41 真の名
一日目の昼食時、玄智がやってきた。
「二人ってご飯どうするの?」
「食べる時間が無駄」
「飴を一つだけお願いします。これのエネルギーが切れそうなので」
「はーい」
すぐに玄智が飴を持って戻ってくると同時に前当主である緋火がやってきた。
火音は飴を食わせるとまた説明を続ける。
「火音、根を詰めすぎると……」
「日常茶飯事なので」
「だが隆宗は……」
「邪魔しないでもらえますか? 他人の作った料理は食べられないと言ったでしょう」
いくら言っても聞かないのがこの頑固親父だが一応言っておく。
後で月火が責めやすくなるだろう。
「それはただの我儘だろう? 人に作ってもらって何が悪い?」
「緋火様……」
「玄智は戻っていなさい」
玄智は眉を寄せると月火を見た。
小さく頷かれたので少し安心して部屋を出る。
普通、他人が、それも目上の人がいる場所で子供は貶さない。
謙虚に見せようとしすぎて子供の第一印象を悪くしたり子供を罵倒する親と認識される可能性があるからだ。
それをよくも月火の前で出来るものだ。
本当に常識がないのだろう。
「はぁ……隆宗、覚えたか」
「たぶん」
「嘘だろ。やってみろ」
「火音」
しつこい緋火に苛立っていると月火が口を挟んだ。
「思ったよりも馬鹿なので時間がかかりそうです。今日を含めた三日で終わらせる気なので邪魔しないでくれますか」
「しかし……」
「火音さんは他人の料理が食べられません。全て機械で作ったインスタントを機械で作ったと言うなら食べるかもしれませんが」
例えば機械で作ったインスタント麺に機械で沸かしたお湯を機械で注いだなど。
適当な例を挙げると緋火は黙って出ていった。
遠くの部屋から月火を罵倒する声が聞こえるのはきっと気のせいだ。
試しに録音しておこう。
月火の空耳なら録音には入らないはず。
「……終わる気がしない」
「変わりましょうか」
「頼む」
月火は火音の隣に並ぶと隆宗のパソコンを覗き込んだ。
本当に資料の説明からいっているが一切覚えていない。
月火が五歳の時に、火音が四歳頃に覚えたものだ。
「何も触らず聞いて下さい」
月火は一度全て消すとファイルを開くところから頭によく残る声で囁く。
脳内にはびこるように説明した後、やらせたら頭の中にある声通りに操作した。
「適当に操作を教えて下さい。表を作って実践しながら覚えさせます。これで無理なら火神家を潰す気でいます」
「分かった」
月火は自分のパソコンを開けると資料の説明やどんな種類の仕事をどこの資料を見てどういう手順でやって誰に渡してどうなればいいのかを一つずつ表を作る。
こういう時にタッチパネル派で良かったと思う。
床に座ってマウスを使うことなく快適に操作出来る。
月火が時々保存しながら表を作っていると声も掛からずに襖が開いた。
「パパ! 叔父様も!」
「みおなぁ〜!」
「澪菜さん、これあげるので今日と明日と明後日はこの部屋に来ないで下さい。少ないなら明日また持ってきますから」
「分かった! 可愛い!」
こうなることを予測してわざわざ型抜きアイシングクッキーを作ったのだ。
明日からは学園が始まるので玄智は今日の夕方に帰ると言っていたのでその時に澪菜も連れて行くのだろう。
炎夏と暒夏は正月早々、学園に戻ったようだ。
月火と火音は火光に頼んで明日と明後日は休みにしてもらった。
澪菜が大喜びして出ていくと隆宗は絶望し、火音はその頭を叩く。
「集中しろ」
「もう疲れた……」
「これで? 今までどれだけサボってたかよく分かる」
月火はその言葉を鼻で笑った。
ただの一般人が火音の教育についていけるはずがない。
それを朝から昼食も抜いてなどまさに鬼だ。
月火でも内心悪態を吐くだろう。身の安全のためにも声には出さない。
それからやる気を出さない隆宗が仕事に手を付けることはなく、午後は全く進まないまま終わった。
「絶対緋火の邪魔のせい」
「でしょうね」
「邪魔するならあいつがやればいいのに……」
夕食のために屋敷に帰った九時頃。
今日はまだ皆が居間に残っている。
「集中力なさすぎるだろ」
「あれが普通かと」
「御三家に入るんだったら普通以上じゃないと」
「それは厳しすぎるのでは」
食後のデザートとして皆に余った型抜きアイシングクッキーを出したが月火と火音は手を付けずに表を作り、仕事をしている。
隆宗の様子を見て細々と作っていたら終わらなくなったのだ。
眠れなかったら徹夜でもいいが眠れる時に眠っておきたいのでかなり焦っている。
「なんで当主やってんだか。そもそも緋火が教えないせいでこうなってんのに……」
「外面」
「……はい」
火音もまた、新しく入った仕事で手が回っていないのだ。
火光は今日の夜中に行くらしいので準備をしながら二人の会話に聞き耳を立てている。
「……終わり。疲れた」
「お疲れ様です」
明日は月火も一緒に仕事かもしれない。
眼鏡を持っていこう。
視力は悪いがある程度は見えるので放置しているのだ。
ただ、当主になってパソコンに向かうことが多くなったので眼鏡を使って無理やり焦点を合わせていることがある。
目が痙攣してきたら休憩しろと言われている合図だ。
「面倒臭くことしてるわね。何かあるの?」
「隆宗が馬鹿すぎて仕事が進まないので操作だけ教えて表を見ながらやらせることにしたんです。それの表でしょう」
「そうです。ものすごく疲れます」
水月に頼んだらやってくれるだろうか。
そもそも当主の仕事は知らないので無理かもしれない。
当主の仕事は丸秘のものが幾つかあるので本当に当主になる者以外はなるべく仕事を教えないのだ。
月火はそのせいでまだ学生だと言うのに他人に仕事を任せられないので大きな事件の後は多忙を極める。
まだ月火が起き上がれる状態ならいいのだが前のような意識不明の重体で仕事が舞い込んできたら絶対に妖輩界は回らなくなる。
あの時はまだ当主が稜稀だったので何とかなったのだ。
当主を継いでしまった今、もし月火が動けなくなったら火神と水神の仕事係に迷惑がかかってしまう。
月火だけが倒れたらいいのだが、水虎は三級と言っても実力は一級以上だし、火音に至っては月火の共鳴相手だ。
月火が瀕死の時に二人が無傷である方が珍しい。
瀕死の傷を神通力で治そうとしても回復に体がついて行けず、表面の傷は治っても精神的に負荷がかかる可能性が大きいのでこればかりはどうしようもない。
本当は何度も細かくわけて神通力で治したらいいのかもしれないが生憎、月火にそんな妖力はないので無理だ。
大きさに関わらず、使うこと自体に妖力が根こそぎ持っていかれるのでそんなに細かく使うことが出来る人は滅多にいない。
部屋に戻った月火は黒葉にもたれ掛かりながら神々の表も作るかななどと考える。
『当主は大変ね』
『昔はもっと楽そうだったわ。遊び回っていたもの』
「昔が分かるんですか?」
どの伝記にもそんな表記はなかった気がするが月火が忘れているだけだろうか。
月火が手を動かしながら驚いたように聞き返すと白葉が何かを言おうとした時、襖の奥から火音の声が聞こえてきた。
「月火」
「どうぞ」
「……言っておきたいことがある」
珍しく不安そうな表情に少し驚きながらパソコンを閉じた。
黒葉と白葉は端に避ける。
「なんですか」
「……俺の出生に関することだ」
「出生?」
火神家の直系の子だろう。
火光ともよく似ているし別におかしなことはないと思う。
月火が首を傾げると火音は気まずそうに顔を逸らした。
一体何が言いたいのか。
「何かおかしなことでもあるんですか?」
月火が首を傾げると火音は突然うずくまってうめき始めた。
「言いたくなぁい……」
「えぇ……?」
「……お前に言ったら確認出来るかもと思って……稜稀さんに迷惑はかけれないし……」
「なんですか? まさか隠し子がいたとか」
「俺の出生じゃないそれは」
月火とて分かっているがそれしか思い浮かばないのだ。
月火が火音の背をさすって落ち着かせていると白葉が静かに寄ってきた。
『出生に関することなら家系図を見た方が分かりやすいんじゃない? 主様が継いでいるでしょう?』
「確かにありますが……」
「……見る」
月火は火音を立たせると二人で当主の本部屋に向かった。
屋敷で一番広い、最奥の間だ。
「ひろ……」
「五十二畳だそうです」
月火は中に入ると押し入れを開けて二段目に飛び乗った。
二段目の天井は高く上がっており、飛び乗っても立てる。
「えぇと、この辺に……」
月火は中を漁りながら覗き込んできた火神に少し厚みのある畳まれた紙を渡す。
「神々と……火神と……水神……その他」
『広げて』
黒葉に引っ張られて何もない奥の間に行くと三枚のかなり古びた紙を丁寧に広げた。
火神の家系図だが、縦横八メートルの正方形の紙だ。
そこに真新しい玄智の代から古びた初代まで途切れることなく繋がり、傍系も把握出来る限りは記録されている。
全て同じ字だが誰だろうか。
「で、なんですか?」
「……俺はたぶん直系の子じゃない。どこか傍系の……養子になる」
「えっ?」
全く想像していなかった斜め上の言葉に月火は腑抜けた素っ頓狂な声を出した。
開いた口が塞がらないのは生まれて初めてだ。
「え? だって……兄さんと……当主……え?」
「どこの家か分からないが……和桜が俺を妊娠したという時があるべき年になくて」
「混乱してきたんですけど……」
火音は家系図に手を突くと直系の先祖を辿る。
「……たぶんここ。……七代前」
「遠っ!? 七代前の傍系が……」
「うるさい」
月火は手で口を塞ぐ。
だが七代前で別れたなら血はかなり薄まっているはずだ。
火音のような完璧超人が生まれるとは思わないしそもそも火光と容姿が似すぎている。
「……まさか兄さんも……」
「火光は違う。直系だ。……誰かとすり替えられてても誰も気付かないけど」
「えぇ!?」
そろそろ怖くなってきた。
月火は白葉の元に逃げるように近寄る。
「……あった」
火音は七代前から辿ったかなり遠い傍系を指さした。
嫡子になれなかった人達が他家に嫁ぎ婿入りした傍系だ。
たぶん本人たちも火神に繋がっているとは思っていないだろう。
「……本当ですか」
「たぶんな」
名も売れていない底辺家系だ。
代々妖輩の血を引きながらも妖輩コースにも入れず、補佐や情報で中辺の順位を取っている家系。
双葉火緖