46 彼女を追って
「ふむ、人に触るのも久しぶりじゃな」
月火と似た顔付きの指貫袴を着た中性的な女は火音の肩に触る。
いくら月火の祖先だからと言って、気待ちいいものではないので静かに払う。
「なんか増えた……」
「見えてなかったのか?」
「火音が一人で喋ってるだけだった」
これは変人扱いされるパターンではないだろうか。
後で説明をつけてもらおう。
「……ていうか白葉がいないと月火と意思疎通が出来ない」
「火緖と言ったか。妾は名乗っておらぬな。妾は神々紫月、神々の初代当主だ」
紫月は胸を叩くと紫月様と呼べと笑った。
月火と同じほどの小さな身長だ。
「それは知ってる」
「意思疎通だったな。共鳴しておるのだからそのくらい出来るであろう」
「共鳴が不定期すぎてどうしたらいいのか分かってない」
「それはこう! ギュッとなったらぱーっと!」
もしや説明は水月タイプだろうか。
擬音と効果音で説明されても何も分からない。
火音が半目になると突然、紫月に白葉の耳が生えた。
思わず後ずさる。
「強く想ったら繋がりが見えるからそれを辿るそうよ」
それだけ言えば耳は消え、紫月が動き出す。
「流石九尾!」
「もういい。月火にはどうにかして伝えるからまずは声を抑えろ。うるさい」
高い声を馬鹿のように叫ばれては頭が痛くなる。
既に鼓膜は限界を迎えているのだ。
「む、これは失敬。……さ、着替えろ。奴らの前で無礼を働けば命など十個あっても足りん」
話の切り替えが早すぎる。
少し疲れてきた。
火音は大きな溜め息を吐くと諦めた顔の水月を見た。
「だそうだ」
「……屋敷に行こうか」
紫月は走りながら水月について行く。
「火音」
「終わってから説明する」
火光の鋭い声が塞がれていた声に刺さる。
いくら血の繋がりが薄かったとて弟と思っていたことに変わりはないのだ。
共にいる限り冷たいこの目と声を浴びせられるなら離れた方がいい。
火音は迷わないように皆について行くと屋敷に入って袴に着替えた。
当主以外に正装などない。
居間に行くと水哉が茶を飲んでいた。
「早いね」
「慣れているので」
まだ二分程度だ。
プロでも十分はかかるというのに相変わらず多才なことを。
「火神の一件は聞いたよ」
「そうですか」
別に聞かれたとて問題はない。
今年のお盆は久しぶりに自炊になるだろうか。
また月火に料理を教えてもらおう。
それから少しすると月火の袴に着替えた紫月と紫月を手伝っていた稜稀、それぞれ着替えた水月と火光が戻ってきた。
「やはり端正な顔をしておる!」
「そうか。で、どこに行けばいい?」
「つまらん」
「悪かったな」
火音は早く帰って引きこもりたいのだ。
火光の視線が全身に刺さる。
「……どこにも行かん。奴らの住処はこの屋敷からすぐだ」
「近いのか」
「それは人による。求める気持ちが強ければ強いほどそれはすぐに見えてくるだろう。だが何を求めているか分からないのであればさまようことになる。永遠にな」
それはもしや月火が今いるところではないだろうか。
違うのだろうか。
もし白葉がそこだと言うなら死ぬ気で伝えよう。
「刀を持ってこい!」
「……触らせないからな」
火音は踵を返すと一度屋敷を出て行った。
その間に玄智は火光の袖を引く。
「先生、共鳴って何? なんで火音先生は白葉の言葉が分かるの?」
「知らない。火音も月火も誰にも言ってないから」
「何か隠してるとは思ってたけど……。こんな形で聞きたくなかったな」
水月が頭を抱えると稜稀が水月と火光の頭に手を伸ばした。
「月火は裏表が激しい子だから秘密主義の火音君に話しやすかったのかもしれないわ。どんな理由でもちゃんと聞いてあげてね」
「うん」
「……分かってる」
火光が視線を逸らしながらそう言うと紫月が覗き込んできた。
少し仰け反る。
「な、なにか……?」
「火緖と似ておるな。兄弟か?」
「関係ないことは聞くな」
戻ってきた火音がそう言うと紫月は目を輝かせて振り返った。
「妾の愛しの妖刀よ!」
走ってきたので三本の妖刀を高く掲げ、手が届かないようにする。
「なっ卑怯だぞ!」
「必要な時以外は触らせないって言ったろ。まさか初代当主が言うことを聞けないわけじゃないよな?」
火音が黒い笑みを浮かべて首を傾げると紫月は黙り込んだ。
「……全く。早く刀を振るためにも奴らの元へ行くぞ!」
紫月は拳を突き上げると廊下を駆け足で走り出した。
あちらは奥に向かう方だが何故だろうか。
とりあえず見失わないように追いかける。
かなり足が早いのでついて行くので一苦労だ。
「む、最奥の間は……」
「左に曲がった奥」
「そうか」
また走り出したのでついて行く。
紅揚秘刀太が重すぎて腕がつりそうだ。
「ここだな! 我が部屋は!」
「何年経ってると思ってる」
「だが配置は何も変わっておらん」
「マジか」
千年以上前の部屋だが変わっていないらしい。
神々当主の性格がよく分かる。
紫月は中に入ると襖を開けて何かを取り出した。
木と竹で作られた箱だ。
手のひらより少し大きい程度だが何に使うのだろうか。
「ふんふんふん。流石我が血筋。分からぬものには触っておらぬのだな」
紫月は蓋を底と重ねると、中のものを零さぬよう慎重に進み最奥の間のさらに奥にある中庭を開けた。
水月と火光でさえ見た事なかった見事な庭園が広がっている。
「おぉ!? あの何もなかった中庭がこのような……! 時の流れは素晴らしいものだ!」
紫月は感激するとその勢いで箱の中身を中庭にばらまいた。
瞬間、枯山水や木々が生えていたはずの中庭が一変して池のようになった。
中央に赤黒い鳥居がある。
「集まれ」
紫月の元に皆が集まると紫月は先ほどから見せていた、興奮したような、おちゃらけた表情とは打って変わって真剣な顔になった。
月火が時折見せている神々当主の顔だ。
「奴は危険じゃ。生半可な気持ちでかかっては後悔するぞ。奴は人の命を惜しまぬ。それでも行くのじゃな?」
紫月の確認に皆が強く頷いた。
ここで頷かなければ来た意味がない。
たとえ誰が殺されようと月火は助ける。
「分かった。……神の名の血が流れるのは妾も嫌じゃ。最善を尽くそう」
窓を乗り越え、中庭で靴を履く。
「良いか、己を見失うな。向こうに行くということは怪異の世界に行くことだと思え。己を失えば、はぐれ、二度と会うことは出来ぬぞ」
紫月を先頭に鳥居をくぐると鳥居の中は思ったよりも荒んでいた。
怪異が怪異を喰い、また新たな怪異に喰い喰われる。
食物連鎖の全てを目の前で見ているような感覚だ。
「これで妾も刀を……」
「断る」
火音は紅揚秘刀太の紐を解くと大きく一振した。
周囲の怪異が一刀両断され、祓われる。
「どこに行けばいい」
「つまらん。まことにつまらん!」
「あの口振りじゃどうせ後で戦うんだろ。楽しみは取っておけ」
紫月は頬を膨らませる。
どこかの誰かは絶対に見せない顔だ。
「火緖、先を行け」
「どこに……」
「願え。道が現れる」
火音は紫月の言っていることが理解できないまま歩き出した。
たぶん、刀に想えと言う言伝を残したのも紫月だろう。
やり方だけ教えて後にどうなるかは分からない。
月火と似たものを感じるのはやはり血で繋がっているからだろうか。
火音は紅揚秘刀太を紫月に渡すと妖楼紫刀を肩に乗せ、白黒魅刀を手に握りながらひたすら歩く。
時々群がってくる怪異を断ち切り、どれだけ歩いた事か。
ここの時間軸がどうなっているのか知らないが向こうと同じならもう真夜中と言う時間だ。
いつもは月火と話す時間だろうなと思いながら歩いていると新しく踏み出した足元に違和感を覚えた。
「氷……」
「この世界に水など存在しておらん」
ということは。
「あー寒」
皆がどれだけ心配したことか。
その声はいつもと変わらぬ呑気な声でそう言ってのけた。
皆が勢いよく振り返ると髪を一つに束ね、黒葉を傍に使えた月火が立っていた。