四十六 妖心の暴走
凪担に呼ばれた月火がそちらに向かおうとした瞬間、黒葉と特級怪異が飛び出し同じ方向を警戒した。
火音の妖心で滅多に外に出ない雷神も現れ、同じ方を見る。
三体が向いたそちらには火光よりも火音に似た、身長まで瓜二つの青年が歩いている。
「なっ……!」
「久しぶり〜。……一昨日会ったけどね。気付いた?」
青年は軽く手を振ると固まっている火音の方に近付いた。
しかし月火が間に立ち、火音を下がらせる。
「火音さんの意思がない以上面会しない約束でしたよね?」
「母とはね」
「契約条項には貴方も含まれますよ、緋紗寧さん」
「……君みたいな子嫌いだな」
いきなり来て罵倒された。
本当に火音の実兄だろうか。
月火はこめかみを引きつらせると黒葉と雷神に火音を庇わせた。
「君、別に関係ないでしょ?」
「婚約者です」
「うっそぉ……!?」
「ほんとぉ」
緋紗寧は目を向くと俯いて少し視線を逸らしている火緖を見た。
また月火を見下ろす。
「じゃあ義妹だ! いびってあげようか?」
「嫁入りする気はありません」
嬉々として言う言葉ではないだろう。
月火は眉を寄せながらスマホを黒葉に投げた。
人間に変わった黒葉はすぐに実母に連絡する。
すると驚いた後にわけも分からないまますぐに行くと言われた。
本当は来てほしくないがどうにかして連れて帰ってもらわなければならないので仕方ない。
「あは〜、可愛い〜」
「似てませんね」
「は?」
笑顔のまま額に青筋を浮かべた緋紗寧と火花を散らし、睨み合っていると十分も経たないうちにおどおどとした様子で一人の女性がやってきた。
燃えるような赤い目に淡いエメラルドグリーンの髪をした小さな身長の女性だ。
「緋紗寧! 本当に迷惑かけないで……!」
「でも母さん」
「でもも何もないの! 本当にご迷惑をおかけして申し訳ありません……」
「手網は引いてもらわないと」
火音に迷惑をかける相手を易々と許すわけにはいかない。
月火は微笑んだまま二人を睨む。
「私の仕事で近くに来たんですがいきなり先に帰れと言われて……」
「別に理由はどうでもいいですけど。条項を守らない場合は相応の手段を取らせてもらうので」
「は……」
「そう母さん聞いて。火緖婚約したんだって。この子と」
ベラベラと。
実母の景は大きく目を見開くと月火と狐の黒葉に隠されるように立っている火緖を見た。
頭が混乱するが成人した子供の恋愛事情にどうこういう気はない。
「……婿入りですか」
「関係ないので帰ってもらえます?」
「あ、す、すみません……!」
景は深くお辞儀をすると嫌がる緋紗寧を引っ張って帰って行った。
雷神と特級怪異は消え、黒葉は月火の後ろに戻る。
「大丈夫ですか」
「……うん。慣れてきた」
要は受け入れ姿勢の問題だったのでいつも通り誰だこいつ精神で無視しておけば何とかなる。
これで無理なら諦めるしかない。
「諦められるなら早い方がいいのでは」
「いや……諦めたらまずいだろ」
それより凪担が待ちぼうけているので早く行ってやれ。
火音が見下ろすと月火はハッとして走って行った。
「お待たせしました」
「あ、いえ……あの、今の人……」
「火音さんの実兄です」
「お兄さん……五人兄弟……?」
どうやらずいぶんな思い違いをしているらしい。
二人で練習をしながら説明する。
「あ、なるほど。……火光先生……? と、火音先生……さん……がそっくりなので三つ子か何かかと」
「兄弟だとしても年齢が違いますよ。火音さんが二十三……今年四になったので。兄さんたちは三です」
月火がそう言うと凪担は目を丸くして棒を落とした。
月火は首を傾げる。
「わ、……若くないですか……!? 身長的にも……」
「弟の方が背丈が高くなるのはよくある話でしょう。若さに関しては物心ついた時から顔変わってませんから」
凪担は慌てて棒を持ち上げながらこちらを見て首を傾げている火音を横目に月火と小さな声で話す。
「若いと言うより幼くないですか」
「去年ぐらいはもっと堅物だったんですよ」
「えぇ!?……でもそっちの方がイメージしやすいです……」
「ギャップですよギャップ」
月火がふと凪担の体を突こうと棒を突くと凪担は綺麗に全てをかわした。
目を白黒させている。
「反射神経がいいですね。生きるための生存本能でしょうか」
「に、逃げるのに関しては喧嘩で……」
下町育ちが露骨だ。
いきなり攻撃してきた月火の棒から死ぬ気で逃げる。
今まで、火音との対戦は手加減していたのが丸分かりの速さと重さだ。
受けたら確実に折れる。
凪担が逃げて、二人で校庭をぐるぐると動き回っていると突然後ろから蹴り飛ばされた。
棒を突いて地面滑らせ、相手の腹部を突くと蹴ってきた相手は氷麗だった。
「あぁ、知らない人でした。仕切り直しますよ」
「ぅえぇ!?」
月火が凪担と訓練をしていると今度は襟を掴まれる。
一瞬息が詰まったので腹部を蹴り飛ばし、髪を掴まれたのでまた突き飛ばす。
どれだけ繰り返したか。
凪担が顔を引きつらせたので鬱陶しくなって振り返ると片頬が薄く凍り付いた氷麗が月火を睨んでいた。
もう三月も半ばなのに吐く息が白い。
「妖力の暴走ですか。葬式には出ませんよ」
「そうっ……!? ししし死ぬんですか!?」
「暴走が収まらなければ」
このまま凍って低体温症か、内臓活動が低下して終わりだ。
月火が軽く肩をすくめると同時に氷麗が意識を失った。
面倒臭いがこのまま放置するわけにもいかないので兄達を呼ぼうと校舎側を見ると兄達と火音は陸上部の方に行っていた。
月火がどうしようかと悩んでいると凪担が氷麗を抱き上げる。
「ど、どうすればいい……!?」
「お人好しですねぇ。保健室に行きましょう」
月火は火音に保健室に行くと伝えると裏口から入った。
上履きを履く時間はないので靴下のままだ。
「広い……」
「迷ってましたもんね。あそこはまだ寮ですよ」
「そうだったんですか……!? てっきり端に来たのかと……」
「寮棟の端ですね」
月火はエレベーターに乗ると氷麗の状態を見て駆け足で保健室に行った。
「失礼します。急患です」
「なんだ?」
「妖心の暴走」
月火が氷麗を指すと綾奈は軽く目を見張って氷麗をベッドに寝転ばし、色々と確認を始めた。
「……内臓の動きが悪いな……」
「黒葉」
『はぁい』
月火に呼ばれた黒葉は尾が二本の姿で出てくると氷麗の腹部に足を乗せた。
青い狐火が氷麗の体を包み込む。
「もっ、燃え……!?」
「妖力です。最低限でいいですよ〜」
『そうなの?』
黒葉は少しして手を離すと小さくなって凪担に飛び乗った。
凪担は驚いたがすぐに慣れた。凪担は。
「喰われますよ」
鳥姿の特級怪異が大きく翼を広げると黒葉はその翼に噛み付いた。
そのまま喰いちぎる。
綾奈は苦手なのかそそくさと出て行った。
「黒葉!? 得体の知れないもの食べないで!?」
『かった……』
「吐き出して!」
月火が慌てていると黒葉はそのまま丸呑みした。
固まってから勢いよく椅子に座る。
特級は逃げ消えたようだ。
「全く……」
『ごめんなさい』
「もういいです」
月火が椅子に座り、凪担が枕元に立って話していると氷麗が目を覚ました。
凪担が覗き込み、月火は小さく息を吐く。
「月火さん、起きましたよ」
「気分は?」
「……寒い……」
月火は隣のベッドの布団を雑にかけるとカーテン内から出て、綾奈を探す。が、姿が見えない。
「おも……」
「文句言わないで下さい」
月火が椅子に座って足を組むと凪担が雑な毛布を整え、呼吸のしやすいよう足元を折りたたんで胸元は一枚だけにする。
「……誰ですか」
「転校生です。何故たいした妖力もないくせに暴走など」
「よ……妖心が……暴れて……」
大怪我を負った際に初めて出てきた妖心の手が付けられなくなり、無理やり戻したが体内で暴れ内側から凍った。
なんとも馬鹿げた話だ。
「妖心の飼い主は貴方で、妖心が暴れるのは貴方が弱いからですよ? 分かってますか?」
「……初めてで……妖心かどうかも分からなかったの……!」
「げ、月火さん、今は休ませてあげませんか……?」
凪担は険悪な雰囲気を感じ取ると慌てて月火をなだめた。
月火は浅く深呼吸をすると仰け反って壁に頭を付く。
氷麗の妖心は雪女だったはずだ。
雪女に相性がいいのは全てを操る九尾か、電気を操る火音か、火を操る澪菜か。
澪菜との仲を取り持った方がいいかもしれない。
また仕事が増えた。
月火が少し苛立ってつま先を鳴らしていると火音から心配が伝わってきた。
迷惑をかける前に大丈夫だと自分を落ち着かせる。
「……ねぇ」
「なんですか」
「妖心ってどうやったら制御出来るの」
「自我を保って妖心を押さえ付ける」
氷麗は両親に妖力がないとは思えないほど素質がある。
しかし麗蘭が素質がある、将来は有望だと言ったせいでそれにあぐらをかいて反抗するようになったのだ。
氷麗など澪菜の足元にも及ばないと言うのに。
「自我……」
「貴方は罵倒するだけで内心は怯えてばかり。今だって妖心が怖いのでしょう。そんなんだから暴走するんですよ」
月火が鼻で笑うと保健室の扉が開いた。
「失礼します〜」
澪菜の声だ。
月火が返事をするとカーテンが少し開いた。
手招きすると静かに入ってくる。
「あ、こんにちは」
「こ、こんにちは……!」
澪菜は凪担に軽く会釈をすると月火に近寄った。
四ヶ月間海外に行って、先日帰ってきたらしい。
玄智が大興奮していた。
「お久しぶりです。どうしましたか?」
「お久しぶりです。実は二級試験の試験官をやってもらいたくて……」
「あぁ、ちょうどいい! 澪菜さんの試験に凪担さんも見学に行ったらいいですよね!」
級昇格試験には上がりたい級の任務を試験官ありで受け、一人で倒せたら昇格。
試験官が危険だと判断して手を出したら不合格。
見学は試験官に許可さえ取れば自由なはずなので試験官は月火、受験者は澪菜、見学は凪担でちょうどいい。
月火でも二人なら守れる。
「手配しておきましょう。後で連絡します」
「あ、ありがとうございます……!」
澪菜は深くお辞儀をすると保健室を出て行った。
月火は時間を見ると立ち上がる。
「綾奈さんを呼んできます。凪担さん、行きますよ」
「はい……!」
月火は職員室に戻っていた綾奈に声を掛けると裏口から校庭に出て上層部に向かった。
凪担は興味深そうに建物を見回す。
学校とは違い、木製で落ち着いた雰囲気の和風な建物だ。
二人が歩いていると道を歩いている皆が避けていく。
そりゃあ神々当主と仮特級の凪担が揃って歩いているのにわざわざぶつかる人はいないだろう。
凪担は服の裾を掴んで周囲の視線に少し怯え、月火はエレベーターを探す。
「あ、ありました。こっちです」
「どこに……」
「三階に昇級の受付があるんですよ」
「あぁ……」
三階に着くとすぐ目の前に昇級受付の看板が見えた。
何を思っていたのか凪担は胸を撫で下ろしている。
「こんにちは」
「神々様、こんにちは」
「火神澪菜の二級昇格試験の手続きを。三級は飛びます」
澪菜はまだ無級のはずだ。
受付係は軽く頷くとファイルから申請書類を出した。
「お願いします」
「はい」
月火はボールペンを走らせると澪菜の情報と試験官の情報を書き込み、見学者有に丸をした。
見学者の名前だけ書く。
「……凪担さんとはどなたですか?」
「この人です。来年度から学園に転校するので麗蘭に問い合わせたら確認出来るかと。無理なら神々火光に」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
二人が柱に寄りかかって待っているとまた受付係が戻ってきた。
「凪担様の情報登録もお願いします」
「分かりました」
月火は凪担に渡すと首を傾げている漢字を教えながら個人情報を記入させた。
「電話番号……」
「空けといてください。メルアドと学生番号も」
「はい」
電話番号もメルアドも火光のにしておく。
学生番号は不明にしておき、それを提出した。
「……かしこまりました。任務が決定次第、神々様にお知らせします」
「分かりました」
月火は頷くと今度こそ校庭に帰った。