二十五 去年の二の舞
さて、今年もやってきた。
去年、爆発的な盛り上がりを見せた恒例の催し。文化体育祭。
今年もやるぞと言わんばかりに麗蘭は狐の面を手に持ち、鼻息を荒くして会議室のホワイトボード前に立っている。
「やりませんよ?」
「二度とやらない」
「なんでだ!?」
あれで最初で最後の約束だったから。
もう面も捨てたのに何故新しく買っているのか。
「その金はどこから来たんですか?」
「……せっかく経費で落としたんだからやらないと勿体ない!」
「やっぱり経費で落としたんですね? まだやるとも決まっていない不用品を相談もなしに買わないでもらえますか? 稼ぐ案を作るのは私なんですよ?」
先頭の長机に座っている月火が立ち上がり、手を突いて顔を近付けると麗蘭は顔を引きつらせた。
「月火、初等部が怯えてる」
「小三以下は嫌いです」
「婚約者が暴走してますけど」
「好きにさせてやれ。俺は止めない」
火音もやりたくないので止める意味がない。
晦に睨まれようと火光に肘で殴られようと関係なしだ。
隣に座っている炎夏と結月に無理矢理座らされ、落ち着いたように見せかけて反射的に立ち上がると麗蘭から面を奪って火音に投げた。
火音はそれを受け取ると颯爽と去っていく。
「私の面が!」
「貴方の面なら自分でやって下さい」
「月火と火音の面が!」
「私たちの面ならどう扱おうが所有者の自由ですよね?」
月火は頬杖を突くとにこにこと笑って麗蘭を見上げる。
先日の蜘蛛の一件で一日中怒られた。
被害額を考えろ、と。
こんな面を買う費用があるなら全て復旧経費に回してもらいたいものだ。
それにその経費を稼いで貸しているのは誰だと思っている。
月火が据わった目で麗蘭を見つめていると麗蘭は火光の後ろまで逃げた。
「先生が逃げた〜」
月火がそう言えば初等部の小さな子供達が笑い、麗蘭は涙目になる。
「月火!」
「学園の上にある上層部を指揮しているのは私の兄で兄の雇い主は私であるということをお忘れなく。何か?」
「……火音は鬼嫁を手に入れたな」
「なんか言ったか麗蘭?」
戻ってきた火音は麗蘭を掴むとまたどこかに行った。
可哀想に。
「じゃあまぁ……うん……。……司会やってくれる人?」
火光がその場を仕切り直すと時空と炎夏、初等部の五年生も手を挙げた。
明らかに子供ではない雰囲気の子だ。
「じゃあ炎夏と書記は羽賀輝、初参加の奴は無理」
「えぇ〜」
「羽賀……」
初めて聞く名前だ。
羽賀は立ち上がると炎夏に軽く会釈をしてからペンを手に取った。
月火と同じ漆黒の髪を長く伸ばし、薄水色の目は黒いまつ毛で囲われている。
月火と同じ漆黒の髪と言ってもストレス的な白髪が多く、無理やり染めているようにも見えた。
「なんか月火と似てる子だね」
「珍しいですね」
全てが珍しい。
五年生で書記になったことも、白髪が多いのも、それを無理やり染めているのも、異様に大人っぽい雰囲気をまとっていることも。
「えーと……まぁいいや。始めに体育祭でやりたい事……」
「はい! 神々先輩と双葉先生の演舞!」
珍しい双葉呼びだと思って振り返ると羽賀と瓜二つの男の子が立ち上がって挙手していた。
羽賀は少し驚いたのか肩を震わせたが振り返って少年を睨む。
「先輩が当ててから発言して下さい」
「だって見たいでしょ?」
「だっても何もありません」
ずいぶんはっきりした子だ。
これなら月火も気に入る。
やはり一番票が集まったのは二人の演舞で、その次にリレーだった。
プールの案も出たが去年の事故を考慮して話し合いの時点で月火が反対したのだ。
羽賀が暒夏並の筆記スピードで皆の案をまとめてくれたので混乱することなく進んだ。
「じゃあ妖輩からはリレー、障害物競走、演舞という事で……」
「ちょっと!? 本人達が嫌なんですけど!」
「投票で決まったことに文句を言われてもー……」
責任逃れしようとしている炎夏は決める内容が書かれた紙を机に置くと月火の肩に手を置いた。
「楽しみにしてる」
「お前も巻き込むからな?」
「楽しみにしてる」
今年は炎夏と火光を主役にして月火と火音は演出に回ろう。
月火が溜め息を吐いて椅子に座ると火音が一人で戻ってきた。
「麗蘭どこ行ったの」
「校庭で走ってる」
「何やらせてるんですか。演舞決まりましたよ?」
「……俺教師だし。やーすも」
「犠牲にしないで下さいよ!?」
火音は会議室の後ろに行くと羽賀がまとめた案を確認する。
口元に手を当てて片腕を組むだけでいい写真が撮れそうだ。
この写真をファンクラブにばらまけば目の敵にされなくて済むだろうか。
月火がスマホを取り出そうとしていると絶対にやめろと視線で訴えられた。
「……まぁいい。今年は面なしで……」
「衣装は僕に任せて! 考えてあるから!」
用意周到すぎないだろうか。
火音が呆れ半分で頷くと玄智はやる気で拳を握った。
月火はまだ嫌そうな顔をしている。
「兄さん……」
「火音、嫌がってるよ?」
「別にやらなくてもいいけどその場合は月火の部屋で写真会になる」
「なにそれ楽しそう。絶対行く。無理でも絶対買う」
二人は顔を見合わせて深く頷いた。
月火からの冷たい視線は脳内に浮かぶ去年のお面姿でガードしておく。
「て、事で月火。両方頑張って」
「待てシスコン教師」
「楽しみにしてる」
「お前もやれサボり魔」
逃げようと足を踏み出した火音と火光を月火は捕まえると窓から身を乗り出して二人に肩を組んだ。
何を囁かれたのか二人は躍起になって内容を考え始めた。
月火は無表情で席に戻ってくると机に突っ伏す。
去年、もし来年やるとなっても仮病で休むと誓ったのに火音のあんな姿を見たら休むなど出来るわけがない。
月火が溜め息を吐くと嫉妬の視線を向けてくる女子たちを睨んだ。
そんなに火音と踊りたければ今すぐ立候補でもすればいい。月火は今すぐ降板してもいいと言うのに。
人生、行動力が肝心だ。
やらずに損をして泣いた人など嫌というほど見てきた。
早く手を挙げろ。
月火が念を押していると頭に誰かの手が乗った。
「火緖とやるなら僕とやろうよ」
「死んでも嫌です」
「それは傷付く……」
そのまま傷付いて病んで床に這いつくばる生活をしておけばいい。
世には動きたくても動けない、話したくても話せない人など大勢いるのに何故こんな奴がのうのうと生きて話して動いているのか。
月火は時空の手を弾くと文化祭の話し合いは居眠りをし始めた。
何かが聞こえる。
聞き慣れない声だ。
火音じゃない。火光でも水月でも炎夏も玄智も結月も晦も違う。
時空でも躑躅でも暒夏でもない。
本当に知らない声だ。
歌だろうか。
何か、聞いていると頭がぼうっとするような、温かく心地よい歌声だ。
「眠って待ってて……」
開きかけたその目に白く細い指が当てられ、月火はまた眠りに落ちた。
今度はなんだ。
目を覚ますと火光と水月の顔が見えた。
ちょうど目の前が額だったので額をぶつけておく。
「いった……」
「僕まで……」
「よく寝た……。なんでこの時間に」
もう五時前だ。
火音は部活を見に行っているのだろうか。
月火はあくびをすると机に落ちていた落ち葉を拾い上げる。
絵の具で塗られたかのように真っ白な落ち葉だ。
ただ、不自然さは全くない。元から白いとでも言うような白さだ。
「珍しい落ち葉だね。アルビノかな」
「アルビノは生き物の色素欠乏症では」
「植物にもあるみたいだよ〜?」
本当だろうか。
この落ち葉もそうだがあの歌声も気になる。
本当に、夢かと疑うほど心地よくて一生聞いていたい歌声だった。
現実だと思うが何故校内にいるのかも誰なのかも本当に歌だったのかもあやふやなので確かめようがない。
月火はまたあくびをすると落ち葉を机に置いた。
「人前で寝るなんて珍しいね」
「……気が緩んだんでしょうか。しっかりしないと」
最近はミスが多い気がする。
これでは完璧を求める火音に愛想を尽かされてしまう。
月火は頬を叩くと内心で自分を罵倒し、気合いを入れ直した。
「月火、大丈夫?」
「はい」
月火は立ち上がると足元に置いていた荷物を持って会議室を後にした。
ジャージに着替えた月火は水月と火光とともに校庭に降りる。
今日はバトン部にお呼ばれだ。
陸上部には先週から氷麗が戻り、グループの穴もなくなったようなのでしばらくは呼ばれないだろう。呼ばれないことを願う。
そろそろ視線で穴があきそうだ。色々と。
「こんにちはー。助っ人でーす」
「こんにちは神々さん。早速だけど中等部の子に教えてほしくって」
「分かりました」
バトン部はバトンだけではなく、体操を含めたかなりアクロバティックなことをするので体幹を鍛える方法を教えてほしいと言われたのだ。
軽く筋トレもやりたいそうなのでそれもついでに教えておく。
「手広くやってるね」
水月と火光は邪魔だと言って追い払われたので火音の周りに立つ。
こうすると火音が歳下に見えるのだ。身長的に。
実際水月の方がお兄ちゃん感はあるし火光の方がしっかりはしている。
二人とも、自分の事になるとどうしようもなくなるので火音を頼り、秘密主義の火音が二人を頼らないと言うだけだ。
火音は歳より子供っぽい。
間近で見てみないと案外気付かないものである。
「氷麗ちゃん戻ったんでしょ?」
「うん」
「もう問題起こさないといいけどね。そう言えば羽賀が火音と月火のこと語ってたよ」
羽賀は双葉以外では珍しい双子の子供だ。
姉が輝、弟が輝という漢字は同じで読み方が違うというなんともややこしい名前をしている。
区別する時はフルネーム、総称は苗字だ。
フルネームも短いのであまり違和感はない。
ちなみに初等部では神々兄妹に次ぐ天才兄妹と噂されており、十歳で不登校、十一歳で一級合格──月火の方が二ヶ月早い──、今は高校卒業試験の勉強をしているらしい。
月火は全コースの大学卒業を終わらせ、羽賀は最速で一つのコースを卒業する。
どちらを取るかは自由だが月火と火音がその気になれば全コースを最速で卒業ぐらい出来そうだ。
「頑張って、辞書君」
「は?」
火音と水月に不可解な目で見られた火光は弾む笑い声を上げながら月火の方に歩いて行った。
「え、何……?」
「さぁ……」
二人は眉を寄せ、月火とともに中等部の子にアドバイスをする火光を見た。
麗蘭がデータを壊した一件以来、意気投合する教師達が何人か出てきて今は犬猿の仲も解消されつつある。
一番は顔面凶器の火音とコミュニケーション能力高めの火光がいるからだが、それぞれ合う話もあるようで何人かはプライベートでも会っているそうだ。
なお、大学部との仲は悪化している。
火音と同い歳の人達が教授となり始めており、煽ってくるのだ。
火光や水月の同期は二人を見るや妹の力だと嘲罵するので亀裂はさらに大きくなっている。
初等部の教師とは滅多に関わらないし幼稚部とはそもそも話した事がないので仲は良くも悪くも距離がある。
「変な諍いがないよりはマシか」
「火音までどうしたの……」