二十七 仕事の裏に
「月火!?」
「ここ病院ですよ」
綾奈に連れられ保健室に行くと月火は頬にガーゼを当てた顔で薄く笑った。
綾奈によれば横腹が刃物でえぐれた状態でかなりの打撲痕があり、知衣が何とかして黒葉に打撲だけ治してもらったらしい。
内蔵に傷はなかったが頭部の衝撃で平衡感覚がなくなっているので数週間は安静。
学校の体育も休んだ方がいい。
それと頬にもかなり大きな切り傷があるがこれは黒葉に神通力で傷口を塞いでもらって抜糸済みなので問題ないようだ。
「まぁ……あとは安静にさえしてれば大丈夫」
「良かった……」
「婚約者の顔に傷が出来なくてよかったな」
「出来ても関係ない」
火音はベッドに座り、息を吐いた。
どうせ相手は月火への嫉妬だろう。
こういう人に危害を加える感情が気持ち悪くて嫌いなのだ。
どうやって炙り出そうか。
「犯人なら黒葉が分かる見たいですよ。顔を見たら分かるって」
「そう言えば黒葉は?」
「殺戮大会にならないよう中にいます」
すると人間の姿の黒葉が出てきた。
視線だけで何人かは気絶しそうなほど怒りを貯めている。
「火音、協力して」
「もちろん」
炙り出して、社会的死を与え、人生をどん底に突き落としてやる。
火音と黒葉が薄く微笑むと月火は呆れ混じりの溜め息を吐いた。
「今日は寮に帰れるんですよね」
「帰れるよ。無理はしないように」
「お世話になりました」
その日の夜、風呂に入れない月火は体だけ拭いて仕事をする。
本当は頬と腹部の両方を塞いでもらう予定だったのが月火の妖力と知衣の表現不足で頬だけ治ったのだ。
腹部はまだ痛むが問題はない。
火音は向かいで珈琲を飲みながらパソコンを叩き、月火は隣の水月とともにコースごとに資料を分ける。
「……月火、もう一時だけど」
「……熱中し過ぎましたね」
「まだかかりそうだし僕がやっとくよ。月火は休んで」
「ありがとうございます」
明日は体育が出来ないなら火光に許可を貰ってその時間に仕事をしよう。
月火は部屋に行って水月の部屋にいる火光に連絡するとそのまま眠りについた。
翌日、今日は外の予定が雨に見舞われたので体育館で体育をする。
台風が近付いているらしいのでそれの影響だろうか。
火光に溜まっている仕事をやっときなと言われたのでお言葉に甘えている。
ステージ上で水月と向かい合って資料を分けていると電話がかかってきた。
「神々です」
『月火、体育館増築の件はどうなった?』
「近々手配する予定ですが台風後になるかもしれません。文化体育祭で体育館を使うならそれの後の方が事故の確率も下がりますし」
月火は麗蘭と電話をしながらも手を止めない。
他言無用の内容も聞こえてきたりするので肩と耳でスマホを挟み、手を動かしている。
「……それは現在進行形で二人がかりでやっています。……仕分けは今日中に終わらせます。……はい、では」
通話を切った月火を水月は困ったような目で見た。
「終わる?」
「助っ人を呼びました」
二人が無心で分けていると体育館の扉が小さく開いた。
水虎が顔を出す。
「こんにちは」
「お久しぶりです水虎さん」
こう言う事務仕事に関して水虎がいれば百人力だ。
水月も安心して肩の力を抜いた。
炎夏は嬉しそうに笑い、それを火光と時空がからかう。
火光はともかく時空に対しては本気で嫌そうだ。
「……なるほど、コースごとに分ければいいんですね」
「そうです」
「分かりました」
月火は水虎に残りの分を全て渡すと後を頼んだ。
水虎の手腕で一時間も経たないうちに仕分けが終わり、月火と水月は頭を下げてお礼を言った。
「本当に助かりました」
「このご恩は必ず返しますので」
「え!? いや、いや、いつもお世話になってますから……」
水虎が慌てていると休憩にやってきた炎夏がステージに座った。
「いいじゃないですか」
「炎夏……じゃあ炎夏に何か……」
「何がいいですか」
「グッズ買って」
月火は親指を立てて了承するとまた水虎にお辞儀をして見送った。
水虎と入れ替わりで晦と火音が入ってくる。
火音は今日は中等部三年の子達だ。
昨日聞いた話だが、妖輩コース中等部の体育を全て受け持っているらしい。
妙に人数にばらつきがあると思ったら一、二、三年生を入れ替わりで見ていたようだ。
超人すぎる。
「月火さん、怪我は大丈夫なんですか?」
「はい。知衣さんと綾奈さんのおかげで。見つけて下さったのは晦先生なんですよね。晦姉妹には助けられてばかりです」
「仕事ですから!」
月火に褒められた晦はやる気を出して体育を始めた。
月火は水虎のおかげで仕分け出来た資料全てに目を通し、年齢や技術、性格などを考慮してグループを作っていく。
「あ、もしもし麗蘭?」
『園長と呼べ問題児』
「長いので遠慮します。例の件って妖輩は一年からですけど他のコース生は何年からでもいいんですか?」
『構わん。低学年を付けるほど腕が下のやつなら問題ないだろう』
月火はそれを聞くと何も言わずに通話を切った。
鬼電が来たが全て着信拒否をしてさっさとグループを作る。
これは新プロジェクトの際の人選に似ているのでかなり楽だ。
「……一年生出来ました」
「麗蘭に報告しとく」
水虎の応援が予想外で仕分けが予定より一週間近く終わり、思ったよりも癖のない人物が多かったので来月までと言ったが今月中、というか今週中に出来そうだ。
給料は弾んでもらおう。
まぁそれを支払うのも神々なのだが。
「月火、水月、お昼休憩だよ」
「もうそんな時間ですか」
「あ、娘天に連絡しないと」
午後から弟君が見学に来たいらしいので場所を報告する約束なのだ。
月火の戦う姿を見てすっかり心酔したらしい。
ファンクラブにも加入したと聞いて大爆笑して頭を踏まれていた。
笑い転げた兄の頭を踏みながら月火の絶賛を聞かされる水月の心境がどれだけ複雑だったことか。
「何かあるんですか?」
「ちょっとね」
「調子はどう」
ステージに飛び乗ってきた火光と火音は書類を覗き込んだが月火が隠した。
「まだ未公開なので駄目です」
「残念」
「月火、体育祭は出れるの? 数週間は安静なんでしょ?」
「体育祭までには治るみたいです」
先日、ようやく振り付けが完成して後は教えるだけなのだ。
今回も振り付けは月火になった。
「扇子使うんでしょ?」
「扇子に玄智さんがデザインした衣装を私の会社に頼んでます」
「高そ」
「経費です」
四人でさっさと昼食を食べると月火と水月はまた仕事を始めた。
火音と火光は軽く手合わせしている。
火音が火光の足を払って火光が負けたところで娘天兄弟がやってきた。
いつにも増して目を輝かせている。
「久しぶりに水月様の仕事姿を見れるのですから! これ以上の幸福は!」
「だいぶん五月蝿い」
月火が弟君の視線を気にしながら仕事を続けていると電話がかかってきた。
上層部からだ。
「ちょっと出てきます」
「行ってらっしゃい」
月火が電話をしているうちに水月にも電話がかかってきた。
麗蘭からなので一応出ておく。
「何?」
『経費が削ぎ落とされてるんだが。妹に電話しても繋がらないんだ』
「上層部とやってるからね。経費は何もいじってないから確認しとく」
『なるべく早く頼む』
水月が電話を切ると月火が戻ってきた。
少しよろめいているので平衡感覚が鈍っているのだろう。
「なんだったの?」
「任務の知らせです。負傷書処理部が何人が抜けたらしくて確認が取れていなかったそうです。もちろん断りましたよ?」
「良かった」
その数日後、今日は水月も娘天兄弟も仕事でいない。
用事で外していた月火が体育館に戻ると皆がステージに集まっていた。
「月火ちゃん! 資料が……!」
二年も一年も中等部の一年もいる。
月火が覗き込むと資料は水浸しで墨汁と珈琲か何かがかけられていた。
「きったな」
月火の第一声に炎夏と玄智は勢いよく振り返った。
「そこ!? 大事な資料じゃないの!?」
「そんな大事な資料の原物を持ち運ぶわけがないでしょう。それに情報部にもデータはありますし先日のうちに全て暗記したので問題ありませんよ」
そんなことより体育祭で使うステージが墨汁で彩られていると麗蘭が知ったら大変な事になる。
月火がどうやって落とせばいいか検索していると肩を叩かれた。
誰だと思って振り返ると額に角を生やしていてもおかしくないほどお怒りの麗蘭が立っていた。
皆が静かにはけていく。
「どういうことだこの問題児」
「いじめです」
「そんなことどうでもいい! この床どうするんだよ!?」
この園長、いじめをどうでもいいと言った。
月火もどうでもいいのでたいして気にしないが。
「床だけ先に張り替えるか……」
「経費が馬鹿にならん!」
「その経費を稼いでいるのは誰だと!?」
月火と麗蘭が口喧嘩していると何故かやってきた水月がそれを止めた。
今日は任務のはずなのに何故いるのだろうか。
「兄さん、任務は?」
「イタズラでした。上層部に話をつけに行った帰りだよ」
「またですか」
怪異のことが有名になってからというもの、イタズラ電話というものが絶えない。
中には学校全体で行う奴らもいるのでその場合は警察に動いてもらっている。
「で何? 床が汚れたの?」
「墨汁で! 体育祭に使うのに!」
「娘天ー? どうにかならない?」
水月が後ろを向いて声を掛けると体育館にいつもの兄弟が入ってきた。
兄の方はそれを見てかなり戸惑っているが弟の方は静かに手を挙げた。
「俺からいいでしょうか」
「何かいい案ある?」
「黒い部分だけ削って床用ニスかオイルで磨けば良いのではありませんか? 性質的に少し違いますが演出次第では目立たいかと」
弟君の案に月火は合掌すると軽く頷いた。
「面倒臭いので演舞を中止にすれば……」
「よしやろう! 問題児! 赤城を呼べ! あれは中々に器用だからな」
「他人を問題児扱いするな」
火音は赤城をお使いに走らせる。
完全に無視された月火は半目で一番上の紙を持ち上げた。
下の紙と貼り付いて持ち上げる途中で破れる。
「はぁ……」
「月火様、ここは我々がやりますよ」
「助かります。弟さんもありがとうございました」
「月火様のお力になれて何よりです」
月火は鞄を漁るとパソコンを出した。
一日中体育館にいることが分かっている日は朝から荷物を持って移動、帰りもここから帰ることが多い。
月火がステージの端に座ってパソコンでデータに起こしていると氷麗が近付いてきた。
「……なんだ傷物になってないし。つまんな」
「やっぱり貴方ですか」
「その敬語ウザい。いい子ぶってんじゃねぇよ」
「火音先生に見放されないといいですね」
月火は膝に乗っていたパソコンを持ち上げると伸びてきた手を蹴り落とした。
氷麗は腕を押える。
「……身の回りには気をつけなよ」
「ご忠告どうも」
氷麗が去っていくと結月が駆け寄ってきた。
「大丈夫だった?」
「大丈夫ですよ。問題ありませんって」
しかしその日の夕方、珍しく火音より遅かった月火が真っ青な顔で帰ってきた。
「どうした?」
「火音さん……指輪が……」
火音が動揺している月火を支えて左手を見ると火音とお揃いの指輪がはまっていなかった。
「外した?」
「してない……! また気絶して……起きたらなくなってて……!」
「大丈夫。すぐ見付けるから」
火音が月火を抱き締めると少しして月火の小さな震えが止まった。
月火への嫉妬か、月火が婚約した事によって愛が歪んだか、はたまた火音を思いすぎる信者の暴走か。
放置料理のシチューを煮込んでいる間、垂頭喪気状態の月火が溜め息を吐くと水月と火光が帰ってきた。
机に突っ伏している月火を見て火音を睨んだが、火音に手招きされて目を丸くする。
「月火どうしたの」
「指輪がなくなったって。気絶してる間に盗られたらしい」
水月と火光は目を見開き、月火は耳を塞いだ。
心配した黒葉が出てきて月火を慰めている。
これは一刻を争う事態だ。
三人は顔を見合わせて頷くとそれぞれ行動に入った。
Happy Birthday 氷麗