第9話 新たなる決意 P.24
夕暮れは完全に沈もうとしていた。ヒロはサッカーボールを片手に持ち、健斗の手を引っ張る。
「いいから来い!」
ヒロは強引に健斗を外に連れ出した。そして健斗の手を引いて、公園へと目指す。健斗は最初のうちは抵抗していたのだが、すぐに観念してヒロのなされるままになっていた。
お互い一言も話さず着いた公園でヒロは健斗から距離を取って互いに向き合うような姿勢を取った。
そして困惑している健斗に手に持っていたサッカーボールを転がす。健斗はそれを受け取ると、ヒロの方を悲しそうな目で見た。
「何のつもりだよ……?」
何のつもりなのか、自分でもよく分からなかった。こんなことをして、何を試すのか分からない。だが、何となくやらなければならない、ヒロは妙な使命感に寄っていたのかもしれない。
家に帰ろうとしてる子供たちが小さな坂の上から自分たちを見下ろして、「勝負してるっ!カッケー!」と言っているのが聞こえた。だが、そんな子供たちの歓声も一瞬で風にかき消される。
「いいからっ!行くぞっ!」
雄叫びをあげながら、ヒロは健斗に突っ込んでいく。ヒロの専門分野はキーパーだったのだが、ディフェンスにもかなり自信はあった。並大抵のやつらになら負けないという自負もあった。
しかしそんなヒロを健斗は鮮やかなテクニックでかわしてくれるに違いない。そう思っていた。しかも何の捻りのない突っ込むだけの力まかせのディフェンスだ。健斗にとってこんなに恰好なやつはいない。
そう思っていたのだが、現実は違った。健斗はその場から一歩も動かず、ヒロにボールを取られてしまう。ヒロは奪ったボールなんて気にも留めず、振り返って健斗を見た。
健斗は酷く息を荒らし、大量の汗を流していた。そしてみるみるうちに顔が青ざめていき、その場に唸りながらうずくまる。
ヒロは驚いて健斗の元にすぐに駆け寄った。
「おい、健斗っ!大丈夫か?」
ヒロが健斗の肩に触れようとすると、健斗自身の手がそれを制した。
「触るな。」
低くうねるような声で健斗はそう言った。ヒロはビクッと体を震わせて、健斗の言うとおりにした。
酷くリズムがバラバラの呼吸も次第に落ち着きを見せ始めたときだった。
「……ダメなんだ。」
「え?」
呟くように健斗はそう言った。そして泣き出しそうな声で続けて言った。
「ダメなんだ!もう……ボールに触るだけで、翔の顔が思い浮かぶ。あいつの……あいつ……あいつがハネられた時のことが……俺……俺の中で……」
途切れ途切れの言葉だった。それでも健斗の言うことは、なんとなく理解した。罪悪感と喪失感が健斗の心に深く根付いてしまっている。自分には、どうしてあげることも出来ない。
惨めで無力な自分が悔しかった。気がつくと、頬に涙が伝っていた。それを手で拭う。しかし溢れ出してくるみたいに、目から涙が止まらなかった。
「……クソッ……クソッ……」
時間が戻ればいいと思った。翔のいる世界に帰りたいと思った。
今いる世界が……憎くてたまらなかった。
それでもヒロは健斗に学校に来るよう説得をし続けた。その甲斐あってか、健斗は一週間振りに学校に顔を出した。
健斗はヒロと共に教室に入ると、クラス中の人が健斗に向けて視線を向けた。健斗の変わりようにはっと息を呑むやつもいれば、健斗が学校に来たこと自体に驚いてるやつもいる。突然この世の全てが止まったかのように、音がピタリと止んだ。
だが健斗はその世界に目も暮れず、下を俯いたまま自分の席に座った。
ヒロもそれにつられるように自分の席に座る。そしてしばらくすると、
「健斗、大丈夫か?」
クラスの内の一人が健斗の席の前に来て声をかける。それが発端となり、次から次へと、気がつけばクラス中の人が健斗を囲むように健斗の周りに集まっていた。
「きっと辛いだろうけど元気出して?」
「健斗のせいじゃないって。ただの事故じゃん、事故。」
「仕方ないよ。」
「自分を責めるなよ。」
「山中くんは悪くないよ。だから気を落とさないで……」
クラスのみんなが健斗に激励の言葉をかける。そしてそれぞれの言葉に「うん、そうだよ。」「そうそう。」などと同調する声も上がる。
みんな健斗のことを本気で心配して、健斗を励まそうとしてくれたのだろう。一人のクラスメートとして、何かをしてあげたかったんだと思う。
健斗にもその気持ちは届いてるはずだった。
「山中っ!落ち込むなって。ほら何だけ?あの……“みっかぁ~と経てば、元どお~り~”ってやつ。」
「言えてるっ!」
健斗の周りで笑いが起こった。和やかな雰囲気を作ろうと健斗のためを思って冗談を言ったのだ。
みんな健斗のことを心配していた。
「……っさい……」
「えっ?」
健斗はボソッと呟くとギロッと周りにいる人たちを睨みつけた。怒りを込めた表情で、彼らを睨みつけた。健斗が今まで見せなかった、普段と違う剣幕に誰もが息を呑んだ。
「うるさい。目障りだ。消えろ……」
「え……?」
「あ……」
健斗は低く唸るような声で一度だけそう呟き後は全員睨みつけるだけだった。クラスの人たちは、突然のことに当惑していた。どうして健斗が怒ったのか、分からないと言った表情だった。
いち早くそれを察したヒロは健斗とクラスのみんなの間に割って入った。
「わ、悪いみんな。こいつ相当ショック受けてるからさ……ちょっとそっとしといてあげて。」
ヒロの言葉にクラスのみんなは動揺を隠せないと言うようにざわめき始めた。そしてみんなヒロの言うことに従うことにした。それぞれ健斗の周りから去っていく。
健斗の周りに人がいなくなるとヒロは安心するようにほっとため息をついた。
そして健斗の方に視線を落とした。健斗はヒロを睨みつけていた。
――余計なことするな。
ヒロにそう心で訴えている。健斗の足元で作っている握り拳に目を向けた。力を込め過ぎていたのか、ワナワナと震えていた。
「許せなかったんだ。」
健斗はポツリと呟くように言った。それを聞いて麗奈はヒロから健斗へと視線を変えた。健斗は苦笑いを浮かべていた。自分の失敗を悔い改めているような表情だった。
「許せなかったんだ。みんな、翔が死んだことなんてこれっぽっちも気にしていない。そう思えてめちゃくちゃ腹が立って……あのときヒロが止めてなかったら、俺……多分近くのやつ殴り飛ばしてた。」
そんなこと……ないのにな。
健斗はそう呟いて視線を窓の外へと向けた。ヒロの部屋からススキが一辺に渡って見える。その中から鈴虫の音色が風に流れて聞こえた。
「それに……あのときは慰めの言葉なんていらなかった。その逆。責めて欲しかったんだ。お前のせいだ。お前が翔を殺したんだって。……何にも知らないやつが綺麗事を抜かしてる……そうとしか……思えなかったんだ。」
健斗は目を細めて遠くの何かを見つめていた。麗奈はそんな健斗の表情を見て、胸が苦しくなるのを感じた。
あのときと同じだ。
健斗と大喧嘩をし、仲直りをした夜のときと同じ表情だ。過去に戻りたい。健斗はそう口にした。麗奈は、それがたまらなく嫌だった。怖かった。健斗がどこかへ行ってしまうような気がして、すごく怖かったのだ。
今も同じ。健斗はどこか遠くへ行こうとしてる気がした。どうしてそういう風に思うのか、麗奈はやっと分かった気がした。
健斗の心は、その日に置いてきたままだったのだ。ずっと健斗の中には心がなくなっていた。今も……麗奈が知らないだけで、今の健斗は本当の健斗ではないのかもしれない。翔が死んでしまったその日から、健斗の中の時間は止まったままなのかもしれない。
麗奈にはそんな気がしてならなかった。だから全てを知りたい。健斗の、ヒロの過去を。健斗の苦しみを……全てを知りたいと思った。
「……それで、どうしたの?」
麗奈が先を促すように聞くと、ヒロは頷いてからまた話し始めた。
「……それから昼休みになった。そしたらさ、サッカー部のやつらが俺らのクラスに来たんだ。」
ヒロはそう言いながらそのときの記憶を明確に思い出していた。