50 閉幕
「落ち着いた?」
「……はい」
三十分ほど泣き続け、また三十分ほどは火光が持ってきてくれた濡れタオルで目を冷やしていたのでもう三時を回っている。
眠たいわけではないが水月と火光は明日も仕事だろう。
また迷惑をかけてしまった。
「それじゃあ月火。秘密は火音から聞くから今、泣いてる間に思ったことを教えてくれるかな。僕らのことならどう言ってもいいからさ」
「……私は……」
我儘だ。
涙腺と一緒に口も緩んだのだろうか。
隠そうと、心配をかけたくないと思っていた事まで止まらずに勝手に言ってしまった。
「……なるほどね。月火は自分が平凡以下だと思ってるんだ?」
「事実ですから……」
月火が小さく呟くと火音が珈琲を渡してくれた。
まだ手が震えるので両手で掴むようにして飲む。
少し冷えていたがいつの間にか暖房と加湿器もつけたようで温かかった。
「うーん……月火は異能の中で育ってるから平均が分からないのかな……?」
「自画自賛?」
「ちょっとうるさいよ火光。月火の周りが天才だらけなのは事実でしょ」
「まぁ僕の生徒だからね」
そう世間に埋もれるように育てているつもりはない。
「でも困ったね。月火が平凡なら僕は馬鹿になっちゃう」
「火光はと言うか火音以外は全員人間以下になる気がする。炎夏は運動神経だけなら頭一つ抜けてるけどそれでも月火の足元スレスレだもんな……」
「あの、もういいです。吐き出せてスッキリしたので。兄さんたちは朝から仕事ですよね」
「休んだ」
「明日からしばらく学園は休みだよ」
二人が満面の笑みでそう言ったので少し面食らったがそれでも申し訳ない。
「疲れてるでしょう。お腹も空いてるでしょうし……」
「月火が言えることじゃないよ。ほら」
水月は月火を膝に乗せると腹部に手を回した。
月火は少し面倒臭そうな顔をする。
「一生その顔してればいいよ。離す気ないから」
「ちょっと水月。せめて僕にやらしてよ」
「早い者勝ちだよー」
水月が月火を庇うように体を捻ると火光は頬を膨らました。
月火は隙を見て火音の後ろに逃げる。
「あ!……火音に取られた」
「俺か。本人の意思だろ」
「二人って付き合ってるの? 同棲中?」
「ひひゃひ……」
火光に両頬を引っ張られた火音は仰け反って逃れた。
「教師と生徒だぞ」
「教師が生徒の寮に入り浸ってるだけです」
「そう……。言い方悪いな」
「事実です」
火音が月火の頬に手を伸ばすと先に防がれた。
火光は頬杖を突いて二人を眺める。
「……なんなら婚約でもした方が安全なのに」
「後ろから刺される」
月火と火音が揃って言うと二人はケラケラと笑った。
確かにこの顔の二人なら三人に同時に刺されてもおかしくない。
「でもまぁ……自己嫌悪に陥るぐらいならナルシストぐらいにでもなった方がいいよ。月火はそれだけの素質があるもん」
「ナルシストは……嫌い……」
友人が一時期ナルシストになったので底に突き落としたら信者になった。
「別にナルシストじゃなくてもいいんだけど。もっと自分を褒めてあげて。……おいで」
水月に手を伸ばされた月火がゆっくりとそちらに行くと両手を握られ、その温かさが伝わってきた。
月火の手にはない温かさだ。
「誰にだって欠点はあるよ。月火は人間を評価しすぎ。親がいないと子供まで成長することすら出来ないんだから。もっと僕らを頼ってよ。月火が言った補佐も教師も相談役も友達も全部当たり前のこと。人はそれ以上に頼って頼られて生きてるんだから」
水月の言葉に月火は少し俯いた。
「……頼ってばかりです」
「まさか! 僕の補佐の仕事は月火がいるからこそ出来るんだよ。火光の教師だって生徒の月火がいるからのこと。火音だって相談に乗ってもらってるし玄智は当主の仕事を教えてもらってる。炎夏は勉強を教えてもらってるし結月は色んなこと聞かれるんでしょ?」
「私じゃなくても……」
「誰でもいいのに月火を頼ってるってことは月火が頼りになるってことだよ。皆、一番答えを知ってそうな人に聞くんだから。月火は皆から頼られてる」
水月がそう言うと月火はぎこちないまま小さく頷いた。
中で何か、軽くなった気がする。
つっかえが取れて、力が抜ける。
「……ありがとうございます」
「うーん、敬語は直らないねぇ」
「母さんが厳しすぎたからでしょ。今度言っとこう」
「だね」
それから少しして、月火の表情が緩んだ頃に水月は手を離した。
「お腹空いた。何か作って?」
「はい」
月火はキッチンに立ち、水月と火光は火音から月火の諸々を聞く。
「悪夢障害……」
「絵に書いてあった世界は全部夢に出てきたってこと? 森とかゴミ処理場とかチェック柄の筒の中とか」
「全部かは分からないが……夜に描いてるものはだいたい夢を見て眠れなくなったから描いて吐き出すことが多かった」
二人は心配そうに月火を見た。
「今は薬で安定してるらしい」
「ならいいけど……」
「絵は全部過去のリメイクだって言ってたもんね」
正確には火音が双極性を再発したせいで月火の悪夢障害が誘発されたのだ。
たぶん綾奈と知衣が仮説として立てた共鳴によるものが正しいだろう。
「ごめんね。気付いてあげられなくて」
「気付かないように隠してたのは俺らだし」
「……僕、学園に編入して医療コースだけさっさと済ませようかな」
「教師が生徒に戻るな。混乱が起こる」
火光の考えを否定すると水月が手を打った。
「僕がやって火光に教えれば……」
「あいつが二人に教えればいい話だろ」
「授業の合間にでも教えてもらおっと」
「僕も混ぜてね」
水月と火光は拳を握って意気込む。
この二人を見て自分の価値に気付かないほど月火は馬鹿なのだろうか。
勉強はやる気次第でどうにでもなる。
月火のやる気、と言うより全ての原動力になっていたのは他人から見放されたくなかった一心で全てにしがみついていたのだろう。
あの小さな体で全てをこなそうと思ったら相当な負荷がかかったはずだ。
これからは楽になるといいのだが。
その日の昼間、休みの四人が園長室に行くと仲良さげに話す麗蘭と紫月、我関せずで立ったまま本を読む玄智がいた。
前に火音が読んでいた本だ。
「生徒ほったらかして何やってんの」
「火光! 話し合いは終わったか」
「うん。用は?」
麗蘭は本を読んでいる玄智に声をかけると玄智から説明させた。
どうやら親の分かる子や家に帰れる子は教員と空いていた補佐官に頼んで家に帰らせたらしい。
それでも何年も経っているので迎えられなかった子や家族を嫌がった子、家族がいなかったり分からなかったりする子は火神の屋敷で面倒を見るのはどうかと玄智から提案が出た。
家事や生活に関してな朱寧が、出来なかった勉強を教えてくれるならという条件をつけて引き受けてくれることになった。
「で、紫月様は聞きたいことがあるんだって」
「月火、この体は九尾のものじゃ。妾は九尾を月火につけた」
「貴方が私につけただけであって本来の主は貴方でしょう。私の許可はいらないと思います」
どうせ白葉を返してくれや貸してほしいという願いだろう。
また死んで成仏しろと言うほど月火は酷ではない。
紫月の顔が明るくなると黒葉が出てきた。
夜のうちに九尾に戻ったのだが耳の生えた紫月、人間の白葉に近付くうちに人の姿へと変わった。
二人とも、顔は同じで髪と目の色がそれぞれ白と黒の一色だ。
着物も同じ柄で色が違うだけになっている。
帯は同じ赤色だ。
たぶん神的な力で話しているのだろう。
人間には聞き取れない言葉だ。
「あの耳触りたい」
「黒葉のなら触ってもいいですよ」
玄智は目を輝かせ、早く話しが終わるのを待った。
話終わり、月火に呼ばれた黒葉が近付くと玄智からだけでなく、水月と火光からも耳を触られた。
驚き、くすぐったいのを我慢する。
「……三人とも、もういいですか」
「うん、満足!」
「それは何より」
月火が黒葉の額に指を当てると黒葉は九尾に戻り、姿を消した。
人間になるにはかなりの妖力を使う。指を当てて戻すのは妖力をさっさと吸い込むためだ。
「記憶が飛んだのじゃ」
「九尾になってましたから」
「なんと。九尾め、一言残せ」
紫月は頬を膨らませると一人でなにかを話す。
昨日、白葉と話していた火音もこんな風に見えたのかと思うと逃げたくなってきた。
月火に真顔で見られたが元凶は月火なので無表情で見下ろすと顔を逸らされた。
「うむ、それでよい。……なんじゃ」
「なにも」
「そうか。火緖」
「なんだ」
話に興味を示さなかった火音は呼ばれたので視線を紫月の方に向けた。
「其方は神々の血を引く子じゃ。神々に入れ」
「断る。面倒臭い」
「面倒の一言で片付けおって!」
気持ち的には面倒臭いのみだが一番は周囲の反応だ。
今、火音は火神に見捨てられた男と言う不名誉な異名が広がっている。
そこで神々になるとなれば神々の弱みに漬け込んだやら火光に懇願した、月火と婚約したのではというおかしな噂まで出てくるだろう。
それだけは避けたいのでおとなしく断っておく。
「全く……。本当に血は争えんの」
「なんか火緖って新鮮だね〜」
「本人は慣れないようですよ」
火音でなら反射神経で返事が出来るのだが火緖では一瞬考えなければならないので反射で返事が出来ない。
皆が火音呼びでよかった。
「まぁ良い。……火緖、妾の刀は?」
「こいつが持ち主だ」
「渡しませんよ。先に法律を頭に入れてください」
月火の鋭い視線を受けて紫月は目を丸くしたがすぐに首を傾げた。
「ほーりつ?」
「律令法みたいなものです」
これから、誰かに頼んで現代教育もしてもらわなければならない。
平安と現代では違いすぎる。
「そう言えば菊地はどうなりました?」
「あれは封じてある。火音が刺した子供は解放したぞ」
菊地が麗蘭たちの妖心に取り憑いたせいで五つ子姉妹と菊地は生き続けるのだ。
麗蘭達の整理がついてから取り返す方がいい。
「疲れた〜!」
火神の屋敷の様子や、朱寧との話し合いが終わった夕方。
寮に戻ってきた水月は勢いよく床に寝転がった。
「踏むよ」
「やめて」
火光と火音はソファに座り、月火は廊下のダンボールと紙袋の宛名を見ながら火音の前に置いた。
火音はげんなりする。
バレンタインデーには見慣れた光景だ。
「すごい量だね」
「何するの?」
「食べれるもの使えるものと無理なものに分ける」
「髪の毛混入とか当たり前ですよ」
月火は試しに紙袋に手を入れて一番上のを取ってみた。
適当に取っただけだが確実に髪の毛入りだ。
水月と火光は複雑な顔をする。
「……こっわ」
「人気者も大変だねぇ」
月火と火音は隣同士に座ると間の床にダンボールを、反対の床に紙袋を置いた。
慣れた手つきでそれぞれ紙袋とダンボールに入れていくがほとんどダンボール行きだ。
「どうやって見分けてるの?」
「ほとんど名前ですね。あとは明らかに怪しいやつとか色が変なものも」
ストーカーやそういう気質の人は嫌でも耳につくので名前で判断することが多い。
名無しや初めて見る人は裏表を見て大丈夫なら紙袋に入れる。
「紙袋行きのは食べるの?」
「売ります」
「売る。だいたい二、三日で完売する」
毎年恒例行事だ。
火音は教師になってから、教員たちに差し入れだと言って渡したら勝手に食べてくれるようになったのでそれで処理することもある。
月火は十円二十円で売り飛ばす。
「売ったら変にこじれそうだけど」
「笑って感謝しとけばだいたい黙ります」
水月と火光は顔を見合わせると肩を竦めた。
過激なファンが多い二人だからこそ苦労するのだろう。
比較的平均な顔でよかった。
月火は途中で夕食のために離脱し、火音は終わってから毎年買い占める友人に連絡する。
こうして、騒がしくも楽しかった妖神学園高等部一年生は幕を閉じた。