三十一 火光の思考
「長期休み?」
文化祭も終わったある日の職員室。
ほとんどの教師が部活に出て人はほとんどいない。
火光が首を傾げると月火は小さく頷いた。
ここのところ根を詰めているのか顔色が悪いが火音も水月も付きっきりのようなので大丈夫だとは思っている。が、あまりにも無理しすぎではないだろうか。
「水月兄さんが一ヶ月休む程度なら大丈夫だと言っていたので。会社が大きく動いたのでそれの対応で時間が足りないんです」
確かに、月火は全ての大学卒業試験を突破しているので実質大学卒業済みになる。
勉学の方は問題ないし任務の方も火光や火音に回るので大丈夫だとは思うが心配だ。
「申請はするけど……絶対無理しないでね。何がなんでも毎日二食以上、五時間は寝て体調整えてね」
「はい。ありがとうございます」
明後日から入るそうなので優先的に申請をした。
どうやら麗蘭には既に伝えてあったようで、すぐに受理された。
水月の根回しか。
月火が職員室を去った後、部活から帰ってきた火音に月火の話をすると目を瞬いた。
「マジ?」
「マジ」
「地獄ー……」
火音は手早く荷物をまとめると先に退勤して行った。
この月火依存も如何なものかと思うが火光に依存していた時と同じか。
火光は最近、忙しすぎてまともに月火の寮に行けていないのであの二人がどういう距離で接しているのか知らないが、水月は相変わらず入り浸っているようなので一線は超えないと思う。
火音は自制心の塊のような部分と甘えの海のような部分があるのでどうなるか分からない。
月火は最近、感情の起伏が人間並みに目立つようになってきたので嫌なら嫌と言えるだろう。
前はうさぎよりも無だった。
高等部に上がって火音との関わりが強くなり、共鳴が始まってからは二人とも大きく変わったので嬉しくもあり怖くもある。
もし月火や火音と対立したら。
上層部派と学園派と御三家派の確執が火種となって世間に不仲が流れてしまえばもう双葉姉妹では収拾は出来ないだろう。
その時に使われるのが神々当主の月火と婚約者であり最強と言われる火音だ。
火光は御三家派から抜けるつもりはない。
御三家、上層部、学園と縦の関係が古くから保たれていたのは御三家の統率力のおかげだ。
しかし火神が零落し、水神の動きが怪しい今、御三家の中でも派閥争いが起きるかもしれない。
派閥とは面倒なものだ。
自分はどちら派かを決め、決めたら最後その派閥を支持し続けなければならない。
たまに変わる者もいるが抜けたら抜けたで裏切りと嫌われ、入ったら入ったで回し者だと嫌われる。
世間は神々しか見ていない。
結局、何が起こっても対応に追われるのは神々の当主で社長の月火なのだ。
それならいっそ、水神を神々の管轄に入れてから上層部と学園も芋づる式に管轄に入れてしまえばいい。
今、三つの大派閥を管理しているのが神々当主の月火、上層部長の麗凪、学園長の麗蘭。
それに補佐が付いたり付かなかったりという形なのだが下の下に管理者を置くからややこしい事になるのだ。
月火がまとめて学園と上層部を取り込んでしまえばややこしい伝令ミスや派閥争い、人材取り合いもなくなるだろうに。
まぁ火光がここまで考えられるのだから水月はともかく月火は考えていないはずがない。
風の噂で聞いた話だが、月火社が神々社を吸収して一つの会社にするらしい。
日本最大級の会社だ。
たぶん、仕事の対応というのはそれの事なのだろう。
火光に出来ることは極わずかなのでほとんど頼りにならない。
こんなんだから火音も月火も秘密を明かせず二人だけで苦しんでいたのだろう。
自分が嫌いで自己嫌悪で押し潰されそうだ。
何故月火のような才能に恵まれなかったのだろうか。
何故水月のように上手く立ち回れないのだろうか。
何故火音のように人を支え、成長へ導くことが出来ないのだろうか。
出来なくて嫌になって逃げ出していることばかりだ。
やはり血筋だろうか。
火音の方が薄いはずなのに。
自分は血に恵まれ才に恵まれなかったと、そういうことなのだろうか。
月火のような完璧人間にはいくら努力をしたとてなれない。生まれつきの才能がなければ無理なのだ。
何故自分はこうも不出来で、惨めな姿をしているのだろう。
神々に来たからこそ、この欠点がより目立つのかもしれない。
こんなことならいっそ──
「火光、もう一時だよ」
声を掛けられ、我に返って顔を上げると水月が立っていた。
後ろには心配そうな表情の晦もいる。
「一時……昼?」
「外見ろ馬鹿。午前一時」
「……どうしたの?」
窓の方に視線をやってから水月を見上げると頬を触られ、首筋やら手首やら額やらを触られる。
「何……」
「熱はないね。脈も正常。顔色も大丈夫そう」
「そりゃ健康だからね」
火光がまだ触ってくる水月の手を嫌がっていると水月は手を離して首を傾げた。
センターで分けられた前髪がサラリと揺れる。
「なんかあった?」
「なーんにも。なさすぎて自分が惨めに思えてきたところ」
「なんでだろうね。僕の弟妹は自虐が酷い……」
「どの口が言うか。自己肯定感のかけらもないくせに」
火光がデータが消えないうちにパソコンとUSBに移していると水月が火光の頭に手を置いた。
火光とほとんど同じ大きさだが指先が細く長い。
「同じような価値観ってことだよ。相性が良くていいでしょ。ほらカップルとかで価値観の違いで別れるとかいるじゃん」
「カップルじゃないし別れても嫌でも一緒になるでしょ」
兄弟なのだから実家に帰ったら強制的に会うことになる。
職場だってほとんど同じようなものなので最低でも二週間に一回は会ってしまう。
火光がそう言うと水月が雑に頭を撫でてきた。
無言で頭を押さえつけながら無言で撫でると言うより荒らしてくるので手刀で殴り落とす。
最悪だ。
「本当に嫌いなんだったら実家に帰らないって方法もあるし転職も出来るよ。でも火光にはその道はないんでしょ? ならどんだけ惨めでも馬鹿でも愚図でも助け合ったらいいじゃん。三人寄れば文殊の知恵、塵も積もれば山となる、だよ」
惨めになってくるとは言ったが馬鹿とも愚図とも言っていない。事実なので反論はしないが。
火光が髪を整えていると水月が首を傾げた。
「……やっぱりおかしいね」
「今日はそんな気分」
「もう日付越えてるよ」
「寝なかったら一日の範疇なんだよ」
火光は溜め息を吐きながら荷物をまとめると職員室の鍵を持って晦と水月を外に追い出す。
最近、来るのも帰るのも火光が一番なので綾奈から託されたのだ。
施錠をしてから寮に向かって歩く。
「月火の所?」
「こんな時間に行ったら迷惑でしかないでしょ」
「待ってるのに」
「自意識過剰すぎない」
火光がエレベーターのボタンを押してあくびをしていると水月が覗き込んできた。
エレベーターに乗ってから火光の寮とは一つ下のボタンを押す。
「行かないってば」
「僕と晦が行く」
「あそ」
「私も!?」
疲れでボタンを押すのも面倒臭いので降りてから階段で上がろう。
どうせすぐ傍だ。
三人が三階で降りて火光が階段に向かおうとすると水月に腕を掴まれて引っ張られた。
火光は炎夏とともに馬鹿力判定されているはずなのだがそれを振りほどく気力すらない。
もうなるがままでいいやと思えば少し手の力が緩んだ。
案の定、月火の寮に入りリビングまで引きずられる。
すると月火はパソコンに向かい、火音はソファで呑気に絵を描いていた。
「あ、兄さん達。晦先生も。遅かったですね」
「火光に声掛けても二時間無視された」
「そんな前からいたの?」
「気付いてなかったの!? そんな影薄いかなぁ……」
いや水月の影より火光の集中力が異常すぎる。
叩いても揺さぶっても顔すら上げずずっと仕事をしているのだから完全に無視かと思っていた。
なのに気付いてすらいなかったとは。
水月が火光を椅子に座らせると晦も座らされ、月火が火光の好物である天ぷらの盛り合わせを二人に出した。
火光は目を瞬くと月火を見上げる。
「太る」
「油飲ませてあげましょうか」
「やめて?」
水月に後ろから圧を掛けられ、二人は戸惑いながらも食べ始めた。
かつて、こんな圧のある食事をしたことがあっただろうか。
いつも当たり前のように座って食べていたのでそう思うと申し訳なく思えてくる。
「水月兄さん、邪魔なので着替えてきて下さい」
「酷くない? 冷たくない?」
「そんな圧掛けたら休んで食べられないだろ。早く着替えてこい」
水月は口を尖らせると渋々着替えに行った。
火光が早く食べて帰ろうと思い、食べ終わると月火の笑顔に負けてソファに押しやられた。
晦は流石に帰ると言って帰って行く。見捨てられた気分だ。
「じゃあおやすみなさい」
「ちょいちょいちょい。帰るよ!」
「駄目です」
「なんで!?」
「ここで寝るからです」
月火は起き上がろうとする火光を全体重をかけて阻止する。
話の通じなくなった月火に疑問を浮かべながら助けを求める気で火音を見ると火音は上機嫌に絵を描き続けて全く役に立たない。
「ちょ、帰るって……」
「何故?」
「迷惑だもん」
「今までずっといたのに? 誰に何吹き込まれたんですか? 誰が迷惑なんて言ったんですか? そいつ殴ります」
物騒なことを言う月火にまた疑問が増えているとジャージ姿に着替えた水月が上から覗き込んできた。
「ここ最近ねー、月火が火光がいなくて寂しがってたんだよ」
「兄さんほどではありません」
「僕には婚約者も友達もいないんだよ? 弟妹までいなくなったらひとりぼっちになっちゃう」
「可哀想ですね」
見事な自虐ネタだ。
月火が適当にそう返せば頬をつねられた。
「伸びるねー」
「これでシワが出来たら年収の三倍の額で慰謝料を請求します」
「ごめんて」
「謝って済むなら弁護士はいらないんですよ」
「話がズレすぎだ」
火音の言葉で二人はハッとするとまた火光を見下ろした。
「という事なので……」
「どういう事?」
「月火と水月が寂しがって泣いてるから今日はここで寝ろってこと」
「おふざけ精神の通訳をありがとうございます」
この三人、芸人になったら売れる気がする。
火光がそんなことを考えていると、火光を見下ろしている水月が火音の方を見ている月火の肩を揺さぶった。
「ほら戻った!」
「やっぱりその顔ですよ」
「どの顔……」
「いつもの顔」
通訳されても分からない。
火光が眉を寄せていると水月に何か耳打ちされた月火がハッとして火光を見た。
「膝枕の方がいいですか」
「ハッキリ言われるとなんかやだね。いいよ、忙しいでしょ」
「一段落つきました。五時間寝ろと言ったのは火光兄さんでしょう」
「……膝枕の体勢では寝れなくない?」
しかしその問に対して月火だけではなく水月も首を横に振った。
月火の手刀が首に落ちて首を押える。
「脊髄やられる……!」
「やられたんですよ。日本語下手くそですね」
「妹が毒舌だよー!」
「五月蝿いです。真夜中ですよ?」
月火は床に座ると火光に手を伸ばし、半分強制的に落として頭を乗せた。
水月が明らかに暑いであろう布団をかけたが火光はそれを蹴り飛ばし、月火が先ほど掛けてくれたブランケットを被った。
「やっぱり火音さんに似てますよね」
「兄弟だし」
「月火とも似てるよ」
「兄妹ですから」
火音と月火も似ている。
水月と月火も似ているところがあるし火光も月火と似ているので結局、全員同じだ。
少しの沈黙の後、火光がケラケラと笑い出した。
段々笑いが止まらなくなり、大笑いし始める。
「火光が壊れた」
「それは元々では」
「酷い言いようだな」
火光は少し笑いが収まった後、一呼吸おいてから一瞬にして眠り始めた。