59.『妖神術 神託』
侵入者が稜稀と時空の二名と仮定され、次の問題に移る。
どうやって黒縄をちぎったのか。
結界自体、黒縄が中心となっているので結界を壊すにはまず黒縄からだ。
しかし黒縄を壊すには結界に侵入する必要がある。が、結界に侵入するには黒縄を壊さなければならない。
このループになるのだが、誰がどうやって結界内に侵入したのか。
「稜稀は出来ないの?」
「無理です。稜稀の妖力より私の方が強いので」
「……凄いね」
「どうでもいいです」
そんなことより方法だ。
三人は腕を組んで唸る。
「主様、怪異の血が流れてるなら妖力に変化があってもおかしくないんじゃないの?」
「特級もいるんだろ。その血の可能性は?」
「海麗さん以外は見たでしょう」
路地裏に倒れていた猫だか犬だがの死骸。
身の丈に合わない妖力を過剰に取り込むと一部が怪異化する。
身の丈と言うのは己の妖力を極限まで練り上げた時の最高濃度がギリギリだ。
それでも二、三滴で怪異化することが判明している。
怪異になった部分は壊死するように進行し、体を蝕んでいく。
月火達が見た時、あの死骸は後ろ足が怪異化しているだけだった。が、補佐官に回収させに行った時には尾の半分、腰ほどまでは進行していたと報告が上がっている。
血液検査と黒葉検査の結果、あの猫に入った血は二級の怪異と断定。
一分に三から四ミリ進行するとして、特級になればそのスピードは桁違いだろう。
たとえ稜稀が怪異化したとして、それに慣れる期間で半身を飲み込まれ、いつかは人の自我すら無くすはずだ。
策士の暒夏は最高戦力であり、中心核の稜稀を失う行動はしない気がする。
そのため稜稀が特級の血を取り込んだとは考えにくい。
一級なら取り込めるだろうがそれでも怪異化はするし、そもそも一級程度では黒縄を編むための藁を一本ちぎることも出来まい。
考えられる可能性として一番大きいものは一般人に特級の血を流して完全に怪異化させ、躾てから黒縄をちぎらせた。
黒縄だけ切らせたら使い捨て出来るし特級本体を失わない限り、無限に作れるのでそこまでの損傷にはならないはずだ。
疑問点としては時空と稜稀以外の妖力が残っていない事、どうやって結界内に侵入したのか。
稜稀でも無理やり壊すことは出来ないし時空など以ての外。
仮定した特級怪異はいるかすら分からないが、いたとしても外側の門番が一番に報告するはずだ。
「……ここに一番に到着したのは?」
「僕。座敷童子が落ち着かなかったから見回りに来たの」
「言ってましたね」
月火に連絡が入り、許可したのも月火だ。
間違いない。
「一と二の間にいる時に六番の門番が降りてきて」
「外の?」
「外……だろうね。誰か知らないけど着いた時には内側の門番は中で倒れてたし」
「外のもう一人は?」
「医療班を呼びに行ってた。内側二人を運んだ人達ね」
医療班は基本的に妖力を持たない者が集うため、緊急時には中に入っていいとされている。
妖力が残らないため確認に差支えはない。
「外の門番は無傷だったんですか?」
「パッと見怪我はなかったけど……」
中に直接侵入した可能性が高いのか。
月火は外に出ると血濡れたジャージを水月に押しつけながら考え込む。
時空が怪異の血を取り込んでいることは確定した。
稜稀は怪異の血は不明だが、時空の血を取り込んだ可能性は高い。
架空特級がいたとして、転移の核は時空だ。
時空が無理でも同時転移の特級がいたら入り込めるのだろうか。
それとも特級自体に時空の血を流して転移出来るようにしたのだろうか。
怪異に神通力、もう妖心術の一種として捉えた方が早い。妖心術は使えるのか。
特級がいなくとも時空と稜稀の総攻撃で結界は壊れるのか。
遠距離から結界を壊す方法はあるのか。
あるとして二人共が使える確率は。
新たな仲間はいないとも言い切れないし二人の血の濃度も不明のままだ。
一度に取り込んだら怪異化するだけで徐々に慣らしていけばどうなるのか。
分からないことが多すぎる。
月火が腕を組みながらぐるぐる歩いていると海麗に肩を叩かれた。
指さされた火音の方を見ればキャパオーバーで処理落ちしている。
「……やり過ぎました。大丈夫ですか」
「頭痛い……」
心因性発熱、子供で言う知恵熱だ。
過労とストレスの多い火音に余計負荷をかけてしまってはそれになってもおかしくない。
月火が少し慌てていると火音が額を押えた。
「火音がここまでなるのは珍しいね」
「二回目だよ。二回……何回目かな?」
火光は二本の指を立てたあと、水月を見上げた。
前に火音が処理落ちし、その後月火が怪異の平均計算をした。
計算中、火音は眠っていたので問題なかったが起きていたらキャパオーバーでは済まなかったと思う。
「バケモノ……」
月火は海麗の脛を蹴ると火音を見上げた。
「寮に戻って休んで下さい。こんな事を繰り返しているから治るものも治らないです」
「一回来たんだから最後までいる」
「我儘言わないで下さい」
「言う」
月火が火音を説得していると綾奈がやって来た。
「神々当主」
「どうしましたか」
「少し狐を貸して欲しくて」
怪我人の傷が怪異化しかけているらしい。
変色しており、知紗が妖力に気付いた。
「すぐに行きます」
ついでに火音も休ませよう。
月火が黒葉を呼び、火音を連れて綾奈とともに医療棟に向かっている途中。
いつかどこかで感じた妖力を感じた。
「行きなさい」
月火は綾奈と黒葉を走らせると人と共に窓から校庭に飛び降りる。
三級十二体、二級五体、一級二体に特級一体の計二十体の怪異が校庭に溢れんばかりに入っている。
部活や遊んでいた生徒は一目散に逃げ出し、怪異の近くにいた生徒が何人か捕まった。
『妖心術 雷閃』
火音の雷で生徒を捕らえていた怪異が祓われ、海麗達が近付いてきた。
「当主、一級やっていい?」
「お好きにどうぞ。なんなら特級でも」
「病み上がりでそれは無理」
病み上がりで一級に挑むその心意気なら問題ない。
が、死なれても困るので一級二体を任せた。
水月と水明に一級一体と二級三体を任せ、火音に二級一体と三級四体を、やって来た三年生含む妖輩に三級五体を任せた。
特級以外の二級一体と三級四体は火音の雷で祓われた。
月火はほぼ実体化済みの特級相手だ。
白葉は双葉姉妹を守っているし黒葉は神通力を使うのに必要、金狐はそろそろ帰ってくる頃だ。
『妖心術 狐鬼封縛』
とりあえずスペースが出来るまでは縛っておかなければ。
そう思って十四の狐火で縛ったが、同時に神通力が使われたので緩みが出て鎖がちぎられてしまった。
まずは黒葉を吸収し、次に金狐を吸収する。
白葉には自ら向かわせよう。
とりあえず神通力で使った妖力は埋められた。
月火の思考が伝わったのか火音が指示を回し、周りの雑魚を優先的に祓ってもらえた。
『妖心術 死魂灯々(しこんどうどう)』
無数の狐火が現れ、怪異の大きな藁人形のような体を焼いていく。
黒く、赤い紐で縛られたその体。
見覚えがある。と言うか見て、直したばかりのそれは。
「黒……縄……?」
目で追えなかった。
どれだけ動体視力を鍛えていてもあの速さは無理だ。
気が付けば受け身も取れぬまま校舎の壁に叩き付けられており、腹部に激痛が走ると同時に吐血する。
肋が折れて内臓に刺さった。
たぶん骨盤も欠けている。
気絶したいのに九尾が守ったせいで頭は無事で、その痛みから逃れられない。
違う、逃げては駄目だ。
神通力で怪我を治し、過呼吸になった呼吸を無理やり整え、鼻血を拭った。
自分で作った黒縄だ。
勝てるに決まっている。
勝てるだろうか。
特級の妖力を込めた黒縄を、妖力も満足にないような月火が勝てるだろうか。
駄目だ、勝たなければ。
いくら海麗でも病み上がりで特級は無理だ。
火音も万全じゃない。
集中しろ。妖力を極限まで練り上げ、全身全霊で奮い立たせろ。
『妖神術 神託』
未来を犠牲に妖力を底上げする。
中で黒葉と金狐が悲鳴を上げているが無視だ。
黙れと命令しておく。
『妖神術 鼕鼕』
鼓膜が破けるほど大きな音が二度鳴り響き、皆が耳を塞いだ。
月火の左右で鳴ったその音の音波が怪異を飛ばし、海麗は後ろにいた二級とぶつかった。
二級は水月の蹴りで祓われ、特級は月火に襲いかかる。
本当に藁人形かと思うほど足が早い。
脈が跳ね上がり、世界が少し遅くなり、肌に当たる服すら痛い程感覚が研ぎ澄まされている。
確実に共鳴状態なのに誰の声も、なんの音も聞こえない。
それなのに頭の中では雑音が鳴り響き、耳の中で血が出たのが分かった。
『妖神術 鑾鑾』
たぶん火音の聴覚が伝わってきているのだろう。
この耳で音が聞こえるわけがない。
どこかで愛らしい鈴の音が鳴り、それと同時に特級に四本の穴が空いた。
月火も避けられるものは避け、自爆になってでも特級への攻撃をやめない。
自らの妖力で作り出した刀を振るい、本当に藁かと疑っては折れた刀を作り直す。
『妖刀術 紅凪之舞妖』
『妖神術 毀毀』
バキバキとガラスにヒビが入るような音を感じながら四方八方を見ている藁人形の腕を駆け上がり首を狙った。
足に絡み付いてくる藁を出てきた黒葉が噛みちぎり、払おうとしてくるもう片腕に金狐が噛み付く。
月火が近付くにつれヒビの音は近くなり、刀を握りしめると黒葉が刀に乗り移った。
状況がいまいち分かっていないが気にしない。
黒に染まり重たくなった刀を筋肉が悲鳴を上げるほど素早く振り上げ、共鳴を持ってしても目で追えない速さで首まで振り下ろした。
特級が月火を殴るのが後押しになり、月火は静かに刀を引く。
刃物はどれも同じで、押して切るのではなく引いてきる。
対物に当てるための軽い力は必要だが、相当な切れ味があれば非力な子供でも藁を切り落とすことは容易いだろう。
その体現だ。
怪異が月火を後押しし、自らの首を切るよう勧めた。
月火はそれに従っただけで、何も考えず静かに刀を引く。
足が宙に浮いていたとしても関係ない。
落ちるよりも側面に押される勢いの方が強いので落ちることはないのだから。
藁人形の首が跳ねられたことを確認し、刀を手離すと静かに目を閉じた。




