三十四 女の喧嘩
班の振り分けが終わった数日後。
月火と玄智は教室で同じパソコンを眺める。
今、月火が水月に買ってもらった最新パソコンには数年前の感動系アニメが流れている。
玄智とは映画を一緒に見ることが多い。
中等部一年生の頃は月火の寮でよく見ていたのだが何せテレビが邪魔で捨てたのでそれからはパソコンで見ているのだ。
校内ならだいたいネットは繋がるので流行りの映画から九十年代の映画までなんでも見る。
アニメ、SF、ホラー、サスペンス、ギャグ、ミステリー、たまに人形劇なども。
玄智は映画自体が好きで月火は商品アイディアに詰まった時によく鑑賞しているのでそれを知ってからは一緒に見るようになったのだ。
「……泣ける」
「そうですか」
「人の心ないの?」
「いや何度も見ましたし……」
初めて見た時はうるっとは来たが今の玄智のように号泣はしなかった。
稜稀に人前で激しい感情を見せるなと言われていたのが原因だったのだろうか。
分からない。
「見たなら他のやつにしてくれたらよかったのに」
「玄智さんが見てなかったんでしょう。乗り遅れる前に見といた方がいいですよ」
「もう乗り遅れてるけどね。映画館で見ようと思ったんだけど満席で」
中等部時代の映画なので見れる時間帯に限りがあり、その時間帯はほとんど満席だったのだ。
毎日毎日スマホにへばりついて予約を取ろうとしたが無理だった。
それからは興味がどこかへ行き、レンタルもしていなかったのだが先日この映画の予告編を見て急に見たくなったのだ。
月火に頼んだらあっさり見せてくれた。
やはり持つべきものは優しい友人だ。
月火が無表情で、玄智が止まってきた涙を拭いながら鑑賞しているとジャージ姿の火音と水月がやってきた。
「あれ、二人で珍しいね」
「そうでもないだろ」
「そう? 炎夏とか結月とかいないじゃん」
水月は二人が映画鑑賞を共にしていることを知らないのだろうか。
結構周知の事実だったりするが。
水月が窓を開けて二人に声を掛けると無表情の月火と目を泣き腫らした玄智がこちらに向いた。
「あ、泣いてる」
「感動シーンだったの。もう終わったけど」
「次何見ます?」
「映画鑑賞は終わり。月火、手伝え」
月火は目を瞬くと火音の方を見た。
「部活ですか?」
「氷麗が問題起こした」
「はぁ……」
またか。
氷麗の処理係は月火ではないのに火音まで月火を頼るようになってしまった。火音に頼られたら断ることなど出来ない。
「じゃあ僕は炎夏のところに遊びに行くよ。どうせ勉強してるだろうし」
「では映画はまた今度」
「ありがとね〜」
玄智が手を振って教室を出て行くと月火はさっさと荷物を片付けた。
と言ってもノートパソコンを片付けるだけだ。
月火は黒のリュックなので背中側にパソコン、外側に厚みのあるものを入れている。
ちなみに結月と時空はスクールバッグだ。
学園のバッグもあるらしいが使っている人は見た事ない。
存在自体伝説のような、迷信のような感じだ。
「ちなみにどんな問題を?」
廊下を歩きながら月火が火音を見上げると火音はいつも通りポケットに手を突っ込み、視線を逸らした。
「……神崎と揉めた」
「火音先生が原因ですよね? 本人が解決すればいいじゃないですか。私あの人たち嫌いなんですけど」
「俺も嫌い。一生関わりたくなかった」
どうやら火音も一度は止めに入ったらしい。が、火音が婚約を解消すれば済む話だと言われ、諦めた。
手も足も出ている喧嘩なので男子生徒が止めに入ろうとすれば男には分からないと言い、女が止めに入れば同族なら黙ってどちら派か別れろと言われた。
暴論にも程がある。
「兄さんはなんでいるんですか」
「今日は火音の手伝い。暇だったしね」
仕事が一段落ついた後に校内を放浪していたら火音にちょうどいいと頼まれたようだ。
「陸上部は人手不足とは無縁そうですけど」
「なんせ教える側が一人なもんでな」
「深刻な人材不足ですねー。何人か見繕った方が……」
いや、たとえ何人見繕ったとしても火音の方には回せない。
全員が仕事そっちのけで火音の方に注目するだろう。
主に好意と敵意で。
本当に、この顔はどうにかした方がいいと思う。
月火が小さく溜め息を吐いて試しに水月を見上げてみると冷ややかな目で見下ろされた。
「私情を持ち込まないで」
「分かってます。人手不足なのは事実でしょう」
「まぁそうだけどね。何人か引っ張っても火音の方には回せないよー?」
火音は力がありすぎるため一般人とペアリングすることが出来ない。
二人の関係に亀裂が入り、それが高等部、学園と広がったら最後、どこかしらで学級崩壊ならぬ職場崩壊が起きてしまう。
その責任を負うのは水月だ。
月火も成果を上げすぎているが故、非難されることは火音関連のことだけ。
もし学園が問題を起こせば天才月火と崩壊学園の間に立つ上層部、その責任者である水月が矢面に立たされる。
いくら月火や火光が失敗したからと言って、そのミスを庇う気はない。
それでは庇護者や囲っているだけではない、ただの甘やかしになってしまう。
考え込む月火に水月が視線を向けていると突然後ろから突き飛ばされた。
反射神経で相手の腕を掴む。
「いった……!」
「水月兄さんはよく下敷きになりますね。大丈夫ですか」
「うーん……なんとか」
一瞬目が回ったがもう大丈夫だ。
月火の手を借りて立ち上がると同じく立ち上がった火光が溜め息を吐いた。
「なんなの火光」
「ごめん。足が滑った」
「あぁ……怪我ない?」
「うん。肩が痛いぐらい」
水月の反射神経には毎度の事ながら驚かされる。
倒れる直前に相手の腕を掴むことなど普通は出来ないだろう。
火光が右肩を押さえると月火を見下ろした。
「どうしたのそんなに考え込んで」
「いえ、なんでも」
「そう言えば神々……今は月火グループか。大盛況だね。いつもだけど」
月火が長期休みに入っていた十月の一ヶ月間、神々社月火社に大きな動きがあった。
現代の最先端を進む月火社が神々社を取り込み、月火グループとして改名、新たに月火社ゾーンを広げたのだ。
元々超高層ビルが三つ並んで月火社ゾーンだったのが、以前から話題になっていた新高層ビル二つを買い取ってそこに取り込んだ神々社を入れた。
月火社ゾーンに近い事からライバル社が建てたやら月火が新しく建てているやらの噂が出ていたがそれは単なる噂。
本当はただのビルで、建設中だったものを月火が買い取ったのだ。
会社ごと買い取ろうとしたがあまりにも時間がかかりすぎるのでやめた。
そして新月火グループとなった会社達は、それぞれの案を組み合わせたり実験課をまとめたりして大きく動きだし、月火と水月は多忙を極めている。
おかげで水月が寝不足で、最近は少し機嫌が悪い時がある。
今もそうだ。
放浪している時間があるなら寝ればいいのに。
「あ、着替えてきます」
女子更衣室に着いた月火は中に入ると二分ほどで着替えて出てきた。
冷えるのでウィンドブレーカーを着ている。
「……水月兄さんは?」
いきなりいなくなった水月を探し、二人を見上げると火音が肩を竦めた。
「苛立ってたから帰らせた」
「僕が代理になるらしい」
火音も火光も上を羽織らず寒くないのだろうか。
と、思ったが更衣室に取りに行った。
火音はすぐに出てきて火光は着替えてから出てくる。
いつもとは違うジャージだ。
「新しいのですか」
「そう。定期的に買い換えないと嫌なんだよね」
「全部が新しくなる時期がありますよね」
「それは偶然」
火光は使用期限はある程度守るのでよく買い替えている。
「何回も着替えてたら貼るカイロも意味ないよね。貼らないタイプは邪魔だし」
「カイロ必要ないぐらい動きません?」
「指先が一向に温まらないんだよ」
火光が袖に隠していた指先を月火に差し出したので月火が触れると月火と同等の冷たさだった。
「触って温度を感じない人は初めてです」
「僕も。月火は冷たすぎ」
月火は万年冷え性なのでもう慣れっこだ。
火光は手を動かすとまた袖を指先まで伸ばし、ポケットに突っ込む。
火光は買うなら基本、ワンサイズ大きいものにしている。
が、火光の身長になると一つサイズが上がると横も大きくなるのでだいたいは特注だ。
月火グループでは服の形や大きさも様々なのでそこで買ったり特注で頼むことが多い。
三人が冷え性について語りながら校庭に出ると殴り合いは終わり、神崎が泣いて氷麗が一方的に非難されているような状況になっていた。
「やっぱりそうなりますよねー」
「やっぱりって?」
簡単な話だ。
妖輩の氷麗と補佐の神崎。
気が荒く言葉の悪い氷麗とあくまでも女を突き通している神崎。
すぐに手が出る氷麗と口だけの神崎。
何も知らない第三者から見れば悪は氷麗一人だ。
お互いが悪いなど誰が思うか。
「だから火音先生がそばにいた方が良かったんですよ。争っている原因が側にいて、視界の中で問題を起こしてる方が騒ぎにはなりませんし」
「それを先に言え」
「来たものはしょうがないでしょう」
月火は火光が飴を舐め始めたのを見てそれを一つ貰った。
冷たい。
「甘い……」
「飴だもん」
月火が舐めるのは棒付き飴だけだ。
普通の飴はすぐに噛み砕いてしまう。
月火は飴を噛み砕くと棒から外した。
「すーぐ噛み砕くし」
「……本当だ」
完全に無意識だった。
これでは棒付きの意味がない。
月火はまだ少し飴が残っている棒を咥えると残りの飴も全て外した。
ゴミ箱がないのでそのまま咥えておく。
「こんにちは〜」
月火が声を掛けると皆がこちらを見た。
氷麗は月火を睨み、神崎は赤くなった頬を抑えながら顔を上げる。
「……馬鹿な事しますね。負けるのが分かってたのに」
「神々さん! 氷麗さんが神崎さんを殴ったんです! 怒るなら氷麗さんの方に!」
「部外者は……私も部外者か。事情は聞いてるので黙ってて下さい」
月火は氷麗を指さした高等部の男子を黙らせると神崎を見下ろした。
氷麗に視線を向けたあと、また神崎を見下ろす。
「負け犬の遠吠え?」
「五月蝿いわね!? 遠吠えなんてしてないわよ!」
「負け犬は認めるんですか」
氷麗か神崎を選べと言われたら神崎を選ぶ。
他人のものを盗まなかったり殺人未遂をしないだけ神崎の方がマシだ。
それでも火音に迷惑をかけるのに変わりはないので嫌いだが。
幸いにも神崎の方に人が集まっているので氷麗とは話をせずに済みそうだ。
「喧嘩の理由はなんですか」
「あんたに決まってるでしょ」
「ですよね。分かってました」
火音に聞かされた通りだ。
月火は呆れると神崎含む神崎派を見上げた。
「なんで氷麗さんを悪者にするんですか? 手を出したのはお互い様ですよね。強いて言えば神崎さんが火音先生にくっ付いたから氷麗さんが怒った、と」
それならおかしい事になる。
婚約者がいる火音に神崎がくっつき、それを注意した氷麗が悪者扱い。
それなら既婚者に無関係の異性がくっついたとして、結婚相手が注意すれば悪は結婚相手になるのだろうか。
関係性は違うが要はそういう事だ。
手を出したならお互い様。
神崎は火音との接し方を考えるべきだし氷麗も性格は置いといてすぐに手が出るのは直すべき。
今回の喧嘩はお互いの悪い所が重なって起きたことだ。
本人達さえ気を付ければ何も問題は起きない。
「でも氷麗は私を殴ったのよ」
「言葉の暴力って知ってます?」
氷麗は頭が弱い代わりに喧嘩は強い。
神崎は逆だ。
非力で速さも重さも無い代わりに言葉巧みに自分の味方を増やし、氷麗を孤立させた。
初めから見ていた陸上部の人がこぞって神崎の方にいるのは神崎が言葉で操り、自分が被害者のように見せかけたから。
氷麗が男勝りな性格と乱暴な口調、神崎がか弱い可憐な少女を演じているのも一つの理由だろう。いや、もう少女という年齢ではないか。
「恥ずかしくないんですかねぇ。たった一人の人間一人に歳下を嘲笑って孤立させ、自分を女王的立場に持ち上げる。悪役がやりそうな手口です」
今回はお互いが悪者ですけどね、と付け足すと神崎は黙って月火を睨んだ。
神崎派の観衆は気まずそうに視線を交わし合い、皆が少し離れ始めた。
後ろから二つの拍手が聞こえてくる。
「流石月火」
「見事な手腕」
「茶化さないで下さい。頼んだのは火音先生でしょう」
月火は振り返ると二人を見上げた。
にこにこと笑っているが何かを企んでいる顔だ。
共鳴がなくなったので何を考えているか分からないが分からないからこそ企んだのだろう。
「嫌な人達……」
月火がそう呟くと二人は顔を見合せ拍手の手を止めた。
「はぁ。……陸上部集合〜」
火音は顔を切り替えると冷えた体のために準備運動をやり直し、校庭を走らせ始めた。
月火は飴の棒を捨てに行く。
こんなにあっさり終わるんだったら着替える必要はなかった。
最悪、殴り合いに参加しなければと思ったが状況が思ったよりも普通だったので骨折り損だ。
骨折りと言うほど苦労はしていないが。
少し冷たい風が吹いたかと思えばだんだん強くなってくる。
マフラーを持ってくればよかった。
月火がウィンドブレーカーのフードを被って火音のところに戻ると火光も走り始めた。
「寒い……」
「役目終わったし先に戻っとけ。その格好じゃ風邪引く」
「火音先生は大丈夫なんですか」
「重ね着してるし」
と言う会話をした翌日、火音が熱を出した。
原因としては昨日、小雨が降っているのに気付かずあの寒さの中で雨に当たっていたからだろう。
虚弱体質が雨風に晒されれば風邪も引く。
「今日は休みですね」
「連絡はしとくよ」
火音はソファに丸くなり、月火が頭を撫でている。
火光も水月もヒーターの虜だ。
「僕は一日寮にいるからなんかあったら知らせるよ」
「お願いします」
一応お粥やフルーツは用意したが何せこの気温なので冷たいだろう。
他人が温めたものを食べられるならいいが、最近の火音の様子を見ていると水月が電子レンジを使うだけでも拒絶反応を出しそうなので下手なことは出来ない。
「昼休みの間に月火が帰ってきたら? そんな一時間もかからないでしょ。体育だしちょっとぐらい遅れても大丈夫だけど」
「じゃあ……」
月火がそうしようとした時、火音が月火の腕を掴んで力を込めた。
二人は首を傾げたが月火は真顔になる。
「そこまでしなくてもいいみたいです」
「よく分かるね」
「あっ水月……」
火光が止めた時にはもう遅い。
月火は薄く微笑むとその笑みのまま火音の頭を撫で始めた。
月火は共鳴が嫌だとかなりたくないと言われたことを許したわけではない。
何故自分はないくせに自分の感想を述べるのか、意味が分からない。
体現者から聞いたとしてもその感覚が実際に分かるわけではないし理解し合えば嫌悪感や抵抗感など一切ないのだ。
そもそも共鳴は体現者同士が強い絆で繋がれていることが条件なので思考が入ってくる感覚を嫌う程度の絆なら共鳴は起きない。
まさか水月達があんな風に思っていたとは驚きと同時に失望感に似た何かも味わった。
軽蔑とは何か違うが、呆れというか、一番身近な人が理解していなかったのかという疑問に近い呆れが出てきた。
たぶん、あれだけ隠すなと言っておきながら理解してくれなかった人達には同じ感情が湧くのだろう。
それがたまたまこの二人だっただけ。
どうやっても失望感は拭えない。
月火は大きな溜め息を吐くと寮を出て行った。