第11話 文化祭 後編 P.21
愛美は多目的室を出ていったあと、そのまま一直線に教室へと向かっていった。気持ちが高ぶったままで、行き交う人が愛美を振り返って見てくる。自分はどんな顔をしているのだろう?
そんなことどうでもいい。
教室について、そのまま勢いにまかせて中に入る。そこには裏方の人たちが一生懸命ものづくりをしている。その中にヒロもいた。
愛美は早歩きでヒロの方に向かった。愛美がさっさと歩み寄って来るのに気づいたヒロはぎょっと顔を強ばらせた。
「な、何?どうしたの。演技の稽古は?」
「今すぐ顔を貸して。」
どすのきいた声で愛美がそういうと、ヒロは「はぁ?」と聞き返した。
「な、何?なんで?」
「いいから、早くいっしょにきて。」
「い、嫌だよ。殴られるって分かっていくなんて。つーか俺なんかしたっけ?」
この目の前にいるハゲ頭は何を抜かしているのだろう。愛美は空中でグーの拳を作った。
「いいからさっさと来い、ハゲ頭。言うこと聞かないと今すぐ殴るわよ。」
「そ、そんな……」
「ほら、早く!」
愛美はヒロの制服の襟の部分を掴むと無理矢理そこから引っ張った。むやみに抵抗しようとするヒロを結局一発叩いて、大人しくさせてヒロと共に教室を出ていった。
「はぁ?健斗と麗奈ちゃんを?」
佐藤が言ったことをヒロは驚いた様子で聞き返した。すると佐藤は「そう。」と一言言ってうなずいた。
「文化祭中に、あの二人をくっつけるの。あたしたちで。」
「くっつけるって……どうやって?」
「それは、まだよくわからないけど……でもなんかしらの方法でよ。」
具体性に欠ける佐藤の言いぐさにヒロは困ったような表情を浮かべながら、頭をがしがしとかきむしった。
「そうは言っても、健斗もあぁだからな……」
「あぁって?」
「なんていうか……また悪い癖が出てるっていうか、色々一人で考え込んでいるみたい。」
「そう……なんだ。麗奈ちゃんは、なんとなく……吹っ切れようとしてたみたい。まぁ、あたしがちょっとそこんとこを挑発してみたんだけど……」
佐藤がそういうと、ヒロはその言葉に反応するかのようにぴくっと眉を動かした。
「お前、もしかしてなんか余計なことしたのか?」
「よ、余計なことだなんて言わないでよ。あたしだって、もうこれ以上黙って見てるのも我慢できなかったの。」
佐藤が視線を泳がせてそういうと、ヒロは大きくため息を吐いた。
「気持ちはいっしょだけどさ、なんていうか……こういうのって他人が口をはさむのはよくないんじゃない?特に健斗と麗奈ちゃんの場合は普通とは違うんだから。」
「普通とは違う?」
「好きっていう気持ちだけじゃないんだよ。たぶん……ただ好きっていう気持ちだけじゃなく、もっとこう……うまく言えないけど……愛情……ってやつかな。お互いのことが大切で、傷つけたくないし、傷つきたくないんだよ。難しい関係だけど。」
「愛情……」
自分で言っていてもよくわからない関係だと、ヒロは思っていた。一番近いように見えて遠い存在。それが二人の間の関係なのかもしれない。ヒロの言葉を聞いて、佐藤はしばらく黙り込んでいた。ヒロもそんな佐藤をただ黙って見つめていた。佐藤の気持ちもよくわかる。できることなら、何かをしてやりたい。それはきっとこのことに関わる全ての人が思っているのだろう。そして、きっとそれは二人の人を惹きつける力がそうさせているのかもしれない。
「ヒロの言っていること、そうかもしれない。そうかもしれないよ……でも……でもね」
佐藤が顔を上げた。その表情にドキッと胸を高鳴らせた。精一杯目に涙をためていた。佐藤の泣き顔なんて初めて見たから、ヒロは少々戸惑いを隠せなかった。
「あたしは、やっぱりもうこれ以上黙って見てるのは嫌なの。だって、むかつくじゃない!健斗も麗奈ちゃんも、私たちの気持ちに気付いてくれない。だったら……」
そういってヒロの服をぎゅっとつかむ。そんな佐藤を見て、ヒロは少し天井を仰いで考える。
山下の時もそうだった。これまで、自分から健斗に何かをしてやったことがない。いつも、健斗の考えに委ねていた。しかし、山下のように自分が良いと思ったことを行動に移してみるのも、いいのかもしれない。ヒロはそう考えると軽くため息を吐いた。
「……分かった。お前の気持ちを汲んで、協力するよ。」
麗奈はペットボトルに入ったミルクティーを口にしながら、教室の窓から景色を見下ろしていた。ミルクティーは好きだ。ミルクの柔らかい口触りと紅茶のほんのりとした甘味がとても好きだ。でも、やっぱり自販機のものじゃあのおいしさには勝てない。
麗奈は後ろを振り返って教室の中を見渡した。劇の稽古が終わって、ミュージカルの役についていた人たちは道具作りなどの作業を手伝っていた。麗奈もその中の一人である。ふと見渡してみる。その中にはたくさんの人がいる。でも、肝心の人が誰もいない。
健斗は今、どこにいるんだろう?結衣もいないということは、ひょっとしたら実行委員の仕事でどこかに行っているのかもしれない。マナやヒロもいない。二人がどこに行ったのかは、誰も知らない。
そんなことを考えながら、麗奈はふと目を閉じた。これまでみんなに言われたことを思い出していた。
健斗は前、こんなことを言ってくれた。あの帰省事件の日、縁側で麗奈に怒ってくれた。悲劇のヒロインぶるな。つらいなら、苦しいなら、言えよ!そういってくれた。自分でもわかっているような気がした。自分の気持ちをごまかして、他人に頼らず一人で抱え込んでしまうこと。そして、それが嫌なのは麗奈もいっしょだ。そういう健斗だって、肝心なことを何も教えてくれない時があった。のんちゃんと再会した日の夜、麗奈はそれが我慢できなくってつい健斗にどなって、あのときと同じようなことを言った。
なのに、何も変わっていない。いや、変わっていないのは麗奈だけだ。なんてわがままなんだろう。それも分かっている。
結衣に言われたこと。自分の気持ちに素直になって……か。わかってる。素直にならなきゃ、気持ちなんて伝わらないってことも。でも、もう自分は駄目だ。素直や純粋って言葉に、悪意を感じる。それこそ、自分を偽っているような気がする。きっとそれはもう、自分が汚れているからなんだろうけど。
マナに言われたこと。自分勝手。それも分かってる。自分を守ろうとして、一人で突っ走っている。マナや、結衣や、健斗やヒロの気持ちなんて無視している。それも分かっている。
もういいや。終わったことなんだ。
そんなことを考えながら、麗奈は再び窓の景色を見下ろした。夕焼け色に染まる空がなんとなく物寂しい。
健斗が結衣に告白していた日、いや、あれは告白じゃないと二人は言っていた。だから、そうなんだろう。その日、健斗が言ったこと。本当はすごく嬉しかった、そして驚いた。そして……駄目だと思った。誰のために駄目だって思ったのだろう。たぶん、それは結衣のためかもしれない。
結衣はやっぱり、健斗のことが好きなんだ。そう思った。結衣に問い詰められたとき、結衣は一度も否定をしなかった。きっと麗奈が思うに、自分でもまだよくわからないんだと思う。気づいていないだけ。でも、心の奥ではきっと結衣は健斗のことが好き。でも、麗奈がいるから……我慢しようとして、気づこうとしていないだけなんだ。そう。結衣も麗奈と同じ立場なんだと思っていた。
結衣は健斗は麗奈のことが好きと思って、二人は両思いだと思って、きっと健斗と麗奈がくっつくことが一番いいことだと思っているんだ。そんなの駄目だ。結衣は幸せにならないといけない。そして健斗も、自分とじゃなく結衣と両想いになることが本当の幸せなのに……どうしてそれをわかってくれないんだろう?どうして自分なんかを好きになってしまったんだろう?
――駄目だよ……やっぱり……私とじゃ……駄目なんだよ。健斗くん。
どうせそんなことを言っても、誰も分かってくれないだろう。何を言っているのかわからない、と言って怒るだろう。でも、でも……
仮に健斗と麗奈が付き合ったとしても、身近に来る別れがある。
それを……言えば、健斗は納得してくれるのだろうか。
みんなは、納得してくれるだろうか……
明日は文化祭だ。これから、この高校での一番の思い出で、最後となる思い出……なんだ。