十六 その日の日常
「はい兄さん。火音さんにも」
もうすぐお盆という日。
朝から月火がカードを渡してきた。
「カード……」
ここ数日間、水月と火光は任務に駆り出されていた。
帰ってきたのは失神して補佐官に運び込まれたからだ。
つい先程目が覚めた。
「……なにこれ?」
火音は素直に受け取っている。
火光はまだ起きていない。
「園長に不法侵入の話をしたら何度鍵を取り換えてもスペアキーを作られるならいっそカードにしてしまえと言われまして。付け替えたんです」
「そうなの!?」
水月が勢いよく立ち上がると立ちくらみがしてよろめいた。
慌てた月火が支えてくれる。
「いつの間に……ここ数日間しかないね。あーそう。なるほどね?」
「一昨日、また侵入されまして。火音さんが起きててくれましたけど」
連日リビングで寝ろと言われていたので少し疑問だったのだが、時空が侵入した時に月火を起こせるようにだったそうで今回は助かったのだ。
昼寝が多かったのはそのせい。
「ハッキングされないよね?」
「……アプリ連携はしてないです」
「ちょーっと心配なんですけど?」
月火は自分のカードを机に置くと水月の肩に手を乗せて自分でも驚くような声を出した。
「お願いお兄ちゃん」
火音は目を見開き、水月はやる気でパソコンを持って寮を出ていった。
「え、今の声、生?」
「生でますね。びっくりしました……」
月火は自分の喉を押さえながら火音とともにパスケースを検索する。
自分の部屋だけ豪勢になるなと思ったが、お盆に総付け替えを行う予定で鍵の調子が悪い何人かは既に付け替えていたらしい。
世はネット時代と笑っていたが別にネットは関係ないと思う。
「三人でお揃いか色違いが分かりやすいですよねぇ」
「だな」
月火が調べていると水月が帰ってきた。
「ハッキング出来たよ〜」
「出来たら駄目なんですよ」
「ちょっと麗蘭に確認してくるよ」
水月はパソコンを置くとまた寮を出て行く。
「水月の技術が高すぎるだけだろ」
「でしょうね。まぁ備えあれば憂いなし、念には念をと言うことで」
月火が何かいいのがないか調べていると火光の目が覚めた。
月火はスマホを火音に渡し、火光の顔を覗き込む。
「……頭痛い……」
「大丈夫ですか」
「うん……」
火光は少し顔を歪めると静かに息を吐いた。
「……あの怪異絶対呪ってやる」
「オウエンシテマスヨ」
月火は火光に水を渡すとクッションを重ねて頭側に高さを出した。
火音専用のクッションが来て以来、六号は捨てられたので火光と水月用にしている。
「ご飯は?」
「後でいい。水月は?」
「今はいません。すぐに帰ってくると思いますけど……」
そういうと火光は少し安心したように微笑んだ。
「気付いたならいいよ。良かった」
「……何かありましたか」
「火音じゃなくても分かるんだね。でも大丈夫だよ」
火光は月火の手に触れるとまた眠り始めた。
「……心配か」
「様子がおかしいので」
「次起きた時に聞いてみればいいさ」
しかし昼前に起きた時にはいつもの火光に戻っていた。
「……お腹空いた〜」
「サンドイッチありますよ」
「食べる食べる。……あ、鍵が変わってる」
ソファからダイニングテーブルに移動する途中、扉の開いた廊下から見えた玄関を見て火光は目を丸くした。
月火の説明を受けながら火光は大好きなトマトサンドを頬張る。
「それは水月の技術が高すぎるだけでしょ」
「火音さんと全く同じこと言ってますよ。本当に」
月火が自分の分も持って来ると火光は目を丸くしたあと薄く笑った。
「兄弟だなぁ」
「何かありましたか」
「補佐官がクソだったぐらい」
どうやら車に乗り込むまでは意識があり、補佐官と軽く話していたらしい。
火音のことを馬鹿にしたので言い返すと見た目だけの兄弟は性格も似てると言われたそうだ。
「月火とか水月みたいに言い返したかったんだけど人を煽ることがないから……。突き落とすのは得意なんだけど」
突き落として事故られても困るので黙り込んだら帰路について意識があった二時間半、永遠に火音の罵倒を聞かされたそうだ。
火光は机に突っ伏し、火音は火光の頭を撫でた。
自ら月火以外に触るなど珍しい。
火光がこれ程凹むのは滅多にないので余程心配なのだろう。
「優しいな」
「弱いよ」
「別にいいさ。守られてこそ弟だろ」
「守ってこそ兄弟じゃん」
ねぇ、と月火を見上げれば月火は興味無さそうにサンドイッチを食べてどこかを見ていた。
「聞いてないよね!?」
火光が机に手を突いて勢いよく立ち上がると月火は笑いながらこちらを見た。
「兄さんはそれくらい元気な方が似合いますよ。凹んだ姿はもう見飽きました」
「ひどぉい」
「さ、手洗お」
火音は椅子に座った火光と交代で立ち上がると手を洗いに行った。
「なんか傷付くなぁ」
「許せ」
「許す」
それから少しすると水月が帰ってきた。
「ただいまー。……あ、火光起きたんだね〜! 良かった。お兄ちゃん安心」
「何いきなり。怖いんだけど」
突然抱き着かれた火光が真顔で水月を突っぱねると水月は月火のあの声のことを説明した。
珍しく少し興奮した様子の火音も加わったので信じておく。
「……月火、聞かせて」
「嫌だ」
月火があの声で断れば火光は目を丸くした。
二人とも大興奮し、火音と月火は鬱陶しそうな顔をする。
「あそうそう。鍵の事なんだけど、月火のところは替えていいよって。僕が適当に見繕っていい?」
「お願いします」
差し込み型は何故かコピーされるしタッチ型はハッキングされる。
「だからスライドにしようと思って。まぁカード式の差し込みでもいいんだけど。それなら防犯対策が高いカードだけどハッキングされることがないからね」
「頼りになります」
どうやら娘天にお使いを頼んだそうなのでお昼頃に届くらしい。
もう信者というよりお世話係ではないだろうか。
これで水月の手網が引けたらどれほど完璧で重宝することか。
「難しいだろ」
「ですよね」
「髪切って」
「分かりました……」
唐突だが素直に準備する。
いつも通り新聞紙とタオルとビニール袋だ。
「本当になんでも出来るんだね」
「職業柄、出来て苦労はしませんからね」
月火の任務は潜入が多いので求められることが多いのだ。
なのでなんでも出来るようにしている。
「そう言えば時空ってどうなったの?」
「麗蘭が家に送り返しました」
「蛙の親は蛙だよ」
「でしょうね。ちなみに馬鹿トリオは綾奈さんと知衣さんに仕込まれているそうですよ」
月火の言葉に火音は小さく笑い、二人は首を傾げた。
月火が暒夏、神崎、波南のことを説明すると二人は呆れ、溜め息を吐いた。
「まさか暒夏までとはね」
「人は見かけによらないよ。弟君が立派でよかった」
四人が深く頷いていると月火のスマホに電話がかかってきた。
月火は肩と耳に挟みながら切れた髪を最後に髪を軽く払う。
「どうしましたか」
『今年はいつ帰ってくるのかと思ってね。夏祭りがお盆の初日に水傍神社であるから皆で行ったら楽しいんじゃない?』
「水傍であるのは珍しいですね」
『麗湖さんが主催らしいわ!』
麗湖は五つ子姉妹の末っ子だ。
物凄く臆病で礼儀正しい。
「それはそれは。皆に伝えて予定を合わせてから連絡します。では」
『またね〜』
月火は電話を切るとビニール袋を外した。
「母さん?」
「夏祭りがお盆にあるので皆で行ったらどうかと」
「行こう! 月火の浴衣姿! 中一以来見てない!」
「皆さんにも回しておいて下さい」
炎夏、玄智、澪菜にも伝えておかなければならない。
結月は今年も北海道らしいので断られた。
火神兄妹からは了承の返事が来たが、炎夏からは少し違う返事が来た。
「夏祭り前に一回実家に帰るって。夏祭りの後に家に来るみたい」
「当主が変わったからそれじゃない?」
「水虎さんに用事でしょう。炎夏さんが暒夏さんに会いたがるとは思えませんし」
男兄弟あるあるなのか、他人の前では取り繕っていても本人たちの仲はすこぶる悪い。
炎夏は、水虎に言われなかったらこんな奴の顔も見たくないと言っていた。
その逆も然り、暒夏は炎夏を弟とは思っていない。
あんな馬鹿は水神の恥だと零していた。
「水神に求められるのは頭より運動神経だけどね」
「辛辣なこと言わないであげて。頭がないと仕事できないから」
火光の制止で水月は口を噤む。
それから少しすると火音が風呂から上がってきた。
上機嫌だ。
「やっぱり髪は切った方が似合うよ」
「長めの方が楽なんだけどな」
「邪魔でしょ」
火音は頷くと椅子に座って珈琲を貰った。
火音も自分のタンブラーが届いたので最近はそれに淹れてもらっている。
月火の中には面倒臭いというものはあっても面倒臭いから怠けるということはないのでタンブラーでもコップでもマグカップでも変わらないようだ。
「火音もタンブラー買ったんだね」
「持ち運び出来た方が便利だし」
「水筒も買ってたけど」
「あれはどこぞの無礼者が勝手に口を付けたんですよ」
キッチンから戻ってきた月火は机にクッキーを置いた。
昨日、焼いたまま寝て今朝オーブンから取り出したのだ。
「ん〜美味しい」
火光が大喜びで手を進めているとインターホンが鳴った。
月火が声をかけると炎夏と玄智が顔を出した。
「お邪魔します。……火音先生髪切ったね」
「今切った」
「今?」
二人が首を傾げると火光が写真で月火が電話をしながら火音の髪を切っている姿を見せた。
月火はそれをひったくるように取り上げると消去していく。
何枚撮っているのだ。
「なー!? 僕のコレクション!」
「へぇ。他のもあるんですね」
「やめて!?」
火光は月火からスマホを取り返すと逃げるように水月の部屋に入って行った。
「僕の部屋だし」
「相変わらず賑やかだな」
「楽しいね〜」
玄智は炎夏の手を引いてソファに座ると紅茶を受け取り、火光が消えたリビングで楽しく雑談を始めた。