74.疑問と抵抗を抱くだけ無駄だと悟った。
「揃いましたね」
初めて真剣で月火と手合わせをした翌日、予告通り月火と瑛斗と火音と水明で出掛ける。
月火も今日は私服で、火音は教師服、水明と瑛斗は私服だ。
何故呼ばれたのか未だに理解していない瑛斗が月火を見ると月火は飴を舐めながら半分寝ていた。
水明専属補佐官の愛車がリムジンなのでリムジンで行く。
「……これ行先知らないの俺だけじゃないですか」
「言ってませんでしたっけ……」
眠そうな月火は飴を噛み砕くと一度窓の外を見てからにこりと笑う。
「すぐに分かりますよ」
「えいやそうでしょうけど……」
「気になるなら水明さんに聞いて下さい。私は寝ます」
月火はそう言うと俯いて一瞬で眠り始めた。
まともに話したこともない水明に事情を聞くにも聞けず、本来なら担任であるはずの火音も絵を描いてばかりで我関せず。
結局何も聞けずにやって来たのは高級呉服店。
「先輩……?」
「私の奢りですよ。さすがに払わせません」
「帰りたい……」
「青春だと思って」
こんなストレスが掛かるなら青春などいらない。
瑛斗は胃を押えながらなるべく月火から離れないようにくっ付いて中に入った。
純和風建築の建物は畳と木の匂いに包まれ、特に香も焚かれずシンプルな作りになっていた。
全面に着物が飾られ、天井付近の棚には帯が、飾られた着物の隙間からは多くの棚が見える。
「ようこそいらっしゃいました、神々様」
「採寸合わせと彼似合うものを……まぁ三本もあればいいでしょう。適当に見繕って下さい。お二人はどうしますか」
「俺も何本か足そうかな……」
「じゃあ好きなの選んで下さい」
靴を脱いで上がった月火はほぼ強制的に連れて行かれた瑛斗に小さく手を振り、月火は二階へ上がる。
お盆から特注で誂えておくよう頼んでいたのだ。
決戦に向けて、丈夫かつ動きやすいものを一着と瑛斗は慣れるための三着、月火も適当に買い足したい。
「丈は大丈夫ですか?」
「はい。これでガッツリ端折って下さい」
「かしこまりました」
簡易的に着付けてもらい、可動範囲がどれほどかを確認する。
刀を差しても問題なさそうだ。
「小物で襷も二本付けてください」
「かしこまりました。足袋や半衿、羽織などは大丈夫ですか?」
「あぁ……私は大丈夫です。それぞれに確認をお願いします」
たぶん瑛斗は持っていない気がする。
谷影家は特に歴史もない家系だ。
つい最近起業してある程度は成功しているが着物を買う意味も余裕もなかっただろう。
色々と確認した月火が一階に降りると既に火音と水明が待っていた。
火音は自己防衛としていつもの黒マスクだ。
目だけでも十分な破壊力なのだが。
「水虎さんは良かったんですか」
「私が太刀を使うので水虎は守りに振るそうです。足を引っ張っても意味がないから、と」
「自己肯定感の低さが垣間見えますね」
月火は呆れながら肩を竦めると据わった目で戻ってきた瑛斗に視線を飛ばした。
「お疲れ様です。美人な子が多いでしょう」
「人の顔なんて見てません……」
「それはそれは。次の自主練からは袴に慣れてもらいますよ」
「……はい」
疑問と抵抗を抱くだけ無駄だと悟った。
月火はケラケラと笑うと火音の新しい着物を何面か見繕う。
火音が少し気持ち悪いのを我慢して袖を通し、帯を合わせていると店の戸が開いた。
興味がないので見向きもせず月火に見てもらっていると聞き慣れた声が聞こえた。
「あれ〜、奇遇!」
「兄さん……五月蝿いです……」
火光と水月は揃って手を振り、水虎に呆れられ炎夏に背中をど突かれた。
「炎夏!」
「水明様も来てたんですね」
合わせ終わった火音は着物を脱ぐと軽く息を吐いた。
月火が心配そうに見上げてくるのを避けては通れぬ道と言い聞かせ大丈夫だと伝える。
「……デート?」
「いや水明さんも瑛斗もいますし」
「谷影後輩?」
火光と水月が揃って端にいた瑛斗に顔を向けると死んだ目で傍観していた。
「何したの……」
「振り回されたらしいです。可哀想ですね」
「一生恨みますよ」
「まぁまぁ。大人になるために一度は必要な経験ですよ。……火音さん、他は?」
月火は火音が選んでいる間に瑛斗の三面と帯、袴と足袋を確認させてもらう。
月火はよく特注で作り、着物の丈脛膝程度に、端折ったら膝上に来る程度の長さで織ってもらっている。
長襦袢も同様にかなり短くしている。
袴の横も普通より少し浅く、着物が膝上丈でも肌が見えない深さに。
「大丈夫そうですか」
「うん。前にも何本か買ったし」
「ではこれで」
月火はレジに行くと品を確認する。
「早くクレカ欲しい……」
「払ってあげようか?」
月火の小さな呟きを耳ざとく聞き付けた水月が覗き込むと月火は額に頭突きをした。
「いちいち構わないで下さい」
「怒ってる?」
「別に」
眠いのだ。
眠くて寝たい時に寝られない状態でその茶化した態度は苛立つ。
「六百八十三万二千五百二円です」
「あ、案外安い」
八百万はいくかと思っていたが水明が買わなかったからか。
「金銭感覚狂ってるぞ」
「大丈夫です。私の貯金が尽きない限り金銭感覚が直る必要はないので」
「……かっこよ」
実際、月火が頑張って使い尽くすより月に入ってくる額の方が大きいのでこれぐらい大きな買い物をしたとしても痛くも痒くもない。
最近はそろそろ神々の貯金に入れる額を三分の二にしようかと考えているほどだ。
「……数えるの面倒臭い……。八百下ろしたのでこのままでいいです。助かりました」
月火は紙袋ごと渡すと瑛斗に声を掛けた。
「行きますよ〜」
着物は後日、寮に配達するよう言ってある。
さすがにあの量は持てない。
「水明さん、行きますよ」
「離れたくな……」
「水明様、また今度会えたら」
炎夏にバッサリ切られた水明は泣く泣く離れた。
月火が靴を履いてしつこい水明を睨んでいると自体を聞き付けた店長さんが出てきた。
「月火様……! お代はこちらで数えますので二百もオーバーしたものは……!」
「いいですよ、大変でしょうし。私一人に時間を割くより他のお客さんに割かないと」
「ですが……。……ありがとうございます」
店長は一瞬視線をさまよわせたが口を引き縛ると深々と頭を下げた。
他の店員も洗礼された仕草で頭を下げ、月火は苦笑した。
「そんな大層なことをしたわけでもないんです。これからも贔屓にさせて下さいね」
「はい。再度の来訪お待ちしております」
リムジンに乗った月火は火音の肩を借りて眠り、火音はご満悦そうな様子で月火の寝顔を無音連写する。
完全に教師の仮面が取れた火音が楽しげにそれを眺めていると月火が静かに目を開けた。
「楽しそうですねぇ」
「コレクションが増えた」
「能面は取れましたね」
「うん、無理」
火音の笑顔に耐性がない水明と瑛斗がなるべく視界に入れないよう窓の外を見ていると月火グループのビルが近付いてきた。
「そう言えば先輩って会社で仕事しないんですね」
「遠いですし。定期的に見に行ってはいますよ。報告とか面接とかメンテナンスとかありますし」
「全部先輩がやるんですか」
「他人に任せてサボった結果人身事故が起きたら最悪ですし。不手際があった分損が出るとなると自分で動いた方が確実なんですよねぇ」
間近で見ると凄い迫力だ。
超高層ビル三本に四つのオフィスとなるとちょっとした工業施設に見える。
瑛斗が茫然とそれを眺めていると車が停まった。
「……ここ!?」
「え、そうですよ?」
「月火様が言ってないからですよ……」
「あぁ、可哀想に」
月火は車を降りるとずっと車に放置されていた杖をはめた。
流石にこのビルを移動するのに支えなしでは危険だ。
念の為に付けておく。
「あ、カード……」
鞄の中を漁って社員証を取り出すと首に掛けた。
代表取締役ともあろうものがこんな姿で情けないと思いながら中に入る。
「こんにちは〜」
「あ、社長! お久しぶりです! お体は大丈夫ですか!?」
「社長!? いらっしゃったんですか!」
奥からも人が出てきたので心配をかけたことを詫びると詫びせてしまうほど不甲斐なくてすみませんと言われた。
こんな返事をされたのは初めてだ。おかしい。
「来客者証を三枚お願いします」
「分かりました。社員証を失礼します」
バーコードをスキャンさせ、来客者証を発行している間に最近の様子を聞く。
どうやら複数の他社が月火が動けぬ間に偵察に来たそうだがフロント主任が追い払ってくれたらしい。
副社長も駆け付けたが出る幕はなかった、と。
「頼もしいですねぇ」
「相変わらず大人気ですよ。……こちら、来客者証三枚です。お帰りの際には再度こちらへご返却下さい」
「ありがとうございます」
月火はそれを受け取ると改札機的なものにカードをかざし中に入った。
あの改札機的なものは水月が見つけてきたもので、月火も死に物狂いで検索したが結局名前は分からなかった。
会社内では社員改札機と呼ばれているそうだ。
名付け親が誰か気になる。
「本当に社長って感じですね」
「社長ですからね。社員は優秀ですよ」
月火はエレベーター内で三人にある程度の設備を説明する。
一階ずつ説明すると日が暮れるので今回行く場所だけだ。
「二箇所だけですよ。靴を図ってジャージの採寸をするだけです」
「靴……ジャージ……?」
「皆さん絶望的に靴が合ってませんからね」
靴の状態と裸足の状態では踏ん張り方も踏み込みも全く別物だ。
最上級の特級五体が来るなら万全を期してなお生き残れたらいい方だ。
月火グループには尽力してもらう。
「瑛斗はその第一実験体です。馬鹿素直ですからね。操り騙しやすいです」
月火の度の越えたいたずらのような悪魔の微笑みに瑛斗は顔を引きつらせるともうどうにでもなれと自暴自棄のまま月火について行った。
約二時間の採寸や靴の調整が終わり、瑛斗が疲れ果てていると月火が手を叩いた。
「ちょっと仕事していいですか」
「あ、はい……」
「大丈夫ですよ」
月火はエレベーターに乗るとさらに階を上がった。
三十八階で降りると渡り廊下を進む。
「高いですね……」
「高いところは苦手ですか」
「いや、高所恐怖症はないです」
「何があるんですか」
この先輩は人の言葉から痛いところを突いてくる。
馬鹿正直にはぐらかすことも知らず答える瑛斗も瑛斗なのだが。
「暗所……」
「暗いところ? 何故」
「昔サーカスに連れていかれて真っ暗なまま電気が点いたら目の前に殺人ピエロがいて」
「えっ怖……」
家族でサーカスを見に行った時、中に入ったら真っ暗で係員が懐中電灯で照らして席まで案内された。
姉は大喜びで兄も楽しみにしており、両親も久しぶりの息抜きで嬉しそうだった。
普通、真ん中のステージでスポットライトが点いてショーが始まると思うだろう。
しかしスポットライトが照らされたのは奇跡的に瑛斗が座っていた席で目の前に顔面血塗れ、耳まで口が裂けて目を剥いたピエロが吊り下がっていた。
気配で何かいるとは思っていたので反射的に殴ってしまったが姉は大泣き、それが何度か繰り返されサーカスは阿鼻叫喚のまま始まった。
何より怖いのがピエロよりも増えていく人の泣き声だ。
あれがトラウマで姉はサーカスが大嫌いになってしまった。
兄も暗所とテントが大嫌いだ。
「ちょっと見てみたい」
「え、やめましょうよ……」
変な好奇心を踊らせる火音を月火が止め、水明は苦笑した。