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巻の五 彼らの宇宙に空いた穴

 安倍良彰、大陰陽師・晴明公の血を引くもののY染色体を受け継ぐわけではない普通の陰陽師。

 臨死体験して泰山府君に不老不死の秘術を賜って現世に戻ってくるの巻。

 ついでに不動明王の加護で死ぬはずだった坊主が一命を取り留めた。

「ヨシ兄、すごいな。仏教説話みたいだ!」

「ていうか話が長いわりに登場人物の個人情報が伏せられてて何が何やら」


 良彰は指を折って数えてみたが。


「ええと、BLの攻様は手も触れてくれなくて? 飛鳥の美少年にフラレたくだりがふわっとしててよくわかんなかったんですが?」

「思い出したくないんだ!」

「困るなあ、いくらおれがこの世に不思議なことなど何もないハイパー陰陽師でも推理に必要な情報はちゃんと開示してくれないと。叙述トリックとか勘弁してくださいよ」


 そろそろこの青二才につき合うのも限界だった。


「確かに意外でした。おれなんぞはなから顔面で勝負しようと思っていないし文学を愛する風雅の心もないから、なりふりかまわず自爆覚悟で通ったら儲けとばかりに三枚目おふざけキャラで押すばっかりですが、律師さまのようなキラキラ美男子が童の貞をこじらせるあまり結婚に臆病になっているとか。あのね、一回フラレたくらいでヘコんじゃダメですよ、何度も何度もゴリゴリ押してですね。むしろ押していく過程で心の交流をしてこその平安恋愛術というもので」

「モテとか関係ない! それは突き詰めれば承認欲求だ! 仏門にある身で浅ましい己の根性が許せない!」

「そこは完全に断ってる人、あんまりいないんでしょう? 日本仏教史上いつの時代どの宗派にも稀によくいる妻子持ちの僧。メッチャ偉い人でも人知れずあるいは堂々とわりかし妻帯してるじゃないですか」

「それでももっと清く正しく生きたかった! 山ほどまとわりついてくるやつはひたすらどうでもいいのによりによってあの二人だけどうしてこんなにこじらせて!」

「平安京で身分のある童貞の人、初めて見た! 大抵、金で済ます資産がなくてこじらせているものなのに金があって顔もいい童貞とか激レア! もっと裏技でごまかしてるものと思ってたのにそんなありがたい修行をしていたなんて! 拝んでいいですか!」

「おれはもっと尊い方を毎日拝んでるぞ!」

「そんな特異体質に憧れて自分も真似したいとか無理ですよ絶対無理! むしろ二十一までよく頑張って守った! もう十分です、魔法使いになれないとか当たり前です普通に生きていきましょう! 男はね、とりあえず一発抜いたら悩みとかなくなりますよ! 遊び女が嫌なら色稚児探してみましょう! 寺の中にいるとかえってつき合いとかあって話がややこしいのかもしれないですね。部外者のおれがいいのを見繕ってきますから。男っぽいのと女っぽいのとどっちがいいですか? 衆道(しゅどう)はいつの時代も大人になりきらない柳のような細腰の中性的な美少年大勝利と聞きますがガチムチとか好みだったりします?」


 もう二人とも大分、自分を取り繕うすべをかなぐり捨てている。特に、面倒くさくなってきた良彰。


「童の貞をこじらせて死ぬほど悩むとかお坊さまはすごいなー……お釈迦さまでも女買って解決するならしろって言いますよきっと」

「言わん! むしろ長年みこさまにどれだけひどいことを言ってきたか今わかった!」

「この餓鬼、面倒くさいな……平安時代だぞ? フラレても罪な人だひどいずるいとか言って泣き真似して、代書の和歌を二、三も持っていって話膨らますんだよ。坊主、説法するだろ話術あるだろコミュ障とか言ってたら出世できないだろ。僧綱ってキャリア官僚なんだから接待の経験あるだろ」


 ――おれまだ晩飯食ってないんだぞ、もしかして今から邸に帰っても十二神将におれの分、容赦なく食われてる? 何なら惣領がおれの分まで食ってる? 飯抜きかよ勘弁しろよ、一日二食で晩飯抜きってキツいんだよ、などと思い始めて話に身が入らなくなってきた。


「買うのが嫌なら、飛鳥の美少年をゴリ押しでコマして解決してしまいませんか? 身分の高い人といろいろあると後々厄介だから低い方を」

「低いと言ってもお前より高い」

「この世は弱肉強食なのです!」

「適者生存と言わなければ面倒くさい読者に突っ込まれるぞ」

「媚薬とかご用意しましょうか。やっちまえばいいんですよ男でも女でも。律師さまを悩ますようなやつ、少々強引でもモノにしてやりゃいいんです。おれも妻をこますときには策を弄したものです。賢者モードになってしまえば全て解決」

「……何だかこの展開にデジャヴを感じる。霊感などないはずなのに炭の粉を飲まされるぞという声が聞こえる」

「こう見えてこの良彰も晴明公の末裔! 恋のまじない、お任せあれ! 男色でも叶えてみせましょう! 香がいいですか、酒に混ぜるのがいいですか、自己バフがいいですか、全部ですか!」


 明空はといえば。良彰がやけくそで喚くのにだんだん、目が細くなってきて。

 タイミング悪く、きゅう、と良彰の腹が鳴った。

 それが引き金になった。

 明空は突然、再び高欄に足をかけた。良彰は咄嗟に飛びついたが。


「あ」


 吹っ飛ばされた。

 ――高欄の向こう、高さ十三メートルの音羽の奈落の底、闇の中に。


* * *


「ヨシ兄、律師さまと手に手を取って清水の舞台から落ちたって!?」


 ――陰陽寮から邸に帰って夕飯を食べていたらとんでもない報が入ってきて。靖晶が急いで見に行ったとき、良彰は汗びっしょりで門の前の(きざはし)にへたり込んでいた。


「え? 生きてるの? 何で?」


 見た感じ、烏帽子(えぼし)が多少ずれて狩衣の片袖がなくなっていたが、手足はついているようだったし血も出ていなかった。どんな大惨事か、開放骨折とかしているのか、リアルグロで食べたばかりの夕飯を吐くか、でもいまわの際なら一族を代表して妻子への遺言を聞いてやらないと、と思っていたのに拍子抜けするほどいつもの良彰だった。よくよく考えて、清水から土御門まで歩いて一時間以上。馬でも徒歩でも自力で帰ってこられる時点でわりと元気だった。


「し、し、し、死ぬかと思った……」


 ただ汗だくでぜえぜえ息を切らして。下人が鉢に水を汲んで持ってくるのを受け取って飲もうとするが、手がぶるぶる震えて水をこぼしてしまう。――いつもの嘘八百なのかと思ったが、その手の震えに靖晶は〝リアル〟を感じた。

 信じたが、大騒ぎする気になれない。


「すごい。お前本当に狐の子で晴明公の加護じゃないの? 陰陽寮の新しいキャッチコピーに使おう、清水の舞台から飛び降りても死なない安倍の陰陽師」

「冗談じゃないんだぞ!」


 喚く声がひっくり返っていたのが余計に同情しづらい。声はひっくり返っているのに、内容はまともで錯乱してもいない。


「通常営業すぎて。お前が術で鶴に変身して律師さまを助けたことにしないか?」

「お前面白がってるな!」

「事態が凄まじすぎてどう受け止めたらいいのか戸惑ってるんだよ」


 清水の舞台から飛び降りた場合の生存率、八十パーセントで案外運の悪い二十パーセントしか死なないらしいです。


「それでも手足くらいは折るものじゃない?」

「知るか!」

「まあ頭打ってたら何ともないように見えても次の日やその次の日にころっと死んじゃうことがあるから、しばらく陰陽寮は休んでいいよ。占いの真っ最中に陰陽師が死んだら貴族の皆さまが不吉がる」

「休んでいいよじゃないだろ!」


 ――だって。

 良彰が担いできた明空の方は。

 とりあえず畳に寝かせているが、こちらも見た目には多少(あざ)やすり傷がある程度で手足が折れたりしている風情はない。息もしていて心臓もちゃんと脈打っているようだ。何より頭にも顔にも傷がないのになぜかほっとした。

 目をつむって気を失っているようだった。安らかに眠っているようにも見える。――いろいろと持ち物がないのは少し不安だ。どこかに引っかけたのか袈裟が盛大に破れているし、数珠(じゅず)がない。

 明空の紫水晶の数珠は直々に下賜されたものと聞く。あれがないのはまずいのでは。いや、今のこの人に数珠があるとかないとか関係あるのか。


「……ええっと、この人は」

「今、京の都で一番ホットなカップルの片割れ」


 良彰は心底うんざりしているようだった。


「二十一歳の后がねの姫君と連日熱愛報道されてさっさと結婚して丹波守になれとの主上の宣旨(せんじ)を苦にして、おれの再三の説得も無視して清水の舞台から飛び降りた人」

「腹立つな。苦にするくらいなら代わってくれよ」

「全くだ。助けなきゃよかった」


 ため息交じりの説明が腹立たしいような他人ごとのような。


「誰なんだよ二十一歳の后がねの姫君。都で一番の女鬼、土御門の大姉君の聟のおれに結婚が嫌とかよく言えるな」

「そういう意味ではヨシ兄・賢木中将に比肩する逸材だ」

「何か、指一本触れてくれないBLの攻様と飛鳥で出会った美少年が忘れられなくて童貞をこじらせてるらしいぞ。どっちもフラレてるのが未練で仏道に身が入らないけどここでやめたら格好が悪いとぐじぐじと。十三から頭剃って暮らしてたら髪の毛伸ばして髻結う方が恥ずかしいと」

「え」


 既出情報ばかりかと思いきや、とんでもない爆弾が投下されたがいきなりで受け身が取れなかった。その間に良彰の話は、次の段階に進んでいた。こちらはだんだん早口になってきた。


「真性で神性の神聖童貞さまを崇め奉って自分も無理して処女童貞守ってたら自分が男色か女色か両刀かわからないとか? そんなもん結婚して領地もらうだけもらって離婚しちまえばいいんだよ平安の離婚は三年別居で成立だ。お前の子孫繁栄なんか誰も期待してないんだからフリしときゃいいだろうが! 坊主なんかさっさとやめちまえ! 女鬼を相手に惣領の予備まで作ったおれを崇め敬い褒め称えろ! 后がねって大臣の姫なんだろう、うちの女鬼よりひどいことはないだろう!」

「自重して……予備とか女鬼とか、妻の弟の前でよくそんな話ができますね良彰さん。本人に聞かれたら殺されるよ」

「女鬼と二十年連れ添って清水の舞台から無傷で生還したこのおれをナメるな! 京の都で一番偉大な陰陽師といえば間違いなくおれだ! ああだんだん腹立ってきたぞ。何だか知らんがおれを巻き込むな、一人で死ね!」

「良彰、落ち着いて。お前はすごいマジですごい。その怒りは清水の舞台から落ちた恐怖の揺り戻しだ。身体に傷がない分、心に傷が残ったんだ。精神的に不安定なときに政治とか信仰とかセクシャリティとかセンシティブな話題に触れるのは控えて。薬湯(やくとう)飲んで優しい音楽とか聞いて悪いことを考えないようにして、落ち着いて」

「優しい音楽なんかこの家にあるかー!」


 カネモチでなければBGMも用意できない時代。

 その後、秘伝のスパイス多めの甘酒飲んでもらってやっと落ち着いた。単に甘酒が好きなので機嫌がよくなった。


「腹が減った。湯漬けとか残りものとかないのか、弥生」

「え。大変なことがあったのにご飯なんか食べていいの?」


 弥生はためらったが、靖晶が耳打ちした。


「これが最後の晩餐(ばんさん)になるかもしれないんだ、腹が減ったままじゃかわいそうだろ。清水から落っこちた後じゃ飯を食うとか食わないとか大した問題じゃない。無事に見えても腹の中でわたがねじれて折れた骨でも刺さってたらどうせ助からない。頭の中身が混ざっているかもしれない」

「はあ、まああなたがそうおっしゃるなら」

「干し柿も食べさせてやれ、一番いいのを。良彰の姿をしているが清水の観音さまがぼくらを試しているんだと思って」

「惣領、変な宗教にかぶれましたね」


 こうして良彰は晩飯抜きを免れた。ラッキー。弥生が預流のために取り寄せていたとっておきの瓜の粕漬けで酔っぱらいもした。


「この粕漬け、酒の味が濃くてうまいな! おれ死ぬの?」

「この人、本当に死ぬんですか?」

「こらえて、こらえて」


 しかし気持ちよく酔っぱらったところ悪いのだが、靖晶は彼に確かめておかなければならないことがある。


「律師さまはBLの攻様に指一本触れられてないとか言った? 処女童貞? 神聖童貞?」

「言った。平安にあるまじき真性で神性の神聖童貞さま」


 満面の笑みで干し柿をかじりながら、良彰はべらべら喋りまくる。緊張の糸が切れてヤケなのかもしれない。


「求めたのに〝無理〟の一言で突っぱねられたらしいぞ、この顔でそれじゃプライドガタガタで思わず出家しちゃったって。以来、飛鳥の美少年まであらゆる男を拒んでたとか。他人が言うほど信仰があって坊主やってたわけじゃないのがバレるのが怖いとか何とか」

「飛鳥の美少年は好きなの?」

「女みたいな小坊主で、見た瞬間に頭の中に極楽浄土が広がったって。そんなにホレたんなら一回やれなかったくらいでメゲずにグイグイいけよ何やってんだよ若いのにー」


 ――本当に何やってんだよ。

 改めて、横目だけで明空を見たが、口を少し開けて目を醒ます様子はない。

 ……なぜこんなことに?

 自殺しようとする理由が全くわからない。

 ならもう一つの方。


「……ヨシ兄、神聖童貞って〝みこさま〟?」

「うん、多分。何か個人情報をメチャメチャ伏せてて。幼馴染みで? 美人の妻がたくさんいるのにわざわざ逃げ回ってるって、それはそれはこの世に存在するのが信じられないような坊主より神々しい神聖童貞さま? なのに跡継ぎを作るべく新手の妻が次々送り込まれてきて? 僧都とか僧正(そうじょう)とかそんなんなのかな。いや美人の妻がたくさん……致仕大臣(定年退職)の大律師とかその辺?」

「この人と幼馴染みの致仕大臣って何歳だよ」

「本当だな! まーどこの大臣家でも断絶して困るのはおれらじゃないし?」


 良彰は楽しそうに笑っていたが、靖晶は寒気がしてきた。鳥肌が立つのは隙間風のせいではない。心臓の鼓動まで早くなってきた。

 ――何で良彰はこの人のあだ名が〝道鏡〟なのを知らないのか。

 その家が断絶したら困るのだ。安倍家といわず源平藤橘(げんぺいとうきつ)全てが。

 一人で抱えきれなくなった明空が死を選ぶほどの重大なバグがこの京に、いや宇宙に存在する。

 ――この従兄弟は巻き込まれたのではなく、国家機密を知ってしまったせいで清水の舞台から突き落とされたのでは。

 良彰は明空を助けるべきではなかったのでは。



 翌日、靖晶は一人、考えても仕方ないと心を虚無にして果てしない胃痛に耐えて、良彰がいない分まで仕事をこなして夕方、家に戻った。仏教のニルヴァーナ、ちょっとわかるようになった。いやニルヴァーナって全然そういう意味じゃないんだが。


「誰か死んだ?」

「死んでません、腹立つほどぴんぴんしてます」


 事情を知らない弥生は冷淡だった。


「あ、お坊さまも目を醒ましましたよ。薬湯とお粥をさしあげたらぺろっと食べて見た目は元気そうですが、言っていることが支離滅裂で心配です。あちらは頭を打ったのかも」

「見てくる!」

「西の対の端っこです」


 ――果たして。明空は靖晶が駆けつけたとき、簀子縁(すのこえん)に座り込んでぼんやりとしていた。弥生が用意したのか安手の浅葱の単衣(ひとえ)に小袿を重ねているのが全然似合わない。ぼんやりと気の抜けた顔は別人のようだった。

 靖晶の足音でびくっとして振り返る。怖々こちらを見る目つきが弱々しくてとてもあの明空とは思えない。女みたいな顔で気弱げにされると、何もしていないのに子供をいじめている気分になる。


「律師さま、ぼくがわかりますか」


 靖晶が尋ねても力なくかぶりを振る。


「……わ、わかりません、申しわけありません。こちらのお邸のお殿さまでしょうか。お世話になったと聞きました」


 丁寧で頼りなげに喋る口調が靖晶にも怖い。

「……ご自分のお名前は?」

「それはわかります」


 ほっとしたのか、明空は今までに見たことのない笑みを浮かべた。柔和で明るい営業スマイルだ。


「源大納言が四男、尚侍腹の明丸、八歳です!」

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