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ガルデニアの残り香  作者: 板久咲絢芽
閑話 Gardenia sub rosa――薔薇の下の梔子
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かなしきに狂い咲いて舞い散る

結局の所、()は自分の持つ「箱の中のカブトムシ」にしか興味を示さ無かっただけだったのだ。


――痛みの共有の可・不可を説く(ため)の思考実験である「箱の中のカブトムシ」は、一個人ごとに変動が起こり得る概念(がいねん)の言葉全体に言える事だ。

痛みも、喜びも悲しみも、怒りも楽しさも、畢竟(ひっきょう)、一個人の感情・感覚の一端が何処(どこ)にカテゴライズされるのかという指針を表すしか無く、()の強さを表す語も一個人の中で完結した、相対的な尺度でしか無い。

絶対的な尺度では有り得無い。

()れは何も感情・感覚だけで無く、認識が違う物にだって適用されるのだ。


だから、みぃちゃんの言う『おにいちゃん』と、()の思う『みぃちゃんの言うおにいちゃん』に違いがあっても、何も、何も、奇怪(おか)しい事は無かった。

――だから、そういう事だった。


みぃちゃんにとっては、もう如何(どう)あっても私が、私()の物が、『おにいちゃん』でしか無かったのだ。

()という兄としての仮面(ペルソナ)では無く、正体が知れた()の時から、みぃちゃんにとっての『おにいちゃん』は兄としての()、吸血鬼としての()以外も持つ、()()()に他なら無かったのだ。


――だから、こうして、()じる事無く私の前に立っている。

化物(ばけもの)の顔をした私に、()へと接する様に立っている。

()れが、見破ってしまった事の責任と言って。

()れは、夜闇(よやみ)の中でも(まぶ)しくて、雲の切れ間から差し込む|光の梯子(ヤコブのはしご)の様で。


()れだ。

()れが欲しかったんだ。


Pelican in(慈愛の) her piety(ペリカン)が意味する所。

血に()って代替された物。

自ら傷ついて(なお)、血のように(したた)()つ慈愛。

私の持つ(うつわ)に足り無かった一滴(ひとしずく)

私を満たす(ため)一滴(ひとしずく)

喉の渇きは、感じ無い。


「……」


私の沈黙を如何(どう)受け取ったのか。

みぃちゃんは少し照れ臭そうにして、ふいと視線を()らした。


「……まあ、言いたいことは言ったし、夜も遅いから、私、寝るね」


何時(いつ)か見た時よりも大きくなった背中が、私の目の前にある。


「とまあ、邪魔してごめんね、おにいちゃん」


満ち足りてしまう今、何も言わずとも、何か言おうとも、私の(のこ)す物は屹度(きっと)、彼女には爪痕(つめあと)にしか成ら無いだろう。

()れを(かな)しいと思う僕も、嬉しいと思う私も、共に内に在る。

()れが、愛と呼ぶに相応(ふさわ)しい執着なのか、私には(わか)(はず)も無いが。


「みぃちゃん」


――彼女に爪痕(つめあと)(のこ)すなら、一際(ひときわ)深く(えぐ)りたい。


()の爪痕に、彼女が怒ろうと嘆こうと、(なだ)める事も(なぐさ)める事も叶わ無いのに、(ひと)()がりの、残酷な思いが喉まで言葉を押し上げる。

躊躇(ためら)いよりも、何かを(のこ)したいという感情が、時間が無いという(あせ)りが(まさ)る。

()の背が振り返る前に、(いびつ)な感情を(かかえ)(なが)ら、一際(ひときわ)(するど)い言葉の()(さき)(かな)しき彼女の背中に突き立てた。


「ごめんね」


私は、如何(どう)いう表情をしているだろう。

彼女が振り返るよりも先に、力が抜けて視界が暗転する。

最期(さいご)に、何処(どこ)か遠くから、


――しゃりん


そう、糸を断ち切る女神の(はさみ)の音を、(ようや)く聞いた様な気がした。


古語における「かなし」を参照のこと。

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