三十八 彼の惚気
「先生!」
「月火ちゃーん!」
玄智からの電話が来たあと、黒葉に玄智の匂いを辿らせて校舎の端に来れば玄智と傷だらけの澪菜が走ってきた。
月火は澪菜を抱き留め、火光は玄智を後ろに庇った。
「関係者しか入れないはずだけど、湖彗?」
借金地獄の頃とは違い、肉付きが良くなった湖彗は気色悪い口角を上げ、微かに腹部に張りのある智里の肩を抱いた。
水月と月火が二人の傷の手当をする。
「痛い……」
「寮にチョコレートケーキがありますよ。皆で食べましょう」
「一人で全部食べるぅ……」
「……豪快ですね」
火光用と澪菜用に一つずつ焼いているので問題はない。
月火は水月に二人を任せると湖彗の方を見た。
せっかく問題部署に配属してあげたのに何故やってきたのか。
「どうやって入ったんですか」
「生徒と教師の父親は入れるに決まってるだろう」
「へぇ、教師の父親ね」
今さら父親面されたとして困るだけだ。
この歳になったらクズの父親などいらないしそもそも血筋の繋がりすらない奴を父親と思ったことはない。
認識としては稜稀と子供たちに養ってもらっている邪魔な居候。
「喜べ、弟が出来るぞ」
「これ以上男兄弟はいらないんですけど」
「ていうか弟じゃないし」
二人は半目になり、火音は暇そうにどこかに視線を飛ばす。
そう言えば火光は夢和に連絡は取ったのだろうか。
取っていない気がするがそのまま放置というのも如何なものかと思う。
何人もの女子と数人の男子の気持ちを一蹴して全てを切り捨ててきた火音が言えることではないがあれからもう二ヶ月ほど経つ。
毎日スマホを眺めて火光からの連絡を待っていると思うと可哀想に思えてきた。
別に関係ないのでどうでもいいが。
そもそも火音自身、夢和をそこまで好きになれなかった。
あの頃は火光だけが生き甲斐だった火音から火光を取った張本人と言うのもあるが、なんせ胡散臭い。
言っていることが全て建前に聞こえるというか、ただのハリボテのような気がする。
そう言えばもうすぐ十一月も終わる。
十二月になれば月火の誕生日だ。
今年は何をあげようか。
婚約してから初めての誕生日なので二人で過ごしたいがこの兄たちが生きる限りそうもいかないだろう。
本当は指輪をあげようと思っていたのだが氷麗のせいで指輪がなくなり、代わりに買ってしまったので指輪は駄目だ。
月火に太い指輪は似合わないし同じようなものばかりあっても困る。
後悔はしていないが少し悔しい。
指輪が無理ならネックレスだろうか。
肌が弱いと言っていたので金属でかぶれたら嫌だ。
やはり指輪か、ピアスでもいいかもしれない。
そんなことを考えていると頬をつつかれた。
「帰りますよ」
「はい」
「何考えてるんですか」
「お察しの通りで」
いつの間にか湖彗と智里はいなくなり、火光は上機嫌になっている。
三人が歩いていると後ろから誰かの気配がした。
これは知っているパターンだと月火を抱き寄せると案の定、抱き着くための腕は空を切った。
「いい加減諦めろ時空」
「隙あり」
「ちょ……!」
また移動した時空は月火の腕に抱き着くと頬にキスをしようとした。
月火が嫌がると同時に火音が庇い、火光が引き離してくれる。
「いい加減諦めたら?」
「転校する前にキスの十回や二十回やらせてよ! もちろん唇で!」
「嫌ですよ気持ち悪い!」
時空が暴れていると神崎と氷麗が出てきた。
「なぁ!? 月火は俺に惚れてるからって言ったくせに嫌われてんじゃねぇか!」
「嘘ついて騙したの!?」
つまり月火は時空のものになり、火音は高嶺の花に戻る。
全員ハッピーで一番安全な方法だと思ったが違ったらしい。
時空は頬を膨らませると氷麗を睨んだ。
「そんな男みたいなガサツな君に月火に惚れる男が振り向くわけないじゃん。センパイも。月火に慣れてるんだからそんな平均以下な顔じゃ一生振り向かれないよ」
「火音さんに慣れてるので顔も性格も最悪な貴方に振り向くことはありませんよ」
神崎と氷麗は額に青筋を浮かべてこめかみを引きつらせると時空に襲いかかった。
火光は反対に逃げる。
「騒がしすぎない?」
「日常茶飯事だって」
「平常運転ですよ」
完全に感覚は麻痺しているようだ。
人気者の宿命と言うのは恐ろしい。
いつも友人に兄がイケメンだのお零れ女子が貰えるだの言われていたが、兄も妹もこれのせいでそういうことに興味がなかった。
夢和に惚れたことを自分でも驚いたほどだ。
「麻痺って怖いね」
「痙攣よりマシでは」
「そっちじゃないだろ」
三人が寮に戻ると澪菜がケーキを一人でつついていた。
玄智は向かいで課題を進め、水月はいつもの一人用ソファで仕事をしている。
「おかえりなさい」
「ケーキは美味しいですか」
「うん」
玄智は顔を上げると火音に分からないところを聞き始めた。
月火は昼食の準備を始める。
今日は人数が多いので手軽に炒飯だ。
月火が味付けをピリ辛かノーマルかで悩んでいるとインターホンが鳴った。
「はーい」
『え、あ、羽賀です……』
インターホンのカメラに松葉杖を突いた羽賀柚の姿が映る。
「火音さん、柚さんですけど」
「なんで俺」
なんでと言われてもこの中で関係があるのは火音だけだ。
どんな関係かは知らないが興味ないのでとりあえず玄関に送り出す。
今日はノーマルにして上に糸唐辛子を乗せよう。
頭の中に浮かんだものをかき消しながら唐辛子を探す。
「月火、火音先生が浮気したらどうする?」
「晦先生にも似たようなこと言われましたよ」
火音が浮気しようが夜逃げしようが勝つのは月火だ。
メンタル的にも社会地位的にも金銭面的にも人脈的にも月火の方が圧倒的に有利にある。
火音は負け試合が分かっているのに自分から吹っ掛けるような馬鹿ではないので浮気も夜逃げも犯罪もやらないだろう。
「信頼してるね」
「信頼はしてますけどこれに関しては事実ですから」
玄智はカウンターに頬杖を突き、フライパンを振る月火を眺めた。
それから少しすると火音が戻ってくる。
「よかったね火音、惚気られてたよ」
「惚気ではないだろ」
からかうような視線を向けてくる火光を一蹴すると玄智のノートを手に取った。
相変わらず国語の成績は最悪だ。
「柚さんはなんの用事だったんですか?」
「鬱病から抜け出す方法」
「薬しかないでしょう」
「毎日飲めって言っといた」
だから一瞬、薬のイメージが浮かんだのか。
「あれ副作用が嫌になる」
「無理やり飲ませてましたからね。さ、出来ましたよ」
その翌日、月火がペンを回しながら授業を聞いていると水月が窓を開けて耳打ちをしてきた。
「……麗湖に任せます。データだけ」
「了解」
先日、と言っても文化体育祭頃。
大きな催しがあると必ず経費に変動があるのだがどさくさに紛れて経費や給料を横領している者がいた。
金銭関係を管轄に収めているのは四女の麗咲。
経理部の学園経費課が全員でグルになって麗咲の確認を通さず学園に経費を回していた。
今までにも何度かやっていたようで、麗蘭が去年との差額に違和感を覚えて水月に確認を頼んだ。
その結果がこれだ。
経費課全体でやっていたので課長と主犯は懲戒解雇、残りは一年間出勤停止になる。
上層部と言えば月火グループに次ぐ大会社なので一つの課が潰れたからと言って仕事が止まることはない。
予備はいくつもあるのだ。
授業が終わり、月火が結月と話しているとまた窓が開き、火音が顔を出す。
「月火、美術部が一枚描けって。デジタル」
「いつまでですか」
「明後日」
「そんな早描きじゃないんですけど」
火音のように一枚六、七時間で完成させるなど無理だ。
最低でも七時間、普通に十時間は欲しい。
「頑張れ。放課後は陸上部な」
「ですから!」
抗議の途中で窓が閉められ、火音は去って行った。
月火はへの字口になるとタブレットを点ける。
「仲良いね」
「そうですか?」
まぁ仲がいいので婚約したのだが改めて言われると少し違う気がする。
仲がいいと言うよりかは、ややこしい性格の似た者同士なので理解し合える者が少ないのでよく一緒にいる。
恋愛感情がないのかと聞かれれば否だしそういう面でも好きではあるが普通の仲良しとは違うと思う。
違うというか、普通の感情に別のものも混じっている感じ。
「……誕プレ……」
「もうすぐ十二月だもんね。婚約者同士で誕生日が一緒ってなんか素敵!」
「ロマンチックなこと言ってあげましょうか」
机の前に立っている結月は目を輝かせて頷いた。
椅子に座っている月火は指を二本立てる。
「誕生日は他の記念日とは違って一方が一方を祝う日です。結婚記念日や婚約記念日は二人でお祝いですが誕生日はサプライズが多いでしょう。やってもらってやってあげて、それを繰り返した分だけ絆が深まるんですよ」
「お前ってそういうの思い浮かぶんだ」
炎夏が意外そうにそう零した。
時空は朝から居眠りして一度も起きていない。
「商品のキャッチコピーも考えますから」
「商品開発部とかじゃないんだね」
「商品本体も案を出してるんでしょ? 玄智とか炎夏にお試しに使ってもらってるって……」
月火が言うのは案やリクエストだけだ。
商品開発部は月火の案を聞いて今の流行やターゲット層を考え、原案からさらに使いやすく、オシャレにしてくれる。
「そういう事ね」
「月火と火音先生ってサプライズ出来ないでしょ?」
「そもそも興味ないのでやる気がありません」
そんな面倒臭いことをするなら二人で夜にお喋りをする方がいい。
最近は夜に話せていない。
「冷めてんなー」
「そうでもないでしょ。昨日、惚気聞いたもん」
惚気など話しただろうか。
月火が首を傾げていると玄智は変に誇張した火音の浮気しない話を話し始めた。
炎夏と結月がこちらを向いて口角を上げ、月火は説明する前に三人にいじり倒され、大恥をかく羽目になった。