70.いや同業者の勘ではなかろうか。
ある日の休日。
今日は三年生と水月と火光で学食にて食事会兼仕事兼勉強会をしている。
水月、火光、月火、玄智は仕事。
炎夏、火光、結月、凪担は勉強。
水月、火光、結月、凪担はスイーツ。
皆、菓子やパンや資料片手に集中している。
「……兄さん次」
「待ってこっちが追いついてない」
「じゃあこれやっといて」
「ややこしい……」
水月と火光は月火に仕事を振り分け振り分けられながらパソコンと睨めっこ中だ。
左半身で細かい動きが出来なくなったので効率が下がった分、一つ一つの作業の質を上げて詰め込むしかない。
今ここで根を上げて仕事を振り分けようにも全員手一杯なので分けられても困るだけなのは、月火が一番分かっている。
その結果、月火が猛スピードで行っている。
玄智はあくまでも補佐であり、その補佐の仕事は火光がほとんど代わってくれているので勉学に集中出来る。
「この取引どうなった?」
「兄さんスマホ貸して下さい」
「火光データ送って」
「答えろや」
真面目な三人を横目に学生達はお互いの得意分野を教え合う。
結月は国語を、凪担は数学と理科を、玄智は社会と歴史を、炎夏は妖学を。
朝の八時から集まり、今は昼の十一時。
もうすぐで終わる。
「……ねぇねぇ、英語はやらないの?」
「英語はねぇ、誰も分かんないからあっちの三人の誰かがいるの。……凪担分かる?」
凪担の問いに玄智が問いで返すと凪担は微妙な顔をした。
「うーん……まぁ日常会話ぐらいなら……」
「さすが帰国子女」
「今から日本語禁止で会話しろって言われたら自然に話せるようになるでしょ?」
いや無理だ。
ただ沈黙が走ると思う。
「それって外人との会話の場合だろ。英語知らない日本人同士じゃ意味ないし」
「あそっか」
呆れた炎夏が突っ込むと凪担はハッとした様子で苦笑いを零した。
「でも月火ちゃんはずっと日本だったんでしょ?」
「神々の英才教育を持ってきたら駄目だよ」
「そうなの?」
結月が首を傾げると玄智と炎夏が真剣な顔でどんなものかを教え始めた。
まず幼稚部。
ここで平仮名カタカナ、アルファベット、家族全員の漢字と割り算まで教えられる。
初等部に上がる頃には中学の漢字まで全て覚え、英語も高校レベルになる。
数学に関しては中学三年レベルだ。二次方程式やらなんやらが当たり前のように口から発せられる。
もちろん体術と妖心術、加えて妖力操作と月火なら剣術を習っていた。
ちなみに水月は初等部二年の時点でゲーム機をばらして魔改造していたらしい。
火光は小四で気象予報士の資格を取っている。
この頃から礼儀作法も躾られるらしい。
中等部になるとだいたいの勉強を詰め込まれ、外国語はフランス語と中国語と韓国語が追加される。
現代に必要なパソコンスキルや、潜入も増えるため本人に合った様々な趣味嗜好が詰め込まれる。
高等部になると自由など最早欠片もない。
勉強と任務の両立。
それに加え次期当主は当主の手伝いが、次期当主補佐は補佐の手伝いが始まるので今までよりさらに厳しく忙しくなるだろう。
「でも月火ちゃんは中二で……」
「月火の場合は異例中の異例。御三家合わせても史上最年少当主だし」
勉強が終わった昼食後、仕事が終わった三人も仲間に入って結月の話を聞く。
今は結月にモテテクを教えている最中だ。
ここにはモテようとしてモテた人など、いい意味でも悪い意味でも一人もいないが。
「へぇ、じゃあ片想い中なんですね」
「そう〜。かっこよくない?」
「顔は……まぁ……」
結月はとある先輩に憧れており、お近付きになりたいそうだ。
名前は月火なら絶対に知っているからと教えてくれないが。だいたい見当はつくし見当がついていることも分かっている。
その先輩は大学部一年の補佐兼情報部で、前の大会でも好成績を収めるなどの優秀さんらしい。
もちろんテストは常に上位、月火に並ぶほど、と。
「結月は真面目な人が好きなんですね」
「うーん……でもふざけて迷惑かけるよりは真面目な方が好きだよ。堅物すぎて面白みがない人はあれだけど……」
「あの人は堅物ですよ」
「仲良くなったら笑うんだよ? 会話に花が咲くなら大丈夫」
月火は全生徒のある程度の情報を頭に入れているので誰か分かった。
顔も知っている。
話した事もある。
「それにギャップもあるじゃん?」
「ギャップ……?」
「好きな物には一途でさ? たまに大興奮してるし」
「して……ますねぇ……」
遠い目をした月火が結月と話していると誰かが結月の頭を軽くつついた。
振り返った結月は目を丸くして勢いよく立ち上がる。
「鎮先輩!?」
「久しぶり〜」
「なんっ……えぇ!?」
「そんな驚かなくても……」
結月は皆に断りを入れると一旦離席して声の聞こえないところで立ち話を始めた。
水月がそれを眺めていると火光に頬をつつかれる。
「どうしたの」
「絶対何人かは騙してると思って」
「失礼すぎるよ……」
「野生の勘だよ」
いや同業者の勘ではなかろうか。
月火が冷めた目で水月を見上げながらジュースを飲んでいると火光が月火に話し掛けた。
「月火、誰?」
「鎮風由。大一の情報で結月と同じ中学の水泳部です。今は文研サークルで小説読み漁ってるただの学生ですよ」
高校時代に四又してたとかママ活してたとかギャンブル依存とか、そんな真っ黒な噂があるだけのただの好青年だ。
ただ、その噂が事実と言うだけ。
「水月冴えてるね」
「顔に書いてあるもん」
「お調子者め」
火光と水月が遊んでいると結月が帰ってきた。
「おまたせ。ごめんね」
「大丈夫だよ〜。何話したの?」
「久しぶりだったから今度遊びに行こうって。妖輩だから時間がある時にって言ったらべた褒めされて……」
これは黒ではないだろうか。
「結月ちゃん、気を付けなよ?」
「水月兄さんが言えたことですかね」
「他の女の子にも言ってあげなよ」
水月は両サイドにいる口の悪い弟妹の喉仏に親指を添え、静かに微笑んだ。
「なんか言った?」
「なんも言ってないよ……」
「何も言ってません……」
「あっそう」
水月が手を開いて離すと二人は静かに左右に逃げようとした。
しかし水月が肩を組んで阻止する。
「結月ちゃんはあの先輩の噂知ってる?」
「な……」
「水月、口が過ぎるよ」
結月の言葉を遮り、火光が水月の腕に爪を立てると水月はすぐに口を塞いだ。
遊びすぎた。
「まぁ気を付けようって話」
「怖いですねぇ」
月火は水月の腕から抜け出すと火光と隣にいる結月の隣に移動した。
「ねぇ水月兄さん」
「……怖いね」
怖い。
月火の視線が怖い。
その目を向けるために移動したのかと疑うほどに怖い。
水月は背中に冷や汗が伝うのを感じながら小さく同意しておく。
最近は自粛している。
元々、暇で始めたことなので私的欲求もなく、ただ寄ってくるから利用しただけだ。
色恋もない女の使い道など一つだと思っている。
いやそれは最低すぎるか。
黙っておこう。
その日の夜、月火が学食で一人で残って仕事をしていると上に影がかぶさった。
もう十一時を過ぎており、夕食を作りに帰らなければならないのだが仕事の手が止まらず何度も謝っていた最中だ。
「火音さん、来たんですか」
「お疲れ様。夜に一人は心配だし」
「心配性ですねぇ」
月火はパソコンを閉じると鞄に突っ込んだ。
椅子に膝立ちをすると火音に手を伸ばした。
仕方なさそうに微笑んで抱き着いてくれる。
「疲れました」
「帰って休もう」
「早く火音さんに会いたいです」
月火は袖に仕込んでいるサバイバルナイフを出すと、ちょうど胸椎関節であろうところを浅く突き刺した。
同刻、学生寮。
珍しく、いや最近は当たり前と化しているが、月火よりも早くに帰った火音は自室で絵を描く。
月火は今は食堂で仕事をしているらしく、もう十一時を過ぎているが夕食はまだだ。
何度も謝られているが月火の仕事が大変な事は嫌という程よく知っているので応援している。
ちょうど十分になった時、寮の扉が開いた音がした。
火音の部屋にノックが鳴り、扉が開いて杖を突いていない制服姿の月火が顔を出す。
「遅くなりました」
「……おかえり。大変だった?」
「そりゃあもう。でも楽しいですよ」
「月火が楽しいならいいや」
火音はタブレットをベッドの足元側に放り投げると月火を手招きして膝に座らせた。
「火音さん、夕食……」
「いらない」
「えぇ……」
月火から嫌悪感が伝わってくる。
火音は月火を抱いたまま寝転がると後ろに手を伸ばしてベッドのマットレスに護身で仕込んであるバタフライナイフを出した。
「大変だなぁ」
声色が変わり、月火の体が微かに強ばる。
髪の間から見える首筋に汗が伝い、胸の下にある腕では焦りに早くなった鼓動が感じられる。
気持ち悪い。
「本気で騙せると思ってんなら今すぐ死んだ方がマシ」
「なんの事ですか……」
「なんの事だと思う?」
急に甘くなった火音の声に月火は震え、背中に突き付けられた鋭いそれの感覚に今すぐ逃げたい恐怖を覚える。
「答えろ、月火側にいるのは誰だ」
「し、知らな……」
刃を強く押し付ければ息を飲む声が聞こえてくる。
これ、犯罪にならないだろうか。
火音が少し心配すると、月火から犯罪でも揉み消せると伝わってきた。
今なら大犯罪者がいるから、と。
それもそうか。
月火もやったなら躊躇う必要はない。
「首に刺してもいいからな?」
「に、兄さん……珀藍がっ……!」
火音はちょうど軟骨の柔らかい部分にナイフを突き刺すとそれを突き飛ばして月火のいる食堂に向かった。
「月火!」
「火音さん」
パーテーションを回ると月火に抱き着いた。
月火に珀藍が触ったかと思うと腸が煮えくり返りそうだ。
「落ち着いて」
「……帰ろう」
「はい」
火音は月火の荷物を代わりに持つと杖を突いて歩く月火に合わせて歩く。
「向こうは月火がこうなったこと知らなかったっぽい」
「……可能性が別れますね」
「なんで?」
一つ。
こちら側にスパイはいなくて向こうに情報が伝わらず、月火の体の異変を知らなかった。
二つ。
こちら側にスパイとして潜り込んでおり、息を潜めながら定期的に連絡を取っている。
今回、杖を知らないフリをしたのは一つ目の可能性に見せ掛けるため。
三つ。
これは限りなく低いが、両スパイとして動いている。
向こうに必要な情報は渡さず、こちらにも重要な情報は知らぬフリで両方から信頼を得たまま保身を保つ。
「三つ目の場合、可能性のある人物は既にいるんですけど」
「……まさか」
「一番外部と接触しやすいですよ」
「でも……」
「火音さん」
月火の鋭い声に火音は口を塞ぐ。
「たとえどれだけ信頼していたとしても裏切るのは相手の気持ち次第です。稜稀も暒夏もそうだったでしょう。甘えないで下さい」
「……ごめん」
「いいですよ。あれなら簡単ですから」
月火は薄く微笑むとまたエレベーターに乗り込んだ。




