第9話 新たなる決意 P.22
真っ暗な帰り道で健斗たちはゆっくりと自転車を漕いで家へと向かっていた。その間誰も口を開こうとはしなかった。
健斗とヒロは何かを考え込んでいるようだった。麗奈はそれを分かっていて、しかし返ってそれが麗奈を困惑させていた。
おそらく、さっきの“のんちゃん”という人と何か揉め事があったのだろう。そしてその揉め事が、恐らく健斗たちの過去に遡るということに麗奈は気づいていた。
過去に遡るということはすなわち、神乃中サッカー部のこと。それを容易に聞いていいのか、麗奈は分からず、困惑していた。
それからしばらくして家の明かりが見えてきた。健斗の家とヒロの家の明かりだった。健斗とヒロの家は隣同士だ。
「なぁ健斗。」
「ん?」
久しぶりに口を開いたヒロの呼びかけに健斗は穏やかな口調で答える。自転車のスピードをさらに緩めて、ヒロと健斗は停止した。
「お前、家来いよ。」
「え?」
「いいだろ?」
健斗とヒロはしばらく見つめ合っていた。その会話からすればなんてことない幼なじみの会話である。だが、それが真意のカモフラージュだということを麗奈は気づいていた。
健斗はしばらく考えてから、ふっと表情を緩めた。
「そうだな。久しぶりに行こうかな。」
健斗がそう言うと再び自転車を発進させた。そして健斗の家の前に着くと、再び自転車を停める。麗奈は後ろから降りて、自転車の支えを下ろす健斗を見上げた。
「ヒロ先家帰ってろよ。すぐ行くから。」
健斗がヒロにそう言うと、ヒロは何のためらいもなく即座に頷いた。
「オッケー。じゃあ、麗奈ちゃん、また明日な。」
「あ、うん。……バイバイ。」
麗奈が軽く手を振るとヒロはニコッと微笑んで自分の家へと帰っていった。
そして健斗の方にもう一度視線を向ける。健斗は呑気に欠伸をして、自転車を庭まで運んでいく。
麗奈は家の前で呆然と立っていた。微かに庭の方から会話が聞こえた。健斗とお母さんが話しているのだろう。ゴンタの吠える声も聞こえた。
しばらくすると健斗が帰ってきて、麗奈の姿を確認すると不思議そうな表情で麗奈を見た。
「何やってんの、お前。俺、ヒロん家行くから。中入んないの?」
「…………」
麗奈は答えなかった。答えず、健斗の目を見つめた。健斗はきょとんとして首を傾げる。
「どうした?」
「……どうして隠すの?」
やっと言えた言葉がそれだった。今まで溜まっていた思いがこぼれるようだった。
しかし健斗はさらに麗奈を変なものを見るような目で見た。
「何を?」
何だか惨めな思いがした。待ってたのに、ずっと待ってたのに健斗は何も話そうとしない。分かってるのに、麗奈には何も話さないのだ。
麗奈の目の前であんなことが起こったのに、健斗は隠そうとする。そしてヒロと二人だけで解決しようとする。
腹が立った。それと同時に泣きそうなくらいに惨めな思いになった。
自分は健斗にとって特別な存在なんだ、という思いがどこかにあったのかもしれない。その思いは結局麗奈一人の独りよがりだった。健斗にとって麗奈はただの家族同然。そして自分の抱えている問題なんて絶対に言おうとなんてしない。
「……もういい。知らない。」
麗奈が諦めるように言い捨てて、家の中に入ろうとした。するとその手を健斗が握って引き止めた。
「何だよ。何急に怒ってんの?」
「怒ってないよ。」
「怒ってんじゃん。」
「怒ってないってばっ!」
思わず声を荒げてしまう。健斗はきょとんとして麗奈の顔を見つめる。そしてするっと紐が解けるように麗奈の手を放した。麗奈と健斗の間に、少しの間沈黙が続いた。
どうしてこんなに苛々してるのか自分でも分からなくなるほどだった。
「……さっきの人。」
「え?」
健斗の顔色が瞬時にして変わった。その様子が麗奈の確信を強めた。
「健斗くんたちがさっき話してた人……中学のときのサッカー部の友達なんでしょ?」
「…………」
答えない健斗を麗奈は真っ直ぐ見つめる。答えたくないという意識が伝わる。それが麗奈をさらに苦しい気持ちにさせた。
「健斗くん、サッカーのことで悩んでるんでしょ?ずっと……きっとヒロくんとマナが喧嘩したときからずっと……ずっと考えてたんでしょ?私に小山さんの話をしたときも、ずっと考えてたんでしょ?」
麗奈の問いかけに全く答えてくれない。ただ麗奈の目を真剣な眼差しで見つめていた。
「最近の健斗くん……何だか変だったもん。ずっと何かを考え込んでるみたいで。思い悩んでた。でも私、何も言わなかったよ。健斗くんが私に話してくれるのを待ってたから。私に話してくれるのを信じてたの。」
何も言おうとしない健斗を気に留めず、麗奈は胸の内にある思いを吐き出してしまおうと思った。
「信じてたのに……まだ隠すの?どうして自分一人で解決しようとするの?私は健斗くんの……何なの?」
ただの家族?それともただの同級生?
本当にそうなのだろうか?健斗が麗奈に対して何の思いを抱いてないとしても、それ以上の関係だと麗奈は感じていた。
胸が苦しくなった。今まで……それは夏祭りの日から今にかけて溜まりに溜まり続けた、健斗に対する全ての思いのような気がした。
「私は……私……誰よりも先に……誰よりも大きく……健斗の力になりたいの。健斗を支えたいの。なのに……健斗は……」
それ以上言葉が続かなかった。溜まり続けた思いを吐き出したはずなのに、より辛い思いが麗奈を取り巻いていた。
健斗には届いただろうか?麗奈の気持ち……
届いてないかもしれない。もしかしたら、うざがられているかもしれない。家の前で、何を言ってるんだお前は、といつもの調子で言ってくるかもしれない。
何だかどうでもよくなってきた。涙が頬を伝う。最近涙脆くなっている。強くなろうと決めたのに、健斗の前だと感情が抑え切れない。
これ以上健斗の前にいると自分が惨めなだけだった。諦めるように健斗の元から消えようと決意した。
すると……麗奈の柔らかい髪に健斗の手が触れた。それに驚いた麗奈は健斗を見上げる。
健斗は今まで麗奈に見せた表情の中で一番優しい表情で麗奈を見ていた。慈愛に満ちた目で麗奈を見つめていた。
「ごめんな。」
久しぶりに口を開いた一言目がそれだった。その言葉が麗奈の緊張していた体をふっと緩めた。
「お前の言う通りだ。お前には……ちゃんと話さなきゃな。」
そう言って麗奈の肩に触れる。体中に電気が走ったように、麗奈の体が一瞬ピクッとした。
鈴虫の鳴き声が聞こえた。綺麗な音色が麗奈の耳の中に響いていた。