第11話 文化祭 後編 P.23
バスを乗って、いつものように学校の近くの駅で降りる。その頃にはもう朝日がちゃんと昇っていた。時計を見ると、時刻は七時を少し過ぎていた。少し早くついてしまったみたいだ。吹奏楽の朝の最終合わせは七時半からだ。三十分も余裕がある。しかし、早く着くには問題ない。
麗奈はそこからスタスタと歩き、ものの五分もかからない学校についた。校門はいつもと違ってものすごく豪華になっている。「神乃埼高校 文化祭 」という文字が書かれた看板が校門のところに挙げられている。色紙で作った華で彩られていて、とてもきれいだ。きっと実行委員が手をかけて作ったに違いない。
だとすると、健斗もこれを手伝ったのだろうか?悪いけど、健斗はこういうのに向いてなさそうだ。ほら、あの一番右端にある他とはちょっと雑な華、健斗が作ったのかもしれない。そんなことを考えながら、麗奈はスタスタと再び歩き出した。校内にはちらほら学生が見えていた。それぞれ何かしらの準備があるらしい。グラウンドの方に目をやると、サッカーゴールの前に何かが設置されている。
あれは、テレビでも見たことあるようなものだ。1から9までの数字が書いてある板が順序良く並べられている。もしかすると、あれがキックターゲットというやつだろうか。いつか、健斗が言っていたような気がする。小学生の時、パーフェクトを幾度となく出して当時の神乃高のサッカー部員に目をつけられてしまったと。確かに、あれくらいのものなら健斗なら余裕だろう。
麗奈はそう考えてクスっと笑った。それから、はっと気づく。さっきから……健斗のことばかり考えてしまっている。それじゃ駄目だ。もう終わったことなんだから。麗奈は考えを振り払うように、頭を横にフルフルと振った。しっかりしなくては。今日は文化祭だ。今日が終われば、いろいろと終わる。そして、またはじまる。
麗奈は昇降口に行き、靴を上履きに履き替えた。このまま音楽室に直行しようかと考えたけど、荷物だけでも先に教室においてきてしまおうと思った。なので、四階には行かずに先に二階へと向かった。
昇降口から階段を上がって、一番先に進んだ教室が麗奈の教室だ。それまでに見た教室は、多彩な出し物でいっぱいだった。チラッと見たが、お化け屋敷があったような気がする。あとで入ってみたい気がする。でも、文化祭のお化け屋敷なんて言っては悪いけどクオリティーの問題でそこまで怖がれない。隣のクラスは喫茶店のようだった。円のクラスだ。確か、円がそういっていたっけ?
そんなことを考えて自分のクラスについて、ゆっくりとドアを開ける。教室内の机やいすは一切片付けられていて、劇のためのステージが設けられていた。一昨日から、これを作るのにみんな一同となって頑張った。もちろん、麗奈だって手伝えることは手伝った。
さすがにこの時間だ。教室内は誰もいないようだった。シーンとしている。とりあえず荷物は、裏幕の方へと置いておこう。そう思って、裏膜の方へ歩くと……そのとき、物音がした。
誰もいないと思っていたのだが、誰かいる。いったいこんな朝早くに誰が来ているのだろう?麗奈は裏膜をめくって、それを覗き込んだ。そこにいたのは、なんと結衣だった。結衣が一人で、椅子に座って何かを作っているようだった。
「……結衣?」
麗奈が声をかけると、結衣はびくっと身体を震わせた。そして咄嗟に後ろを振り返って麗奈のことを見て、さらに驚いた顔を見せた。
「麗奈ちゃん!」
「びっくりしたぁ。誰もいないと思ったら、物音がしたんだもん。誰かと思っちゃった。」
そういって麗奈は笑ったけど、結衣は笑わずに小さくうなずいた。
「うん。みんなが来る前に衣装とかのチェックをしとこうと思って。」
「へぇー。偉いねー。さすが実行委員!みんながこうして一つになれたのって、絶対結衣のおかげだと思う。ありがとね♪」
「え、そ、そんなことないよ。私、大したこと……」
照れて顔を赤くしている。本当に結衣は可愛い。女の子の中の女の子って感じだ。たまにちょっとうらやましくなる。
「それに、健斗くんも色々頑張ってくれたから……だから、私も安心したというか……」
結衣の言うことに、麗奈は一瞬笑顔を失った。そうだよね……やっぱり、健斗がいたから……
麗奈はまたにこっと微笑んだ。
「そうだね。二人のおかげだね。健斗くんも、あれはあれで一応頑張ってたみたいだし。」
「うん……えっと……」
麗奈を椅子の上に置くと、モジモジと何かを言いたそうな顔をしている結衣を見て不思議そうな顔を浮かべた。
「どうしたの?」
「えっと……麗奈ちゃん、もしかして健斗くんと仲直りできたの?」
ドキッと胸が高鳴った。それを表情に出さないように、麗奈は首をかしげて見せた。
「仲直り?私と健斗くんが?なんで?」
「なんでって、だって……喧嘩、してるんでしょ?」
「うーん……私はそんな記憶ないけどなー。別に喧嘩はしてないよ。家でも普通だし。」
「そうなの?でも、この間……」
この間……と言いかけて結衣ははっとした表情をした。
「そう、この間。」
「この間?」
「この間は、その……ご、ごめんなさい!!」
結衣が声を大きくして、麗奈に深々と頭を下げて謝ってきた。それにはさすがにびっくりした麗奈は思わず「え?」っと聞き返してしまった。すると、結衣はゆっくりと顔をあげて視線を泳がせながら続けて言ってきた。
「その……私、この間……麗奈ちゃんに、意地悪言っちゃって……ごめんね……」
この間のことというのは、きっと音楽室での出来事のことだ。麗奈は顔には出さなかったが、ちゃんとわかっていた。考えてみれば、あれから結衣とは話をしていなかった。別に意図的にしなかったわけではない。本当に麗奈もクラスのことと、部活のことで忙しかったから結衣だけではなくほかの人とも話すをする機会がなかった。ただそれだけだ。別に謝られることを言われた覚えはないし、むしろ謝ってほしくなかった。
「ううん。私、別に怒ってないよ。」
「本当に?私……だって、あれからずっと麗奈ちゃんと喧嘩しちゃったって思ってて……」
「え……えぇ?ちょっと待って。あれ喧嘩とは言わないよ。」
「言わないの?」
「言わない……とは思うけど……少なくとも私は……」
麗奈がそういうと、結衣はポカンとした表情をしていた。そんな顔を見て、麗奈は笑いが込み上げてきた。そして思わずプッと噴きだして、次には笑っていた。結衣はたぶん、あんなふうにめったに感情的になったりしないから、喧嘩とかそういうのよくわからないのかもしれない。
「アハハハハ。とにかく、私は何も怒ってない。むしろ、うれしいって思ったよ?結衣が、私のことを考えようとしてくれたから。」
「そうなんだ……よかった……」
結衣はそういって、胸をほっとなでおろすようにため息を吐いた。麗奈はそんな結衣を見て微笑みながら言った。
「ごめんね。なんか……気を遣ってもらってたみたいで。」
「あ、ううん。私が勝手に気を遣ってただけなの。だから、私が悪いの。」
「そんなことないよ。っていうか、あれにどっちが悪いとかないよ。どっちも悪くない。それでいいでしょ?」
麗奈がそういうと、結衣はしばらくしてから小さく笑って「うん。」と言ってうなずいた。麗奈はチラッと時計を見た。まだ練習には時間がある。
「あのね、結衣。私……結衣の気持ち、本当にうれしかったよ。」
「え?」
麗奈は結衣に近づきながらそういった。結衣はちょっと驚いた様子だった。そんな結衣を見ながら、近づいて、そして麗奈はゆっくりと結衣を抱きしめた。急に抱きしめられて結衣は戸惑っているようだった。
「れ、麗奈ちゃん?」
「私ね、本当に本当に、本当にうれしかったの。結衣に愛されてるんだーって、思えるような気がしたの。こんな気持ちになれるのって、きっと結衣が私のことを本当に考えてくれて、本当の気持ちでぶつかってくれたからだと思うの。だから、ありがとう♪」
「……うん。」
結衣は次第に嬉しそうに笑って、抱きしめてくる麗奈の頭をぎゅっとしながらゆっくりと撫でた。そして麗奈は結衣を離して、少し距離を取った。
「あのね……私、あのとき言った言葉も本当だよ?」
「え?」
「結衣と健斗くんが、両想いになったら嬉しいって。二人が幸せになるなら、私もそれが嬉しいって言ったの、あれは本当だよ。」
「……でも……それじゃ、麗奈ちゃんは幸せにならないでしょ?」
あのときの話の続きみたいな感じだ。でも、もういいや。終わることなら終わらせよう。素直に……言おう。これは、ほかでもない麗奈のことを本当に考えてくれる結衣だからこそ言おう。
「うん……ホントいうとね、あのね……私ね……健斗くんのこと、好きだよ。」
「……うん。知ってる。」
「今もすっごく好きだよ。だいだい、だーいすき。あんな人、たぶんもういないもん。」
「うん。わかってる。」
「でもね……やっぱり駄目なんだ。私は。」
麗奈がそういうと、結衣は不思議そうな顔をした。
「……どうして?何がダメなの?」
「それは……えっと……」
「もしかして、健斗くんが私のこと好きだと思ってるから?だったらそれは違うよ。……もう、この際言うね?健斗くんが好きなのは、私じゃなくって……麗奈ちゃんだよ?」
「……うん。それも、聞いたよ。」
麗奈がそういうと、結衣は驚いたような顔をした。
「聞いたの?誰から?」
「……健斗くん、本人から。」
「嘘!告白されたの?」
「どうかな……でも、そのときは信じられなくって……でも、あれから結衣や、マナの話を聞いたら……やっぱりそうだったのかなって。ちょっと嬉しかった。」
「じゃあ、やっぱり仲直りしたんだね?二人は、もう付き合うことにしたんでしょ?」
結衣がそう尋ねると、麗奈は目を閉じながら首を横に振った。
「ううん。私ね、健斗くんとは付き合わない。」
「え……ど、どうして?だって、麗奈ちゃんも健斗くんのこと好きなんでしょ?だって、そう言ったじゃない、今。」
「うん。私、健斗くんのこと好きだよ。でもね、私、健斗くんと付き合わない。そう決めたんだ。」
「どうして?わからないよ。」
「……それはね……あのね……」
ここまで来たら、言うしかない気がする。結衣になら……言える。このことを結衣に言ってしまおう。そう思った。
「あのね……実は私――」
「なんで、お前の方が俺より遅いんだよ。」
家を出て、自転車に跨りながら健斗がそういうと後から来たヒロが陽気に笑いながら言ってきた。
「いやー、おばさんの朝ご飯が美味くって、ついおかわりしちゃったぜ。」
「ったく……のんきでいいよな、お前は。」
「ま、とりあえず行こうぜ。」
ヒロがそういって健斗は自転車をゆっくりと発進させた。するとそのあと後ろからヒロが追いかけてくる。やがて並列に並んだ時にヒロが言ってきた。
「今日さ、サッカー部の方でも出し物あんの知ってる?」
「知ってるにきまってんだろ。毎年恒例らしいし、あのキックターゲット。」
「お前が昔、パーフェクト叩き込んでからやけに目をつけられるようになったやつな。」
「まさか、今度は自分から運営する側になるとは思わなかった。」
「それ笑える。っていうことで、これ運営の時間の割り振り。昨日のんちゃんからもらっておいた。」
ヒロはそういって健斗に一枚の紙を渡してきた。健斗はそれを受け取って、目を細めて自分の割り振りを確認する。自分の仕事の時間は……昼過ぎだ。しかもその時間帯は、ヒロと山下といっしょだ。
「……これ、なんかの思惑?」
「えっ!!な、何が?」
「いや、なんか妙にお前と山下とかぶってるから。なんかあんのかと思って……」
「ば、馬鹿いってんでねぇだ。それ割り振ったのオラじゃねえべ。」
「……なんで田舎臭い話し方なの?」
でも、この時間帯なら委員の仕事もないし、一回目の公演に顔を出せる。ぶっちゃけ悪くない時間帯だった。健斗はその紙をとりあえず自転車のかごの中に入れた。
「そういやさ、今家に麗奈ちゃんいなかったな。もう学校行ったの?」
「え……あぁ、まぁそうだな。俺が起きた時には、もう……」
「ふーん。もしかして、あれか?吹奏楽の練習ってやつ?」
「そう言ってたけど。」
「へぇー、張り切ってんだなー。そういや、文化祭中に吹奏楽の公演もあるんだっけ?何時からか知ってる?」
「……いや……知らない。」
健斗がそういうと、ヒロは少しの間健斗のことを見つめてからあきれるようにため息を吐いた。
「誘われもしなかったってわけか。」
「……来てほしくないのかもな。」
「で、行かないの?」
「さぁ……そんな時間あるかどうかも分からないし……第一誘われてないし。」
健斗がそういうと、ヒロはまたしばらく健斗のことを見つめた。
「お前さ、本当にもう諦めるわけ?」
「何が?」
「そういうのいいから。麗奈ちゃんのこと。もう諦めるの?」
「……別に諦めるとか、そんなんじゃないし。」
「諦めてんじゃん。色々考えてるとか言ってたけど、もう考えてないんだろ?いや、ちょっと違うか。もう考えたくない。考えるのをやめた。そうだろ?」
「…………………」
そういわれて健斗は何も答えなかった。するとそんな健斗を見ながらヒロは言葉をつづけた。
「この前も言ったことの、ちょっと付け足し。別にお前がそうしようとするなら、そうしてもいいかもしれない。でも、お前が本当にそれでいいんならな。本当はどうにかしたいとか思ってるのに、考えるのを止めるってのは、逃げてるだけだぜ?そんで、麗奈ちゃんの気持ちにそむくことでもあるんだぞ。」
「……そんなことを言うために、わざわざ朝早くから家に来て、俺と登校してるわけ?」
「分かってんならどうなんだよ。」
「……知るかよ。ただ……」
健斗は言葉を濁らせた。そんな健斗の言葉を待つかのように、ヒロもじっと何も言わずに健斗を見ていた。
「ただ……少しこのままでいた方がいいのかなって思う。」
「このまま?」
「うん。なんていうかさ……俺、これまで麗奈と距離が近すぎたんだと思うんだ。近すぎたから、本質の部分とか見えてなかったのかなって……ちょっと思う。だから、今のまま……しばらく麗奈と距離を置いてみようかなって。」
「家でもずっとギスギスしてんだろ?それをずっと続けるの?」
「ずっとじゃないって。なんか、こういうのってやっぱ……時間がいるんだよ。」
「……あっそ。それがお前の答えか。」
ヒロにそういわれて、健斗は何も言わなかった。ヒロもしばらく健斗のことを見て、それから視線をそらす。するとヒロは健斗に聞こえないように「らしくねぇ……」とつぶやいた。健斗はそれをちゃんと聞きとっていたが、あえて気づかないふりをした。
らしくない……そう。らしくない。