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ガルデニアの残り香  作者: 板久咲絢芽
閑話 Gardenia sub rosa――薔薇の下の梔子
38/44

咲いた

――放浪とは罰である。


()れは幽霊猟師(ワイルド・ハント)(たぐい)彷徨える(アハシェロスある)ユダヤ人(いはカルタピルス)などの伝承よりも(はる)か昔、キリスト教の旧約聖書に()ける人類初の殺人者とされるカインの事例で立証出来る。


神がカインの収穫した作物を供物(くもつ)として受け入れず、()の弟アベルの羊を供物(くもつ)として受け入れた(ため)()れに嫉妬(しっと)したカインはアベルを殺害した、というのがカインとアベルの話の一般的解釈だ。


カインはアベルを殺した事を、嘘を()いてまで話す事を(こば)んだが、アベルから流れた血液が()の殺害を神に申し立て、神に()りカインは罰として()の地からノドへと追放された。


()の「ノド」という言葉自体が「放浪」を指す以上、追放先が本当にノドという名の終着の地であったのか、()れとも放浪し続けたのかを読み取る(すべ)は無い。

追放後、(おとず)れた地で先住者に殺される事を恐れたカインに、神は一つの印を与えた。

()れにより、カインは何ものにも殺されず、(また)カインを害するものは、()の七倍の害を受ける事となった。

ノドに(いた)り、妻を(めと)って以降、旧約聖書の記述上、トバルカイン(など)のカインの子孫は現れても、カイン本人は現れ無い。


何ものにも殺され無い。()()()()に、人以外も含まれるのであれば。

ノドという地。()れがノドという言葉が指す通りの「流浪」であれば。


()()の解釈に従えば、カインは、他の放浪する罪人()(さき)んじて、罰としての不死と終わらぬ放浪を(たまわ)った身である。


定住の民が大多数を()める社会で、放浪は異物、異常である一方、()る種の聖別と読み替えられる。

何故ならば、放浪は聖人や神、王などに課される試練の一つでもあるからだ。

()れについては、世界に数多(あまた)存在する貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)タイプの伝承や神話が、放浪という行動に()って保証される聖性――()の場合は特権性や権威性と読み替えても良い――の普遍性を物語っている。

()れでも終わらぬ流浪などするのは、聖人(ぐらい)のものだ。


何方(どちら)にせよ、放浪する者が社会に()けるイレギュラーとされる傾向が有る事に違いは無く、永遠の命と放浪を課せられているのは、苦行を望んで受ける聖人か、苦行を受けさせられている罪人の何方(どちら)かである。


()が、聖人(など)では無いのは明らかだ。

人を傷つけ、其処(そこ)から得られる物に()らねば、平静を(たも)つ事も出来無い者を(ひじり)と呼ぶなど、()れは正気の沙汰(さた)では無い。


――であれば、矢張(やは)()は罪人なのだ。

先述の通り、古くはカインに始まり、彷徨(さまよ)えるユダヤ人も彷徨(さまよ)えるオランダ人も数多(あまた)幽霊猟師(ワイルド・ハント)も、松明(たいまつ)持ちのウィルも、全てが全て、不終(おわらず)の苦しみを(あがな)いとして()った罪人で、()()れと同じなのだ。

()れでも、()()れ程の(あがな)いを負わねばならぬ程の罪など、犯した記憶はない。


(すで)に時の漂白(ひょうはく)朧気(おぼろげ)となった記憶を、何度となく洗い直しても、始まりと同じ「何故」に辿(たど)り着く。

(ただ)()の流浪の中で抜け落ちただけだと言うならば、(たと)え忘れたとて、一欠片(ひとかけら)の納得も抱いてい無い(はず)が無い。

()の罰を(あま)んじ無い訳が無い。


そして、()矢張(やは)り、見誤っていた。

みぃちゃんに()われる(まま)に、目的を口にして、()切欠(きっかけ)を、不死なる罰の事を話した。


「だって、苦しいのが、ずっと、何をしても終わらないんだよね」


返ってきた()の言葉に、其処迄(そこまで)理解するのかと、驚いた。

みぃちゃんは賢い。思っていた以上に。


()れもあってか、目的を共有した時、意外にも、一つ重荷が降りたように感じた。

同時に、怖くなった。


生に()み疲れ、死が来ぬ事に対して(いだ)く、(わず)かな(あせ)りの混ざった怠惰な()れではなく、ぶらりと頭の上に剣を吊るされた様な、ぐらぐらと不安定に揺らぎ、何時(いつ)事が起きるかが分からない恐怖だった。

()が、久しく忘れていた性質の恐怖に違いなかった。

だが、何に恐怖しているのかは、()自身も分からなかった。


だから、()(がら)にも無く、焦っていたのだと思う。

みぃちゃんに、自分が死んだら()()()と、口走ってしまうなど。


()れが間違いだとは()ぐに気付いた。

()れでは、覚えろと言っている様な物だ。

()とのやり取りに慣れているみぃちゃんも、当然気付いただろう。


けれど、落花(らっか)は枝に帰らず、破鏡(はきょう)は照らさず、割った卵は戻らず、覆水(ふくすい)は盆に返らない。


以来、みぃちゃんに対して、(ほん)(わず)かな罪悪感と、恐怖を(いだ)くようになった()は、彼女を直視する事に抵抗を覚えて、少し視界が(ゆが)む程度に度の入った眼鏡を買った。


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