三十七 過去の関係
「やっと静かになった」
「人気者の宿命だね」
そんなことを話しながら火光と水月はソファに座る。
向かいに瀕死の火音、一人用のソファに代継、月火は珈琲を淹れている。
保健室から寮に帰るまでの間、火音のファンに追いかけられ、月火のファンに囲まれ、大騒ぎだったのだ。
ただ熱で倒れたところから始まって数日間目を覚まさなかっただけだと言うのに、情報が早すぎる。
火音は疲れ切った様子でクッションに寝転がった。
代継は興味深そうに部屋を見回している。
「言っときますけど何人かは兄さんたち目当てですよ」
「数の暴力だよ」
「は?」
月火は三人に珈琲を渡すと自分はソファの後ろの定位置に立った。
代継は飲み食いが出来ないらしい。
月火も気分ではないので何もなしだ。
珈琲を渡し、皆が一口飲んだところで沈黙が走った。
火音は知らないので何も言えないし、月火も詳しくは知らないし、水月と火光はそんな二人を睨むように見ているし、そんな四人を見て代継は戸惑っているので誰も口を開かない。
いっそこのまま日が暮れてくれないかと淡い期待を抱くと同時に代継が恐る恐る口を開いた。
「あ、あの……」
「自己紹介からお願いします」
「は、はい」
代継。
平安よりも前、飛鳥ほどの時代だ。
歳が二つ離れた姉の佳代は生まれつき体が弱かった。
家からは出たことがない。隣の家の人すら顔も知らない姉が子を孕んだと言う。
姉も、代継も、両親も、にわかには信じられなかった。
そもそもそんな話を聞いたことがないし佳代も何も知らないと言う。
その頃は怪異など知られておらず、皆が父親を疑った。
生まれた子は姉に似て体が小さく病弱だったが、とても不思議な力が使えた。
千里離れた文字を読み、その場にないものを作り出し、人々の思いを読み解く。
神の愛し子というものもいれば、忌み子だというものもいる。
その子が三つになった時、佳代は村に越してきた同い歳のものと結婚した。
名前のなかった子供は千緒と名付けられ、千緒は両親の元で元気に育った。
千緒が十一になった年、千緒の元に不思議な狐がやってきた。
目尻に青い模様の入った白い毛並みの狐で、小さな尾が九本ある狐。
千緒は狐を拾い、毎日一緒に過ごすようになった。
千緒の祖父母が亡くなり、千緒が狐とともにふさぎこむようになった年、父と叔母の代継がいない間合いを見計らうようにして母の佳代も亡くなった。
村の人は、父親のいない千緒を忌み子だと避け始め、子供たちは気味の悪い狐と仲良くする千緒をいじめ、千緒は心を閉ざす。
あれほど元気で明るい笑顔を振りまいていた千緒が笑わなくなったことに父親は心配し、千緒を連れて村を出ていった。
佳代を一人置いて。
「この手の話多いな」
話を聞き終わった火音は一番最初に思ったことをそのまま言った。
火音の父親と言い、佳代の父親と言い、知らぬ間に身篭って父親は誰も知らないという話が多い。
「千緒が始まりの妖輩者ってことですか」
「神々……当時、私たちに苗字はありませんでしたがその可能性が高いかと」
「ふーん……」
これに関してはだからどうということはない。
もし解明したければ火音の実母に話を聞きに行くだけだ。
「火音さんの体質についても知っているそうですが」
「あ、はい」
火音の体質は妖力が関係している。
妖力を色と形にするなら、火音の色は透明で不安定なのだ。
最も親しいものに染められ、それは性格や思考にも反映される。
月火の色に染っていた時は月火の料理が食べられたが、月火の料理が食べられなくなったということは他の人の色に染まりかけている。
が、今は月火の淹れた珈琲が飲めているので月火に染められたということだ。
色を安定させるには他人と関わらないか、常に染め続けるか、共鳴し続けるか。
教師なら他人と関わらないのは不可能。
四人で同居状態なら常に染め続けるのも不可能。個人差はあるが一緒にいるだけで染まったり、中には考えるだけで染まる人もいる。
最後の共鳴し続ける。
「これに関しては一番手軽でしょうが苦労すると思います」
「無理だな」
「無理でしょうね」
あの五感が研ぎ澄まされた状態を維持し続けていては月火達の精神面が持たない。
下手したら過敏症の人より過敏になる。
「近くに共鳴している方はいませんか?」
「いな……」
「近くではありませんがいますよ。何故ですか?」
共鳴の場合、どちらかの妖力は必ず透明なのだ。
透明の人と関わり、染色が始まれば共鳴が始まる。
「あーつまり……」
雷神が言っていた強い絆は、必ずしも強靭である必要はないということだ。
透明側の体質によってはただの友人でもライバルでも共鳴する可能性はある。
「なるほどな。あいつが間違ってたってわけか」
「でしょうね」
二人が遠い目をしていると雷神と黒葉が出てきた。
雷神はいつも通り、黒葉は人の姿だ。
「俺は間違ってないぞ」
「言葉が足りないだけでしょ」
雷神と黒葉は何故か仲が悪い。
二人がいがみ合っていると主によって強制帰還された。
「その染め合いって誰でも出来るんですか」
ここで誰でも出来ると言われたら月火が凹んでしまう。
火音に選ばれたわけではなく、偶然月火だったと言われたら誰でもショックだと思う。
聞かなきゃよかったと思いながら代継を見ると軽く首を振り、否定された。
「詳しくは分かりませんが相性が良くないとそう簡単に染まることはないと思います」
「相性……」
火音は誰にでも能面と薄っぺらい笑みを振りまくが月火以外に相性のいい相手などいるのだろうか。
火音も月火以上に親しくした人はいないし誰かと関わり方を変えたわけでもないので思い当たる節がない。
「火音を染めた人が誰かは分からないの?」
膝を抱えて代継を眺めていた火光がそう聞くと代継は少し困ったように眉尻を下げた。
「全員の色を調べないと誰がどの色かは……」
「目の色は関係ないの? 共鳴したら色が変わるでしょ」
目の色に関しては諸説ある。
妖力の色がそのまま反映されているやら全く関係ないやら共鳴体現者のみ関係しているやら。
今の中で最も濃厚なのは共鳴体現者のみの関係。
透明側が妖力を染められた代わりに目の色を染め返す、という説だ。
あまり意味は分かっていないが神に近しい者たちは平等にあるべき、片方がやられ続けるのは不平等だと言われている。
「体現者が近くにいるなら確認してみてもいいかもしれません」
「そう言いますけどかなり難ありですよ」
一人は千年前の人間で共鳴相手の伴侶はいない。
もう一人は目の前で足を抱えている男と壁がある。
「絶対に確認しなければならないというわけではありませんが……」
月火は腕を組んで少し考えると自室に戻って行った。
一瞬の叫び声の後、何冊かの本を持って戻ってくる。
「どうしたの」
「カッターで腕が切れました」
本を机に置くと右手首を見せた。
かなり深く切れたので痛い。
止血していると水月がガーゼと包帯で止めてくれた。
「危なっかしいのは変わらないや」
「一生このままだと思います」
「ちょっとは気をつけてね」
月火はまだ痛む右腕を少し庇いながら本を一冊手に取った。
「なんの本?」
水月と火光も立ち上がって本を手に取り、ページをめくる。
火音は月火の怪我が心配だが本は興味ない。
「神々当主の記録です。細かいものだと毎日の日記とか」
「月火のは?」
「ありますけど見せませんよ」
週に一回日記をつけて本家に帰った時にまとめる程度だが一応はある。
これでも神々当主だ。
月火は火音の後ろに移動するとページを前後し、ほぼ終わりかけのページを火音に見せた。
「……何これ」
「紫月の日記です。共鳴に関することが書かれてます」
千里先の本を読み、十里先で囁かれる声を聞き、一里先で食べる米の匂いが分かる。
目は白から赤へ変わり、それは主人が亡くなるまで続いた。
主人は紫月の料理しか食べられない。
使用人の料理も、子供の料理も食べられない。
一度だけ紫月の料理が食えなくなったことがある。
自分の料理ですら食べられないと悩み、茶すら口にせず、ついには倒れた。
紫月が三日三晩手を握り続け、四日目に目が覚めた後は今までの空きを埋めるように紫月の手料理をよく食べ、前よりも少し体つきが良くなるほど多く食べた。
「同じような状況か」
「もう終わりましたよ」
「これ見て?」
気付いたキッカケはこれだったが火音の体質について詳しく聞けたのは代継が来てからだ。
透明側は染めた相手以外の妖力を受け付けない。
料理にも、家具にも、日用品にも、携帯品にも、その人自体にも妖力はまとわりつく。
怪異は未練のある魂が化けて怪異となる。
未練がどうだと言うように、妖力と感情思考は少なからず関係はある。
火音はその感情を細かく感じ取っていたのだろう。
月火が強く染めていたのでその反発も大きかったはずだ。
「紫月と朱寧にも話聞きに行ったらしいけど。いつの間に」
「いつでしょう。用事のついでですよ」
ほんの数日間しか経っていないはずなのに誰にもバレず、よくここまで一人で動けたものだ。
いつもの事ながら感心する。
「……頼りない」
「そうですか?」
月火は火音から本を受け取ると紫月の日記を読み始めた。
夫との相思相愛、甘ったるい惚気が大量に書かれている。
月火も火音や兄達のこと、水神や火神の問題や人柄などをなるべく詳しく書くようにはしているがこんな惚気は書いていない。
そもそも日記はこれしか書いたことがないので書き方も日記というかたぶん、人物紹介の方が近いと思う。
どうしても機械的というか、報告書のようになってしまうのだ。
「……まぁ火音さんの体質も分かったことですし。今回染めた火音さんと相性のいい誰かさんを探しましょうか」
月火は水月と火光から本を受け取ると机に積み重ねた。
四人は目を瞬き、首を傾げる。
「出来るの? 全員分調べる?」
火光の疑問に月火はケラケラと笑いながら本を持ち、黒い笑みを浮かべた。
「分かり次第教えますよ」
月火が部屋に戻ってから水月と火光は顔を見合わせる。
「嫉妬かな。火光に似てるよ」
「恨みでしょ。水月にそっくり」
「何か?」
「なんにも!」
二人は笑って誤魔化すと火音の後ろに移動した月火に視線を向ける。
火音は膝とクッションを抱え、月火は火音の髪を梳くように撫でる。
もう見慣れたが普通に見ればただの美男美女だ。
火音は子供の頃から全くと言っていいほど顔が変わらない。
まつ毛は昔から長いし肌も綺麗だし眉の濃さも鼻の高さもほぼ一緒だ。
強いて言うなら大人の落ち着いた雰囲気が出たぐらい。
そう言っても昔から冷静沈着、常に先を考えて動くタイプだったのでその面から言えば同級生よりはよっぽど大人っぽかった。
火音は三人いたが、常にトップを飾るのは火音だった。
そういう意味ではどこからどう見てもお似合いの婚約者だ。
あの顔で迫られたら誰でも落ちるななどと思いながら沈黙の流れる部屋で二人を眺めていると火光に電話がかかってきた。
「どうしたの玄智」
『先生ヘルプ!』
泣き震えたその言葉とともに通話は切れ、火光は呆気に取られる。
「な……え……?」
「とりあえず行ってみましょうか」
「あ、私はこれで失礼します。役目が終わったら帰る約束なので」
代継は紫月のように実体化した怪異に入っているわけではなく、自身が実体化しかけているようなものなので人間らしいことは出来ない。
役目が終われば未練も晴れるのでこの第二の命も終わりだ。
月火と代継はお互い寮の前で深くお辞儀をすると静かに去っていく代継を見送った。
火音はそれを見送り、結局精神世界で聞いたことを聞けなかったと後悔する。
月火を拒むとは何か、何故姉様なのか、あの服装はなんだったのか。
上手い流れで自己紹介もそこそこに本題に入ってしまったので気になることは聞けなかった。
火音が静かに背中を眺めていると前に立っていた月火が火音を見上げた。
「生まれ変わりだそうですよ。私と佳代さん」
「生まれ変わり……? ファンタジーすぎるだろ」
「怪異がどうと言っている時点でファンタジーも何もないでしょう」
佳代の生まれ変わりが月火で、夫の生まれ変わりが火音。