三十六 四人の空間
「ところ構わずイチャつくじゃん」
「似たようなもんでしょ」
月火に抱き着く火音を前にして火光は呆れ、水月は少し驚いたような声で火光を見た。
口には出せないが夢和と付き合っていた頃の火光もかなりベタベタだった。
本人にその自覚があるかは別として、あれを知っている傍から見て火光が言えることではない。
「えぇと……昨日……と言うか今日……?」
「数時間前はほとんど話せなかったね。僕らもほとんど知らないから……まずは二人の秘密から説明してもらおうか」
まともに頭が回っていない火光を黙らせ、水月はそう言いながら隣のベッドに座った。
火光も隣に座り、月火も離れようとしたが火音が許さなかったので諦める。
「秘密については……」
「言いたくない。終わったし」
「終わったなら言ってもいいでしょ」
火音は胡座の上に座らせた月火の肩に額を置き、月火は弱っている火音の頭を撫でるといつもの遮音イヤホンを渡した。
おとなしくそれを付けると音楽を聞き始める。
月火の耳も傍にあるので少し音楽が聞こえるが気にしない。
「……つい先日ですよ。火音さんが熱を出した時か……そのちょっと前ぐらいからです。思考が伝わらなくなりました」
二人の秘密は共鳴が無くなったというか、思考が繋がらなくなったこと。
月火の秘密は火音に黙って紫月や朱寧に話を聞いたり、神々の書斎や当主の本部屋をあさって調べていた事。
自己犠牲が癖になっている火音に伝えると自己嫌悪と自己否定で苛まれ、熱と精神的にも悪影響だと思ったから。
別に無茶はしていないし寝不足でもない。
本当に、共鳴の事を調べていただけだ。
「そういう事……なるほどね?」
「僕らにぐらい言ってくれたら手伝えたのに」
「兄さんたちはちょっと……口が少しかなりだいぶん軽いので……」
企業秘密として仕事の秘密なら死守する、というか頭から抜かしてそもそも話さなくなるのだがプライベートになるとそうもいかない。
特に稜稀や晦になどは何でもかんでも話すので二人にもそう簡単には話せなかったのだ。
こればっかりは仕方ない。
月火が小さく謝ると二人は項垂れ、火光は頭を抱えた。
去年、火音に頼られるようになると決意してから何も変わっていないではないか。
妹にまで気を使われてしまった。
やはり根っから平和ボケしているのだろう。性根を叩き直さなければ。
水哉に頼もうか。
「……ごめんね。もっと気を付ける」
「いや、兄さん達はそのままでいいです。周囲の癒しキャラになりつつあるのでそのまま」
「キャラがぶれるんですけど」
癒しは玄智と結月で十分だ。
成人男性の癒しキャラなどいらない。
二人が唸っているとカーテンの外が騒がしくなった。
火光がカーテンを開けると何故か外には玄智と結月、その向こうには喧嘩している炎夏と暒夏がいる。
「授業どうした」
「サボった」
「早退しました」
素直だ。
素直すぎて呆れを通り越し、微笑ましさが出てくる。
「あはは、晦は何してんのかな」
「晦先生はあっち」
玄智が保健室の奥を指さすと晦姉妹が揃っていた。
知衣は椅子に座ってタバコを吸い、綾奈はそれを取り上げ、知紗は仕事をしている。
「うぇ……見世物じゃないんですけど」
「授業代わってあげた人に言う言葉ですか?」
「助かりましたー」
火光は棒読みでそう言うと喧嘩をしている炎夏と暒夏の方を見た。
珍しく炎夏が平然とし、暒夏が荒れている。
いつものパターンとは逆だ。
「何があったの」
「火音先生を見に来た暒夏さんが炎夏に追い返されたのを怒っちゃって」
「炎夏が荒れてるわけじゃないので手は出ないと思いますけど……」
心配そうに二人に視線を向ける結月を玄智は笑って誤魔化した。
「大丈夫だよ。あの兄弟仲良いし」
と、前までは思っていたが最近はそうも思わない。
暒夏は当主になってから態度が大きくなり、炎夏は必死に反発して抑えようとしている。
水虎も手を焼いているようなので性格がひねくれたのだろう。
富、名声、地位、酒は人を駄目にすると言うがまさにその通りになってしまった。
暒夏は元々臆病な性格なのでたぶん、誰かが色々と吹き込んだのだろう。
早く元に戻ってくれることを願う。
「人が集まったら意味ないし」
「僕らだってクラスメイトだよ。聞く権利はあるでしょ」
「事態が落ち着いたらね」
火光は玄智の頭を軽く叩くと振り返って三人の方を見た。
「九人いますけど」
炎夏、暒夏、玄智、結月、知衣、綾奈、知紗、黒葉、代継。
「集まってますねぇ……」
「保健室の意味ないね」
月火が火音の腕を軽くつつくと火音は視線だけ月火の方に向けた。
イヤホンは付けたままだが月火の思考と奥に見える少なくとも四人はいる生徒を見て状況を察する。
保健室は溜まり場ではないし喧嘩場でもないのに何故こんなにもいるのか。
と思っていると神崎と氷麗までやってきた。
情報が回るのが早すぎる。
「火音先生ー!……は?」
「あんたまだ火音先生にくっついてんの?」
「こんにちは選ばれなかった人達」
月火が黒い笑みを浮かべると神崎が月火に殴りかかろうとした。
もちろん火光が止めたが反対の隙から氷麗が月火に殴り掛かる。
この二人、反りが合わないように見えて息ぴったりだ。
凸凹すぎて逆にハマったのか。
氷麗の腕を火音が掴み止め、月火の腰に回された腕に力を入れた。
「火音さん、吐く」
どうせ聞こえていない。と思ったが思考が伝わったようで力が少し緩まった。
「お前月火に突っかかりすぎ。迷惑かけんな」
今の火音は教師ではなく月火の婚約者だ。
婚約者の立場なら生徒を気遣う必要はない。
火音に睨まれた氷麗は眉を吊り上げ、月火を睨んだ。
何かを言おうと口を開いた時、火光から逃れた神崎が割り込んで火音から月火を引き離した。
火音は片膝を立て、イヤホンを外す。
「火音様! 他の女子達の気持ちを知っておきながら一人と……」
「別に婚約者だしいいだろ。月火を妬むぐらいなら見向きすらされなかった自分の容姿を恨めよ」
火音が睨むと神崎は軽く目を見張った。
「な……そんなの! 生まれつきなんですから仕方ないじゃないですか!」
「そう、仕方ない。神崎の顔が平均以下なのも氷麗の性格が乱暴なのも月火が完璧超人なのも俺の裏表があるのも全部生まれつきだから仕方ない。生まれつきのものに惹かれて婚約したことに文句を言われても困る」
火音が特に何も考えず、それだけ言うと肩に月火の手が触れた。
ベッドの後ろに回っていたらしい。
月火の手を握り、自分の首の方まで引っ張る。
「なぁ月火?」
「私に聞かれましても。ねぇ兄さん」
「いや知らないよ……」
いきなり巻き込まれた水月は顔を引きつらせながら必死に巻き込むなと首を振った。
女の嫉妬にはもう関わりたくない。
「……火音さんもこう言ってるので帰ってもらえますか」
「さん呼び……先生って呼んでないの」
神崎がまだ話を引き延ばそうとするので顔をしかめ、また黒い笑みを貼り付ける。
「プライベートでは呼び捨てですよ? 婚約者ですし」
火音は何も言わず笑顔を貼り付け、月火は内心笑うのを堪えながら堂々と嘘を吐く。
火光は呆れた様子だが水月は驚いている。
カーテンと火光の隙間から見える結月もたぶん玄智と顔を見合わせているのだろう。
「学校では先生、外ではさん付け、寮では呼び捨て。あぁもちろん私の寮ですよ」
「……え待って? 通ってるだけよね?」
そこからか。
神崎は目頭を押え、氷麗は頭が真っ白になったのかただ呆然と立ち尽くしている。
面白半分で嘘を吐いてみたもののあまり面白くなかったのですぐに飽きてきた。
月火の表情が無表情に戻ったことで水月も嘘だと分かったようだ。
胸を撫で下ろしながら火光とともに炎夏と暒夏の喧嘩を止め始めた。
「同居ですよ? 私の荷物も火音さんの荷物も全て私の寮にあります」
「な……!? せ、生徒寮って1LDKよね!? 妖輩だけ広いとかないわよね!?」
「な、ない! 普通の部屋!」
妖輩だけ広いはないが月火だけ広いはある。
寝る時はちゃんと別室、と言うか火音はリビングに住み着いているので月火がリビングで寝ない限り別室だ。
たまにリビングで寝ることもあるが大抵夜通し話しているのでもはや寝ていない。
ただのお喋り大会だ。
氷麗と神崎は顔を真っ青にして笑い続ける火音と無表情の月火を見た。
「ど……な……え……」
「寝る時はバラバラでしょ!?」
「……もちろん?」
間を開けて疑問形にしたことで神崎は向かいのベッドに座り込み、氷麗は膝から崩れ落ちた。
月火が苛立ちを押し殺している火音の肩を叩くと火音は無表情に戻り、静かに冷気を放つ。
調子に乗りすぎたと思い、不安になったが火音が月火の手をゆっくりとさすってくれたので少し安心する。
「やりすぎましたか?」
「どうせ嘘だし問題ないだろ」
「……嘘?」
顔を上げた二人は目を瞬くと火音の方を見て肩を震わせた。
「氷麗、お前月火に言うことない?」
「言う……こと……?」
「刺して突き落としたのに退学にしなかったのは月火だろ。でもその後に月火に集団リンチ」
あの集団リンチを行った者は全員判明し、水月が数人から証言を取ってくれた。
主防犯は氷麗。
月火が気絶させられて指輪がなくなったのも氷麗が犯人。
指輪に氷麗の匂いと妖力が移り、黒葉が感知してくれた。
「恩人にやることじゃないな」
火音は恩人と言うが月火は学園を嫌がった氷麗を苦しめたかっただけだ。
屋上からの浮遊感を楽しませなかっただけ優しいと思ってほしい。
「それから……」
火音が陸上部の中等部に対するパシリ行為もバラそうとした時、カーテンが開いて鬼の形相の黒葉が顔を出した。
着物姿の代継が必死に押さえている。
「こ、黒葉さん……! 落ち着いて……!」
「主様の仇……!」
「黒葉、下がりなさい」
月火が手を差し出すとその手に触れた黒葉は般若のまま月火の中に戻った。
代継は安心するとまたカーテンを閉めて晦姉妹と話し始める。
黒葉が月火の中で吐き捨てている罵詈雑言は火音にも聞こえるので集中して話せない。
座ったままの火音が立っている月火を見上げると月火が黙らせてくれた。
さすが主様。
「だ、誰あれ……」
「私の妖心です」
「違う……違う! お前と同じ顔の方!」
「妹です」
正確には違うが大雑把に言えば妹らしいので断言しておく。
どうせすぐにいなくなる。
氷麗は唖然とし、神崎は頭を抱えた。
神崎が小さく震えながら涙を落とし始めると火音が溜め息を吐いた。
「面倒臭い……」
「人の心はないんですか」
「ない」
月火が呆れて火音の頭を撫でているとまたカーテンが開いた。
麗蘭が顔を出す。
と、同時に我慢の限界が来た。
「なんで全員来るんだよ。鬱陶しい、帰る」
火音に手を引かれてカーテンを出た月火が代継の腕を掴むと知衣に軽く手を振られた。
「後で検査な」