第9話 新たなる決意 P.13
愛美は少し憂鬱な心地で廊下を歩いていた。
昼休みになると、当然廊下はたくさんの人が行き交いしている。廊下に立って話をしている人もいれば、ただ愛美のように廊下を通っている人もいる。
でもその中にはまだ知らない人が多い。というのは、愛美は中学まで神乃崎の隣町に住んでいた。隣町の高校はどれも偏差値が高い。そのため愛美の学力、偏差値的に簡単に入れそうなこの神乃高を選んだのだ。
つまり、苦労をしたくないけど私立には行きたくないという一般的な理由に過ぎなかった。
しかし盲点があった。この神乃高に来る人の多くが神乃崎の地元の人ばかりだったのだ。それもそうだろうと愛美はここに入学してから気づいた。
大して偏差値も高くない、こんな田舎の高校にわざわざ来る理由なんて本来ならない。わざわざ他のところからやってくる理由なんて、愛美と同じような理由くらいだろう。
だから最初の頃、ほとんどの人が初対面だった。しかし、従来から明るい性格の持ち主である愛美は友達を作るのにほとんど困ることはなかった。
知らない人と仲良くなることを前々から苦だと思ったことがない。
だからある程度の人はすでに顔や名前も知っている。
「マナ、おはようー!」
「おはようー。」
こんな風に違うクラスの子にもちゃんと友達だっている。未開の地に飛び込んだことを後悔したことは一度もない。
と、そんなことを考えながら、愛美は小さくため息を吐いた。その憂鬱さの原因は一体何にあるのだろう、と愛美は少し考えた。
……言われるまでもなく、ヒロと喧嘩をしていることだった。
確かに自分もしつこい面があったのかもしれない。所詮他人なんだから、あまり顔を突っ込むのもよくないことだって言うのは分かっている。
しかし……愛美には気持ちを抑えることが出来なかったのだ。ヒロの本当の気持ちを知りたかっただけなのだ。何を考えているのか、何を思っているのか、ただそれを知りたかった。
先ほどのヒロの物思いにふけている顔を思い出す。本当に自分のことを考えてくれているのだろうか……
「……だったら、何か言ってくれればいいのに……バカ……」
愛美はそう呟いてみた。と、するとだった。窓から中庭が見えるところを通りかかったとき、愛美が憂鬱さを込めて窓の景色を見てみたときにふと気がついた。
中庭のベンチに誰かが一人で座っていることに気がついた。そしてそれは、愛美のよく知っている人物だった。
健斗は中庭のベンチに一人座って、じっと考え込んでいた。両手に缶ジュースを持ち、別に焦点を合わしていない何かをじっと見つめていた。
最近、こうすることが多くなった。自ら一人になりたいという欲求が絶えず起こるようになった。当人だから分かる。その感覚は、健斗がまだ麗奈と出会う前の頃に日々抱いてたものだ。
ヒロだけじゃない。健斗も同じだった。今すぐにでもサッカーをやりたい。あのときの気持ちがすでに健斗の心を満たしている。しかし、それをどう対処することもなく夏を過ごしてしまった。
ヒロがハンド部を辞めると言い出したのは、麗奈の誕生日の日だった。佐藤と健斗とヒロで、隣町のショッピングモールで買い物をし、コーヒーチェーン店でお茶をしていたときに、ヒロがそれを打ち明けた。
もしかしたら、健斗はあのときからすでにこのことに気づいていたのかもしれない。
ヒロがバンド部を辞めると言い出した理由がそこにあると。それはヒロの中で健斗と同じように、もう一度サッカーをしたいという気持ちが芽生えたことではないか……
それが分かったときおそらく健斗はこうなるだろうと予測していた。そしてそれが今まさに現実となっている。
複雑な心境だった。
ヒロがサッカーをやりたいというのは、本当だったら嬉しいことなのに……
けどそれを勧めてやることは出来ないのだ。特に責任というものを重んじる健斗には、またサッカーを始めることを苦痛に感じてしまうだろうし、ヒロだけまた始めたら、健斗はヒロを蔑み、今の関係が本当に壊れてしまうかもしれない。
難しい問題だ。
こうなろうとは思わなかった。中二の夏、またサッカーをやりたいだなんて絶対に思わないと思っていた。だからすぐに決意したのだ。そしてヒロも同じだったのだろう。
あのときの浅はかな決断が、今の自分を戒めているように感じた。
「どうしたもんかな……」
「何が?」
自分の世界に誰かが入り込んだ。健斗は驚いて、前に焦点を合わせると……
そこには佐藤が立っていた。こういうとき、たいてい立ち現れてくるのは麗奈だったのだが……まさか佐藤が来るとは思わなかった。
「何してるの?こんなとこで。」
佐藤が微笑みながら健斗にそう言ってきた。
「ん~……人間って創造主なのか破壊主なのかを考えているところ。」
「何それ……そんなのダメダメ!考えちゃ。無駄な時間を過ごしてるよ?」
佐藤は笑いながらそう言って、健斗に「隣いい?」と聞いてから、そのまま隣に座った。
「健斗って、たまに難しいこと考えるよねー?」
「そう?」
「うん。なんかたまに何考えてんだろ?って思う。」
健斗は少し黙り込んだ。佐藤の言うとおり、どうやら自分にはそういうところがあるみたいだ。今考えていることも、多分他の人に話しても難しいと言われるかもしれない。
「ほら。またそうやって黙り込むんだもん。クールなのはいいけど、ちょっと怖いよ?それ。」
佐藤にそんなことを言われて健斗はきょとんとする。そして小さく笑った。
「……そういや最近話してなかったな。」
「え?あ……まぁ、そうだね。そうかも。」
「ヒロと仲直りしたの?」
健斗がそう言うと、佐藤は少し顔を赤らめて、健斗から目をそらした。どうやらまだみたいだ。
「ったく。二人とも意地っ張りだなぁ。さっさと仲直りすりゃあいいじゃん。仲直りしたいんだろ?」
「べ、別にっ!どうだっていいし……麗奈ちゃんと同じこと言わないで。」
麗奈も同じように言ったということは、やっぱりそうなんじゃないか。と健斗は心の中でそう呟いて、笑った。
「ふ~ん……でもヒロはどうだろーな?」
「え?」
健斗はニヤリと小さく笑みを浮かべた。
「あいつ言ってたぜ?“俺が言い過ぎた。どうやって仲直りしよう?”ってさ。」
ちょっとだけ盛ったが、別に構わないだろうと健斗は思った。案の定、佐藤は目を見開いて俯いた。口元で笑みを浮かべているのが見えた。
「……嬉しそう。」
ボソッとそう言うと、瞬時に佐藤の顔が真っ赤になった。
「う、嬉しくなんかないしっ!やめてよっ!」
「顔赤いけど……?」
「~~~っ!」
声にならない声を上げて佐藤が健斗の肩を叩いてきた。佐藤は女の子ならずのパワーを持っているため、普段麗奈に叩かれているのに慣れていても少し痛かった。
「いって!何だよ?何ムキになってんの?」
「それ以上言ったら今度は本気で殴るよ?」
佐藤が怖い目つきで睨んでくるので健斗は苦笑して、それ以上からかうのを止めた。
けど普段佐藤が見せない女の子らしいとこが見れたような気がして、普段と違うギャップに健斗は可笑しさを感じて思いっきり笑った。
久しぶりに笑って、何だか安心感を感じた。