81.「これは妖力を弾くんです」
胃が痛い。胃酸が逆流して食道が痛い。
瑛斗が水を飲んで胃酸を抑えていると月火が目を覚ました。
「おはようございます。……早いですね」
「あ……朝は強いので……」
瑛斗が吐かないように必死で堪えていると月火が飛び起きた。
「大丈夫ですか」
「たぶん……」
「ストレッチして胃を動かした方がいいです。たぶん逆流性食道炎になりかけてますから」
軽く動いて自律神経を整えた方がいい。
月火が瑛斗に色々と柔軟させていると五時半頃に海麗がやってきた。
「おはよう。谷影後輩も早いね〜」
「おはようございます。海麗先生も早いですね」
「僕はねショートスリーパーみたいなもんだから」
一日、三時間から四時間の睡眠で足りる。
海麗は月火のベッドに座るとりんごを向き始める。
市松模様や木の葉、うさぎ、白鳥や花形、奥義等々、色々な形を切っていく。
「はい完成」
海麗が月火に皿に盛られたりんごを見せると月火は海麗ごと写真を撮った。
「顔隠してよ」
「色んな人が食いつきそうな顔ですけど」
「火音の顔載せなよ」
「日常生活に影響が出ます」
「俺は〜?」
至極不思議そうな顔で海麗が首を傾げると月火もにこやかな顔で首を傾げた。
「女好きそうですけど」
「失礼すぎ」
「失敬」
月火はモザイクをかけるとスタンプで顔を隠し、投稿した。
「一回投稿すると重たくなるんですよね」
「アクセスがしゅうちゅ……」
ちょうど海麗がそう言った時、病室の扉が開いた。
「月火! サーバー落ちた!」
「何故?」
「攻撃されてるみたい。何とか出来るかな……」
「まったく……」
月火は水月からパソコンを受け取ると自身のパソコンとスマホを繋げ、二人でサイバーの処理をこなす。
「間に合わない……」
「間に合わせるんです」
月火は白葉に頼んで火音を起こしてもらう。
昨日の夜、遅かったのでまだ眠そうだ。
数分もすると髪を押さえた火音がやってきた。
「眠い……。……何したらいい?」
「兄さん退いて」
月火は水月をベッドから下ろすと火音と交代させる。
「水月の役割じゃないの?」
「月火はサーバー処理に関する事だけ必要だからって調べたんだよ」
調べた結果、水月並に詳しくなって水月よりも応用を効かせてしまうという事態に陥った。
火音は月火から伝わってきたものをそのまま打ち込んでいるだけだ。
「あーあ、取られちゃった。谷影後輩、場所借りるよ」
「あ、はい」
ちなみに火光の情報により、アクセス元は日本最大級の匿名掲示板という事が発覚、通報してくれたらしい。
先日の怪異戦で警察も忙しいだろうに、迷惑を掛けてばかりだ。
「まぁすぐ終わるでしょ」
水月はスマホを取り出すとアクセス元自体に負荷をかけ始めた。
これは多用したことによる負荷なので不正アクセスでは無い。
法の抜け穴だ。
「なんでハッキングは禁止されちゃったんだろ」
「水月みたいな人がいるからじゃないかな……」
海麗と水月が話し合っているとその声で炎夏が目を覚ました。
起き上がり、状況を確認するとまた寝始める。
「二度寝」
「朝は弱いんだろうね」
毎朝、玄智に叩き起されたであろう顔で登校している。
サボることはないようだが、休み時間になると寝ていることが多々。
「日頃の疲れかな。水神も大変な事になってるし」
「そうなの?」
「僕も詳しくは知らないけどね。月火と水明が抱え込んでる」
月火は水月と火光に、水明は炎夏と水虎に心配させないよう必死だ。
月火の体調が悪くなるにつれ、月火グループの売上は上がり続けているのだ処理が間に合っていない。
今は一部営業停止も検討されている程だ。
まぁ当の本人が頑固社長なのでどうなっても販売停止にはならないが。
「……あ、警察が動き出しましたね」
「みたいだね」
月火は胸を撫で下ろすと最後にサイバー処理を元に戻し、パソコンを閉じた。
「で、兄さん。プログラミングの応用は楽しいですか」
「ううん」
「新しく雇いますかねぇ……」
「え、嫌!」
新しい人が雇われたら水月がいる意味がいなくなってしまう。
水月が勢いよく立ち上がった時、目の下真っ黒の火光がやってきた。海麗と火音は谷影側に移り、水月と火光が月火のベッドに座る。
「……おやすみ」
「帰れよ……」
開口一番寝る宣言した火光に月火が小さく呟き、水月が火光に手を伸ばすと弾かれた。
「月火、体調はどう?」
「普通です」
「妖刀の回収どうしようか」
「今日の昼間、退院出来るか聞いてみます」
「外出じゃないのね」
月火も早く帰りたい。
半ギレの妖心を抑えるのもかなり疲れるのだ。
その日の昼間、月火は火音に支えられながら杖を突いて歩く。
本当は車椅子のところを、瓦礫の山では返って危険という事で補助ありで杖になった。
火音はずっと心配そうにしている。
「……杖邪魔ですね」
「え、ちょっ……!」
月火は火音が慌てるのも無視したまま杖を補佐官の沙紗に押し付け、右足で飛び跳ね移動する。
建物は崩壊、床に落ちた瓦礫の山の中で、一箇所だけ警官が固まっていた。
「こんにちは」
「お疲れ様です神々様」
月火は学生証と上層部長証明書と日本刀所持承認証を見せると火音に支えられながら薙刀を覗き込んだ。
白銀だったはずの刃は濃いモスグリーンへ変わっている。
「あ、割れてませんね」
本当に、接続部が壊れて柄と刃が外れただけだ。
ただし妖刀化して禍々しい雰囲気を放っているが。
「鞘……耐えられませんね」
妖刀を収めるにはそれ相応の鞘も必要だ。
月火の妖楼紫刀、白黒魅刀、紅揚秘刀太は鞘にも怨念が籠った忌み物になっているため相殺しあっているが、この薙刀の鞘は普通のものだ。
今収めると確実に砕け散る。
「本家に行かないと……」
月火が薙刀に手を伸ばした時、鮮明な緑の妖力が走って弾かれた。
手を弾かれた月火は少し固まる。
「……黒葉が反発しすぎて触れません」
「そんな事ある?」
「あるんです」
月火は火音に助けられながら上体を起こすと溜め息を吐いた。
黒葉と白葉を出すと黒葉は地面を何度も蹴る。
「……黒葉、いい加減落ち着いて下さい……」
『なんで!? 主様が……!』
『黒葉五月蝿いわ! 主様が困ってるでしょ!?』
怒った白葉が黒葉に飛び蹴りする。
黒葉は逃げ、白葉を威嚇した。
「月火の狐って自我強いよな……」
「昔からいますからね」
月火は二人を人間に変えると黒葉の頬をつねった。
「五月蝿いです。黙っていなさい」
「その刀嫌い!」
「そうですか」
月火は二人を消すと刃を拾い上げた。
流れ込んでこようとする妖力を白葉が押し返すと意外と簡単に収まってくれる。
「大丈夫そうですね」
「良かった」
月火は警官に礼を言うと刃と柄を持って踵を返した。
沙紗から杖を受け取り、車に乗り込む。
「本家までお願いします」
「分かりました」
車に乗っている間、月火は薙刀の刃をさする。
刃こぼれが酷く、研ぎ直しは必須だ。
今度、功刀に頼んで研ぎ直してもらうか、今から本家に行くなら砥石を持って帰ろう。
だが結局は功刀の店で接続部を見繕ってもらわなければ。
凪担にはこの妖刀に釣り合うだけの技術はあるだろうか。
背もたれにもたれかかった月火が窓の外を眺めている時、車が信号で停った。
ふと目に付いた人物を凝視する。
水月が群がる女子をガン無視して歩いており、隣には緋紗寧が歩いていた。
緋紗寧はペラペラと何かを話し続け、水月は女子も緋紗寧も無視している。
あの二人、何か関係あっただろうか。
たまたま会ったにしても緋紗寧が水月に突っかかる理由はないし水月の様子からするに水月から話しかけたわけではないだろう。
何故あの二人がいるのだ。
本家に着いた月火はまずは墓に墓参り、いつも通り稜稀の失態を詫び、自身の身を尽くして止めることを伝え、毎日来れないことを謝る。
それを約九十基の墓に告げ、最後に紫月とその夫に告げてから墓を出た。
既に三十分は経過している。
「やっぱり人に送って貰って来るのは駄目ですね。待たせすぎてしまう」
「娘天弟なら喜んで待つだろ」
「そうだといいんですけど」
本家は今、壁や床の張り直し中なので裏口からしか入れない。
屋敷内が血塗れの傷だらけだったので傷はいいとして、血痕は木に染み込んで取れなかった。
そのため板を剥がしてリフォームだ。
全て同じ板材の、同じ樹齢の木を使って張り替えてもらっている。
費用は月火が自腹で全額負担した。
そのため貯金が四分の一ほど吹き飛び、加えて皆の着物代や瑛斗の刀代なども月火が払ったので久しぶりに大きな出費をした。
これは特級事件で足りない分を月火が全額出した時程の出費、過去最高額に並ぶ出費になった。
最奥の間を通り過ぎ、今までの扉だらけの廊下とは真逆の窓も襖も障子もない扉を火音に補助されながら歩く。
「月火、この先は……」
「兄さん達には秘密ですよ。当主本部屋より奥に来るのは当主以外は駄目なんです」
「へぇ……」
火神にそんな掟はなかった。
やはり神々は色々と違う。
一本道の廊下を右に曲がると大きな扉が見えた。
月火が右手を右に伸ばすと重く錆びた音が鳴る。
「うわぁ……」
部屋全面に刀、それもほとんどが妖刀の武器が飾られている。
打刀だけではない。
薙刀、長巻、腰刀、ナイフや双節棍も槍もある。
「これ……」
「全部神々当主達が使っていた武器です。……これ以外は全て妖力篭ってますよ」
月火が手にしたナイフは歪な形で、先が左右に交差して別れていた。
「これは妖力を弾くんです」
「弾く?」
「そう、弾く」
このナイフは全体が日本刀を作る皮鉄で作られており、芯鉄自体に妖力が練り込んである。
九代目当主の夫が刀鍛冶で芯鉄を打つ際に自身の妖力を込めた。
そのため、外と中で皮鉄を挟み妖力がぶつかるのだ。
当然、現代の妖力が妖輩全盛期の平安の当主に勝てるはずもなく、芯鉄に含まれる妖力が全て拒絶している。
「まぁ九代目も相当変わった妖力を持った方ですからね。当時はこれで怪異を殺しても問題なかったのでしょう」
そのナイフを棚に置き、月火は左足を僅かに引きずりながら薙刀の置いてあるところに行った。
凪担が使っていた薙刀は遥昔のものだが、月火の曾祖母が使っていた薙刀があれに酷似したものだったはずだ。
もしかしたら鞘が合うかもしれない。
「……火音さん、お願いがあるんですけど」
「何?」
「私の本部屋に当主の今までの記録や日記があるはずなんです。それをダンボールに詰めて車に乗せてくれませんか?」
「月火は……」
「私は終わり次第車に戻ります」
一瞬、火音の瞳が心配に揺れたが本当に何もする気はない。
月火が鍵を託すと火音は少し躊躇い、小さく頷いた。
「絶対伝えて」
「はい」
月火は火音に頼むと、出て行ったのを確認して曾祖母の薙刀を抜いた。
鮮明な赤に染まり、接続部分が僅かに黒錆で覆われている。
元は妖楼紫刀と同じく黒刀だったそうだ。
曾祖母、紫水が六つの誕生日に貰った薙刀。
紫水は薙刀を二本、腰刀を二本所有しており、薙刀の一本は月火が時折使っている。
黒刀の薙刀は幾度の戦いをこなすうちに怪異や自身の返り血で赤く染まり、黒から赤へ変わってしまった。
いくら研いでも薬品につけても黒錆が負け、唯一赤が薄かった接続部分付近だけが黒いままになってしまったそうだ。
昔、日記でそれを読んだ。
「……紫水様、お借りします。術の後継者にどうか御加護を」
月火は薙刀にあらかじめ持ってきておいた布を巻き付け、刀身を隠してから壁に立て掛けた。
鞘を片手に手を合わせ、静かに頭を下げる。
紫水様が編み出したあの術を、絶やさぬよう伝えていきます。