35 誕生日会
「飲みたい」
「帰って下さい」
「飲みたい」
「帰れよ……」
いつもの深夜一時。
火音は躁状態で眠れず、月火はまた夢を見たので絵に描き起こしている。
「持ってこようかな」
「ここ学生寮なんですけど。なんで学生の部屋に酒が置いてあるんですか」
「最近は帰るのが面倒臭くなってきた」
面倒臭いと言っても階が変わった真上なのでエレベーターのボタンの数を二つ増やせばいいだけだ。
前は食事をしに通うだけだったのに最近は完全に月火の部屋に住んでいる。
十一月も半ば。
肌寒くなってきたのでヒーターと加湿器は必須の季節だ。
「テンションは普通なのに眠れない」
「それは可哀想に」
「暇〜」
口調が火光のようになっている時点で普通ではない。
最近は火音の国宝級笑顔にも慣れてきた。
あくびをした後の涙目で見上げる顔はまだ厳しい。
「何か淹れますか」
「珈琲。ブラックで」
「分かりました」
月火はお湯を沸かしている間に珈琲の準備をする。
朝はドリッパーで淹れるのだが夜は面倒臭いのでインスタントだ。
「……そう言えば欲しいもの見つかったか?」
前の文化祭の時。
月火が何かを嫌がったので何故か火音が交換条件で誕生日に好きな物を買うと約束したのだ。
なんだったかは二人とも記憶がないのでよく分からない。
「悩んだんですけどやっぱり液タブがいいかなと思いまして」
「大きさは?」
「二十四インチぐらいですかね」
先日、水月に頼んで少し大きめのダンボールを持ってきてもらい、大掃除と思いながら試供品一式と布の種類や色の本などを全て本家に送ったのだ。
郵便で送るつもりだったのだが水月が一度帰ると言うので月火の部屋か空き部屋にでも突っ込んどいてと頼んだ。
絶対に開封しないようにと念を押して。
邪魔なものがなくなった部屋は想像以上に広く、今は感動している最中だ。
元々白のような明るい色は目が痛くなるので黒で統一していたのだが片付けたら思ったよりも黒かった。
「作業環境がどんなもんかにもよるけど……」
「そう。園長に言われたんですけど」
十月末頃、月火と水月と火音は全員で特級に上がったのだ。
試験は簡単だったし怪異も弱かったので半日で済んだ。
「火音さんとか先生達が入り浸ってるって言ったら寮を移動して部屋数を増やすのはどうかって言われたんです。何十年か前に建て替えた時に壁が埋まらなかったので適当に一つ、大きな部屋を作ったらしいです」
計算せずに書いた結果だが書き直すのが面倒臭くなったので適当に埋めて提出したら受理されたらしい。
あれが園長でこの学園は大丈夫だろうか。
「で、質問なんですけど火音さんって誰も住んでいなかった部屋なら大丈夫なんですか?」
「知らん。でも神々の本家で部屋を貰った時は大丈夫だった」
元々長くいる気はなかったし壊されたくないものを保管する用の部屋として借りていたのが今の部屋だ。
本当に数ヶ月に一度様子を見に行く程度の予定だったので潔癖の事などは何も伝えずに借りたのだが火光がいる環境と言うのがあまりにも心地よすぎて長期休みは神々の本家に行くことが当たり前だった。
「どこの部屋でしたっけ」
「居間を進んで二本目を左に曲がった四つ目」
「えぇと……確か四代目からは誰も入ってなかった気がします」
「全部覚えてるのか?」
あの無駄にデカいと言っては失礼だが馬鹿広いあの屋敷に誰がいつ住んでいたなど本当に覚えているのか。
火音が目を見開くと月火は弾むように頷いた。
「たまに畳の下に大切なものが隠されているという日記を見つけるので」
「……物好きだなぁ」
月火は暇潰しだと笑うと話を本題に戻した。
「で、本題ですけど。誰も住んでない部屋なら大丈夫なんですか?」
「たぶん。埃一つないのを前提としてな」
火音は数ヶ月間一緒にいるが、未だに月火がいつ家事をしているのか分かっていない。
本人曰く、「やれる時にちょっとずつ」らしいが夏休みの課題でもあるまいし定期的に必要になってくるのが家事だ。
人に隠れて出来ることではない。
「じゃあ今月中に移動します。今度掃除してきます」
「ちなみに部屋数は?」
月火は嬉しそうに笑うと指を四本立てた。
「月火〜、引越し祝いに新しいパソコンあげる」
「え!?」
「初期設定は終わらせたから後はパスワードだけだよ」
十二月になり、月火が小さな引越しを終えると水月がそう言って本当に新品のパソコンをくれた。
しかも火音が先日買っていた最新機種だ。しかも黒。
「ひ、引越し祝いにしては高すぎるのでは……」
「まぁ貰い物なんだけど。貰い物と言うか、僕が買ったんだけど友達に欲しかった海外のやつを冗談で頼んだんだよ。そしたら誕生日プレゼントだって言って本当に買ってきてくれたから月火にあげる」
何と優しい友達なのだろうか。
水月の誕生日は一月三日でまだ早いが本当にくれたのだ。
今日は改良部品を買ってきたついでに立ち寄った。
「火音が買い替えてたからそう言えばと思って」
「ありがとうございます。やった」
月火は嬉々としてそれを受け取ると早速パスワードを決めてデータを移し始めた。
火音は汚れが目立つように銀にしたが水月は黒色だ。
今度はどんな絵を描こうか。
「あれ、火光は?」
「たぶん炎夏のところ。国語教えに行くって言ってた」
「教師の鏡だねぇ」
水月は月火の画面を覗き込みながら時々火音に視線を向ける。
「二人ともタッチパネル派?」
「私はそうですね」
「俺は置く場所ないから今はパネル。普段はマウス」
水月は無線マウスだった気がする。
月火がタッチパネル派だと言うと皆に驚かれるのだ。
何故ついているのに使わないのかと思いながら疑問に思っている。
「……よし。これで大丈夫ですよね」
「うん。後は追追やって言ったらいいよ」
月火はパソコンを閉じるとスケッチブックでパソコンのデザイン案を考え始めた。
「あそう言えば前に言ってたアトリエは出来たの?」
引っ越した当初、月火、火音、水月の部屋を作り、最後の一室をアトリエにすると意気込んでいたのだ。
火光はこれ以上入り浸ったら晦に精神をえぐられると断られたのでアトリエにして、今は火音の液タブと板タブ、タブレット、月火の引き出しの奥底から出てきた大量のスケッチブック等を置いている。
それと色鉛筆や線画用のペン、カラーペン、筆、キャンバスやイーゼルなどの画材は全てアトリエに詰め込んだ。
そのために家具も買い足した。
「最後に私の液タブが来る予定なんですけど……」
月火が火音を見ると火音はパソコンを置いて寝転がった。
「注文はした。二十四日に届く」
「いいねぇいいねぇ。趣味の部屋だねぇ」
水月の趣味部屋は本家の一室にある。
機械類や月火と火光のアルバム、家族──父親を抜いて──の写真や学生の思い出などは全てそこに置いてある。
ちなみに火光の趣味部屋は何人たりとも足を踏み入れることは出来ない。
本人はしょっちゅう出入りしているが開けたらだいたい目の前に火光がいて手刀が落ちてくるのだ。
「火音はプレゼント何がいい?」
「え?」
思ってもよらなかった質問に素っ頓狂な声を出すと水月は当たり前と言うように首を傾げた。
「何?」
「なんで俺……」
月火の誕生日プレゼントの話ではなかったのか。
火音が起き上がって水月を見ると水月は不思議そうに目を瞬かせた。
「火音の誕生日でもあるでしょ?」
「……そうだけど」
「欲しいものある? ない? ないなら月火に聞いてイラスト関係のもの買うよ」
時々、自分と水月の年齢が逆に思えてくる。
なんと言うか、お兄ちゃん感が半端ない。
「……あるっちゃあるけどないな」
「何それ。月火分かる?」
「さぁ。火光兄さんの写真集とかじゃないですか」
「それは是非欲しい」
火音が食いつくと扉の方から嫌そうな声が聞こえた。
「やめてよ。僕が嫌」
「おかえり火光」
「水月も帰ってきたんだね。……あ、最新機種!」
月火が水月の話をすると火光は興味津々に近付いた。
「火光、欲しい?」
「欲しい」
「じゃあ買おう」
「でも買い替えたばっかりなんだよね」
即決した火音を止めていると水月が輝いた目で火光を覗き込んだ。
「じゃあお古のパソコンは僕にちょうだい。火光の機種、人気すぎて在庫が全然ないんだよね。あ、もちろん買い取るから」
「別に普通にあげるよ……?」
「いいの!?」
欲が人を変えるというのは本当なのだろう。
火音が火光にパソコンを買い、喜ぶ火光を見て楽しんでいる。
火光は最新機種なのでスムーズに仕事が出来てご機嫌。
水月は欲しかったものも手に入ったし弟妹が嬉しそうなので上機嫌。
欲というのは素晴らしいものだ。
「あ、来たんじゃない?」
二十四日のクリスマスイブ。
月火の寮にインターホンが鳴り、月火は飛び出した。
今日は液タブが届く日なのだ。
今まで板タブで描いていたので首が痛くなったのだがこれで解消される。
よく火音からアナログが上手いと言われるのだが月火も実はデジタル派だ。
それを健康上の理由でアナログにしていただけ。
月火は火音に説明を聞きながら手早く設定をする。
「専門知識だね」
「でも教師って感じ。聞いてるだけで何となく分かった」
「それは水月だからじゃない?」
月火は大喜びすると早速描き始めようとした。
しかしその前に手を止める。
「……先にケーキ作ります」
「すっごい自制心」
月火はペンを置くと火音のリクエストでチョコケーキを作り始めた。
本当は抹茶ケーキがいいのだが火光が抹茶の風味を苦手としているので火光の好物のチョコにした。
ちなみに月火は食べれたらなんでもいいらしい。
食べれなくてもいいと言っていた。
「本当になんでもやるね」
「やれることはやっておいた方が将来助かるらしいです。母様が言ってました」
「母さんらしいや」
水月と火光はカウンターに並び、手早く生地を混ぜる月火と話す。
火音はあの意地悪精神が働いてアトリエで絵を描いている最中だ。
先日、月火の過去の絵のリメイク版が送られてきたのでどういうことだと問い詰めたら何ヶ月か前に見たスケッチブックの記憶だと言われた。
本当は今すぐ消したかったが八時間かかったと言われれば流石に躊躇ってしまい、その間に逃げられた。
何故晦はこんな人を好いているのだろうか。
「母さんの誕生日プレゼントは明日届くみたいだよ。おじい様からも」
「貰ってばかりで申し訳ないんですが」
「誕生日に贈ってるんだから平等だって」
月火は底にオレンジピールを敷いた四角い型に生地を流し込むとオーブンで焼いた。
「兄さん、はいチーズ」
「なに急に」
笑顔でピースをした火光の写真を火音に送ってから既読の瞬間に消した。
返信は返ってこなかったので放置していると火音が部屋から出てきた。
酷くご立腹だ。
「当て付けか?」
「仕返しです」
「可愛げがない」
「大人気ない」
二人が睨み合っていると空狐がやってくると同時に黒葉が出てきた。
白葉は昼寝中だ。
月火が焼けたケーキを型から外しているとまたインターホンが鳴った。
「誰か出て下さい」
「僕出るよ。たぶん僕のだし」
そう言って水月が持ってきたのは大きなダンボールだった。
火光は不思議そうに中を覗き込む。
「うんうん、いいねぇ」
「なんですか?」
「明日のお楽しみだよ」
水月はダンボールを持ち上げると部屋に置きに行った。
翌日、最近は眠れている月火が教室に行くと皆がお祝いしてくれた。
「おめでとう月火! はい誕プレ!」
「おめでとう」
「おめでとう〜」
月火は受け取ると三人ともから帰って開けてと言われたので鞄に入れた。
少しすると暒夏もやってきてプレゼントを渡された。
やはり貰いすぎな気がしてしまう。
「今日、雪降ってるけど体育どうなるんだろ」
「ホワイトクリスマスだね」
「雪合戦かな」
「まさか。雪だるま作りでしょ」
その日、寮に帰ってから早々につまずいて転んだ。
「おかえり月火。……大丈夫?」
「真ん中に荷物置かないで下さい……」
月火が立ち上がって手をさすっていると火音と火光も帰ってきた。
かなり早いお帰りだ。
「おかえりなさい。早かったですね」
「なんで家の中で転ぶわけ?」
「荷物につまずいたんですよ」
何故転んだことを知っているのか。
月火は二段重なっているダンボールを持つとリビングに移動した。
開けると小さい方は稜稀と水哉から、もう一つは社員からだった。
「律儀な人達……!」
「いい社長の印だね」
「今度水月兄さんの誕生日も流しときます」
「なんで……」
月火は火光に手伝ってもらいながらプレゼントを開封する。
稜稀からは綺麗な簪と水哉からはひし形の青いピアスだった。
「似合いそう」
「いかに個人で選んだかが分かるね」
月火は水月の言葉に苦笑しながらピアスを付けてみた。
火光にスマホを構えられたので顔を隠す。
「撮影禁止」
「今日ぐらいいいじゃーん!」
「せめてケーキを出してからにして下さい」
月火は不満そうにスマホを下ろす火光を見て何かを思い出したように立ち上がって一度部屋に戻って行った。
月火が何かを持って戻ってきたので水月と火光も合掌し、二人で水月の部屋に行く。
「……先に渡しておきます。はい、誕プレ」
「雑いな」
「適当ですよこんなもの」
月火が渡すと火音は起き上がってタブレットを消してから開封した。
しかし箱を開ける前に水月と火光も戻ってきたので二人からもそれぞれ受け取る。
火光からはブランド時計、水月からは超高級な酒だった。
何より驚いたのは月火のプレゼントだ。
そこまで大きくはなかったので何かと思って開けてみたらタブレットだった。しかも神々製品。
火音が絶句していると水月が口を開いた。
「それじゃあ月火にはこれ」
机に置かれた大きな箱を開けるとこっちもまた絶句した。
「で、僕からはこれ」
火光から渡されたそれを見て月火は大慌てする。
水月からは絵描きなら一度は夢見るアルコールマーカーの全色セット。しかも一色三本。
これで二十万近くはいく。
そして火光からはアルコールマーカー専用紙と火音とお揃いのタブレット、ペン付。
その日、二人は終始混乱したまま終わった。