二十八 それの在処
「月火様!」
大きな声で呼ばれ、振り返ると弟君が月火の方に走ってきた。
「体育館の床が綺麗になったそうですよ」
「早いですね」
最近は台風の取り返しで校庭続きだったので体育館には行けていない。
前に月火への嫌がらせで墨汁と水と珈琲が大量にかけられていたので修理を赤城妹に頼んだのだ。
弟君のアイディアで削ってニスで仕上げたらしい。
「さすが開発課長の兄を持つ方ですね」
「驚くほど綺麗になっていましたよ」
二人でステージを見に行くと本当に近目でも分からないほど綺麗になっていた。
違和感がないように周囲にニスが薄く広げられ、境目が分からないようになっている。
「凄いですね。補佐官に行ったのが勿体ない……」
本当に凄い。
月火がどうにかして開発課に引き入れたいなどと考えていると後ろから抱き着かれた。
「みーつけた」
「兄さん邪魔です」
月火は水月のみぞおちを肘で殴ると腕から逃げた。
「うぅ……冷たいよぅ……」
「そんなことより見てください。赤城さんが削ってくれたところ」
「そんなことって……」
水月は口を尖らせながらステージを見るとあまりの自然さに一瞬どこか分からなかった。
「綺麗! 兄妹揃ってすごいね!」
「ですよね!? 開発課に引き入れたい……!」
「声掛けてみようか!?」
二人がワイワイ興奮していると火音と噂の本人がやってきた。
月火の指輪は一週間近く経った今でも見つかっていない。
一応目撃情報は募っているのだが嫉妬の多い中で情報が来るはずもなく、火音だけがはめている状態だ。
麗蘭に頼んで防犯カメラも見ようとしたがいつからかハッキングで画面が止まっており、本来なら月火が映る時間に誰も映っていなかった。
水月がハッキングからハッキングして犯人を特定しようとしている最中だ。
月火が何もない薬指を触りながら火音に軽く会釈をすると火音が近寄ってきて後ろから抱き着かれた。
「僕のは嫌がったのに」
「立場が違うし」
「ちぇ」
火音もステージを覗き、赤城を見た。
「お前開発課行け」
「嫌ですよ!? 私は補佐に命を捧げるんです! ねぇ沙紗君!?」
「俺ですか……」
赤城に詰め寄られる沙紗と呼ばれた弟君は少し後ずさり、また近寄られては後ずさるを繰り返して段々普通に歩き始め、体育館をぐるぐると回り始めた。
月火と水月は呆れた目で見るが火音は興味無さそうに月火の左手を触っている。
「……火音先生、部活はいいんですか」
「……行きたくない……」
陸上部どころかサッカー部やバトン部、野球部の女子まで火音を囲んでくるのだ。まともに練習すら出来ない。
火音は深く溜め息を吐くと月火に迷惑をかけまいと重い足で校庭に向かった。
「火音先生! 今日は走りを見てもらえませんか?」
「一昨日見たろ」
「昨日は見てもらえませんでした」
「じゃあ来週な」
火音とて一人の部員を毎日見ていたらいくら時間があっても足りない。
一応、火音目当てで入部した生徒と本気で走りたくて入部した生徒の区別は付けているので、火音が優先させるのは本気で走りたい生徒だ。
火音は寄ってくる女子達を適当にあしらうと部員を集めて準備運動を始めた。
陸上部が走っている間、他の部員の言葉を聞き流していると一番と言っていいほど嫌いな声とともに抱き着かれた。
「火音さま〜!」
背中に悪寒が走り、後ろから回された腕から頭を抜くとその場を飛び退いた。
「触るな神崎」
「ひどぉ……い……。……指輪……!?」
神崎は火音の左手を掴むと薬指にはめられた指輪を見て大きく目を見開いた。
「誰ですか!?」
「私ですよ〜」
火音が手を振り払って振り返るとセーラー服の月火が火音の後ろから神崎に笑いかけた。
神崎は唖然とすると月火の左手も掴む。
「な、なんだ……違う……」
「盗まれたんですよ。知りません? 私の婚約指輪」
「知らないわよ。私、人のもの盗んだりしないから」
「本当に?」
もちろん違うとは分かっているが面白いので一応確認しておく。
神崎は眉を寄せるとハッとして火音を見上げた。
「今度寮に遊びに行ってもいいですか? いいなら怪しい人だけ教えます」
「無理。あれ月火の寮だし」
「犯人は分かってるので遠慮しときます」
月火は無表情に戻ると、首にかかっているタオルの両端を掴んで脱力した。
神崎はつまらなさそうな顔をして火音の薬指をじっと見る。
「……火音様」
「無理」
「まだ何も言ってません」
「お前の言うことは全部無理」
バッサリ切り捨てられた神崎は黙り込むと月火の左手を掴んでまた指輪がないことを確認する。
婚約したという噂は知っていたが去年の初夏頃にも月火が婚約やら結婚やらの話が出て、結局は妖力を測る指輪だったのでそれの類かと思っていたのだ。
しかし本人達がこう言うのであれば疑いようがない。
神崎は月火の手を離すと溜め息を吐きながら去って行った。
その日の夜、いつもの寝る直前の時間だ。
月火が寝ようとしていると火音に呼ばれた。
「月火、こっち来て」
「なんですか?」
呼ばれるのはいつもの事なので特に何も思わず火音の方に歩く。
隣に座ると肩を抱き寄せられた。
「……こうしてる時が落ち着く」
「それは良かった」
火音の小さな笑い声が聞こえ、月火が首を傾げると火音が左手を取った。
「はぁ……もっと気を付けてればよかった……」
「じゃあ今度は気を付けてな」
火音はどこからか何かを出すと月火の薬指にはめた。
月火は目を瞬いた後、勢いよく立ち上がる。
「指輪……!?」
「お揃いが見つかるまでの代理。俺も付け替えたから」
「こんなに……」
「月火が悲しむよりはいい」
火音は勢いよく立ち上がった月火の手を引くとしっかりと抱き締めた。
「絶対に見つけるから待ってて」
「……はい」
それから数日後、月火が廊下を歩いているとまた後ろから抱き着かれた。
誰かと思って振り返る前に左手の薬指に指輪がはめられた。
「指輪!」
「娘天の弟が見つけてくれたって」
「どこに……!」
「屋上の角に落ちてたらしい」
月火は安心して胸を撫で下ろし、二つの指輪がはまった指を撫でた。
「外でイチャつくな問題児バカップル」
「黙れお飾り園長」
「給料削っときます」
火音は月火から離れると階段を上がってきた麗蘭を見下ろした。
相変わず小さい。
「まぁそれはいい。どうした?」
「指輪が見つかりました」
「本当か!? 奇跡だな。誰が?」
「娘天の弟。屋上を探してたら見つけたって」
月火のファンを超えた信者はこの数週間、血眼で指輪を探していたのだ。
火音がそれを言うと月火は驚いたように火音を見上げた。
「弟君も信者になってたんですか!?」
「蜘蛛の一件で雲の上の存在になったらしい」
通りで視線が刺さるわけだ。
今度娘天兄に連絡先を聞いておこう。
「そうだ月火、例の件だが予定よりもかなり早く出来そうだ。体育祭前にはやりたいんだが……」
「問題ないのであれば大丈夫だと思います。生徒だけですよね?」
「あぁ。教師までやってたら埒が明かないからな」
火音はなんの事かと首を傾げているが未発表の件なので火音と火光には秘密だ。
月火と麗蘭はあれやこれやとふわっとした表現で会話を終えると麗蘭はまた階段を降りていった。
火音は機密事項があることも知っているので何かは聞かない。
ここで話せるということはいずれ分かる事だ。
「そう言えば部活は大丈夫なんですか?」
もう始まっている時間のはずだが。
月火が見上げると火音は軽く頷いた。
「今日は休み。文化体育祭の準備があるし」
「いよいよですからね」
月火も二日前から運動に復帰したので早速演舞の振り付けに入っている。
今年はステージでやるということで二人だけだ。
衣装ももうすぐ完成する。
面に関しては要相談案件となっている。
「月火の衣装が楽しみ。絶対写真撮る」
「段々火光先生に似てきましたね」
「……なんか複雑」
月火が小さく笑い、火音が首を傾げていると火光と水月とはち合わせた。
「あれ二人とも。外で一緒にいるのは珍しいね」
「月火、指輪見つかったんだってね」
水月が月火の頭を撫でると月火はそれを払い除けながら頷いた。
「兄さん、娘天さんの弟さんの連絡先を教えて下さい。お礼がしたくて」
「言うと思った」
水月が曲がり角の方を見ると娘天兄弟が顔を出した。
「お礼なら月火様の手作りお菓子を!」
「失礼だぞ馬鹿!」
兄に殴られた弟君は頭を抱え、月火は苦笑する。
水月は慣れたようだ。
「お菓子ですね、分かりました」
「本当ですか!?」
「お手数をお掛けしてすみません月火様。ここのところまともに寝ていないので頭のネジが飛んだようで」
どうやら昼間に月火の指輪を探し、夜に勉強をしていたせいでまともに寝れていないらしい。
月火が申し訳なく思っていると弟君は立ち上がり、制服の袖を払った。
「月火様が気に病むことではありません。勉強しないと分からない馬鹿な自分が悪いので」
「酷い自虐」
「事実です」
兄は半目になると水月に袖を引かれてハッとした。
「紹介が遅れました。弟の沙紗です。嫌いなものは月火様の苦手なもの、好きな物は月火様が興味を示すもの。興味がないことには目もやらない難癖ものです」
「その指折るぞ?」
沙紗が兄の指してきた指先を持って真横に指を曲げると兄は絶句して水月の後ろに逃げた。
面白い兄弟だ。
「あ、そうだ月火様。何かの役に立つかと思って」
沙紗が差し出した封筒を受け取って中身を出すと月火は目を丸くした。
「これ……!」
「役に立てばいいですけど」
「立ちます!」
月火が嬉々として受け取ると沙紗は拳を握って兄を見た。
「そう言えばお兄さんの名前は……」
「あぁ、私は……」
「沙紗!」
突然沙紗を呼ぶその大声に娘天兄は声を止め、月火達がいない方の廊下を見た。
角で話しているが前も左も同じような見た目なので少し違和感がある。
こんなところで立ち話をしたのは初めてかもしれない。
「五月蝿いぞ優月」
「ノート返せ。二週間経ったろ」
「あー……まだ無理」
「今日提出なんだが」
優月が沙紗を睨むと沙紗はどうするか悩む。
「とりあえずノート返せ。必要なところ写真で送るから」
「じゃあ夜に渡す」
「今返せ!」
今から提出しに行きたいのだ。
優月が手を差し出すと沙紗が手を置いた。
それを叩き落とす。
「二度と貸さないからな」
「分かったからそれはやめてくれ」
沙紗は片方の肩に掛けていたリュックからノートを出すと優月に渡した。
頭を叩かれる。
「三冊あったろ」
「……えぇ」
「引きずり回すぞ」
沙紗は舌打ちすると残りの二冊も渡す。
「学生っぽい会話だねー」
「……水月様。火光先生も。……火音先生も……なんでこんな角に」
優月は無表情になってから少し眉を寄せた。
「優月、月火様もいる」
「え!?」
目を輝かせた優月は沙紗とともに角を覗いた。
兄の朝飛とともに月火が話している。
すると優月が目を瞬いた。
「月火様の指輪が見付かってる」
「俺が見つけた」
それを聞いた優月は腹の底から大声を上げたかと思うと沙紗を引きずってどこかに行った。