十五 許しの態度
「月火、本当にごめんなさい。二度としないから許して下さい」
ある日の休日、月火が珈琲を飲んでいると水月が土下座をしてきた。
時空の不法侵入以来、一言も口を聞いていなかったのだがようやく謝りに来た。
月火は珈琲を揺らし、このまま頭の上にかけたらどうなるだろうかと考える。
「やめてやれ」
向かいにいる火音が鋭い目で睨んできたのでおとなしく珈琲を置いた。
ただでさえ家事をやる時間が少ないのに掃除で苦労はしたくない。
「別に謝られても。過去が消えるわけじゃありませんし」
「過去が消えるぐらい償います。何したら許してくれますか」
「何が出来るんですか」
月火が足を組み、水月は少し考えた。
「……遊園地でも建てようか?」
「興味ありません」
「新商品の考案?」
「私の仕事を取るな」
「……新しい家?」
正月のタワマン発言からまだ諦めていなかったのか。それとも単純なだけか。
「いりません」
「候補言わないと永遠に終わらないぞ」
「……もういいです」
月火は軽く手を振ると体の向きを変えて課題の続きを始めた。
もうすぐで帰省するので先に終わらせるのだ。
他は全部終わったのに火音が追加で出したせいで皆が慌てている。
「本当に……」
「しつこい」
水月は唇を引き締めると火音を見た。
軽く頷かれたので静かに部屋にいる火光の元へ戻った。
「何その微妙な顔は」
「許してもらえたけどしばらく冷たいかも……。しつこいって言われた」
「嫌われてるねー」
他人事のようにそう言う火光は今、パソコンで仕事中だ。
火音と月火の長い沈黙でも気にしない空気に耐えられなくなってこちらに逃げてきたらしい。
「もう……無理かもしれない」
「そんなことないでしょ。人生どれだけ長いと」
「妖輩者やってたらいつ死んでもおかしくないし!」
「五月蝿い!」
水月が怒鳴るとリビングから月火の怒鳴り声が返ってきた。
「嫌われたよ〜!」
「返事してもらえたじゃん。おめでとう」
「酷くない!? 冷たくない!?」
水月が涙目のまま訴えると月火から叫ぶなら出て行けと連絡が来た。
もう無理だ。
水月は黙り込むとベッドに潜って火音にプレゼントを相談し始めた。
「優しいなぁ」
「何がですか」
「水月。お前が許さないからってプレゼント探そうとしてる」
「またくどいことを……」
火音にそういうところだと言われて首を傾げた。
今までどんな風に話していただろうか。
「プレゼント何がいい?」
「私に聞いたら意味ないのでは」
「聞けるなら聞いてくれって来たんだもん」
下手な事をしてこれ以上嫌われたくないから、と。
「じゃあ……えぇ……?」
「えぇ?」
最初のじゃあはなんだ。
火音が少し戸惑ったようなからかうような声を出すと睨まれた。
「……あぁ、そうだ。タンブラーが欲しいです。保温保冷が出来るやつ」
タンブラーなら熱が伝わりにくいので冷たいのも飲める。
月火がそういうと火音は軽く頷いて水月に伝えてくれた。
「タンブラーか……俺も買おうかな」
「水筒は?」
「室内用で。蓋があるならアトリエにも持って行けるし」
やはりリビング以外での飲食禁止は厳しすぎるだろうか。
これこそ家事担当の甘えだと言われてしまう。
「汚したくないのはお互い様なんだし厳しくないだろ。画材は高いし」
筆一本で千円など当たり前。
絵の具やキャンバスも幾らすることか。
画家は常に金欠だ。
「大丈夫ならいいんですけど。火音さんも金欠って言葉知ってたんですね」
「お前に言われたくない」
月火は社長ですし、と笑うと火音に課題を渡した。
軽く確認されてから返ってくる。
先日、最新作のクッションが発売されたので火音の要望で、一号の手触り、最新の使い心地と言う非売品を作ってプレゼントした。
そのため火音はご機嫌なのだ。
今は抱き枕も作っている。
「月火社頑張ってんなぁ。クッション、布団、枕、メイク用品も水着もか」
「頑張ってますよぅ。社員たちが優秀すぎます」
「社長の腕が試されるな」
一昨日、夏の面接を終えたばかりだ。
たぶん、落とした人達は今年内には社会の底辺と化すだろう。
それにすらなれない人は書類審査で落としている。
「頑張らなければ」
その日の夕方、月火の寮になにかが届いた。
水月が対応してくれて持って戻ってきたのは少し小さめのダンボールだった。
ソファに座ってそれを開封すると出てきたのは黒に白いマークが描かれた蓋付きのタンブラー。
その丸い蔦に二輪の花のマークは。
「曲がらず神々社なんだね」
「他のところも見たんだけど保温はあるけど保冷付きがなかったんだよね。あっても蓋がなかったり小さかったりダサかったり」
水月なりに色々と考えたらしい。
火光は少し呆れながらも小さく頷き、月火に渡してくるよう勧めた。
「月火! はい、タンブラー」
「どうも」
「冷たすぎるだろ。流石に可哀想」
「まさか自社製品とは……」
「水月なりにも考えたみたいだよ」
火光と火音の援護に水月は何度も頷いたが月火はおとなしく受け取るとついでに洗い始めた。
前に月火が欲しいと呟いたタンブラーは覚えていなかったらしい。
別にいいが。
まさか試作品の他に既製品も増えるとは思わなかった。
月火が珍しく皆の前で洗い物をしていると水月がカウンターに頬杖を突いた。
「何か?」
「学生なのに大変だなと思って」
「学園生徒なら誰もが通る道でしょう」
「そうだけどさ? 社長の仕事も特級の任務もあるのに大変じゃん?」
水月が学生の頃には社長の仕事はなかった。
任務も二級だったのであまり忙しくはなかったし課題はやってやらなかったようなもの。
火光のところに入り浸って月火が入学してからは月火のところ住み着いていたのでまともに家事などしていなかった。
昔、稜稀に叩き込まれすぎて嫌になったのだ。
それを月火は次期当主だから、女の子だからという理由だけでさらに厳しくより多くのことを教えられたのに逃げ出さずにやっている。
月火がやるので当たり前のように見えているが同じ当主の玄智や炎夏は耐えられるだろうか。
豆腐メンタルで図太い精神の水月は無理だ。
そう考えると人目につかないよう家事をして完璧に暮らしている月火は凄いと思う。
水月には出来なかったものだ。
過去が消えないと言うのは本当によく分かる。
「……僕らが手助けする必要なかったんじゃない」
「なかっただろうな」
水月の呟きを聞いた二人は半目でそう会話する。
今までのアドバイスやら仲の取り持ち役はなんだったのか。
二人が溜め息を吐くとオーブンが鳴った。
三時頃からずっと何かを作っているがなんだろうか。
月火がダイニングテーブルに持ってきたものを見て火光は目を輝かせた。
「マカロン!」
「澪菜さん用ですよ。余ったらです」
「最近、澪菜にあげること多いね」
「トラウマで夜泣きが多いそうで」
今まで優しく育ててくれた両親に怒鳴り罵倒され、湖彗に蹴られた時は好奇の目で見下ろされた。
それが傷となって残ったようで、朝会った時に目が赤いことが多いそうだ。
玄智は練習中なのでしばらくは月火が頼まれている。
結月は部活時に支えてもらっているようだ。
「優しい兄が多いなぁ」
「火音さんもでしょう」
「俺はどうかな」
月火は間にガナッシュを絞りながら火音と話す。
今回のガナッシュは澪菜が好きなホワイトチョコだ。
「さて、出来た」
「上手だね」
「マカロンって難しいんですよ。ハート型は失敗した気がします」
月火はまた鳴ったオーブンからもう一枚の鉄板を出してきた。
「ほら、ピエが出なかった」
ピエはマカロンの外側にある縁のようなものだ。
表面を乾燥させてから焼くのだが、中の気泡が上に逃げれず周りに逃げた結果、下が浮いてピエが出来るらしい。
「なんで出なかったの?」
「うーん、表面は割れてませんからねぇ……。たぶん、時間差で焼いたので絞る前にメレンゲが潰れたかマカロナージュをやり過ぎたか……」
マカロナージュはメレンゲを潰す作業だ。
マカロンのメレンゲはかなり固く仕上げるのでそれをある程度潰して、大きな気泡と小さな気泡を整えてから絞る。
それを怠ると表面がボコボコになるしやり過ぎると上手くピエが出ない。
「専門知識だね」
「面倒臭そう……」
「慣れたら楽しいですよ」
何気にお菓子作りや料理が一番楽しい気がする。
月火はマカロンを一つずつ袋に入れると箱にいくつはいるか確認して、割れないように静かに入れた。
四つ入りの箱が結月と玄智、ハート型の紙パッキン入りの箱が澪菜だ。
ピンクよりも水色や淡い緑が好きらしいので焦げ茶の箱に水色の紙パッキンにした。
「よし」
「食べていい!?」
「よし」
「やった!」
月火は紙袋に入れると火音の呆れた視線を無視して夕食の続きをする。
今日はマカロンを作っていたので放置料理その一、煮込みハンバーグだ。
ちなみに簡易デミグラスから作った。
「よく食べるな」
「美味しいよ」
火音と水月も全て食い尽くされる前に一つ口に放り込んだ。
これは火光のお気に召すのも分かる。
三人でパクパクと食べていると戻ってきた月火は目を瞬いた。
「……夕食食べれます?」
「僕は少なめで」
「僕も少なめで」
「俺はいつも通りで」
火音はあまり食べないが食べようと思えば食べれるそうで、何故食べないのかと聞けば必要最低限しか食べてこなかったからと言われた。
少し混乱したが考えるだけ無駄だと諦めたのだ。
「はい月火、あーん」
「いらないです」
「つれなーい」
月火は三人に珈琲を出す。
月火は気分的に水だ。
普段座る席とは向かい側の火音の隣に座ると、火音に憐れむような同情するような目で見られた。
分かるなら止めてほしい。
月火は眉を寄せると最後の一つを口に入れた。
「食べるんじゃん」
「自分で食べます」
甘い。甘すぎる。
月火は口が空になってからまた水を飲んだ。
「夕食はいつ頃食べますか」
流石にこれだけ食べたのだからしばらくは、と思ったがそうはいかず。
マカロンを食べた直後に夕食を済ませると順番に風呂に入った。
最後に上がってきた火光は床に勢いよく寝転がる。
「今日も一日疲れた〜。お疲れ様〜」
「テンション高いね。いつも通りか」
火音の火光溺愛がなくなったあとしばらく、火光本人の元気もなく夜中の酔ったテンションもご無沙汰だった。
ここ半年ほどで二人とも戻ってきたので皆も安心している。
「今年の帰省はいつぐらい?」
「お盆に入ってからじゃない?」
帰省の話に火音はいつも通りそばに立っている月火を見上げた。
「大丈夫ですって。そんなに冷たい人間がいないとは……信じたいですけど」
月火が水月を睨み下ろすと水月は混乱しながらとりあえず頷いた。
「何の話?」
「火音さんは関係がなくなったので帰らない気でいたそうです」
「それは戸籍上でしょ。人の意識的には……」
火光が何かいい事を言おうとした時、月火のスマホに電話がかかってきた。
月火は部屋に電話をしに行き、水月は火光を見下ろす。
「続きは?」
「言う気失せた。とりあえず連れてくよ」
「月火にも言われた」
それから少しすると月火が戻ってきた。
皆が不安そうに月火を見上げる。
「火音さんを双葉の実家に……」
「無理。餓死する」
「話の途中なんですが。まぁ断ったので安心して下さい」
月火が濡れている頭に手を置くと安心したように力を抜いた。
「なんか月火の前だと子供みたい」
「元々子供っぽい性格だからな。自覚はしてる」
「自覚はしてる。自重はしてない」
「その通り」
水月はケラケラと笑い、火光も少し面白そうに笑った。
月火と火光は髪を乾かしている。否、火光に関しては自然乾燥したが水月と火音は乾かしていない。
いつもの事だ。
「二人ってほんとに面白いね」
「お気に召したようで」
「ものすごく」
水月はソファから床にダイブすると火音が気に入らなかったクッションを枕に一瞬で眠った。
寝顔も幸せそうだ。
「はや……。僕は水月のところ借りて寝るよ。おやすみ〜」
「おやすみなさい」
月火は火光を見送ると火音の髪を撫でる。
自然乾燥とは思えないほどサラサラで傷みがない。
ストレスのせいか、何本か斑な髪はあるがそれでも綺麗だ。
月火の寮は住人全員のシャンプーとリンスー、トリートメント、コンディショナーや髪パック、ヘアオイルなどが揃っているが火音は肌が弱いので基本手入れはしていないらしい。
乾燥が酷い冬場だけオイルを塗る、と。
これでケアなしなら誰もが求める髪質だ。少しずるい。
月火が髪をいじっていると火音が少し鬱陶しそうな目で月火を見上げた。
「何」
「嫌でしたか」
「嫌……ではないけど」
「いいなと思って」
月火は髪を整えると手を離した。
「皆が羨む髪ですよ」
「お互い様な。毎日ケア続けるってなかなか出来ないし」
火音が月火の髪に触れると月火は嬉しそうに笑った。
「水月兄さんはいつまで寝たフリをするんですか」
火音は目を瞬くと飛び起きて水月を見下ろした。
水月は不服そうな顔を上げる。
「なんですかその顔は。イチャつくなら他でやれって?」
「まだ怒ってる?」
「ただの嫌味です」
「自覚あるならやめてやれよ」
自覚はあるが自重はしない。名言を出したばかりだ。
水月は少し頬を膨らませるとクッションを抱えて向かいのソファにもたれかかった。
「妹がイチャつく姿を見てて楽しいとは思わないよ」
「なんで盗み聞きしてるんですか」
「隠し事ないかのチェック」
つまり月火と火音にプライベートはないという認識でいいだろうか。
二人は顔を見合わせると深く頷いた。
「毎年誕生日に大泣きしてる人は誰ですか。帰省する度に酔い潰れて二日酔いで妹に看病されてるのは。兄のそんな姿見たくないんですけど」
「痛いところ突いて来るなぁ……」
水月は少し頬を膨らませるとクッションに口元を埋めた。
「……そんなに仲良いなら……」
「なんて?」
「……心配なの!」
「何が」
水月は眉を寄せるとクッションを持ったまま自室に帰って行った。
本当に要点が抜けすぎてわけが分からない。
月火が首を傾げたまま火音を見下ろすと暖かい手が伸びてきた。
こめかみ辺りの髪に指が入り、目元を優しく撫でられる。
「暖かいですね」
「困ったら一人で悩み込むなよ」
「いつも火音さんに吐き出してますよ? 最近は兄さんにも言うことが多いですし」
月火は不思議そうな目で首を傾げた。
火音は少し目を細めると手を下ろし、寝転がった。
「今日はここで寝ろ」
「襲わないで下さいね」
「襲うなら部屋に行くさ」
それが嘘か本当か分からないのが怖い。
火音ならそんなことはしないと分かっているがそれでもちょっとした不安を抱えながら、ソファの背もたれに掛かっていたブランケットを二人に掛けて眠りについた。