25 調査 兄
妹の涙で濡れた手を月火が石鹼で洗っていると赤城がやってきた。
「あ、こんにちは火音さん!」
「お前、中学生の中にいても違和感ないな」
「身長はチャームポイントです!」
ふんす、と鼻息を荒くする赤城を見下ろしていると手を拭いている月火が顔を出した。
火光と水月は妹の処置について麗蘭と話し合っている。
「よかったな月火、お前より小さい先輩がいて」
「火光兄さーん?」
「悪かったって。赤城を見習え」
「火音さんに褒められた!」
面白みのない反応をする月火と何を言ってもポジティブ馬鹿に捉える赤城を見下ろしていると月火が首を傾げた。
「どこかで……」
「赤城兄の妹」
「あぁ」
「兄がお世話になっています!」
元気溌溂とした赤城は敬礼のポーズをする。
そういえば月火も今朝やっていた。火光と水月が連写して消すふりをして別のフォルダに移していたはずだ。
「そういえば知ってますか、火音さん。妖輩者と補佐官と情報担当でグループが出来るって話」
「知らん。興味ない」
「なんでも妖輩者一人に対して補佐官と情報担当が二人になるらしいですよ。火音さんと月火さんと火光先生に関しては目の前で理性を保てる方と情緒が安定する方を探すので一苦労なのにお三方とも凄腕なのでそれに見合った……」
「よく回る口だなぁ」
赤城の噂報告は水月と火光が戻ってくるまで終わらず、興味がないので火音も月火もそっぽ向いているだけだった。
結局妹は連れて行くことになったようで、泣きながら付いてくるので変に悪目立ちした。
「麗蘭はどこ行った」
「月火が代わりになるからお役御免だって言って書類作りに行った」
せめて火光や火音に任せるなら分かるがまさか生徒に丸投げするとは。
麗蘭の中で月火は生徒なのだろうか。神々の当主なのだろうか。
あれはけじめをつけられないことが多いので常に同じ立場の関係しか出来ないのだ。
なので火音が火神当主代行と報告に来ても職員として接せられるので火音も半ば諦めている。
麗蘭を見事牽制したのは月火だけではないだろうか。姉でさえ難しいと聞く。
もし月火が抑えられるのなら今度から付き合わせよう。これは本当に便利だ。
そんなことを考えながら歩いているといつの間にか教育コースの大学部寮に来ていた。
兄は妖力を持つが何故か教育コースを志望したためこちらに通っている。
火光の一つ下の後輩だ。
もう隠す意味もないので月火がインターホンを押す。
しかし押しても物音ひとつ聞こえない。
「留守ですかね」
「ぽいね。部活かサークルかなぁ……」
「……兄は部活にもサークルにも入ってないです。……今の時間帯は月火様を探し回ってると思います」
そういえばストーカーだった。
月火が半目になってどうしようかと水月を見上げた時、目を丸くした。
「こんにちは。俺に何か用ですか」
水月は肩を震わせ、月火に近付きながら振り返った。
そこには犬鳴とは似て似つかない青年が立っており、火光の後ろに隠れた一菜の腕を掴んで引き寄せた。
「本当に邪魔ばっかするな。妖力も持てなかったお前が月火様の側に立つな」
「ごめんなさい」
兄の珀藍は一菜の腕を話すと寮の鍵を開けた。
「どうぞ、水月様と火光様とは一度話してみたかったんです」
寮の中はまさに異常、それがよく似合う空間だった。
写真で一番幼い頃のは中二の頃。月火が大怪我を負った時期だ。
写真だけでない。イラストやフィギュア、月火が持っているアクセサリーなどはすべて揃えられている。
「月火様に出逢ったのがたった三年前なんです。全然写真も揃えられてなくて。これには妹に負けました。妹は六歳の頃の頃から火音先生を追いかけていたそうですよ。最初は気味が悪かったんですけど血は争えない物ですね」
月火は火光の腕を掴み、近付いた。火光が月火を抱き寄せ、水月が二人を庇うように立つ。
とりあえず火音は麗凪に連絡して通報してもらうよう頼んだ。
「あ! 月火様を傷付ける気はありませんよ!? 僕は月火様に触る気はありませんから」
「月火の寮にカメラを仕掛けたのも珀藍だな?」
「はい。皆さんと楽しそうに話す月火様を眺めているときが何よりも幸せでした。授業や任務中、それに課題をしているときの真剣な顔もいいですけどやっぱり天女の微笑ですよね! あ、走ってる時の姿もかっこよかったなぁ」
珀藍が頬を紅潮させ、幸せに浸っているとかなり嫌いな方に分類される声が聞こえてきた。この男を何度恨み、妬み、殺そうとしたことか。
「なんで授業中のことまで知ってる? お前も講義があるだろ」
「そんなもの本を読めば嫌と言うほど分かるし大学卒業試験は終わらせてる。本当は月火様と一緒に受けたかったんですけどあいつのせいで月火様にストレスを……。あまりにも悲しそうな顔してたから引き留めちゃったんだけど……」
犬鳴と関りがあった日と言えばあの時だ。
確かにあの後、珀藍に腕を掴まれて引き留められた。
月火が右の手首を押されると珀藍は狂気に満ちた満面の笑みを浮かべた。
「あの時の驚いた顔は可愛かったなぁ。嫌われたくないから撮れなかったんだよね。すっごく残念。本当に可愛かったのに……!」
珀藍はしゃがみ込んで頭を抱えると嫌いな目で見下ろしてくる火音を睨み上げた。
「いくら兄の兄だからって君は好きになれないや。大っ嫌い。なんで一菜はこんな能面男が好きなんだろう。神経疑うよ」
廊下で精一杯睨んでくる妹に睨み返すと立ち上がって火音に近寄った。
「弟にも構ってもらえない可哀想な君が月火様の婚約者候補とはね。あぁ、そう。こいつもだけどあいつはいつか殺したいな。水神暒夏。会う度会う度馴れ馴れしくべたべた触ってさ。月火様はあんなのが触っていい人じゃないのに。しかも婚約者は月火様が紹介したんでしょ? いいな、ずるいよ。なんで僕じゃないんだろう」
月火が表情の消えた火音を横目に固まっていると後ろから手を引かれた。
一菜が涙目で大きく首を横に振っている。これ以上は精神不安定に陥るらしい。
月火は水月の手を引くと火音を先に出させて自分もさっさと出た。
ずっと重たく、息苦しかった呼吸がなくになる。
「火音、どうしたの」
「火音先生、もう少しですから耐えてください」
火音は月火のスマホを受け取ると欣喜雀躍の気分でそれを眺め始めた。
火光と水月は覗こうとするがのらりくらりとかわされる。
「本物の方がいいでしょうに」
「もう見れないもんの方が希少価値上がるだろ」
「売ったら……」
「やめろ馬鹿」
言い切る前に罵倒されながら止められたので黙る。
「ねぇ月火、何の写真?」
「世界一の好物」
「火音僕にも見せて!」
「プレミアが下がる」
月火の写真と言うことを忘れないでほしいが気分が上がったのならそれでいい。
それから少しすると麗蘭がやってきた。
「あ、火音先生スマホ!」
月火のを返せと言う意味だったのだが火音のスマホが宙に弧を描いて飛んできたので仕方なく受け取る。
「何するの?」
「綾奈さんか知衣さんに連絡して安定剤を持ってきてもらわないとあの状態ではまともに会話することもできません」
「確かにそうだね……」
月火は綾奈と知衣に連絡すると綾奈に安定剤を頼んだ。
しばらく返せそうもないので写真フォルダを眺めたり個人情報を見たりしていると火音が覗き込んできた。
「個人情報だぞ」
「いつかはバレますって」
「特に面白いこともねぇだろ」
火音がスマホを交換すると月火は軽く首を横に振った。
「すっごく面白かったです」
「何が」
「誕生日が……やっぱりあんまりおもしろくないのでいいです」
「誕生日が一緒?」
月火は首を振る。
火音は思いつくものを順に挙げていくが人形のように首を振って否定され、結局何なのかは分からずじまいだった。
犬鳴兄妹がお縄になったその日の夜中、火音はふと目を覚ました。
気分は上々なので起き上がると机で月火が何かをしていた。
もう一時前なので寝ていてもおかしくないが何だろうか。
集中して火音が起き上がったことにすら気付いていない。
寄って来ようとする九尾達を制止し、静かに後ろから覗き込むと無地のノートにイラストを描いていた。
幼稚部から何度も金賞を取ってきたと火光が言っていたが確かにかなり上手い。
左右のバランスや骨格のバランス、線の強弱の付け方が上手い。
火音も部屋に液晶タブレットならあるがアナログは苦手だ。
玄智は油絵とアクリルガッシュがプロのように上手い。
ちなみに水月と火光に関しては平面と立体で賞をかっさらっていたので屋敷にはトロフィー賞状部屋がある。
芸術だけでなく、運動や何かしらの賞状が多いのだ。
本当に天才一家だと思う。
「……アリス」
髪型で分かったのでそう呟くと月火が顔を跳ね上げた。
ずっと紙すれすれまで俯いていたので気付かなかったが眼鏡を掛けてる。
細い青のボストン型だ。
「い、いつ、いつから……」
「右手描き始めた頃から」
「声かけてくださいよ……」
月火は眼鏡を外すと胸を押さえた。
ここは火音の寮だ。
火光は自室に帰り、水月は任務に飛ばされ、綾奈から今晩は一緒にいなさいと言われた。
明日は休みなので二人で休みなさい、と。
「怖いのは苦手?」
「ホラーもサイコパスもお化け屋敷も大丈夫なんですけど……」
「ど?」
「まぁ、色々です」
月火はスケッチブックを閉じると火音に頼まれて珈琲を淹れる。ついでに自分のも淹れた。
「アナログでは書けないからな……。玄智はめっちゃ上手い」
「デジタルでは描くんですか?」
月火が珈琲を渡しながら驚いたように聞くと火音は軽く頷いた。
「小二の時に描き始めて中三の頃に液タブ買った」
「へぇ、意外です」
「ほんの趣味と小遣い稼ぎ。友達の好きな絵描いて売りつけてた」
「へぇ……」
確かに火音は多才だと聞くが以外にも美術に力を入れていたとは。
「今、もう一つの部屋にあるが……使ってみるか?」
「いいんですか!」
結局その夜は二人で描きまくり、眠らぬまま朝を迎えたのだった。