57.そんな目で見ないで。
「言いたいことはそれだけか?」
月火の静かな怒りに蓮は血の気を引かせ、火音も顔を引きつらせた。
午後の授業が終わった後。
学園まで乗り込んできた伯父、蓮の言葉で月火がキレた。
完全な怒りとまではいっていないが、ぼんやりと生きている中ではっきり分かるほどにはキレている。
火音で落ち着けられるだろうか。無理な気がしてきた。
「言っとくけどお前の愚図で馬鹿で恥さらしの娘も全く血の繋がらない養子だからな。……養子縁組すらしてない赤の他人だけど」
普段、快弐を馬鹿にしたら暴走する蓮もさすがに言い返せず、月火は淡々と言葉を連ねる。
一度に多くのことを馬鹿にされ、そのほとんどに怒りが来たためもう何に対して怒っているのか、自分でも分かっていない。
気持ち悪い。
頭の中に浮かぶ罵詈雑言を全て吐き出して言い返してやりたい。
言い返してやりたいのに、幼い頃からの感情を見せるなと言う教育と外聞のせいで怒りをぶつけられない。
壊れてしまいそうだ。
壊れたら、このまま怒鳴って罵倒しても怒られないのだろうか。
何故怒ってくる稜稀がいないのに怒られる事に怯えているのか。
だんだん分からなくなってきた。
「実子のお前より養子の火光の方がよっぽど有能だな。他人の立場を利用して威張り散らして他人に迷惑かけてなんで生きてんだか。社会のゴミだろ。お前なんかが神々の名前を名乗ってる事すら我慢ならないってのに」
怒りと恐怖と疑問と嫌悪感が混ざり合い、今すぐ殴りたいのを我慢する。
みぞおち辺りが気持ち悪くて今すぐ吐いてしまいたい。
そんな事をしたら怒られる等と、二度と有り得ない事に怯えながら逃げ続ける自分も嫌いだ。
「そもそもお前の妹がこんな事をしなければ……!」
必死になって怒りを溜めている月火が怒りの滲んだ掠れた声でそう言うと蓮が眉を吊り上げた。
自身のコントロールで集中力が低下していた月火の頬に平手打ちが降り、清々しい程の音が鳴る。
「よくも生みの母親を悪者に出来るな。稜稀はお前の育て方を間違えたようだ。もし今裏切られたとしてもお前が生まれた頃からこんな事を考えていたはずはないだろう。理由も聞かず一方的に責め非難するなと、一方を正義と決めつけ動くなと教わらなかったのか」
教わった。
教わったに決まっているだろう。
しかし教えた人が反逆者になっては何が正しい教えで何が間違っていたのか、自分の身に染みた教育が信じられなくなってくるのだ。
月火は痛みの広がる頬に軽く触れると、何を考えているのか分からない、今までの感情で揺れた目とは真逆の目で蓮を見上げた。
「水哉様と花蓮様がお前の育て方を間違えたのと同じだろ。親から何も学ばない、正しく蛙の子は蛙だ」
純白の瞳が真紫に染まったと同時に火音が月火の肩を掴み落ち着かせた。
「月火、落ち着いて」
「でも」
「いいから」
それでも火音に抗おうとする月火に呆れた火音はスマホを出すと月火の写真を撮った。
コレクションが増えた。
「今の体調で共鳴は無理」
火音がそう言いながら月火の写真を見せると月火は軽く目を見張った。
それと同時に冷静さが戻ってきて紫が白へと戻る。
「はぁ……」
解熱剤を飲んだ後とは言え、共鳴で体温が上がってしまうと解熱剤の意味はなくなる。
体がだるく、頭が痛い。
耳鳴りもするし目を開けているのも嫌になってくる。
月火が冷静に戻ったことで安心した火音が胸を撫で下ろしながら息を吐くと月火は蓮から離れた。
「ごめんなさい」
「大丈夫」
「……ごめんなさい」
月火が火音の手を撫でていると、蓮の背中側から綾奈と知紗が歩いてきた。
「神々の分家がいる」
「立ち入り許可は出ていませんよね」
知紗は眉を寄せると教師の表情をして、抗う蓮を問答無用で連れて行った。
初めから知紗を呼べばよかったのだ。
馬鹿な事をした。
知紗に手を振った綾奈はここぞとばかりに電子タバコを咥えた。
「体調不良で休みだったはずだけど」
「緊急事態だったからな。すぐ帰る」
「帰ってもいいけど。目覚めたぞ。後遺症なしで心拍数も上がりつつある」
すぐに誰のことか分かった。
火音は凹んでいる月火の手を掴むと綾奈を置いてすぐに医療棟へ向かった。
二人を見送った綾奈は教室の後ろで怯えを見せている生徒四人と信じられないものを見たような顔のまま固まっている教師と部外者一名に視線を移す。
窓は全て閉め切られ、扉も両方閉まっている。
水月にも伝えた方がいいかと思ったがこの様子だと無理そうだ。
綾奈は踵を返すと既に姿の見えない二人を追いかけた。
月火が松葉杖なしで歩いている理由も問い詰めなければならない。
「入るぞ」
一声かけてから集中治療室の中に入る。
既に体外式心臓ペースメーカーを取った海麗はベッドに寝転がって天井を眺めており、火音は月火を膝に座らせている。
月火はいつもの無表情だ。
「明明後日までは入院、四日後に再検査をして異常がなかったら訓練開始。それまでは筋トレも走るのも禁止。不整脈が起こったら本末転倒だからな」
つまり三日間の入院と四日目の検査入院となる。
またベッド生活だ。
いい加減飽きた。
海麗は返事をしようと口を開け、言う気になれず静かに閉じた。
綾奈は肩をすくめると気に止めることなく月火に話し掛ける。
「月火、松葉杖は?」
「寮です」
「骨折したな?」
「してません」
「あ?」
綾奈がドスの効いた声で睨むと月火は静かに顔を逸らした。
海麗はなんの事だと視線で問い掛けてくるし、火音は言ったこっちゃないと言わんばかりの目で見上げてくる。
そんな目で見ないで。
「歩けますし……」
「……まさか体育をやったわけじゃ」
「……ちょっ、と、だけ……?」
「おーい医療コース卒業生さんよ? 治療の極意は全学年の教科書に書いてあるだろ? 首席卒業生が読んでないわけがあるまい?」
怒っている綾奈に月火が怯んでいると火音に頬をつねられた。
「だから言っただろ」
「大丈夫なんですもん……」
「意識的には問題なくても体的には問題あるんだって。ただでさえ常人とは違う育て方されてんのに」
火音に睨まれた月火はおとなしく明日から使う事を約束した。
松葉杖は目立つので嫌いだ。
車椅子はさらに目立つので嫌だが、なくても問題ないのだからない方がいいだろう。
なるべく自然に近い形で治療した方がいいと思っている。
「そんなやらなくていいことはやらないみたいな思考で考えるな」
「……だって面倒臭い……」
「分かるけど」
普段より移動が遅いと時間配分がごちゃごちゃになる。
突き落とした本人は昨日のうちに担任から厳重注意と親への連絡が行った。
練習試合で澪菜が勝ったことへの嫉妬をした部活の子が単独でやったらしい。
本当がどうかは知らないが、澪菜に危害が及ばなかった分まだマシか。
「……それじゃあ行きましょうか。麻酔から覚めて間もないですし」
「うん」
何も無く終わったと聞いて安心した。
海麗が学園に所属する年までは知衣や綾奈を通して状態が確認出来たのだが、卒業試験を合格と同時に報告が途絶えて生死すら分からなくなっていたのだ。
こうして帰ってきてくれたのに亡くなりましたではメンタル的にもたない。
月火にも傷を負わせることになるし、本当にこの数日間は気が気でなかったのだ。
出来るなら毎日様子を見に行きたかったがなんせ体調を崩してしまったので無理だった。
月火に心配や迷惑も掛けたくなかったので我慢していた。
先に寮に戻った火音はソファに寝転がる。
一緒に教室に荷物を取りに行くと言った時によろめいてしまい、寮まで強制連行された。
実際、かなりヤバいので助かったが。
教室に置かれたリュックと紙袋を持ち、月火は走って寮に帰る。
いつも通り鞄を自室に投げ入れてリビングに行くと、火音が吸入薬を片手に咳き込んでいた。
咳き込んでいることは思考で伝わってきたので驚きはない。
吸入薬を吸えたことに対する安心感の方が大きい。
まだ異音の鳴る呼吸で息を整えている火音の傍に座り背をさすると、うずくまっていた体を起こして月火にもたれかかってきた。
体が熱く、耳元での呼吸はまだ異音が残る。
「ごめんなさい、せっかく楽になっていたのに」
解熱剤は最低でも六時間は空けなければらない。
飲んだのが十三時として、次に飲めるのは十九時だ。
月火がコントロール出来なかったせいでまた火音を苦しめてしまう。
火音は謝るなと言ったが無理だ。
謝らなければ罪悪感で押し潰されてしまう。
「けほっ……!……月火のせいじゃない。俺の事で怒ってくれたんだし……」
「でも……」
「でもも何もない。黙って感謝されてて」
「……はい」
月火が火音を抱き締める腕に力を入れると、突然火音が寝転がった。
当然腕の中にいた月火も寝転がる。
「我儘言っていい?」
「出来る範囲なら」
「感情を抑えないで」
月火は感情を抑えすぎる。
今日みたいに怒った時は思い切り怒鳴って罵詈雑言吐き散らしたらいいし、楽しい時は声を出して笑えばいい。
泣きたい時は目が腫れるまで泣きじゃくって、嬉しい時は涙が出るほど喜べばいい。
きっと涙脆い神々の事だから月火もすぐに泣くようになると思う。
さすがにことある事に泣かれては月火の目が心配になるが、本当に感情が昂った時は泣いても笑っても怒鳴り散らしてもいい。
月火が壊れて人形のようになってしまうよりは少し幼い印象が残るぐらい元気はつらつな方が、火音的には見ていて楽しいし色々な月火が見られるのでコレクターとしては嬉しい。
「前から思ってたんですけど。そのコレクションってなんですか」
「月火の顔を脳裏に焼き付けてる。スマホにも月火専用フォルダがあるし」
「……過去のトラウマが蘇るのですが」
あの月火部屋を作った本人が敵にいるとなると少々気味が悪い。
月火が体を強ばらせると火音が小さく笑った。
今思えば火音と似ているところがある人だった。
月火の希望で全て警察によってゴミ処理場にて処分されたが、一枚ぐらい貰っておけばよかったと少し後悔している。
惜しいことをしたものだ。
「……ちょっと怖いです」
「ごめん。変な事じゃないから」
月火の目の前で不意を突いたまま撮ることはあれど盗撮はしていない。
盗撮写真は一枚もない。
コレクションというよりアルバムと言った方が正しいか。
火音にとってはアニメオタクがキャラグッズを集める感覚と同等と思っている。
オタクではないのであっているかは知らないが、かなり集めている炎夏とは合う話があるかもしれない。
「火音さんが楽しいならいいんですけど」
「楽しい。一番楽しい」
なんなら火光の時より楽しい。
唯一の弟だからと言う気を紛らわすための理由で執着しておらず、真の月火好きになった身としては火光の時より楽しいと言うのが本音。
「……私も真似します」
「それは……嫌かもしれない」
「火音さんだけズルいです」
「月火の方がズルい」
生きているだけで可愛いのだから十分ズルい。
火音が月火を抱き締めると向こうを向いている月火が耳を赤くして顔をソファに埋めた。
可愛すぎる。
こんな事を考える自分はつくづく変態だと思いながら、月火を腕の中に抱いた火音は静かに眠りに落ちた。