49 想い
「けほっけほっ……煙たい……」
「失敗しましたねぇ。でも出れたので良しとしましょう」
今は迫ってきた赤黒くうねった壁に月火が妖力をぶつけ、穴を開けたのだ。
菊地と話した時、月火が閉じ込められていたのは菊地が意識的に作り出した空間だったと聞いた。
なので同じように雷的なものをぶつけたら穴が開くと思ったのでやってみたら。
「成功はしてない。けほっ……」
「あまり吸い込まないで下さいよ」
「言われなくても。……けほっけほっ……」
咳き込む火音は先程から袖を畳んで口と鼻に当てている。
それでも少し吸ってしまったのでしばらく咳は続くだろう。
「……あ、ここ学園ですよ。ラッキー」
「けほっ……気持ち悪い……」
「えぇ?」
月火は火音を支え、煙がない端に避ける。
すると晦が駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!? いきなり……えぇ……!?」
「事情は後です。先に休ませますね。あ、向こうに従姉妹ちゃんがいますよ」
歳上にちゃん付はどうかと思うが今の月火はすこぶる気分がいいので自分で許しておく。
月火は黒葉と紫月を連れて寮に戻るとソファに火音を寝かせた。
少し咳が落ち着いたところで水を飲ませると落ち着いたようだ。
呼吸の異音がなくなった。
「はぁ……喘息が再発するところだった」
「してたんですよ。て言うか喘息も持ってるんですか」
「うん」
これは後で話を聞かなければ、ということを思った瞬間、思い出した。
「兄さんたちへの説明……」
「……熱っぽい。先に寝る」
「ちょっと待て」
月火は嫌がる火音を必死に止める。
二人が叫んでいると黒葉が膝枕をしていた少女が目を覚ました。
濃い紫の髪に赤い目をした少女だ。
「あれ……面……! あ、ごめんなさ……!」
「黒葉、弟妹のところに連れて行ってあげてください。紫月はどうします?」
「皆に挨拶をしてこよう」
「刀は置いていってくださいね」
寮が二人きりになったのでとりあえず着替えだけさせる。
月火がジャージに着替えてから珈琲を淹れていると火音が部屋から戻ってくると同時に酷くお怒りの水月と火光も帰ってきた。
「火音、こっち来い」
「……はい」
火音はおとなしく火光について行くと水月の部屋を借りてお互い、床の上に正座した。
蛇に睨まれた蛙、鷹の前のすずめの気分だ。
「……あのさ」
「はい」
「別に隠し事が駄目ってわけじゃないんだよ」
「はい」
「僕だって誰にも言ってないことはいっぱいあるしそりゃ知られたくない秘密の五個や十個はあるよ? 月火にだけ打ち明けられるのはそれでもいいし無理に聞き出そうとは思わないけどさ。僕だって血は繋がってなくても弟として過ごしてきたじゃん。火音が言ったんでしょ。血よりも時間の方が濃いものをくれるって」
火光だって素っ気なくしていたが火音がずっと心配だったのだ。
初めて会ったのは二歳か三歳頃らしいし兄弟として会うにしては遅いがそれでも兄なのだ。
血の繋がっていない水月と月火を本物の兄妹と思っている。
それはたとえ血が繋がっていなくても、戸籍上は赤の他人でも兄という認識なのだから仕方がない。
火音はあんなにも優しくしてくれて可愛がって気にかけてくれたのに火光は何も返せていない。
前に水月と晦に言われたのだ。
不器用すぎる。
火光自身、何がおかしいのか分かっていなかったが貰う一方ではいつか飽きられると言われ、普段ならまさかと思うところをその時は冷や汗をかいた。
月火の料理しか食べられないのは知っていたし月火だけが寮に上がれることも知っていた。
しかし、最近は自ら月火の方に寄っていっているような気がしていて、それと同時に火光から離れて言っているような気がしたのだ。
現に今、前のように優しく全てを甘やかすようや声は滅多に聞かない。
「……いいんだよ、別に。どんだけ迷惑かけても。火音が兄弟じゃないって言うなら僕も言わないからさ。せめて友達として、同僚として頼ってよ。僕ばっかり迷惑かけてたら僕が嫌だもん」
「……うん」
「分かったら! 今持ってる秘密、せめて今日出てきた分だけでも話して。よく分からないところは分からないって言ってくれていいから!」
「……うん」
それから約二時間ほど二人で話し続けた。
食事のこと、共鳴のこと、双極性障害のこと、薬のこと、月火との精神的な繋がりや白葉のことも。
さすがに子供の頃からうつ病だったと言われた時は耳を疑ったが確かに滅多に姿を見ておらず、よく医者と話していることは知っていたので怪しくはなかった。
「……こう聞くと僕って頼りない弟だったんだね」
「それは……!」
「火音が迷惑をかけないようにしてたってのは知ってるよ。月火に話しやすいのも共鳴のこともあるんだろうけどさ。たとえ月火で共鳴で繋がってても真面目に向き合おうともしない人には話さないでしょ?」
火光が首を傾げると火音は目線を下げた。
「それは……そうかも……しれない……」
「だよねぇ? もうちょっと頼れる人になるよ。僕も教師だし! 大人だし!」
馬鹿に前向きなのは稜稀と水月に影響されて育ったせいだ。
火音は顔を上げると眩しそうに目を細めた。
「ありがとう」
「当たり前のことだよ。成長したらちょっとは褒めてね」
「うん」
それから二人の時間に満足してから静かなリビングに行くとリビングは暖房もつけないまま圧迫面接のようになっていた。
二人は向かい合ってソファに座り、水月は足を組んで頬杖を突き、月火は足と手を揃えて座って背筋を伸ばし、固まっている。
普段、三時間走る時より汗の量は多い。
全て冷や汗だが。
「水月、話し合いの意味分かってる?」
「あれ、もう終わったの」
「怒ってるねぇ」
火光は水月の肩に手を置くと落ち着かせた。
火音は目眩を起こしている月火の頭を撫で、落ち着かせる。
「……どこまで」
「全部」
「裏切り者」
「火光には勝てなかった」
「飽きたんじゃないのか……」
月火は火音を睨むと自分の手が冷え切っていることに気付いた。
過去にこれほど脅えたことはあっただろうか。
どれだけ怖くても逃げたくても、足がすくんで動かないことをいいことにその場で威張り散らして他人を見下していた。
火音は得意分野と言ったが傍から見ればただの最低なクズ人間だ。
何故神々の当主になったのだろう。
唯一の女の子だから?
過去には一度だけだが男の当主もいた。
水月達が初になることはなかったのだ。
何故だろうと考える。
どれだけ考えてもその答えは分からず、馬鹿だと自己嫌悪に陥る。
自己嫌悪する自分が嫌になって、頑張っているのだから褒めてと言う自分を甘えるなと潰し、いくつも感情を失った気がする。
素で喜んだ時はいつ以来だろうか。
誕生日に画材を貰った時も、何故という疑問がつっかえて自分の素ではなかった気がする。
この人形のような自分が嫌いだ。
せっかく努力して、火音でさえ手に入らなかった当主になれたのだからそれでいいだろう。
駄目なのだ。
何もかもが足りない。
水月なしでは仕事も出来ない。
火光がいなければ勉強も分からない。
火音がいなければ毒を吐き出せず、さらに蝕まれる気がする。
玄智がいなければ化粧品のひとつも作れない。
炎夏がいなければ運動すらまともに出来ない。
結月がいなければ女を知ることすら難しい。
自分は一体なんなのだろうか。
「月火!?」
見つめていた手のひらを見れば大粒の涙が何粒も落ちていた。
頬を伝い、膝や袖にも落ちる。
ここは火音が過ごすソファだ。
早く退かなければ。
よろめく足で立ち上がろうとすると後ろにいる火音が肩を押さえて止めた。
「落ち着け。大丈夫だから」
「で、も……」
「大丈夫。好きにしたらいい。お前の寮だ」
「月火、大丈夫?」
水月の後ろから心配と驚きを含んだ表情の火光が月火に手を伸ばそうとしている。
水月は楽しそうに笑うばかりだ。
しかしそれに気付いた火光にげんこつを落とされ、頭を抱える。
「いったーい! 何すんの!?」
「なんで妹泣かせるの!? 話し合いって言ったじゃん!」
「だって泣いた方が楽じゃん! 月火、学園に入ってから泣いたことないんだよ!?」
「知ってるけど!」
授業中でも真夜中でも、四六時中お構いなしでやってくる兄達だ。
月火の行動ぐらい把握している。
「なんかさぁ、あるじゃん!? 人前で泣いたら恥ずかしいとか泣き姿は見られたくないとか! 思春期真っ只中の女子だよ!?」
「え!? うそごめん月火!」
「馬鹿水月! 不器用はどっち!?」
「それは火光」
二人の叫び声が響き渡り、月火はそれでも止まらない涙を必死に拭いながら火音はそれを落ち着かせる。
生まれて初めての経験だ。
こんなに泣いたことはない。
転んでも転んだことを謝るだけ。
叩かれても叩かれるようなことをした自分を責める。
何をしても自分が責められていたのだ。
周りからは、泣けば許されると思うな、顔で生きていけると思ったら大間違い、立場を盾にするな。
いつだってそんなことを考えたことはない。
いつも自分が愚図だから、馬鹿で出来損ないなのが原因だと分かっていたのだ。
月火だって好きでこんな出来損ないになったわけではない。
水月のような仕事能力も、火光のような頭の良さも、火音のような運動神経も、玄智のような優しさも、炎夏のような勇敢さも、結月のような愛らしさも。
どれも喉から手が出るほどに、心の底から望んだことだ。
でも無理だった。
だから必死に努力して、頑張っていたのに。
周りはそれを甘えだと言って削ってえぐって踏み荒らす。
私の中に入ってくるなと、土足で踏み荒らすなと何度も拒否したのに。
いつになってもそれは変わらない。
今日だって、自分一人で解決出来ただろう。
見つけてもらえなくなるのが怖くて理由をつけて立ち止まっていただけだ。
黒葉に聞けば分かったことだろう。
だが、助けて欲しかった。
私は無力なのだと。
何も出来ないただの子供なのだと。
そう分かってほしくて、ただ自分のわがままで下手したら皆が怪我をしていたかもしれない。
あのままあの子供と戦っていたらどうなっていたか。
役立たずと思われたくない。
でも期待もされたくない。
もう構わないでくれと。そう思っていたはずなのに。
何故私はこうも我儘な性格に育ったのだろう。
皆がいるから、皆がやってくれるから、皆が守ってくれるからと怠け続けた結果がこれだと言うのに。
我儘すぎる。
こんな自分が大嫌いだ。
もっと優しく、暖かく、人間らしく生まれたかった。