二 月火の仕事
「頼む」
「無理」
「この通り!」
「む〜り〜」
ある日の休日。
昨日のお花見は火光と晦が酔って大変なことになりながら終わった。
運転は水月信者の娘天とテンションの高かった火音が運転して二台の車で行ったのだが最終的に月火が縛って半分強制的にお開きになったのだ。
火光は水月のベッドで眠り、晦は綾奈に引き取られた。
今は紫月が火音にスマホを強請っている最中だ。
火音はソファでクッションを抱え、足をソファに乗せて鬱陶しそうに紫月を睨んでいる。
月火は任務を入れろと言う手紙の効果で入った任務に行っている。
このクッションは月火が自社の新商品試作一号だと言ってソファに設置したのだ。
ふわふわの肌触りに中が柔らかすぎず硬すぎずなので申し分ないが月火は触って舌打ちしていた。
「頼む! 今はスマホを持っていないと困ると言われたのだ!」
「月火か水月に頼め」
「むぅ……何故駄目なのだ」
「高いし買うのが面倒臭い。ただでさえ外に出れてないのに」
スマホを買いに行けるなら出勤をしている。
寮の外に出ることすら億劫なのだ。
火音が顔をしかめると紫月は目を丸くして首を傾げた。
「何かあるのか」
「全部ある」
「どう言う……」
火音はクッションを持ったまま自室に帰った。
月火が麗蘭に頼んで火音の部屋にだけ鍵を付けてくれたのだ。
前のようにたとえリビングに入られても火音の部屋には入られないように、と。
それから少しすると昼前に月火が帰ってきた。
火音は部屋から出てリビングに行く。
「おかえり」
「ただいまです。……なんで紫月が」
「月火! スマホを買ってくれ!」
「いいですよ。ないと困りますからね」
月火は部屋から持ってきた鏡を机に置くと頬の傷を手当し始めた。
勝ち誇ったような顔で見てくる紫月を無視してクッションを抱え、ソファに寝転がる。
紫月はまた明日来ると言って帰って行った。
「気に入ってますね」
「うん」
「明日から毎日届きますよ」
「ブラックか」
「社員のやる気です」
家具社はあるがクッションや布団、枕は出していなかったのでもう少しレパートリーを広げ、子供達への支援を増やすつもりだ。
朱寧が家計簿を付けて毎月見せてくれるのでもう少し余裕があった方が子供達へのストレスも少ないと思った。
その日の夕方、火音がソファで眠って火光が向かいで床に座り、ソファにもたれかかって仕事をしていると水月がやってきた。
「月火〜、二号と三号出来たよ」
「早くないですか」
「二号は新しいやつで三号は二号の中身を変えた版」
月火はダンボールから取り出すと手触りを確かめた。
もう少し毛を長くして柔らかくしたいと頼んだのだがこれでは抜けて埃が増えてしまう。
手触り的にはふわふわしているがもう少し詰まっている感が欲しい。
何種類か同時発売の予定なので改良したいところを全て述べる。
「……あとファスナーも変えたいです。これでは向きによって傷ができます」
「はいはい。……こんなもん?」
「今のところは」
ざっと十個ぐらいだろうか。
研究科にメールを送ると月火は火音が寝ているソファに足した。
すると火音が目を覚ます。
「あ、起きた」
「……増えた……」
「思ったより早かったです。優秀な社員です」
渡す前に洗濯して質を見ろと言っているのでそこまで不快感はないようだ。
火音が起き上がると火光が顔を上げた。
「よく寝てたね」
「うん……」
火音はあくびをすると目をこすった。
まだ眠いのは寝すぎたせいだろう。
「こう見ると幼いよねぇ」
「ねぇ。いつもの火音はどこへやら」
「……疲れた」
「何に!?」
絶対、昼間の紫月のせいだ。
体中に倦怠感があり、気分が地の底以上に沈んでいる。
「あ〜もう……」
火音はクッションを抱え、前に倒れた。
絵を描く気すら起きない。
火音が唸っていると頭にクッションが押し付けられた。
「呻くなら寝て下さい」
「寝た」
「喋れるなら大丈夫ですね。呻かないで下さい」
月火は火音の頭にクッションを放置すると椅子に座った。
火音を心配そうに見ている水月に紫月のスマホを相談する。
「何も知らないからなぁ……キッズケータイにでもする?」
「トラブルになりそうです」
「普通のでいいんじゃない? 朱寧さんが教えるでしょ」
「依存にならなければいいけど」
水月は初心者でも比較的使いやすいプランがあるスマホをいくつか紹介した。
月火は時々時間を見ながらスマホを選んだ。
翌日、水月とともに神々社のケータイショップに向かう。
月火が契約して紫月に貸すことになったので二人だ。
夜中のうちに水月が保護者同意書や身分証明書を持ってきてくれたので親はいなくても契約出来る。
月火と水月が中に入ると皆が顔を見合わせ、支店長が飛び出してきた。
「お久しぶりです〜」
「お、お久しぶりです……!」
「今日は普通の客なので緊張しないで下さい。客の一存でクビとか有り得ませんし」
月火が笑うと店長は僅かに肩の力を抜いた。
支店長も忙しいのでよく分かっていなさそうな新入社員に対応してもらう。
まだ入ったばかりで少し緊張した様子だが問題が起こることもなく契約出来た。
「新人研修の賜物ですね」
「僕は指示しただけだって。支店長の実力だよ」
「謙虚ですねぇ」
月火が連絡先を登録しながら車に向かっていると水月に電話がかかってきた。
静かに車に乗り込み、連絡先やアプリを入れる。
「……分かった。すぐ行くよ」
「任務ですか」
「ううん。四号と五号が出来たって。娘天、本社に行って」
「分かりました」
月火社の本社はかなり大きく、超高層ビルを借金する形で買い取り、全ての会社の本部をそこに詰め込んだ。
もちろん借金はすぐに返した。
それからは社員が増えたので土地を買い取り、ビルを両サイドに二つ建てて渡り廊下で繋いだ。
いつからか月火社ゾーンと呼ばれている。
月火も直接伝えたいので車を降りて社内に入った。
「平和そうですねぇ」
至る所から笑い声や団結する声が聞こえてくる。
皆、月火を見て驚いているようだ。
何人からかは手を振られたので振り返しておく。
「社長の見る目があるからだよ」
「あるといいんですけど」
今度の夏にも同時面接を行うことになっている。
年々、入社希望者が増えるので社長自ら質問することにしたのだ。
多くの社員から賛成された人を落としているがだいたい他社で問題になって社会を追放されている。
「失礼します」
「お邪魔します〜。こんにちは〜」
「しゃしゃしゃしゃちょー!?」
家具研究科の係長は月火の顔を見て飛び退いた。
机には試作品が二つ並んでいる。
「すす、水月さん、聞いてないっす……」
「言ってないからね。まさかくるとはびっくり」
水月は棒読みでそう言うとクッションを抱える月火にカメラを向けた。
すぐに塞がれる。
「撮りたいのに」
「火音さんを撮ってください。あの人、毎日抱えてますよ」
水月も触りたいが水月が触ったら火音が触れなくなってしまうので我慢する。
目指すは月火のような自制心だ。
「うーん……なんでしょう、羽毛感があります。もうちょっと詰まってる感というか固めとは違うんですけど……」
「えぇっと……?」
「あれだね、モチコロールとかの方がいいかも」
「なんですかそれ」
「枕の素材だよ」
こういった研究室を回る身なので何故か詳しくなった。
月火はクッションに枕を埋めると感想を述べた。
もう少し詰まってる感が欲しい。でも枕ではないのでそこの区切りははっきりと。
手触りやファスナーは申し分ないのでこのまま進める。
「後、大きさもこれ二個分のものを増やします。それはこれが完成してから繋げたらいいです。あと、もう一種類の手触りとあと二種類ほど感覚を作って下さい。間に合わないようなら期間は伸ばせますから。体調を優先して下さい。ストレスのないように」
これが売れたら抱き枕も作ろう。
「頑張るねぇ。……不備があったら言ってね」
「はい!」
月火はクッションを片手に踵を返すと部屋を出た。
後ろから叫び声が聞こえてくるのはきっと気のせい。
「枕と布団の研究課にも行きます」
「分かった」
枕と布団には未発売だが研究は進んでおり、既に何種類が出来ているので科を課でまとめて部を作っている。
色々とややこしいがこれが会社だ。
それから二つの課にパニックになりながら素材に関して教えてもらい、素材表のコピーを貰った。
その日は遅いということもあり、社員に迷惑をかけないよう寮に帰って遅めの夕食を食べた。
翌日、月火が授業を受けていると廊下側の窓が勢いよく開いた。
月火の真横だったので少し驚く。
「月火! 妾のスマホは!」
「授業中なんですけど。放課後渡しに行くと」
「待てぬ!」
新米教師の谷影から睨まれるのでさっさとスマホを渡した。
瞬間、紫月は受け取って去っていく。
「あ、ちょっと!? 朱寧さんに使い方聞いてから使って下さいね!?」
月火が怒涛の声でそう言うと朱寧はひらひらと手を振って階段を降りていった。
絶対に転けるなと確信しながら席に戻る。
「失礼しました」
「全く、神々だからって何してもいいわけじゃねぇぞ……」
「何それ」
目の前にいた玄智が谷影を睨むと谷影は玄智を見下した。
「なんだ? 落ちぶれた火神がなんか文句でも?」
「は? 落ちぶれる名誉すらない谷影が馬鹿みたい」
玄智が鼻で笑うと谷影は嫌な笑みを消して眉をつり上げる。
「教師になんて口を!」
「教師だから何。他人にものを教えられるのがそんなに偉いわけ? 別に自習で分かるしやる意味ないんだけど」
「なんだと!? 教えてやっているのに……」
「自分だって去年まで教えられる側だったんでしょ。火音先生と同い歳だよね? もうちょっと勉強してきた方が良かったんじゃない」
玄智は話しながら荷物をまとめると教室を出て行った。
谷影は顔を赤くし、玄智を追いかけるように教室を出て行った。
「え、反抗期?」
「どうしたんだろう……」
「何かあったんですかね」
三人が谷影をそっちのけで玄智を心配していると激怒した谷影が戻ってきた。
途端、扉のすぐそこの席だった月火の机を蹴り、月火は腕をぶつけた。
「いっ……!」
「ちょっと先生!? 何八つ当たりしてんの!?」
結月が怒ると谷影は結月の机も蹴った。
「五月蝿い! 生徒が教師に口答えするな! 元はと言えばこいつが!」
月火は腕を押さえ、袖をめくった。
大きな青あざが出来ている。
「謝りなよ! 教師だからって生徒に怪我させていいわけ!?」
「は! 女は欠点がある方がいいんだよ! 見た目の欠点は致命的だがな!」
谷影は大笑いすると席に座って誰かと電話し、今の出来事を笑いながら話し始めた。
チャイムが鳴る前に出て行き、チャイムが鳴ってから月火は保健室に行く。
次は火光なので炎夏が言ってくれるらしい。
「失礼します……」
「月火。どうした?」
綾奈は顔を上げて少し驚いたように椅子を差し出した。
月火は基本、怪我をしても放置なので保健室に来るのは珍しい。
「青あざが出来たので保冷剤を貰いたくて……」
「保冷剤じゃ邪魔になる。……普通そんなところに出来ないけど」
「色々あったんです」
本当に色々あった。
綾奈は袖をめくると腕に触れた。
すると痛みが入る。
「……痛むか」
「はい」
「姉さんのところに行こう。折れてるかも」
これは大事になりそうな予感。
月火が六階の病院に行くと空いた隙間に診てくれた。
「うん、ヒビが入ってる。軽くね。五日、六日はギプス」
「神通力で治します」
「乱用したら腕が麻痺するよ。筋肉に傷があるから無理矢理は危険」
月火は項垂れるとおとなしくギプスを付けてもらった。
手は痛むが動かせるので三角巾は断る。
左手で負傷書を書くと綾奈に渡した。
上層部が任務を振る際に皆の状態を確認する必要があるのでその時に使うのだ。
ちなみに完治書も書かされる。
「……ふーん、谷影ね。火音と同期か」
「はい」
「犬鳴の二の舞にならないといいけど。お大事に」
もう授業が始まってしまった。
月火は少し早足で教室に戻る。
「お待たせしました」
「おかえり。……どうしたの」
月火は椅子に座ると机を整えてからノートと教科書を出す。
「ヒビが入ったので一週間程度はギプスらしいです」
「先生聞いて下さい! 谷影先生が!」
まだ憤慨している結月と炎夏が火光に谷影と玄智のことを説明した。
「もしかして反抗期? 玄智には無いと思ってたのにな」
火光はスマホを取り出すとどこかに連絡した。
「玄智も心配だけど! あの馬鹿谷影!」
「谷影のことは何とかするよ。監視カメラあるし。それより玄智が戻ってきてくれるといいんだけど……」
「うん……」
それから火光が授業をしていると水月に連れられて玄智が戻ってきた。
水月は額に青筋を浮かべ、玄智は少し申し訳なさそうな顔をしていたが月火の腕を見て目を丸くする。
「どうしたの月火!? 僕のせい!? ごめんなさい!」
「谷影のせいです」
「でも僕が煽ったから……」
「私でもあぁします。それにそれを言うなら紫月のせいです」
玄智は俯くと静かに席に戻った。
火光は玄智の頭を撫でる。
「なんかあった?」
「水月さんに相談したからもういい」
「担任僕だよ!?」
火光は頬を膨らませると先に玄智に今やったところの説明を始めた。
その間、月火は水月から玄智の気が立っていた理由を聞く。
「……寮に資料置いといて下さい。昼休みに取りに行きます」
「火音、体調悪いんでしょ。届けに来るよ。今日は上層部に用があるから昼には暇になるし」
「分かりました」
二人が話し終わった頃合に玄智への説明も終わらせ、授業に戻った。
授業後、月火は火光に話を通す。
「湖彗が火神に入り込んだみたいです。智里と関係を持って家にいるようで。帰った澪菜さんが怪我をしたと」
「分かった。澪菜に聞いとく」
二人は小声で話すと火光は早足に去っていった。
玄智はまた月火に謝る。
「ほんとに……ごめんね……」
「大丈夫ですよ。玄智さんに関しては悪くありませんし」
「僕、苛立ってて……」
「色々聞きましたよ。こちらでも動くので大丈夫です」
玄智は小さく頷くと席に戻った。
隣の炎夏と結月が玄智を慰め、月火は朱寧に紫月を教育し直せと頼んでおいた。
体調を崩す前に稜稀に預けろ、と。
あれは思ったよりも破天荒だ。
白葉の体を取り返して成仏させた方が良かったかもしれない。
現代に見合わない破天荒さだ。
昼休み、月火が弁当を食べていると水月がやってきた。
データを借りてパソコンは邪魔なのでスマホで済ませるとデータを移行し返す。
「週末に」
「はい」
三人の不安そうな視線に月火はにこりと笑った。
「今度新商品のクッションが出るので買って下さいね」
「宣伝聞きたいわけじゃねぇんだよ」
「おばあちゃんに買ってあげよう」
問題が起きずに済んだらそれでいい。
しかしその数日後、炎夏に呼び出された。