42 怒涛の三日目
「火音! いい加減隆宗を休ませてあげて!? もう三日目よ!?」
火里の怒鳴り込みで午後の説明が止まってしまった。
月火はまた集中が切れると思いながら火音を見た。
火音は自身の仕事をしながら隆宗に教えている。
実に器用な事だ。
「まだ三日目だ。最終日なんだから我慢しろ」
「もう限界よ! この三日間昼食も取らせずに……こんなにやつれて!」
「普通、あの程度の仕事は一時間あれば終わる。サボってたのは自分だろ」
火音が睨むと火里は黙り込んだ。
火音が当主教育されている時、大変だ可哀想だと言って嗤ってきたのは火里の方だ。
サボっていた自業自得だと言うのはよく分かるだろう。
「で、でも……」
「でもも何もありません。ただでさえない集中力が切れるので出て行っていただけます?」
月火が睨むと火里は歯を食いしばった。
すると机の前に立ち、隆宗のパソコンを無理やり閉じた。
「お父様が呼んでるわ。来なさい」
「いいですよ。ちょっと息抜きです」
月火は立ち上がるとパソコンを鍵付きのケースに入れて珍しくおとなしい火音について行く。
火音が傍系と分かったのは去年末らしい。
今回のことで縁を切りたいと月火に頼んできた。
ちゃんと養子離縁届も持っている。
「お父様、火音呼んできたわ」
「入りなさい」
火里は静かに襖を開けると疲弊し切っている隆宗とともに部屋の奥に座った。
「火音、お前に話がある」
「俺はない。先にこれにサインしろ」
火音は手に持っていた離縁届を緋火の傍に落とした。
ヒラヒラと舞い、緋火の傍に落ちる。
母親の和桜も唖然とした様子だ。
「なっ……な、なんだこれは」
「漢字ぐらい読めるだろ。とぼけるな」
「火音、これは……」
和桜が真っ青な顔で立ち上がり、火音に手を伸ばすと火音は後ろに下がった。
「お前らが血に執着する理由がよく分かった」
「お父様……どういう事?」
どうやら火里は知らなかったらしい。
届を見て混乱している。
「……どこで知った」
「産みの母親の顔を覚えてる。赤の他人かと思って適当に調べて最後に家系図を見た」
「俺の部屋に入ったのか!?」
「私の部屋ですよ」
月火は腕を組み、緋火を見下ろした。
「別に家族に隠すのはご自由ですけど。神々当主にまで黙っているとこうなった時に色々と問題が出てくるんですよね。誘拐だとかすり替えだとか。今回は実母に連絡が取れたのではっきりしましたけど。脅したそうですね」
月火が微笑んだまま軽く首に角度をつけると緋火は黙り込んだ。
和桜は勢いよく緋火を見下ろす。
「脅した……ですって……!? 実母が体調を崩したから預けられたんじゃないんですか!? 私は! 無理やり取り上げた子を育てたんですか!?」
「ちがっ……」
「そうですよ。経緯を話しましょうか」
月火の問に和桜は深く頷いた。
事は二十三年前のクリスマス。火音の誕生日で夜中の十二時すぎ。
まだ十六の少女が父親も分からぬまま双子の男児を出産した。
母親は体が弱かったこともあり、一度は生死をさまよったが兄は経膣分娩で、弟は帝王切開で無事に生まれた。
しかし帝王切開で生まれた弟は母親に似て病弱。
父親は未だ分からず、本人も心当たりがないと言うので誰にも頼れず、それでも母親は自分の子だと言って世話を焼いていた。
ある日、年が明けて間もない頃。
弟が体調を崩した。
出先で熱が出たため近くの病院に駆け込んだがそこでは急患であるにも関わらず何故か診てもらえず、少し離れた大きな病院を紹介されたので救急車でそちらに向かった。
向かった病院で言われたことは弟には異常すぎるほどの妖力があるということ。
母親は妖輩者ではなかったが父親がそうだったのだ。
彼らの父親は、その想いが強すぎるがために実体化した元恋人の妖心。
人間とはかけ離れた妖力を持った子供は瞬く間に噂となり、大勢の妖輩が彼を求めた。
しかしまだ生まれたばかりの乳児期。
母親は決死の思いで妖輩界のことを調べ、匿ってくれそうな神々家へ逃げ込もうとしていた。
しかし神々家の当主は第一子の悪阻でそれどころではない。
「で、その頃から頭のネジが緩んでいた湖彗が同い歳の娘がいる火神を紹介し、逃げ込んだところで脅された。それも弟だけを取り上げて母親と兄は追い出したそうですね。水虎様が幼い頃、ご自分の屋敷で匿っていた少女がいると言っていました。まだ初等部に入ったばかりの頃ですが屋敷を貸したら子を世話しながら管理をしてくれた、と」
神々当主の情報網をなめないでほしい。
徹夜で関係者を探れば連絡先ぐらいは分かった。
和桜は顔が真っ青を通り越して真っ白になり、緋火は俯いて黙り込んだ。
火神はその血筋を辿れば代々顔は似ているのだ。
そして妖心の主だった元恋人もまた、火神の遠く離れた血縁者だったため実子の火光と火音は似たのだろう。
「そ……な……私は……脅した子を……!?」
「別に脅した子か預けられた子かはどうでもいいんですよ。問題は! 妖力目当てで血の繋がらない傍系の子供を直系の子として神々に報告した事。何故御三家の家督を養子に継がせないか分かりますか? 妖力の問題じゃありません」
月火は袖から緋火の写真をばらまいた。
調べている時にネットに載っていた写真をたまたま見つけたのだ。
どこかの女子と歩く姿。
「生まれた子の妖心と! 先祖の妖心が繋がって神聖なこの力を守るために当主だけは実子に継がせていました。傍系の火音さんはまだしも一滴も血の繋がりがない隆宗に、しかも当主と言い張るだけでまともに仕事をしないんですね。火神には失望しました」
和桜は写真の数々を見て怒りに震え、緋火と隆宗は小さく震える。
火里は何か言いたそうだが月火の圧で何も言えないようだ。
空から滴る雨が地面を打ち付ける。
「今後、火神は神々が管理します。貴方たちは用済みです」
元々、仕事を回すための駒でしかなかったのだ。
玄智一人いれば仕事は回る。火音がいればやらなくていいこともやってもらえる。
火神の将来は安泰だ。
「お待ち下さい月火様」
「何か?」
何故かやってきた智里は少し怯えを含みながらも胸を張った様子だ。
これで性格と立場と過去の所業が治ったら火神を継がせる人にはいいかもしれない。
何故中身がこうも腐ったのだろうか。
「火神の家督は私が継ぎます。玄智はまだ学生……」
「私も学生ですけど? 貴方の可愛い姪もその夫も同じことを言って火音から立場を奪ったそうですね。彼が当主になればこんなことにはならなかったでしょう。神に愛された実力のある方ですもの。それを学生で、大変だから? どれだけ幼くても家督を継げるよう幼い頃から仕事を叩き込んだのでしょう」
何か違いますか、と聞けば智里は少し俯いた。
月火とて神々の当主になれるぐらいの頭はあるのだ。
こう言い返されても説明出来る言い訳を考えてきてほしかった。
「教育と称した毒殺未遂。稽古と言い張る体罰。あぁ、火光の件も貴方が関与していたそうですね。まだ幼い子供だからといって罵詈雑言吐き散らして精神的苦痛……。おかげで色々と患いましたし。警察に言えばもう火神ではない貴方はすぐに捕まるでしょうね。火神でも捕まるでしょうけど」
「な……そ、それはだけは……! 御三家の汚点になるのは……!」
「私がなるわけではないのでどうでもいいです。家督を剥奪された時点で過去最大の汚点なので」
少なくとも歴代の火神当主は厳格で誠実な人だった。
火神の名を与えた神々の四代目当主によれば、嘘を吐かず、完璧と言っていいほどの忠誠を誓ってくれたそうだ。
何故こうも中身が腐ったのか。
やはり別の家の血を入れるべきではなかったのか。
「話は終わりです。早くサインして下さいます?」
月火がしゃがんでペンを渡すと和桜はすぐにサインし、動かない緋火の代わりに和桜がサインをした。
月火は要項を確認すると火音に渡す。
「と、当主様……もし……出来るなら……」
「なんですか」
「母方に謝罪を伝えて下さい。言い訳をする気はありません。ですが……子を取られる辛さは私も火音を取られた時に味わいました。せめて、申し訳ありませんと……伝えて下さい……!」
これは本当に母親の役目をやりたかったのだろう。
大粒の涙を流し、深く頭を下げる和桜を見下ろすと火音を見上げた。
「こう言ってますけど」
「連絡するのはお前だろ」
「貴方がいいなら」
火音が小さく頷いたので和桜は床に頭を付けて深くお礼をした。