36 帰省
十二月も終盤。
月火と火音は鼻歌でも歌い出しそうなほど上機嫌で絵を描いていた。
明日からは本家に帰省する。
それまでに誕生日プレゼントで貰った液タブで絵を描き続ける。
火音までご機嫌な理由は誕生日の夜中。
月火が稜稀と電話で話すのに部屋にこもり、水月が寝ているであろう時間だ。
火音が絵を描いていたら火光がクリスマスプレゼントだと言って三十二インチの月火と同じ液タブをくれたのだ。
火光がそそくさと帰った後、何よりも火光の少し照れた顔に悶絶していると月火に奇妙な目で見られたのは二人だけの話。
月火が上機嫌で絵を描いているが家事も完璧にこなすところは自制心の塊だと思う。
最近は薬も効いており、悪夢もあまり見なくなったそうなので絶好調だと言っていた。
火音も安定剤で躁状態が減ってきたので安心しているのだ。
「二人とも、明日って何時ぐらいに出る?」
「一応九時だと思ってます」
「じゃあ九時って思っとく」
水月は話し終わった後も興味があるのか出ていかない。が、邪魔になるわけではないので気にしない。
「……こう見るとさ。火音ってよく我慢してたね。最近は暇さえあれば描いてるのに」
「前は暇さえあれば仕事だったからな。最近は仕事が減ったから」
「そうなの?」
そう。来年から火音は一年生のクラスを持つことになったのでコース主任を降りると宣言したのだ。
それを麗蘭が了承してくれたというかさせたので引き継ぎが終わった今、仕事はほとんど無いに等しい。
他人から見たら多忙だと言われるが絵を描く時間さえあれば問題ない。
「もっと言ったらよかったのに。毎年なんでもあげるよ?」
「そんな欲張りじゃない」
必要なら自分で買うのが基本なので他人に強請る気はない。
誕生日に寮に届いた不在伝票には全て受け取り拒否の連絡を入れたのでこれで絡まれる心配もない。
翌日、四人が正月のため帰省すると水哉が出迎えてくれた。
稜稀が離婚してからは水哉と二人暮し、時々水月なのでこの光景も見慣れた。
流石の炎夏と玄智も正月は帰ってこいと言われたそうで、二人は一日に日帰りで行くと言っていたので今日は四人だけだ。
火音は家の言うことを聞くほど従順ではない。
「今年はおせちどうしようかと思って」
「作ります。練習もしたいので」
「いいの? もうなくてもいいと思ってるんだけど……」
「やれることはやっておいた方がいいですから」
月火は髪を束ねるとその日の昼食とおせち料理を調べながら作り始めた。
その日、月火は一日中台所に立ちっぱなしで火音は時々様子を見に来てはしばらく絵を描いてからまた戻って行くを繰り返していた。
何がしたいのかと聞かれれば暇だからと答えられたが一瞬見えたタブレットには絶対に月火を描いているであろう絵が見えたので後で火光を使って消させよう。
その日の夜、月火は火音といつも通り夜中まで話す。
もうみんなは寝たであろう深夜一時半だ。
「去年までおせちって母様が作ってましたよね」
「任務って言って出掛けてた」
「……だからいなかったんですか」
てっきり実家に帰ったのかと思っていたが違ったらしい。
月火が物心ついた時は既に幼稚部に通い、火音達は初等部だったのだが長期休みはいつも本家に来ていたのだ。
幼稚部には寮がないので普段はいない水月と火光と火音がいる空間が不思議でならなかった。
初等部に上がり、個人寮か集合寮か別れる時に月火は個人寮にして小一から自分で家事をこなしていた。
それもあって今は目を瞑っても出来る状態なのだが月火が火音と会話をするようになったのが初等部三年ぐらいの頃。その時火音は高等部一年なので今までどうやって暮らしていたのか。
自炊はするし家事も最低限は出来ると言っていた。火音の最低限は平均のプロなので心配はしていないが火音が痩せ型で背が小さい理由が分かった気がする。
「ご両親はいい人なんですよね。叔母に殺されかけていたならご両親に相談すればよかったんじゃないですか」
「たぶん十回以上は言ってんだよな。対処するとか次やられたら言いなさいとか言われて言っても辛かったねで終わり」
「血は争えませんね」
血は争えない。類は友を呼ぶ。蛙の子は蛙。
どれも火神にピッタリの言葉だ。
「神々に生まれたかったなぁ……」
「火神に生まれたからこその火光兄さんでしょう」
「そもそも産まれなかったら存在しないだろ」
火音が神々に生まれたとしたら今のひねくれたガサツな性格もなかったと思う。
全て狂人血縁者のせいでこうなったのだ。
「そもそも俺が他人の料理食べれなくなった理由も親なわけだし」
「そうなんですか?」
「親が変な料理とか気持ち悪い顔しながら作るから無理になった。……なんでお前のは食えるんだろ」
「さぁ……」
皆には人の感情がないと言っているが人の感情はあるのだ。ただ、それが極端に薄い。
最近は上機嫌で作っているが前は人生最悪の感情で作っていた。
しかしその時の料理でも気持ち悪さは全くないのだ。
「感情面なら共鳴に関係しているのかもしれませんね」
「……あの目が気になってるんだが」
「私は自覚がなかったので……。あの狐は監禁されたままですし」
「神々の当主も会えないってどうなってるんだよ」
どうなってるんだよと言いながらも、内心は分かっている。
一度目の狐が逃げたせいで二度目の狐は逃がしまいと躍起になっているのだ。
しかしその裏では一度目も二度目も『実体化済みの怪異』として人間と言うことを隠蔽し、処理されようとしている。
人間の反逆者、しかも妖輩者なら学園や上層部の評判はガタ落ちするだろう。それ等の一切を仕切る双葉姉妹はそれを恐れているのだ。
「小心者め」
「え?」
「なんでもない。……飲む」
「……はいはい」
月火は立ち上がると熱燗とつまみを用意し始めた。
今年はおせちの事もあるので早めに帰ってきたのだ。まだ大晦日までは日がある。
「なんかさ」
「なんですか」
「……やっぱいいや。この前、下駄箱開けたら職員室に来いって手紙があった」
「誰から?」
もしやと思いながら聞き返すと期待外れの名前が返ってきた。
「麗蘭。それで職員室に戻ったらダンボールいっぱいに知らない奴からのなんか色々が詰め込まれてた」
「それは……」
「終業式の日」
終業式は誕生日の翌日だった。
今年は色々ありすぎて教師陣が生徒の安全について会議をしているうちに冬休みが遅れたのだ。
帰らせる派の火音と帰らせない派の麗蘭で争っていたが結局は死ぬなら親の元でと言って帰らせた。
「こうなるから言わなかったんだよ……!」
「兄さんから貰えたんですからいいでしょう」
「てか、あのタブレットいつ買った?」
半日ほど出掛けていることは滅多になかったし休日は料理に専念していたので買う暇などないと思っていた。
火音が首を傾げると月火は力の抜けた笑顔で同じ方に首を傾げた。
「いつでしょうねぇ?」
「隠し事が多いな」
「お互い様です」
お互い様と言うが火音は月火にしか言っていないことが結構ある。
誰にも心配されたくないし弱みに付け込まれても嫌なので言わないが月火は黙って頷いて聞いてくれるので話しやすい。
それに変に解決案を出してこないのでいつの間にか色々なことをさらけ出しているのだ。まさに聞き上手。
「せめて水月にでも話したらいいのに」
「隠し事が下手なんです。兄さんに言うぐらいなら火音さんでいいです」
「お前って聞き上手だよなぁ」
火音が何気なくそう呟くと月火は目を瞬いた。
「そうですか?」
ただ、解決案を考えるのが面倒なだけだ。
それと自分は黙って聞いてろと思うので聞いているだけ。
「俺も黙って聞いてもらえる方が話しやすい」
「聞き上手なんて初めて言われた気がします。ほとんどただの首振り人形だって言われるので……」
前も友人の話を電話で聞いていたら解決してくれないなら用はないと通話を切られたのだ。
月火は相談教室ではないしカウンセラーの人間でもないので何でもかんでも頼らないでほしい。
医療コースで心理学を学んでいる程度だ。
「そもそも愚痴るなら親か親友にでも愚痴っとけばいいんですよ。相談されて逆ギレされるこっちの身にもなってほしいです」
「それは分かる。……お前って敬語抜けないな」
「癖ですよ」
「素は違うだろ」
火音がそう言うと月火は目を丸くした。
火音の前ではずいぶん表情が増えたものだ。
「湖彗の時も狐罵倒した時も。あっちが素だろ」
「……どうでしょう」
やはり最近は仮面が剥がれやすくなってしまう。
気を付けないとまた稜稀に正座させられる。
月火は頬を押さえると頬杖を突いて左手で絵を描く火音を見た。
「右利きじゃありませんでした?」
「両利き。昔は右で受け身を取る癖が治らなかったから左でも描けるようになった」
「器用ですね」
そう言うが月火も両利きだろう。
よく、真夜中に絵を描いている時は左手を机の上に放り出して右手で描いている。
「元は右利きです。父に言われて左になりました。兄さん達も生まれつき左だと思ってますし」
「左に直されたのか。珍しい」
左利きを右利きに直すのはよく耳にするが右利きから左に直すのは初めて聞いた。
火音が驚くと月火は自分の両手を見た。
「よく左利きは天才肌と言うでしょう。馬鹿な人間は次期当主を天才と思わせようとして左にさせられたんですよ。仏教の日本で左利きは面倒事が多いので一人の時は右手で過ごしてます。……両利きみたいなものですね」
幼稚部の頃に蹴られながら左利きで生活していたのでもう慣れた。
稜稀が仕事をしている時に湖彗に蹴られていたのだ。泣かない子供だったし心配もかけなくなかったので今も黙っている。
水月と火光は幼稚部の頃は滅多に会えなかったし稜稀も器用な子という認識だったので誰からも何も言われなかったのだ。
何故右利きが平凡なのかとずっと疑問に思っている。
馬鹿と天才は紙一重ということわざの通りなのだろうか。
「苦労してんな」
「火音さんほどじゃないです」
「お互い様か」
火音は割り箸でむき枝豆をつまむ。
激辛醤油和えだ。
「辛いなぁ」
「辛いものにしましたから。どうせ飲むだろうと思って買ったんですよ」
「流石」
本家に来たら絶対に飲むのは当たり前になった。
成人の年に稜稀と飲み明かして潰されたのはいい思い出。
「母様も強いですからね……」
「絶対、神変奇特酒でも酔わない」
「あれは毒酒ですよ」
神変奇特酒とは酒呑童子が最後に飲んだ酒と言われている。
あれを飲んで倒れたところを源頼光と藤原保昌に退治されたのだ。
酔い以前に毒が入っている。
「麻痺してるところを襲うのは卑怯だろ」
「作戦でしょう」
「正々堂々戦え」
「正々堂々戦って勝てるならそれはもう」
そもそも鬼も怪異だと思っている人はいるが鬼と怪異は違う。
鬼や妖怪は生まれつきその種族に生まれたのだ。怪異は人間や動物の魂が悪霊化して人々に姿を見せるようになったものを言う。
妖心もそうだ。
「……で」
「兄さん達は何やってるんですか?」
二人が細く開いた襖を睨むと明らかに影が動いた。
月火が開けてみれば水月と火光、稜稀と水哉までいる。
「ど、どんな話をしてるのかなと……」
「通りかかったら灯りが点いてたからさ……?」
二人が半目で見ていると水月は項垂れた。
「……秘密主義の二人だから聞いたことない事が聞けるかもと思ったんだもん」
「隠し事が多すぎて何かあっても分かんないし。ねぇ火音」
火光が火音を見下ろすと火音は眉を寄せた。
「なんもしねぇよ」
「しないならそれに越したことはないよ」
「そうよ。じゃあ皆で飲みましょう!」
稜稀は戸惑う水月と火光を中に押し込むと、月火は人数分のつまみとコップを用意して部屋の隅で正座をする。
火音は火光にいつもの七十度近い酒を少し飲ませ、後は稜稀に渡した。
親と兄のこんな姿は見たくなかったと思いながら月火が傍観していると案の定、下戸で一口も飲めない水月と水哉は潰れ、火光もある程度飲んだところで潰れた。
最後はいつも通り火音と稜稀の酒豪対決だ。
ただ、火音も酔うには酔う。それが静かすぎて他人には気付かれないと言うだけだ。
稜稀は笑い上戸なので一晩中笑っていた。
「……見たくなかったなぁ……」