現れた者
俺はミリアと共に家を出た直後、魔物の気配を探り家の北側へ目を移した。
そこにいたのは一頭の狼。体は灰色で、普通の獣と誤認してしまうくらいの見た目をしているのだが、発する魔力は魔物のそれだ。
なおかつ金色の瞳を持ちそれが輝いている……というか、もしかしてわざと光らせているのか。ともかくそうした魔物が座っている。
そして俺達が出たのに気付くと、ゆっくりと立ち上がった。俺達は警戒を解かないまま距離を開けて対峙していると、魔物は背を向けた。
そしてガサガサと茂みの中へ入る。次いで首だけこちらに向ける姿を見て俺は、
「ついてこい、と言いたいのか?」
「そのようね」
俺は索敵魔法を使う。周囲に他の魔物の気配は……、
「一つだけ、あの魔物の進路方向に気配があるな」
「魔力の度合いはどう?」
「普通の魔物と変わらないが……」
ただ、なんとなく予感がする。この先にいる魔物はおそらく普通の魔物ではない。気配を隠し、俺達が来るのを待っている。
そんな予感を抱きながらも俺はミリアと共に森へと入る。直後、魔物がわずかに発光して道を照らした。
わざわざここまでするというのは……もう一度索敵魔法を使用するが、やはり結果は一緒。進む先に魔物がいるだけだ。
一体これは何なのか……警戒を緩めることなく俺達は進み続け、少しばかり開けた場所に出た。
そこにいたのは、
「な――」
俺は声を上げ、ミリアは絶句した。そこにいたのは――
『敵意はありません、武器は下ろして頂ければ』
そう述べた相手は、案内役の狼と比べ遙かに大きい……体長三メートルはあろうかという、銀の毛並みを持つ狼だった。
なおかつ、人の言葉を話すことができる……加え、それまでわずかにしか感じられなかった魔力が間近に来て克明に理解できた。
目の前にいる魔物は、普通ではない――ここまで来れば、この存在が何者であるのか、想像できた。
「魔物の、ヌシか?」
『私はヌシ、などと呼ばれるような存在ではありませんよ。山に棲まい、ただ人や獣の営みを眺める、一匹の魔物です』
……声は、やや高めで女性的だ。なおかつ話をする度に口が動くため、獣の見た目でありながらどこか人間臭さも感じられる。
『……おや?』
ここで魔物のヌシはミリアへ視線を投げた。
「近づかなければわかりませんでしたが、魔族の方ですか?」
「……気付くのね」
「気配を隠しているようですね。どのような経緯で人の住む領域にいるのかわかりませんが……」
ミリアのことをどう思っているのか……とはいえ目前にいる存在からは先の言葉通り敵意はない。
「ここへ案内した理由は、何だ?」
俺はなおも警戒を解かず問い掛ける。すると魔物のヌシは、
『今日、お二方は森へ入り動いていたでしょう? おそらく人を襲う魔物がいたことで調査に入ったものと推測されますが……色々と疑問がおありだと思いますので、情報を提示しようかと』
「……何?」
『それと引き換えにですが、この山で起こっている騒動解決に協力して頂きたく』
まさかの交渉である。魔物がただ話すだけではなく、人と交渉するなんて聞いたことがない。
で、はいわかりましたと即返事をするわけにもいかない……どうすべきか思案していると魔物のヌシは目を細めた――笑っているのかもしれない。
『ふむ、突然現れて警戒は解けませんか……では、質問をしてください、私に分かる範囲でなら、いくらでも答えましょう』
「なら……再度確認だが魔物のヌシ、ってことでいいのか?」
『山全てを支配しているわけではありませんが、私の眷属が多数いる以上、ヌシという呼称もあながち間違いというわけではないでしょうか』
「あんたは山に古来から棲んでいる?」
『ええ、そうです。人が作る年数で換算すると……およそ五百年ほどになりますか』
俺達人間にとっては途方もない年数だ。
『私がここまで狩られずに済んだのは、極力人との交流を避けたためです。その過程で眷属から情報を得て私は人語を会得しました。いざという時……山で騒動が起きた時、人と交渉するために』
「今までもこうして話をすることがあったのか?」
『ええ、これで三度目です』
「そうした事実は、少なくとも聖王国の情報ではないと思うんだが……」
『交渉相手はもっぱら、戦士や傭兵の類いでしたからね。あなた方は寄り合い組織のようなものがあると聞きましたが、そうした場所に報告書が残っているかもしれません。ただ、直近で人前に出て話をしたのは二百年前なので、探す必要があるかと』
……仮に報告書があったとしても、誰も見てないだろうな。
「わかった。なら騎士達ではなくなぜ俺達に?」
『国に所属する騎士相手に交渉は無理でしょう。最悪国と話し合いをすることになりますし。騒動を解決するために動いているのに国との交渉を待つ暇はありませんし、そもそも私は討伐対象になるだけでしょう』
うん、それもそうだな……俺は魔物のヌシが人間社会に関してもおおよそ理解していることに驚愕しつつ、説明に納得した。




