二十九 体育祭の裏側
『妖刀術 紅揚秘刀太』
大きく構え、素早く刀を振り下ろした。
羽賀輝の手伝いとして駆り出された任務で大学生になった離窮と鉢合わせ、離窮が巨大なトカゲのような怪異に瀕死にされたので月火が離窮の分も後処理を任されたのだ。
羽賀輝は気絶、離窮は瀕死、月火は無傷。
五年生の羽賀輝ならわかるが歳上の離窮とこんなに差がつくとは思っていなかった。
校庭が観客の拍手と歓声で沸き、月火と火音は面の下で半目になる。
ついにやってきた。
毎年恒例の文化体育祭。
今年も一発目から月火と火音の演舞でスタートを切る。
今年はスタートの挨拶前に二人が演舞を行い、その後に緊張で顔面蒼白の麗蘭の代わりに火光が挨拶を行う。
本当は体育館でやる予定で、墨汁で汚れた床も赤城妹に掃除してもらったと言うのに。
このプログラムになってから麗蘭が演舞から開会式までの時間がダサいと駄々を捏ねて去年通り外でやることに決まったのだ。昨日。
一応問題はないが何せ暑い。
玄智デザインの衣装は赤色で、着物のように襟を重ね、袖は黒いチュールレースと普通の布生地。
月火は黒のミニプリーツスカート、火音はチュールレース入の袴となっている。
レースや比較的薄目の生地が多いので風通しはいいが良すぎて日光まで直射のように当たるのだ。
正直かなり痛い。
しかも開始十分前からずっと立ったまま中心で止まっている。
心を無にして放心状態なので羞恥心はないが痛いし暑い。
面は最初、つける予定は無かったのだが火音が額に傷を負って現在縫っている最中なので目立たせないために急遽面をつけている。
当初の予定と変わりすぎた結果、この地獄になったのだ。
しかも今回は扇を一人二枚、計四枚使うので手も疲れる。
背中の帯に一本は挿してあり、踊りの途中で抜いて広げるよう振り付けした。
月火は髪を編み込んで牡丹の髪飾りをつけ、火音も編み込んで沈丁花の髪飾りをつけている。
もっとも、火音は月火のような大きなものではなく編み込んである部分いくつかに一つずつだが。
お揃いの髪飾りでなんちゃらと玄智は叫んでいたが炎夏が意味を込めてこの髪飾りを提案した。
ちなみに水月作だったりしたりしなかったり。
銅鑼の大きな音で音楽が止まり、観客から歓声というより感嘆の息が漏れた。
疎らな拍手が鳴り、二人がそれぞれの方へゆっくりと退場すれば突然の黄色い悲鳴と拍手喝采が巻き起こり、月火は校舎内を通って早足に更衣室で着替える。
この直後に学年代表リレーがあるのだ。
高等部は大学部と三対三で勝負することになっている。
高等部からは氷麗、月火、炎夏。
大学部からは離窮、沙紗、知らない人。
学年代表と言うだけあって妖輩者だけとは限らないらしく、沙紗は選抜で暒夏を抜いて代表に、知らない人は情報コース生だが陸上部らしい。
月火が誰かと思いながら駆け足で校庭に出ると陸上部エースだった。名前は知らない。
これなら代表に選ばれた理由も分かる。
髪飾りを変え、元結で髪をたばねた月火が中心に行くと炎夏にバトンを渡された。
「え?」
「お前一番な。氷麗が走れなくなったって」
「私アンカーですよ?」
「俺が二週連続で走れって?」
確かにそうなってしまう。
後で理由を聞こう。
四百メートルを全力で走れと言われたら無理ではないので平然と立ち位置につく。
相手は陸上部エースだ。
「リベンジしてやる」
「お手柔らかに」
月火はスタート位置に立つと晦のピストルを合図に走り出した。
一周走ったらはけずにそのまま炎夏を待つ。
まだ息は上がっていないので余裕だ。
アンカーは月火と沙紗で、微々たる差だったが月火の方が一秒早くゴールした。
月火自身、勝負に意味を感じていないので何故そこまで盛り上がるかは知らないが盛り上がったらそれでいい。麗蘭に文句を言われる方が面倒臭い。
月火は初等部中等部と入れ替わりで退場すると氷麗がいるらしい医療テントに向かった。
声をかけて中に入ると氷麗と晦、火音もいる。
火音は入口付近に立って興味無さそうな顔だ。
晦は机に突っ伏して泣いている氷麗の背をさすっている。
「……失恋?」
「違う。足が肉離れして痙攣起こした」
「痛そう……」
どうやら準備運動の際に左ふくらはぎを誰かに蹴られ、転けた拍子に痙攣し、それと同時に肉離れを起こしたらしい。
かなり重度のようで二ヶ月から三ヶ月は安静、しばらくは松葉杖生活のようだ。
筋肉の怪我で重度なので神通力でも治せない。
火音はここまで運んだまま引き留められて放置状態なのでいい加減帰りたいそうだ。
本人の目の前で堂々と言うことではないだろう。
余計泣いてしまった。
「先に戻っときますよ」
「置いてけぼり?」
「私嫌われてますし」
「追い出されるまで」
「外でイチャつくな問題児バカップル」
月火と火音を見たら必ず言ってくるそれはなんかのか。
「あ、そう。麗蘭の減給の申請通りましたよ」
「えぇ!?」
嘘だ。
そんな申請はないが今月は減給した額で計算に入れている。
姉妹に被害が出なかっただけ優しいと思え。
「……ケチ」
「経費を削っても大丈夫そうですね」
「うわぁ待て待て待て! それはまずい!」
「五月蝿いです園長!」
晦の怒声で麗蘭は黙り、月火は口角を上げる。
「もう……。氷麗はどうした?」
月火と火音が説明すると麗蘭は目を丸くした。
「蹴ったって誰が?」
「知らん。俺は見てない」
月火が晦の方を見ると晦が氷麗の背を擦りながら聞いてくれたが本人も見ていないらしい。
ただ、初等部ぐらいの背丈だった、と。
「子供の悪ふざけか……?」
「初等部ぐらいなら脅せば出てきそうですけど」
「絶対黙るだろ」
月火は子供の扱いに慣れてなさすぎる。
火音の言葉に麗蘭が深く頷くが本人は首を傾げるばかりだ。
「餓鬼って嫌いなんですよね。火光先生にでも頼んでおきましょう」
「私はカメラを確認してこよう」
麗蘭が出て行ったので月火と火音も出ようとしたとき、火音だけ氷麗に引き留められた。
月火は晦とともに追い出されるようにテントを出る。
「月火さん、いいの? 婚約者なのに」
「別に気にしません。浮気されようが捨てられようが先に負けるのはあの人のメンタルなので。猫かぶってたとしても九尾には勝てないでしょうし」
「……信憑性があるわ」
晦は額を押え、緩く頭を振った。
「晦先生はその……大丈夫なんですか……?……私が言える言葉じゃないんです、け、ど……」
月火が少し躊躇ったように聞くと晦は目を瞬いたがケラケラと笑った。
「大丈夫よ。そんなにヤワじゃないわ。こう見えても同年代からは頼りにされてたのよ?」
「同年代じゃなくても頼りにしてます。兄が毎日お世話になっています」
火光の手網を引けるのは月火と水月の他に晦だけだ。
火音も稜稀もあれの暴走は止められない。
月火が深く頭を下げると晦も軽く頭を下げた。
「また手網を引かせてもらいます」
「お願いします」
二人は小さく笑ったまま別れ、月火は毎年同じところにある高等部妖輩コース生のテントに入った。
中には炎夏と玄智と火光が座っており、トランプをしている。
「おかえり月火。遅かったね。そろそろ探しに行こうかと思ってたとこ」
「探しに来る前に連絡して下さい。氷麗さんのところに行ってたんですよ」
月火が炎夏の後ろに座り、炎夏の番になってから勝手にカードを出すとあっという間に勝った。
「俺の馬鹿が目立つんだけど」
「既に目立ってます」
その勝負が終わってから、四人でスピードと言うトランプゲームをやっていると火音も戻ってきた。
ほんの数分でやつれてないだろうか。
「全員いるし」
「月火とイチャつけるとでも思った?」
「寝れると思ってた」
火音は溜め息を吐くとテントを出て行く。
月火が火光を見ると火光は気にせず新しいカードをめくった。
それから数十分してまた火音が顔を出す。
後ろには稜稀と水哉、水虎もいた。
月火は声が聞こえた瞬間に立てていた片膝を下ろして正座し、背筋を伸ばしたのでたぶん大丈夫なはずだ。
稜稀もここで怒ることはないと願う。
「癖になってるね」
「何がですか?」
火光は眉尻を下げ、月火はゆっくりと首を傾げた。
自覚がないなら重症だ。
やはり幼い頃から耳が痛くなるほど言われ続けたことは無意識のままやってしまうのだろうか。
「え、何……?」
何も予想出来ない月火が火音を見上げると頭に手を置かれた。
「重症」
「な、え……は?」
「気にするな」
それは無理だ。
と、言おうとしたが伝わったらしい。
深く頷かれた。
月火は不満が拭いきれないまま入ってきた三人に軽くお辞儀をした。
「お久しぶりです」
「お久しぶりです月火様。遅くなりましたが御婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。兄からは反対されたのでそう言ってもらえるだけで有難いです」
水月と火光は最後まで火音に圧を掛けていたのだ。
火光はあれほど婚約した方が安全だの早くやれだの言ってきたくせにいざやるとなると刃物のような視線を向けてきた。
毎回言うことが変わるのは昔からだ。
水月はあんなにも頑固だと言うのに。
「まぁ……大切にされている証拠ですよ」
「それだけならいいんですけど。炎夏さんと話に来たんですよね」
「はい」
月火が立ち上がろうとした時、テントが小さく開いた。
「遅れました」
「あれ、美虹」
「炎夏の婚約者ちゃん」
「びじーん」
火光と玄智は興味津々で入ってきた少女に目をやり、月火は軽く首を傾げた。
どこかで見たことある気がする。
月火がじっと見つめていると美虹は小さく首を傾げたあとハッとして月火の前に正座した。
「両親がお世話になっています」
「あ! そうだ千安係長と課長の娘さん!」
「覚えていて下さったんですね。あんなに大きな会社なのに凄い……」
「一応社員の名前と誕生日と家族構成と住んでる場所は把握していますから」
流石に経歴や好みなどは覚えきれず、重役から順に覚えている最中だがその程度なら覚えられた。
月火が小さく苦笑いを零すと美虹は大きく目を見開いて炎夏を見上げた。
ここで炎夏を見られても困るのでとりあえず頷いておく。
月火ならやりかねない。
「凄い……!」
「私の会社を支えて下さる方たちですから。最低限のものは覚えておかないと失礼に当たると思って」
「それでも凄いです!」
神々社と月火社は総勢八百万人を超える超大手大企業だ。
新社会人で神々社月火社に入れたらエリート確定、ブラックな噂は一つもない超完璧大手企業。
最近は海外進出を始め、海外の有名企業ともコラボしたり取引をしていると言うあの神的な企業の社長がこの美人女神なら納得いく。
月火社で働いている両親は昔から誇りだったがさらに憧れてきた。
「美虹、月火のファンクラブが公式になりつつあるらしい」
「入りたいです! 私! 年明けに転校する予定で……在校生なら入れますか!?」
「入れますよ! 是非!」
突然聞こえてきた声に振り返ると沙紗と優月が水月の後ろに立って目を輝かせていた。