83.もう似てきたと言うより、染まってきた。
「先輩、入りますよ」
非常に無茶で無謀な訓練の末、熱で倒れた月火を看病しに瑛斗と火音は月火の部屋をノックする。
瑛斗の左手には自室で作ったお粥とスポドリやゼリー、薬とタンブラーに入ったぬるま湯が乗ったお盆。
瑛斗がノックし、扉を開けると月火は布団に潜ったまま何かをしていた。
瑛斗は火音にお盆を渡すと月火の布団を剥がし、タブレットを取り上げる。
「あ!」
「仕事してないで寝て下さい」
「瑛斗が来るって言うから……」
「寝てたら出直すので。仕事より体調を優先して下さい」
セリフだけ見たら熱の火音と月火の会話だ。
瑛斗は本当に月火に似てきた。
「……いただきます」
月火は起き上がると小さく呟いてから無味のお粥を口に含んだ。
「……味しませんね」
「濃いめに味付けしたんですけどね。先輩の舌がおかしいんですよ」
「……お粥ってなんでこう……」
何かを言いかけた月火は面倒臭くなると黙々と食べ始めた。
「……え、話の続きは?」
「面倒臭いです」
「そうですか……」
お粥を食べ終わった月火はゼリーをちびちびと食べる。
ゼリーは昔から苦手だ。
ドゥルドゥルした食感で気持ち悪くなる。
月火は静かに蓋を閉めると薬だけ飲んでお盆を火音に渡し、寝転がった。
頭が痛い。
「……火音さん、冷凍に色々入ってるので食べて下さい。すみません全然作れてなくて」
「大丈夫。無理しないで」
月火は肯定も否定もせずに瑛斗に視線を向けた。
「泊まっていきますか」
「いや帰ります。階すら変わりませんし」
「クソ真面目が」
これは真面目でなくとも帰ると思う。
瑛斗はテンションに任せて判断し、後々後悔したくない。
瑛斗はタッパーを片付けると火音に声を掛け、明日の朝も冷蔵庫のお粥を食べさせるよう伝えると寮に帰った。
風呂も面倒臭いので紙袋を自室の机に置くとそのままベッドで寝た。
翌日の昼間、月火の寮にお邪魔すると普通に家事をしていた。
「あ、こんにちは。昨日は助かりました。料理上手いんですね。訓練は午後からやりましょうか。今日は凪担さんも入れましょう。桃倉とか洋樹さんもやりますかね。兄さんたちとやってるかもしれません」
瑛斗が話し掛ける隙なくトントン拍子で独り言のような会話を進め、月火が昼食を作る手を進めていると瑛斗は小さく溜め息を吐いた。
「火音先生って料理出来ないんですね」
「食えないのにやる意味ないじゃん」
「先輩がこうなった時どうするんですか。奥さん命でしょう」
「いや出来るには出来るからな?」
レシピは知識として知っているし作り方も知っている。
ただ、やる気と環境がないと言うだけだ。
たぶん、火音が調理器具に一度触れてしまうとこれから作るものに僅かながら違和感が出ると思う。
月火の料理に雑味はいらない。
「愛妻家ならではの理由ですか。火音先生なら調理器具ぐらい買えそうですけど」
「月火が嫌がる」
「プレゼントでもなんでも言い訳は出来ますよね。……先輩、続き読んでもいいですか」
「どうぞ〜」
何故瑛斗はこんなにも詳しいのだろうか。いや、詳しいわけではない。
どんな話でも話の核心を突いてくる。
月火が本気で相手の揚げ足を取る時の突き方だ。
もう似てきたと言うより、染まってきた。
「……あ、そうだ。聞きたいことがあったんです」
瑛斗は顔を上げると絵を描き始めた火音を見た。
パソコンに小さな液タブを繋げてタッチペンを滑らしている。
「火音先生、共鳴する時ってどんな感じですか」
「ワーッとガーッと」
答える気のない火音は頬杖を突きながらそう答えた。
月火は呆れた様子のまま二人に珈琲を出す。
「火音さん、真面目に答えて下さい」
「はい」
火音はパソコンを消すとさっさと片付けて月火に渡した。
月火は甲斐甲斐しくそれを片付ける。
「で、……なんだっけ」
「共鳴する時の感覚です」
「共鳴した?」
「してません」
この教師、頭はいいくせに会話が面倒臭い。
瑛斗が口角を下げると火音は眉を寄せた。
「感覚……感覚なぁ……」
いつも月火から共鳴するので強い衝撃が走る、としか言えない。
衝撃が走り、脈と体温が上昇し、耳鳴りがして五感が研ぎ澄まされる。
火音は共鳴するほど集中することが滅多にないのでいつもその感覚だ。
血流や妖力を感じるのは妖心術を出す前の妖力を集める時だ。
普段から感じてはいるが、共鳴時にはさらにはっきり分かるようになる。
「……やっぱり何か掴んだ気がします」
「では外に行って何を掴んだか確認してみましょう」
「はい。先輩も寝ませんしね」
「そうそう」
開き直った月火は自室で着替えると紅揚秘刀太と例の薙刀を持ち、外に出た。
「瑛斗、凪担さんを呼んできてください」
「分かりました」
朝礼台から瑛斗を見送った月火は朝礼台に座り、功刀が使いを出して届けてくれた接続部品で刃と柄を繋ぐ。
昔から功刀や功刀の両親の作業を見ていたのでやり方は分かる。
月火が繋ぎ、確認しているとヘロヘロになった凪担が瑛斗に手を引かれ走って戻ってきて、その後ろから洋樹と桃倉も走ってきた。
「たにかげぇー!」
「待てゴラァ!」
桃倉と洋樹は怒鳴りながら朝礼台前の瑛斗に詰め寄った。
「一人だけ神々先輩とイチャつくな! ずりぃぞ!」
「読書とか昼からとか休憩ありとか水飲めるとか! ずる過ぎ!」
「ちょ……」
瑛斗が押されていると水月と玄智が出てきた。
「……あ、せっかく外に出ましたけど着替えましょうか。瑛斗も実践で試した方がいいでしょう。凪担さんと手合わせです」
「分かりました」
普通、袴に着替えるのは二十分、プロでも十分はかかると言われている。
それを瑛斗は十一分、凪担は十二分。
火音二分、月火は最速で二分、いつもは四分で済ませてしまう。
月火は腰刀と紅揚秘刀太を腰に差し、薙刀と瑛斗は肩に担ぐ。
瑛斗と凪担は刀を抜いた鞘を背中側に差すだけだ。
三人がたすきをかけがてら外に出ると水月が桃倉を、玄智が洋樹を組み伏せていた。
「やりますよ〜」
月火はドン引きした目で四人を見ている瑛斗と凪担に声を掛け、長巻と薙刀を置かせると校庭を三週だけ走り始めた。
月火はしばらく休んだおかげで半身は回復したし、家でも杖を使うことが鉄則となったので昼間は意識的に動かせている。
知衣にも回復はこれが限界と言われたので、まぁ何とか頑張れそうな状態だ。
ヘロヘロで息が上がっている凪担の手を引き、最後まで走り切ると倒れたので頭の上から水をかける。
「冷たい!」
「先輩、凍死します」
「ぬるま湯のはずなんですけどねぇ」
月火は凪担の頭を拭くと湯を飲ませた。
次に基礎練、素振りと型の確認をしてから実践に入る。
月火は監督側だ。
「瑛斗右! 下がれ下がれ」
聞いて反射させる反射神経を鍛えながら昨日の感覚を思い出させる。
『妖心術 鏡真』
瑛斗の妖心術により凪担が地面から空中に強制的に移動させられ、混乱して落ちている時に長巻で突き落とし、目の横に長巻を突き刺す。
「こ、降参……」
「よし」
「妖心術はまだまだですねぇ。体術はまぁ……下手くそな方ですけど。最初よりはマシになりましたよ」
「最近は長刀術ばかりだったので……」
瑛斗は自主練が多いのだから、授業を体術、自主練で長巻、別にどっちでもいいが、そんな感じにしたら両方ほぼ同スピードで成長出来る。
「じゃあ授業を体術にします。長刀術は自主練出来ますけど体術はまだ先輩に見てもらいたいですし」
「いい心構えですねぇ」
「あ、ぼ、僕もそうする! 薙刀なしでも戦えた方がいいもんね!」
「では今日は体術の基礎を仕込んであげましょう」
二人揃って喝を入れると長巻を置き、月火が引いた線で反復横跳びを始めた。
反復横跳び、体幹トレーニング、筋力作り、最後に体術の型と素手で月火と二対一。
夕方頃になると月火の左半身が鈍り始めるので狙い時だ。
凪担の連続攻撃により月火の左半身が空き、瑛斗が絶好のチャンスで蹴り掛けた時、月火が消えた。
背を押されそのまま二人で倒れる。
「凪担さんは早くなりましたねぇ。瑛斗も判断力と動体視力が良くなりました。師匠として嬉しいですよ」
瑛斗の背に座り、靴を脱いで凪担に足を置くと二人が睨んできた。
割と本気で睨み返すとすぐにおとなしくなる。
「負けた原因を十文字以内で」
「先輩が消えたから」
「月火さんが強かった」
「違いますね。二人が察せなかったから、です」
「えぇ……」
凪担も月火も普通に超えている。
瑛斗が小さく呟くと頭に手を置かれ、体重がかけられる。
「妖力の気配を感じる方法はやったでしょう。火音先生にも教わっているはずです。火光先生も授業に入れていましたよ」
月火の延々と述べられる説教を聞きながら、二人でどうやったら月火に勝てたのかを反省会する。
校庭のど真ん中でそんな事をやっているせいで部活生からは変な目で見られ、発狂している桃倉と洋樹も相まって妖輩は変な人、というレッテルを貼られたのはまた後日の話。
今日は授業中、訓練の差でいつも瑛斗を妬んでいる桃倉と洋樹、結月と当然瑛斗もともに訓練している。
氷麗は文句を言わずに炎夏と、凪担は火音と素手対薙刀の大ハンデありの手合わせ中。
玄智は月火と一緒に雑談しながらお喋りだ。
火光と水月は仕事を、晦はサボろうとする一年に目を光らせている。
「油絵の方はどうですか」
「もうすぐ完成するよ。今日の放課後に仕上げして乾かしたら完成!」
「楽しみですねぇ、こんなことならなかったら教室に飾りたいんですけど」
確実に校舎は壊れるだろう。
上層部も寮も病院も、どうなるか分からない。
上層部の人達には水虎が屋敷を貸してくれるそうで、病院は近くの国立病院に、寮はもしもの時は月火が自社のホテルを貸し切れる。
「なので玄智さんの絵は完成したら神々の本家に置いておきましょう。せっかく描いたのに壊れたら嫌ですし」
「うん。……月火、大丈夫なの?」
「何が?」
「……やっぱりなんでもない」
月火は不思議そうに首を傾げ、玄智はふいっと向こうを向いた。
月火が玄智の横腹をつつき、玄智が笑いを堪えているといきなり上から潰された。
玄智は潰れ、月火はギリギリのところで耐える。
圧がなくなったところで見上げれば、炎夏はいたずらっ子のような顔をして笑っていた。
「もう! いきなりやらないでよ」
「月火みたいに耐えればいいのに」
「くすぐったかったの!」
「もっとやってあげますよ!」
玄智が逃げ出し、月火と炎夏が追い掛け、久しぶりに三人だけで走り始めた。