75.これの青春は刀一筋か。
水明が苦笑を零すと月火は少し不安そうな顔をした。
「先輩は苦手なものはあるんですか」
「……まぁまぁまぁ……」
「あるんですか……」
無敵だと思っていた月火も弱点があるらしい。
瑛斗が驚くと月火は静かに視線を逸らした。
火音は小さく笑う。
「月火は悪夢が怖いんだよな」
「悪夢は怖いものですよ……」
「うんうん」
頭を撫でてくる火音の膝を蹴り飛ばし、月火は足を早めた。
悪夢障害を患っていた時に視たあのゴミ置き場の夢は一生のトラウマな気がする。
ゴミ置き場の端でスレンダーマンのような気味の悪い何かに追い掛けられ、声が出ず足がもつれて動けないのだ。
白葉に叩き起されその先は視ていないがあの夢は二度と見たくない。
「ここです」
「営業アパレル系……」
「私が直接指揮を送る数少ない部ですよ」
月火が扉を開けると皆がこちらに注目した。
「社長!?」
「社長! お疲れ様です!」
「お体は大丈夫なんですか!?」
皆がわっと立ち上がり、大きく手を振ったりお菓子をくれたりする。
フロントでも思ったが相変わらず凄い人気だ。
社長だから媚びへつらうとか、そんなものよりも本当に慕っており心配している方が大きい。
いい社長の証なのだろう。
この場面を祖父に見せてやりたい。
瑛斗がそんな事を考えていると月火の一言で皆が気合を入れて仕事を始めた。
「この会社はあらゆる分野に手を出しすぎて収集がつかなくなって来ているので営業をいくつかに分けてるんですよ」
営業アパレル系、営業電化系、営業家具系、営業コスメ系。
その中でも服だったり靴だったり、大型家電だったり小型家電だったり、寝具だったり棚だったり、メイク用品だったりヘアセット用品だったり、色々と分けている。
ややこしいがこうでもしないと大部屋に大人数を詰め込んで仕事をしなければならなくなる。
社員の集中力が低下して業務効率が下がったりストレスがかかったりするのであれば管理職が頑張って少人数ずつに分けた方がいい。
最悪、社長が覚えていればいい。
「弁事課長、お久しぶりです」
「お久しぶりです社長。お体はもう大丈夫ですか」
「もうすっかり。私が動けない間営業部を回してくれてありがとうございます」
二人は軽く近況報告をした後、仕事を始めた。
月火はファイルに目を通すとそれをスマホに打ち写し、ファイルを返した。
「後は……」
月火が棚を見上げてファイルを探していると営業部に一本の電話がかかってきた。
クレーマーだが対応出来るよう育ったものしかいないはずなので任せる。
「火音さん、あのファイル取ってください」
「これ?」
相変わらず届かないところには届かない。
女子で百四十八は比較的平均に近いのだが最近、脊椎損傷で骨が少し欠けたらしいので身長が数ミリ縮んでいた。
もうどうにでもなれと自暴自棄のようなものになっている。
月火がファイルを開いて課長と話していると電話の向こうからクレーマーの罵倒が聞こえてきた。
「社長……」
「少し待って下さい」
月火はファイルを閉じて置くと社員の後ろから電話を借りた。
『聞いてんのか!?』
「お電話代わりました。何か問題がありましたか?」
『だから! 買った掃除機のコードが切れてんだよ!』
「それは大変失礼しました。お名前を伺っても?」
『や、山田……だけど……』
躊躇ったように答えた男の声に月火は脳内リストをめくる。
「……十月二日にsilent・eightを買った山田様でお間違いありませんか?」
『そう! 分かってんなら早く交換しろ!』
「大変申し訳ありませんが保証書と本製品を持って最寄りの電気屋に行っていただくか保証書とともに月火グループへ配送して下さい」
『そっちの不手際で客動か……』
相手の怒声で耳鳴りがし、火音が苛立ち始めたので月火も声を尖らせる。
「お客様。製品の不具合は必ずしも本社にあるわけではなく、取り扱い店舗、お客様の開封前の扱い方なども影響します。お客様は神様なのではありませんよ。ご自分のご都合で会社一つを動かせると思わないで下さい」
月火が静かに尖った声でそう言うとなんとも醜い罵詈雑言が聞こえてきた。
『何が日本の誇りだ! とんだクズ会社……』
「お客様、こちらは問題に対応するための窓口です。悪口を言うならどうぞSNSでも本を書いて出版するでも構いませんが、他のお客様の迷惑、月火グループの営業妨害はおやめ下さい。コードが切れていた時の対処法が分かったのならもう切らせて頂きます。理解出来なかったならもう一度一から説明致しますよ?」
死ねと言う言葉の後、電話が切れた。
鼓膜が痛い。
「いつの時代にもクレーマーは絶えませんねぇ」
「先輩はブレませんね……」
「芯はしっかり持たないと」
月火は社員に受話器を返すと時間を確認した後にファイルを写メった。
本当は漏洩しかねないので嫌なのだが、文字を打っていると皆の仕事の邪魔になってしまう。
写真を送り、それを覚えさせるとすぐに消した。
「長居してすみません。お邪魔しました〜」
「お疲れ様でした!」
部署を出た月火は再度エレベーターに乗るとさらに上がった。
「次はどこに?」
「瑛斗、二十八日は空いてますか? 空いてますよね」
「ま、まぁ……」
明らかに聞こえていたのにガン無視された瑛斗が躊躇いながら頷くと、月火は瑛斗の問いには答えないままエレベーターを降りた。
先ほどのタイルの床とは違い、赤いカーペットが敷かれている廊下だ。
エレベーターの中にも敷いてあった気がする。
「瑛斗、さっき合わせた靴欲しいですか」
「え……ど、どっちでも……」
一人二時間も掛かるならやってられない。
事前データが一切ない瑛斗で実験してよかった。
が、瑛斗はせっかく測ったのだ。欲しいなら作ってあげよう。
「いらないと言わないなら欲しいんですね。分かりました」
「……そうですか……」
廊下を進み、月火が足を止めたのは社長室。
社員証のバーコードをかざした後に指紋認証とカードで鍵を開ける。
月火が会社を継ぐ前、社員が入ってデータを盗み会社に大損害を出したことがある。
その後、特になんの対策もされなかったのだが月火が会社を継ぐと同時に水月がセキュリティを強化。
水月をもってしても破れないセキュリティが出来上がった。
全面本棚の社長に入ると月火は鍵で棚を開け、資料を小さなケースを取り出した。
USBメモリーとSDカードがはめられる優秀ケースらしい。
何かを確認した後、月火は何も言わず社長を出た。
「会社は終わりです」
「かえ……」
「りませんよ。夜まで付き合わせますからね」
次に向かったのは紳士服店。
火音の黒いワイシャツと瑛斗の普段でも着れそうな少しフォーマルなスーツを一着新調する。
もう瑛斗も話すことをやめた。
「さ、次です」
日暮れ、最後に向かったのは静かな路地裏にある刀剣店だった。
死んだ目をしていた瑛斗に生気が宿る。
これの青春は刀一筋か。
「いらっしゃいませ月火さん。ご友人連れとは珍しいですね」
中から出てきた着物姿の男性は綺麗な銀髪にくすんだ江戸紫の目をしている。
端正な顔立ちと月火の存在感に負けぬ雰囲気をまとっている。
「こんにちは功刀さん。長巻を見せてもらってもいいですか」
「もちろんです。こちらへどうぞ」
昨日、瑛斗に持たせた長巻は手に合っていない様子だった。
本人は初めての真剣での戦いだったのでこういうもの、と納得しているのだろうがあれは合っていない。
素人の月火でも断言出来るのだ。
合っていないものを使い続けると下手したら怪我をしてしまう。
それは避けたい。
「彼に合う長巻を」
「初めまして、この店のオーナーをしています。功刀です」
「初めまして、谷影です」
軽く握手をした功刀は目を細めた。
「よく鍛錬されていますね。月火さんの教えですか」
「一番弟子ですよ。吸収が早いくせに頭が固いんです。クソ真面目で」
「あはは、いい子ではないですか」
功刀はケラケラと笑うと水明にも挨拶をして一度店の奥に入っていった。
水明には挨拶したのに火音には目も向けていない。
「火音先生は来たことあるんですか?」
「来たことはないけど顔見知り。……嫌いだし嫌われてるけど」
「そうなんですか?」
火音と馬が合わない人は多そうだが何かあったのだろうか。
瑛斗が首を傾げていると三本の長巻を持った功刀が戻ってきた。
「この方は私の女神を奪ったんですよ」
「……あぁ」
功刀は月火が好きだったが火音とくっついたので恨んでいると、そんなところか。
全てを察した瑛斗が遠い目で納得していると功刀は瑛斗に長巻を渡した。
「別にいいんですよ。女神の幸せは私の幸せですから。女神が納得していて好意を抱いているなら私は文句ありません」
違ったらしい。
瑛斗が少し興味のある目を向けると功刀は持っていた長巻を素早く回し、刀身が剥き出しになった長巻を火音の喉元に向けた。
瑛斗は軽く目を見張り、火音はすまし顔で笑う。
「文句はないんです。ですが私はこの男を生理的に受け付けません。何をしても言っても能面を動かさず口を開けば弟か女神の幸せ自慢。腹立たしくてなりません」
「愛妻家ですもんね……」
「女神に初めて告白したのもプロポーズしたのも指輪を渡したのも私だと言うのにいきなり同居して挙句零日婚約などっ……!」
今凄いことを聞いた気がする。
月火に初めて告白したのもプロポーズしたのも指輪を渡したのも功刀と。
月火の初告白がいつかは知らないが一体いつからの付き合いだ。
「私が初等部一年の時に会った瞬間に告白されました。四歳差です」
「瞬間……」
「運命の人なんだよ……」
膝から崩れ落ちた功刀の頭を撫でると嬉しそうに笑った。
火音が睨んでくるので手を離す。
火音に睨まれたら月火でも怖い。
「いつか絶対に毒殺すると心に決めています」
「その前に刺し殺してやる」
「死んでも殺すからな」
そんな発言を聞くと暒夏側に回ってしまうのではと不安になってくる。
月火が眉尻を下げて困っていると功刀は立ち上がってにこりと笑った。
「私は親を殺されても月火さんの味方ですよ」
「裏切らないで下さいね」
「もちろん」
功刀は立ち上がると会話に興味無さそうな反応をしていた瑛斗から長巻を受け取る。
「どうでした?」
「えっ……と……?」
「神々の長巻と比べてみて下さい」
瑛斗は頷くと昨日の長巻を思い出す。
昨日の長巻よりもこちらの方が絵が細く、先が軽かった。
先が軽いのか後ろが重いのかは分からないがとりあえず前後に重量の差がなかった。
二本目は太さに変わりはなかったが先の方がずしりと重く、瑛斗の筋力で素早く動かすのは少し難しいかもしれない。
三本目は今まで練習していた木刀や月火の長巻よりも太く、後ろの方が重たい。
柄の表面に凹凸がなく、ツルツルとした手触りなので下手したら滑ってズレそうだ。
「太さ的には二本目がいいんですけど……」
「では手触りはどうですか? 一本目の菱巻きか二本目の荒削りか」
「二本目の方がなんと言うか……手に馴染んでる感はありました」
瑛斗がそう言うと店内を回っていた月火が口を開いた。
「ずっと荒削りの木刀で練習していたからでしょう」
長巻の木刀は何本かあり、瑛斗が使っていた一本だけが柄の部分も荒削りだったのだが今の今までその一本のみを使い続けていたので体が覚えているのだろう。
慣れは一番の特効薬。
やりにくいわけではないなら今までと同じ絵を使った方がいい。
「もう何種類か持ってきましょう」
店を出たのは夜の八時を過ぎた頃だった。