四十四 特級の訓練
「遅い」
月火に棒で肩を突かれた凪担はそのままよろめいて倒れた。
手から日本刀が離れる。
もう五時間ぶっ通しでこれを続けている。
月火はただの棒、凪担は切れない日本刀、白黒魅刀というらしい。
それを振っては負けている。
いい加減腕が限界だ。
「大丈夫ですか」
「す、すみません……」
「昼休憩にしましょう。疲れたでしょう」
月火に手を借りて起き上がった凪担は慣れない手つきで白黒魅刀を鞘に収めた。
腕が筋肉痛で震える。
「解さないとつりますよ」
「うへぇ……」
月火が鞄から弁当を出している間、凪担は二の腕や前腕を揉みほぐす。
すると火音がやってきた。
「ずっとやってたな。部員が集中しなくなった」
「それは失礼。飲み込みが早いですよ」
「は、早いん……ですかね……」
普通、初めて握って月火の攻撃を受けたら刀を落とすだろう。
初めの何回かは落としたが今は上手く流して攻撃を入れようとしてくる。
「武器が終わったら体術、体術の次は受け身の練習。受け身の後は実践です」
「実践……か、怪異と……?」
「軽いやつですよ。私も同行します」
月火が火音を少し見上げると軽く頷かれたので大丈夫だ。
火音は月火を信用しているので他の男とどこに行こうが何もないと信じている。
と言うかあったらすぐに分かる。
「午後は俺もやる」
「部活は?」
「午前まで。後は自主練したい部員に貸すから」
なるほど、サボりではないと。
月火が頷くと頬が被害に遭った。
「サボったことないだろ」
「いつも思ってないですか」
「……思ってない」
今の間はなんだ。
月火が見つめ、火音が顔を逸らしていると凪担に服を引かれた。
「あ、あの……くん……れん……」
「始めましょうか。先に体伸ばしましょう」
三人は空になった弁当を片付けると軽く運動して走り、月火は棒を、凪担は白黒魅刀を、火音は竹刀を持つ。
今、月火の荷物の前は棒やら竹刀やら木刀が山になっている。
「僕だけ刀……」
「切れないからな。どうせ一本も取れないし」
「うぅ……」
火音は凪担の頭を軽く叩くと素振りをしている月火を呼んだ。
「こいつ、見て学んだ方が早いから二人で合わせるぞ」
「そうなんですか? ではやりましょうか」
月火は凪担を壁の付近に立たせると棒を構えた。
竹刀は当たると鞭並みに痛いのでなるべくかわし、火音の足を払うと同時に首元を真下に引っ張った。
が、火音は竹刀を離すとバク転で逃げる。
バク転と言っても、ほぼその場に足を着いたので月火の背を肘で殴る。
月火は棒を地面に突くと重心をかけて真上に飛び上がった。
空中で真っ逆さまになった月火の動きを見ながら竹刀を拾うと、着地する月火の足を狙ったがバレていたのか、竹刀を踏まれて無理矢理手から離れた。
そのまま棒を中心に回って火音を蹴り飛ばす。
さすがに靴の裏は嫌がると思うので膝を胸に当てて棒を目の真横に突いた。
「降参」
「よし」
月火は火音を起き上がらせると背中の土を払った。
髪の毛も軽く梳いて小石や砂を落とす。
しばらく動いていなかったので負ける気がしたが反射神経で何とか勝てた。
後は思考が伝わったのもあるがそれはお互いのハンデだ。
「凄いですね二人とも……!」
「最低限これぐらいはやれるようになれ」
「泥沼でしたよ今のは」
火音はまともに準備運動をしていないし月火はなまった後なのでこれが最低限だ。
二人がそう言うと凪担は愕然とした。
「慣れたら大丈夫です。私の動きは基礎の応用なので練習すれば出来ますよ」
「俺のは自己流だから教えるのは無理かも」
全て火音の関節の可動域と筋力量で動いているので全く同じものを求めるのは無理だ。
「自己流……」
「この人凄いですよ。私より」
「そんなことはない」
「自己肯定感が低いですね」
月火が火音の凄さを語り、凪担が真剣に聞いていると頭に手が置かれた。
「兄さん痛いです」
「ごめんね」
月火は火光の手を叩き落とすと火光の頬をつついている水月を見上げた。
「刀ありがとうございます」
「大丈夫だよ〜。調子はどう?」
「普通です」
月火は肩にかけていた棒を持つと凪担に渡した。
「やってみます?」
「え、いや……あ、の、もう一度見せてもらっても……」
月火が火音を見上げると軽く頷いた。
リベンジする気らしい。
「なんか、撮影したいんですけど……」
各国を転々としているせいでスマホを持っていない。
月火は自分のスマホを渡すと火音に木刀を渡した。
「竹刀って痛いんですよ」
「木刀嫌いなんだが」
「じゃあ竹刀でいいです」
痛みに慣れるのも稽古の一つだ。
昔、稜稀に竹刀で叩かれて痛みを我慢する術を覚えたのは今となってはいい思い出。
月火は薙刀の長さの棒に持ち変えるとくるくると回す。
この棒も懐かしい。
先々代が薙刀使いだったので水哉が練習してみようかと貸してくれたのだが自分よりも遥かに長い棒を振り回すのは慣れなかったのでやめたのだ。
これで勝てるだろうか。
先程までは槍の長さを使っていたが、意識を切り替えないとミスって負けるかもしれない。
月火が長さの感覚を体に染み込ませていると火音が月火に声をかけた。
「月火! これは?」
「錆が酷いのを研ぎ直したんです。面白いですよ」
月火は火音から古い日本刀を受け取ると鞘から抜いた。
しかし鞘から出てきたのは短刀よりも短い、ペティナイフか果物ナイフ程の長さの刀だった。もう刀とも言えないのかもしれない。
「みじかっ……!」
「錆を落として研ぎ続けたらこうなったんです。もう十代以上前の日本刀です」
「どこの代?」
水月の問に月火は思い出すように上に視線を飛ばした。
「えぇっ……と……流咲様の代だった気がします」
「ふるっ!? よくそんなの残ってたね……」
「私の刀は初代のものですよ」
月火が半目になると水月はハッとした。
火光は興味がないのか凪担に火音の話を聞いている。月火の受け売りだ。
「鞘のまま使ってもいい?」
「大丈夫です」
月火は棒を置くと鞘に入った薙刀を手に取った。
祖母の薙刀だ。
初代水神当主からの献上品を受け継いでいると言っただろうか。
火音は顔を引きつらせると気合いを入れ直す。
「どこからでも」
月火は手のひらを上に向け指を軽く動かすと火音を煽った。
完全に調子に乗っているが、帰国したばかりでテンションだけは高い。
「……いい絵は撮れましたか」
頭に保冷剤を乗せた月火が凪担に聞くと凪担は深く頷いた。
ちなみに火音は鼻血が出たので押さえている。
「凄くかっこよかったです……!」
「それは何より。これは出来るようになってくださいね」
「が……頑張ります……!」
先程までは怯えていたがやる気に火がついたらしい。
月火は凪担に日本刀、太刀、薙刀、長巻を順に持たせる。
どれも平安から江戸の間に打たれた名刀だ。
桁が一つの代から継がれてきた名刀が多いのでよく博物館から依頼が来ていたが祟られてもいいならあげると言い続けていたら誰からも連絡が来なくなった。
「……薙刀……? が持ちやすいです。……重みが先にあって……」
「火神には本物の槍もあるんですけどねぇ。今は薙刀でやりましょう」
日本には古くから使われている武器が約七種類ある。
もっと細かく分けると打ち方や何々流などもあるのだろうが、形的には七種類。
神々にはそのうちの五種類がある。
一般的な刀とされる打刀、武蔵坊弁慶が振るったとされる薙刀、薙刀よりも刃の長い長巻、武士が腰に常備していた腰刀、平安の世で主流とされた太刀。
火神には槍と大太刀がある。
「薙刀……ほ、本物で練習するわけじゃないですよね……!?」
「腕が惜しければ棒で、最速で鍛えたいなら本物で、どっちがい……」
「棒で! 棒がいいです!」
月火が笑って左右に差し出せば涙目で棒を掴まれた。
軽く頷くと棒を渡す。
「まぁ鞘に入ったままなので腕が切れることはありませんけど」
ちなみにさっきの戦いで火音が使っていた刀の鞘にヒビが入ったので布を巻いておく。
いつひび割れてもおかしくない古さなので問題はない。
どうせもう使えない刀だ。
「では基礎からやりましょう」
その日は七時まで二人の訓練が続き、水月と火光も暇なので火音に訓練をつけてもらい、特級の訓練が見れる貴重な機会となった。
早すぎて目で追えないことがほとんどだったが。
練習を終えた凪担は息を整えると深くお辞儀をした。
ふと視線に気付き、振り返ると呆然とした様子で立っている氷麗と目を輝かせている玄智と澪菜がこちらに注目していた。
「凪担さん、クラスメイトの玄智さんです。それと妹の澪菜さん」
「あ、挨拶してきます……!」
「行ってらっしゃい」
月火は棒を受け取ると三人に声をかけた。
火音はその場から動かず、水月と火光が我武者羅に殴り蹴ろうとしている。しているだけで出来ていない。
「三人とも、帰りますよ〜」
「はーい」
「もう! やる気ないでしょ」
腕を組んだ火光は火音を睨み、水月は汗で濡れた髪をかきあげた。
暑すぎる。
「兄さん、タオルは?」
「ここまでやるとは思ってなくて」
「どうぞ」
いきなりタオルを掛けられたので振り返ると娘天兄の朝飛が笑って手を振っていた。
「こんばんは」
「あれ、沙紗君は……」
「図書館で優月にしごかれてます」
どうやら勉強中のようだ。
水月が汗を拭いていると火光が水筒を渡してくれた。
こんなに動いたのはいつぶりか、と思ったが先日特級相手に殴りまくったばかりだった。
水を飲み干してから火光に返す。
「自分で持てよ」
「無理。帰ろう、疲れた」
「俺動けてない」
二人が火音を睨み、月火が凪担に声を掛けてから五人で寮に帰った。
順に風呂に入り、月火はその間に夕食を作る。
「月火さんって料理上手ですね」
「物心ついた頃からやってましたから」
「え!?」
嫁教育としてやることが当たり前だったので驚かれたらこちらも驚く。
よく考えれば普通か。
「一人寮になったら自炊……ですよね……」
「学食もありますよ」
「あ、良かった……」
自炊など滅多にしないので習わなければと思ったが食事に関しては問題なさそうだ。
火光はよく学食を利用するので学食や食堂に関しては火光に聞いた方が早い。
二人が話していると火音が電話を始めた。
何度も断っているが最終的に切られたのかスマホを見つめて舌打ちをする。
「任務行ってくる」
「いつまでですか?」
「分からん。でも帰りは昼だと思う。夜中に帰らなかったら昼。部活は頼んだ」
「……行ってらっしゃい」
月火は火音を見送ると天ぷらを揚げ始めた。
寮の扉が閉まる音を聞いて少ししてから火光が合掌する。
「火音がいないなら明日の朝は学食行こうか? 年中無休二十四時間で食べれるよ」
任務で夜帰りだったり早朝に出掛けたりする子のために毎日交代制で動いている。
火光が指を立てると凪担は目を瞬いた。
「行ってらっしゃい」
「月火も行こうよ〜」
「水月兄さんが行けませんから」
「僕は教師でも学生でもないからね」
やけくそで仕事をしている水月がそういうと凪担が首を傾げた。
どうやら二人で教師だと思い込んでいたらしい。
火光は教師、水月は月火グループの専務だと言うと唖然とした。
「わ……若いのに凄いですね……」
「歳下に若いって言われたよ」
「良かったね、火音より若いよ」
「それは当たり前では」
今年度の火音の誕生日は祝えなかった。
せっかく誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも買ったのに渡せず終いだ。
「……兄さん、火音さんに誕生日プレゼントってあげましたか」
「もちろん。月火には渡せてないや。持ってくる!」
火光は部屋に戻ると紙袋を両手に計四つ持ってきた。
右手の袋を水月が受け取ると紙袋から出てきた箱を机に並べる。
火光は二つ、水月は三つだ。
「片付けて下さい。出来ましたよ」
「せーっかく並べたのにー」
「はいはい」
夕食後、月火の前にはまた五つのプレゼントが並べられた。