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妖神学園  作者: 織優幸灔
三年生
161/201

60.火音のご機嫌を常に保っている月火、実はかなりの凄腕ではなかろうか。

 医者は騒がしく廊下を行ったり来たり、看護師も補佐官も医者の卵のはずの医療コース生まで駆り出されている。





 海麗は静かに眠る火音の傍で絵を描く。



 四十度の熱があったのにあれだけ動き、疲労を重ねれば免疫力が下がるのは当たり前で、複数の点滴と輸血パックが繋がれ、人工呼吸器で呼吸を助けたまま眠っている。




 月火の手術は四時間ぶっ通しで続いており、水月と火光も治療を受けた後に仕事に翻弄されていた。

 役職もやることもない暇な海麗は絵を描いて時間を潰しているというわけだ。






 それから三十分が過ぎた頃、火音が目を覚ました。


 海麗がナースコールをして看護師が酸素マスクを取るや否や咳き込み、また酸素マスクが付けられたがまともに息が吸えていない。



 海麗が引き出しに入っていた吸入薬を渡すと咳き込みながらもそれを無理やり吸い込んだ。


 もうすぐ吐くぞと言うところで咳が収まり、嫌がる元気もないまま酸素マスクを付けられる。



 点滴のズレがないかを確認し、色々確認してから看護師は問題なしと判断して去っていった。





「海麗さん、月火は」




 思考が伝わってこない。


 あの後どうなったのだ。



 火音は月火が腕を登っている最中に限界が来て気絶したのでどうなったのか全く分からない。


 一つ分かるのは、月火が狂いかけているという事だけ。



「聞かない方がいいけどね」

「月火は」

「……聞く?」

「早く」


 視線が怖い。


 海麗はタブレットを消すと火音にあの後のことを説明した。






 火音が倒れた後、月火が相打ちで特級を祓った。


 実体化した藁人形は現在白葉が片付けている。



 藁人形は首が跳ねられ、月火は真横の上層部の壁に叩き付けられた。


 水明の龍に手伝ってもらった海麗が壁に全妖力を流して怪我が最小限になるよう柔らかくはしたが元が木の板。


 限界まで凹んだところで叩き付けられ、九尾が守ったらしいが左肩は完全に潰れていた。


 海麗の壁のおかげで右半身は何とかなったが、左肩と左の全あばら骨は折れ、足も数箇所にヒビ、脊椎もやられ、これぞ満身創痍のまま緊急搬送。




 もう六時だが未だ手術は続いている。



 緊急外来は全て学生と他の医者に任せ、晦姉妹が中心となって医療コース大学生も使って計四時間半の手術中。



 海麗も詳しい状態は知らないが知衣がその場で必要最低限の手術だけ行ったのであの時の時点で一命は取り留めたらしい。

 ただ、こんな大規模な手術は初めてで何が起こるか分からないので手術中に、という可能性もある。と。






 海麗の言葉が信じられず、火音は愕然とする。


 そんな時に自分は体調不良で寝ていたと言うのか。

 最悪だ。



 月火が死んだら正気でいられる気がしない。

 いや、狂えるだけの気があるだけまだマシか。


 自殺確定コースだ。




 手術中なら火音が行っても意味ない。


 それに婚約者の火音なんかより家族が先に行った方がいいだろう。

 役に立たなかった奴より決死を尽くした友人の方が会いたいに決まっている。




 月火に顔合わせ出来ない。

 月火が死ななくても死ぬかもしれない。


 何故家族の時間は邪魔するくせに必要な時に寝ているのか。


 本当に役に立たない。

 月火の傍にいるだけ無駄、いる資格がない。

 人に迷惑をかけるだけのくせに生きている意味はあるのだろうか。





 目尻に涙が伝い、海麗が勢いよく立ち上がった。


「どうしたの」

「……六階から落ちたら死ねますかね」

「止めて止めて止めて」


 海麗は慌てると火音の腕を掴んだ。


「急に何? 止めてよ。俺が帰ってきた意味ないじゃん」

「月火に嫌われたらどうしよう」

「嫌われないでしょ。優しいもん」

「優しくても嫌いな奴は嫌いだと思います」



 そういう意味ではない。




 もちろん月火も優しいが、優しいのは火音だ。

 自分がこんな状態になっているのに月火の事を心配し、何よりも月火を想う。



 火音に不満なら月火は二度と婚約出来ないどころか彼氏も出来ないだろう。

 世界最高峰の優良物件だ。




「ただのクズですけど」

「じゃあ火音と婚約解消したら俺が貰っ……」

「殴りますよ」


 これほどまでに一途に想っているのなら月火はそれを受け止めてくれるだろう。

 それが出来る優しい子だ。




「知ったような口を」

「なんか怒った?」

「別に」



 もし婚約を解消されたら火音は死ぬ。


 その後に月火と婚約するのはいいが、怪異化した火音に襲われる覚悟でいた方がいい。


 もし火音が生きている間に婚約したらお互いを監禁して片方を餓死、一生月火と暮らすと思う。

 我ながら気持ち悪い。




「ねぇ何怒ってんの〜? 月火が取られると思ったー?」

「自画自賛じゃないですけど。海麗さんは俺より上質なので」


 イケメン高身長に優しくて金持ち、実力も妖力も十分、出生に謎もないし変な性格も持っていない。

 潔癖でもないし病気も完治、何も患っていない。


 共鳴の影響もないし自立している。

 月火と釣り合うだけの質がある。




「……火音って月火と仲いい割には信用してないんだね」

「は?」



 月火が火音を手放すわけがないだろう。


 同居して仕事中でも授業中でも火音を気にかけ、どんな事があっても火音の食事は抜かさないし火音を変に縛り付けない。



 お互い、信頼し合って思い合っていたからこその零日婚約だ。

 それを体調不良で倒れたからの一言で解消してしまっては月火の気持ちが報われない。




「月火が僕に零した言葉知ってる? 僕も同意したけど」

「知りません」


 先日のお見舞い時、火音が寝込んで月火が一人で来た時だ。



 何があったか知らないが苛立っていたのだろう。

 こんなところに来るより火音の看病をして火音と一緒にいたいと言われた。



 海麗も頷いて菓子だけ受け取ると早く帰ってあげてと言った。

 が、月火は早く帰りすぎては火音が不機嫌になるので駄目だと言っていた。


 月火のせいで熱がぶり返したのに月火のせいで不機嫌になり、その上火音に罪悪感や焦りを感じさせたらいつか関係に亀裂が入ってしまう。


 火音と喧嘩したら月火は耐えられない、と。




「いつもみたいにベタベタ甘えとけばいいんだよ。それで上手くいってるならそれが良いんでしょ」


 柄にもなく顔を涙で濡らした火音はゆっくりと振り返って海麗を見上げた。



 頬を掴んでめいっぱい引っ張る。


「五月蝿いです八条さん」

「戻っちゃった」


 

 火音のご機嫌を常に保っている月火、実はかなりの凄腕ではなかろうか。









 その二時間後、疲弊しきった顔の綾奈がやって来た。


 海麗からタブレットを奪ていた火音は顔を跳ね上げる。



 海麗が寮にタブレットを取りに行くと言ったので入るなと言うと、二人の愛の巣に入られたくないのかと言われたので拳骨を落としておいた。



「綾奈、月火は?」

「クソ問題児が」

「……うん?」


 もう問題児と言うのは自覚した。クソもたいして気にしない。



「そんなことより月火は?」

「休憩させろ」


 綾奈は火音のベッドに座ると珍しく大きな声で溜め息を吐いた。



 無言で火音の点滴や輸血を抜いていく。


「……よし、行ってこい」

「お前犬って思ったろ」

「思った」


 火音は舌打ちをすると綾奈の頭に布団を掛けてからベッドを出た。



 海麗とともに病室に向かうと、集中治療室の中には既に三年生や知衣と知紗、一年も集まっていた。


 知衣以外全員が負傷しており、知紗などその状態で手術をしたのかと言うほど傷が多い。



「火音先生……!」

「麻酔は?」

「途中で何回か追加したから……起きるのは夜中か明日の朝の予定」

「予定?」


 知紗を無視した火音は知衣の言葉に眉を寄せた。



「あくまでも予定」





 これだけの怪我をしたのだ。頭に衝撃がいっていない方がおかしい。


 九尾と海麗が協力した事で目立った外傷はなかったが、それでも眼球や全身の筋力に異常が見られた。




 つまりだ。

 たとえ麻酔が切れたとしても月火が起きる可能性は百パーセントではない。


 植物状態になる可能性だって十分に有り得るし起きたとしても記憶喪失や一時的な混乱、脳の障害や後遺症が残ってもおかしくない。

 と言うか残らない方が奇跡だ。




「……奇跡ねぇ……」

「片方が寝てても意思疎通は出来る?」

「出来る。……夢に干渉までしかやったことはないけど」

「月火に話しかけ続けて。目覚めが早くなるかもしれないから。かもだけど」


 火音は小さく頷くと集中治療室の扉に足を向けた。




「先生もう行くの? まだ体調悪い?」

「いや、そんな事はない」

「月火の傍にいてあげなよ……」



 玄智の弱々しい声に火音は少し息を吐くと振り返りながら足を進めた。





「鬱陶しがられたら嫌じゃん」



 寝ているだけで嫌悪感や不快感はある。

 直で伝わってくる火音はメンタルが持つ自信がない。


 それに月火の代わりも務めなければならないしこれは甘えだが、月火のこの姿を見ていたら精神が狂いそうになるので保険だ。





 火音は玄智の否定を遮るように扉を閉じると病室とは逆方向に歩いて行った。

 海麗は溜め息を吐きながらついて行く。




「……心配じゃないのかな……」

「知らん」

「いつ死んでもおかしくないんでしょ……!」


 結月と洋樹と桃倉は泣きじゃくり、皆も必死に堪えたり静かに泣いたりと感情が昂っている。






 それから数分すると焦燥を浮かべた水月と火光がやって来た。


「月火……!」

「生きてるよね……?」

「生きてる。明日には麻酔が切れるよ」


 火音は理解があるものの、この二人に植物状態などと言ったら発狂する可能性があるので最低限のことだけ言っておく。




 二人は安心に胸を撫で下ろすと水月は床に手を突き、火光は壁にもたれかかった。


「良かった……!」

「心臓止まりそうだったよ……」



 やはりこれぐらいの反応が普通なのだ。


 玄智は椅子に座って月火の傍で仕事を始めた二人を眺める。



「……そういや火音は?」

「来たよ。来て帰った。鬱陶しがられたら嫌だって。有り得ないよ、月火がこんな……」

「……あぁそう」




 玄智の一言であらかた理解した二人はよく似た目で知衣を見た。



「手術は成功したんだよね?」

「最前は尽くしたし骨とかの後遺症はない」

「脳の損傷はどうしようもない事なんです。理解して下さい。この病院の名医をかき集めて治療したんですから」

「分かってるよ。ありがとね」



 仕事が手につかなくなった二人はパソコンを置き、意気消沈する。




 遅れて綾奈もやってきて病室を見回す。


「問題児がいないな」

「出てったよ」

「あそ」


 今度いい精神科を紹介してあげようか。





 綾奈は窓を開けると腰掛けて電子タバコを咥えた。

 知衣が吸っているのだから綾奈もいいだろう。


「あの自己肯定感の低さも問題だな」

「幼少期がねぇ……」

「姉さん達、プライバシー守って」


 知紗に睨まれた二人は口を閉ざすと脱力してベッドに突っ伏している火光と水月を見下ろした。





 この二人もなかなかの怪我だが日常生活に支障はない。

 今回は特級三人と特級並一人が特級以外を相手にしてくれたおかげで人的被害が小さかった。


 それだけでも立派な功績だ。

 火音がそれを理解してくれるといいが。





 無理だろうなと考えながら、知紗に体調チェックシートが挟まれたバインダーを渡す。



 体温は三十九度八分、早脈、チアノーゼ、喘息、顔面蒼白、冷や汗。


「絶不調じゃない!」

「マジ? 阿呆だな」

「姉さん!」


 しっかりしてほしい。




 知紗はバインダーを知衣に押し付けると治療室を出ていった。



 知衣はバインダーで軽く綾奈の頭を叩く。


「知紗に迷惑かけないで」

「月火に会いに行くのに駄目だとは言えないし」

「それもそうだけど」

「八条がいるから大丈夫だろ」


 綾奈は校庭に視線を移すとえぐれた地面や凹んだ壁を眺める。






 派手にやったものだ。


 一部は血の海と化している。



「水月、仕事は回りそうか」

「ぜーんぜん。百人いても足りないね」


 月火が抱え込んでいた分プラス今回の対応用人員で人材不足に拍車がかかった。


 どうしたものか。



「火音を使ってやれ」

「当たり前。海麗と妹もね」

「知紗に無理させないでよ」

「シスコンが」


 お互い様だ。




 水月はパソコンを開くと火光も動かし、二人でよく分からないことを言いながら永遠に舞い込んでくる仕事を捌き始めた。

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