五 二度目の落下
また腕を蹴られた。
見上げると今日で最終日の氷麗が立っている。
「最後ですね。もちろん転校の手続きは終わりましたよ」
「当たり前のこと言うなや。耳障りなんだよ」
「じゃあどっか行けばいいじゃないですか。こっち来ないでくれます?」
月火が半目になると氷麗は顔をしかめた。
「はぁ? 私らの部活に邪魔してんのお前だろ」
「あぁそうですね。たとえ顧問に呼ばれたとしてもここは邪魔か……」
そう。
月火が今日もまた興味もない部活に来ているのは火音に呼ばれたからだ。
やってほしいことがあると言われたのでジャージで来たのだが何せ放置されるので何をしたらいいのか分からない。
準備運動をしておけと言われたがとっくに終わった。
「は? 先生に呼ばれたって何? 二人って同じ寮なんでしょ? なんで? 付き合ってんの?」
「まさか。火音先生が住み着いてるだけです」
月火が住んでほしいと言ったことも思ったことも断じてない。
火音が住み着いただけだ。
「火音先生が潔癖だって知ってるわけ? 邪魔してるって分かんないの? さっさと出てけよ」
「私の寮ですよ」
「ビジホでも借りてろ」
「酷いなぁ」
そんなに火音のそばが駄目なら氷麗が面倒を見ればいい。
月火がそう言うと氷麗が突然回し蹴りをしてきた。
あまりに突然のことだったので癖で相手の足を払おうとしたのだが間に入った火音によって止められた。
「ここに来てまで問題起こすな」
「放置したのは火音先生ですよ」
「あーはいはい。氷麗、早く集まれ」
火音に背を押されながら月火は足を進める。
ここ三日間は平常心なので連日出勤している。
知衣も問題ないと判断しているようだ。
「何やらされるんですか」
「やらしてもらえると思え。うちのエースと四百メートル対決だ」
「えぇ!? 負ける勝負はしないんですけど!」
月火が火音を見上げると火音に深く頷かれた。
「俺も」
「おい顧問! 役目を放棄するな!」
「だって負けたくないもん。はい、頑張れ」
言われるがまま内側のレーンに立たされたわけも分からないまま走らされた。
結果的には差をつけて勝ったが本当にわけが分からない。
「じゃあ帰っていいぞ」
「説明なしかこの状態で! 人使いが荒すぎるんですけど」
「感謝してるよ」
「その顔には騙されませんよ」
月火がジト目で睨むと舌打ちをされた。
額に青筋が浮かぶが火音に押されるがまま朝礼台に返され、月火は不満なまま朝礼台に座る。
この際全て見ていこう。
月火が片足を抱えて眺めていると水月がやってきた。
「あれ月火。珍しいね」
「用済みで捨てられました」
「え……?」
月火が火音の仕打ちを説明すると水月は苦笑し、月火の隣に座る。
今日は珍しいジャージだ。
「僕もバスケ部の見本やらされたところ」
「身長高いですもんねぇ」
どうやら友人がバスケ部に入っており、その伝手であれよあれよという間にやらされて帰らされたらしい。
全く同じ状況だったので少し笑いながらも同時に溜め息を吐いた。
「……あ、そうだ。寮に試作品の十号が届いたよ」
月火が見学に行ってからやる気に火がついたのか、怒涛の勢いで試作品が流れてくるのでソファがパンパンだ。
同じ柄で見分けにくいはずなのに火音は一号を器用に見つけ出す。
と言うか月火にはタグを見ない限り、一号かすらも分からない。
「野生の勘かな」
「第六感でしょう」
そんなことを話していると氷麗が火音に深くお辞儀をして戻ってきた。
どうやら傷が痛むので見学するらしい。
忌々しそうに腕を睨んでいる。
月火と水月が軽口を叩きながら話していると火音が電話をしながらこちらに寄ってきた。
「月火、水虎が」
「珍しい」
どうやら機種変更したので月火の連絡先が分からないらしい。
月火は火音からスマホを受け取ると許可を貰ってから耳に付けた。
「もしもし」
『月火様、お久しぶりです』
「久しぶりです〜。あの件ですよね」
『はい。もうすぐ着きます』
「待ってまーす」
月火が火音にスマホを返すとスマホより先に首にかかっているタオルを取られた。
火音の首にかかっているタオルを渡される。
「替え持ってきて」
「水虎さんが来るんですけど」
「どうせすぐ終わるだろ」
「そうですけど……もう」
月火は眉を寄せながらタオルを受け取ると今度こそスマホを返して水月とともに寮に帰った。
「お邪魔します。……広くなりましたね」
「色々と住み着きましたからね。散らかってますけど」
月火な中に入れると手を洗って珈琲を出した。
「インスタントですけど」
「ありがとうございます」
「じゃあさっさと済ませようか」
今回は水虎からの借金を金融機関に移し、金融機関に支払われたものを水虎が受け取るという形になっている。
個人で行うよりずっと安全な方法だ。
水虎が前に月火が話していたことを覚えていたようで、契約後に完済するまで他人、または金融機関に借りない事、というのを条件に入れてくれたのでこれで落ちぶれてくれるはずだ。
前に金を絞り上げる極意を冗談半分で話した時のものだ。
流石水虎。
「……じゃあこれで申請出しとくよ?」
「お願いします」
「助かりました。これで縁を切れます」
「いえ、ではこれで」
水虎はまたお礼を言うと寮を出て行った。
月火はタオルを二枚持つとまた校庭に降りる。
「先生」
「あ、やっと来た」
「仕事なんですよ。持ってきただけありがたいと思ってください」
「はいはい。……なんで二枚……持っといて」
扱いが雑すぎる。
月火は眉を寄せたが渋々従ってタオルを畳み、朝礼台の上に座る。
たぶん水筒の上に置いたとして落ちたら嫌なのだろう。
慎重な火音らしい。
月火が朝礼台から足をぶら下げ、皆のフォームを見ていると頭に覚えのある感覚が当てられた。
「人の頭は蹴るなって幼稚園で習いませんでしたか」
「五月蝿い。火音先生にベタベタすんなよ気持ち悪い。ほんっと迷惑で目障り。消えたらいいのに」
消えたら火音は餓死するだろうなと思いながら聞き流す。
「なぁ聞いてんの? ちょっと触られただけで勘違いしてんじゃねぇぞ」
「何を思ってるのか知りませんけど。火音先生がそんなに好きなら伝えたらいいんじゃないですか? ファンクラブもありますよ」
月火がそう言うと足が離れたかと思えば勢いよく真横から蹴られた。
つま先が見えたところで腕で守ったが右腕だったのでかなり痛い。
「知ってます? ここって監視カメラで撮影されてますよ」
「んな事常識だろ。馬鹿にしてんの? お前が誘拐されたから無駄な費用かけたんだって? 自分が迷惑かけてるって自覚ある?」
「まぁそうですよね。たかが社長ですし。上層部と学園に金貸してる程度ですもんね」
月火は倒れた体勢から立ち上がると腕を軽く振り、タオルを後ろで持つ。
汚れたら月火がかけているもので許してもらおう。
「で? 最後に言いたいことはそれだけですか? 火音先生に愛は伝えないんですか?」
「おちょくってる? 売られた喧嘩は買うようにしてんだけど」
「喧嘩売ってるわけじゃありませんよ。ただ後悔しないように、ね? やらずに後悔した方を山のように見てきましたから」
月火が薄っぺらい笑みを貼り付けると氷麗は堪忍袋の緒が切れたのか月火の腹を力いっぱい蹴り飛ばした。
「うっ……」
「っと……危ないな」
朝礼台から落ちたところを火音に受け止められる。
吐き気がする。
火音にタオルだけ取られたので地面にうずくまって腹を抱える。
「いった……」
「煽るのも大概にしろよ。馬鹿じゃねぇの」
「げほっ……はぁ……馬鹿ねぇ……」
月火は立ち上がると氷麗を朝礼台から引きずり下ろすと胸ぐらを掴み引き寄せた。
「そんなに悪い自分に酔ってんなら人殺しでもしたら最高だろ? どうせ今日で最後なんだし? 退学になっても海依の推薦は消えないしな」
「なっ……」
「屋上行ってこい。死んだら葬式は行ってやる」
「餓死しないで下さいね〜」
月火は氷麗の胸ぐらを掴んだまま途中ですれ違った水月と火光を無視して階段を登った。
「はい、確実に死ぬ高さですよ。どうぞ」
月火は手を離すと自らフェンスの上に立ち、腕を広げて軽く首に軽く角度をつけた。
氷麗の恐怖に脅えた顔が面白く、同時に抑えられない殺意が感じられる。
しかし、そんな感情とは別に氷麗はバタフライナイフを出し、器用に回すと刃を露にした。
「怪異になって襲ったりすんなよ」
「守護霊になってあげます」
「さっさと消えろ!」
みぞおちを一突き、そのまま頭から落下した。
いつぶりの景色だろうか。
前はここにもう一人いたが今は一人だ。
氷麗が去っていく様子がほんの少しだけ見え、それと同時に頼みの綱である黒葉が出てきた。
「無理しないで」
『無理よ』
妖心は妖輩が死んだ時点で消える。
黒葉はまだ白葉に会いたいだろう。
前に月火と火音の許嫁も見極めると息巻いていた。
月火も未練はある。
こんな腕にした谷影を蹴りたいしそれの発端になった紫月にも一喝入れたい。
水月に月火が死んだ後の会社も任せたいし火音の躁鬱が治ったかどうかも見てやりたい。
火光は特にないと思う。あれはどうなろうが細く長く生きるだろう。
せっかく何度も黒葉にも白葉にも守ってもらった命をこうして雑に扱うのは許してほしい。
血筋のせいだ。
甘えだろうか。言い訳だろうか。
もうどうでもいい。
どれだけ落ちたか知らないが、体中の痛みとともに気を失った。