英傑の仕事ぶり
訪れたギルド本部の建物はかなり大きく、貴族の屋敷と見間違えるほどの見た目をしていた。俺達は門を抜けて建物の中に入ると、こちらに気づき声を掛けてくる女性がいた。
「どうも、ディアスさん」
「どうも、ノナ」
その人物は、ギルド本部で着用されている藍色を基調とする制服を着た二十代半ばの女性。ショートカットの黒髪が似合う美人で……彼女と関わりたくて本部を出入りしている冒険者もいるとか聞いたことがあるな。
「エーナに呼ばれたんだけど」
「執務室にいますよ」
「……確認だけど、今日は大丈夫なのか?」
その問い掛けは俺とノナにしかわからないもので、ミリアとアルザは眉をひそめた。
「今日は俺だけじゃないし」
「大丈夫じゃないでしょうか」
「様子を見に行くとかはしないんだな」
「私も忙しいので」
そう告げるとノナは「では」と一言添えて立ち去った。そして取り残される俺達。仕方がない。
「それじゃあ行くとするか……」
「忙しそうね」
ここでミリアがコメント。確かに、建物の中では職員が動き回っている様子がある。
「魔族出現の騒動も関係しているだろうな。以前来た時は……もう少し職員の人はゆっくり行動していたし」
「だとするとエーナさんも忙しいでしょうね」
「ああ、そうだな……さて、どうなっているのか」
呟きに対しミリアは「どういうこと?」と問い掛けてくるのだが、俺は無視して歩き始める。エーナがどこにいるのかは知っている。何度も通っているので慣れたものだ。
程なくして建物の奥にある一室へ辿り着く。ひとまずノックをしてみるのだが……反応はない。まあこれはいつものことである。
もう一度ノック。二度やって声が聞こえなかったら、容赦なく入ることにしているのだが……、
「……それじゃあ、入るぞ」
「だ、大丈夫なの?」
「平気だよ、ミリア。反応なかったら勝手に入っていいとエーナから許可はもらってる」
こうなるとどういう状況なのかは察しがつくので……扉を開ける。そこは両方の壁に本棚が並んだ書斎のような部屋。絨毯が敷かれた部屋の奥、窓を背にして執務机に――突っ伏している女性が一人いた。
「……へ?」
アルザが声を上げた。もしかするとここで仕事をしているエーナの姿を想像していたのだろう。うん、普通ならばそうだ。
ます彼女の周辺の状況だが、執務机の左右にこれでもかというほど書類が積まれている。正直いつ崩れてもおかしくはないほどに高く積まれている……そして当の彼女は寝ている……ように見える。ただその、うん。
「おーい、エーナ」
俺は頭をかきつつ彼女へ近寄る。もうこの時点で寝ているのではないとわかっていた。まあなんというか……この光景は俺がこの部屋を訪れる度によく見る光景である。十回中七回はこんな調子である。
「まったく、以前から言っているがもう少し事務員を雇えって……」
エーナは机に突っ伏していた。眠っている……と思いたいところだが、実質気絶に近い。ちなみに今日はまだマシである。七回中二回くらいは白目を剥き、陸に上がった魚のごとくビクビクしているからな。
なぜこんなことになっているかというと、仕事に忙殺されてノックダウンしたのだ。ちなみに突っ伏している下に書類があって、よだれで濡れているんだけどそれ大丈夫なのか?
「おい、エーナ。起きろって」
「う、うう……」
声に反応してどうにか頭が上がる……が、目が半開きでちょっと怖い。もう一度声を掛けようかと口を開こうとした時……ようやくエーナは完全に目を開けた。
「う、うお……おお?」
焦点の合っていない目で顔を向ける。そこで俺は、
「おいエーナ、せめてよだれは拭け」
「あ、うん……」
俺の姿を認め、それでようやく自分がどういう状況なのかを理解したらしい……袖でよだれを拭った後、ボサボサになってしまった栗色の髪をわしゃわしゃと手でとかし、幼さの残る声で、
「あー、ディアス……?」
「呼ばれて来たぞ。頭は働いているか?」
「お、おお……うん、思い出した思い出した。ようこそディアス」
「……今更キリッとしても遅いぞ」
俺はこれ見よがしにため息をつく。
――事務方として日々仕事に追われている彼女こそ『六大英傑』の一人であるエーナだ。ギルド支給の制服姿なのはノナと同じで、腰くらいまで届く栗色の髪に、とても槍を持って戦うとは思えない温和でおっとりとした顔つきと声が特徴的な美人……ではあるのだが、現在は髪はボサボサ目元にうっすらクマもあるし、正直見てくれは悪い。
「お前、魔王との戦いの際に労働状況を改善するとか言っていなかったか?」
「やろうと思ったよ。やる前に騒動が次から次へと舞い込むんだよ……」
「まったく……言っておくけど、部外者が見ちゃまずい資料とかあるだろうし、ギルドの仕事は手伝ってやれないぞ」
「それはわかってる……改めてようこそディアス――」
と、仕切り直しとばかりに言った矢先、左右に積まれていた資料がとうとう限界を迎えて倒れ、執務机の上で雪崩を発生させた。エーナは体を離していたので頭から被るなどということにはならなかったが、俺と彼女の間には紙の壁が生まれる。
「……とりあえず、整理するか?」
「うん……」
「何か手伝えることはあるか?」
「可能な限り文面を見ないようにしながら、適当に床に置いて……」
「わかったよ。あー、ミリアとアルザ、手伝ってもらえるか。それと、紙で指を切ったりしないように注意しなよ」
そう告げつつ、俺は資料に対し涙目になっているエーナと共に、紙束をまとめ始めたのだった。