辞めていこうとする腹立だしさ。そして……一人、また一人といなくなっていく寂しさに予感させる崩壊への絶望……色々な思いが交差しているはずだ。
その原因は他でもない。自分たち自身にある。ヒロも健斗もその思いを噛み締めていた。
するとだった。みんなより一歩引いて話を聞いていたノブが健斗とヒロの前に立ちはだかった。
「……本気なんだな。お前ら……本気で辞めるつもりなんだな。」
その問いかけに健斗とヒロは答えることはできなかった。
「……分かった。ただ……俺はお前たちを許さないからな。」
ノブは二人を睨みつけてそう言った。その言葉がどれだけ冷たく残酷なものか、健斗とヒロが一番感じていた。
「お前らを許さない。俺は……俺はお前らがいなくたって……絶対……絶対県大会に行くんだっ!!」
そう言って健斗を突き飛ばした。健斗は抵抗出来ずに、少しよろめたが何とか踏ん張りをきかせてそれに耐えることが出来た。
「もう出てけっ!お前らの顔なんか見たくないっ!!どっか行けよっ!消えてくれっ!!」
ノブは叫ぶように健斗とヒロにそう言った。その後ろ姿はかすかに震えているのが見えて、ヒロは心が痛むのを感じた。
「……行こう。」
健斗は呟くようにヒロにそう言うと、踵を返してみんなに背を向けた。ヒロはくっついて離れようとしない佐久や琢磨を制して同じように踵を返して部室を去ろうとした。
「ヒロが一番かっこ悪いよっ!」
のんちゃんのそう叫ぶ声がした。
「結局ヒロは健斗に流されてるだけだろっ!健斗だけが大事なのかよっ!」
ヒロはばっと振り返ってのんちゃんを見る。全員がヒロに敵意を見せているのが分かった。ヒロは五人を見渡しながら、ギュッと唇を噛み締めた。
「そんなんじゃない……俺は……」
言葉が途切れてヒロはそれ以上耐えきれなくなって五人に背を向けた。そして健斗と共に五人の元から遠ざかっていく。
「許さないからなっ!」
最後までノブの泣き叫ぶ声が頭に響いた。
「後悔させてやるからなっ!!この、バカヤローッ!!」
ノブたちの泣き叫ぶ声が聞こえなくなった。健斗とヒロは互いに口を開くことなく、呆然と歩いていた。
「これで……良かったんだ……」
健斗が呟いた。そこにどんな決意が秘められているのか、ヒロには分からなかった。最後ののんちゃんの言葉が耳に残っていた。
自分は何をしているのか……分からなくなった。
それから夏休みに入る直前の日に、ヒロはリュウタに呼び出されたため中庭へと向かった。リュウタがベンチに腰掛けていてヒロの姿を確認すると、強張った表情になった。
「……一応言っておく。」
「うん。」
「俺ら、大会は辞退したから。」
「…………」
そうなるかもしれないと、予想はしていた。10人で大会に出るというのはあまりにも無謀なことだ。それに10人で大会を出るなんて、相手の学校にも失礼な話である。学校自体の信頼を損ねる問題だった。
だから、あえて「辞退」をすることで、問題を公にすることを隠したのだろう。
「……健斗は、どうしてる?」
リュウタがそれを聞くと、ヒロは苦笑いを浮かべた。
「学校には来てるよ。ただ……ずっと机に座ってるだけ……」
その頃の健斗は誰とも連もうとはせず、ただ孤独な日々を過ごしていた。その態度は周りにも影響して、次第に健斗に話しかける者は少なくなっていった。
「そっか……分かった。それじゃ。」
リュウタは踵を返してヒロから離れていった。
その後ろ姿から滲み出る寂しさは、神乃中サッカー部の崩壊を表していた。一寸先は闇。その先もずっと闇……何をすればいいのか分からない。
そのような状態にしてしまったのは、他でもない、健斗とヒロなのだ。自分たちは簡単には許されない大きな罪を犯してしまったかのように、これから先大きな責任を背負って生きていかなければならないのだ。
ヒロは空を見上げた。悲しくなるほどの青空だった。青空が好きだった翔は、今どこにいるんだろう?
これで……良かったのだ。
ヒロは一人でそう呟いたつもりだったけど……誰かに問いかけた気持ちになっていた。