56.「買収した……?」
火音が発熱した日の翌日。
二日連続で熱が下がらず、逆に上がって三十九度にまで達したので当然無理矢理休ませた。
月火も休んで看病したいのは山々で、本当に心配でならないが授業に出なければならないのでしぶしぶやってきた。
昨日の朝一に吸入薬を買いに行き、喘息は落ち着いている。
放課後、帰った後に開放されるために仕事は昼休みに詰め込む。
詰め込むが、思考が伝わりすぎて火音がキャパオーバーすると元も子もないので程々に。
「ねぇ月火、火音は?」
「熱で休んでます」
「病弱だねぇ」
「幼少期の栄養不足が響いてるんですよ」
それを言ってしまえば火光も病弱と思われるが、本人は虐待されていたという自覚は持っていない。
周りがそう言うからそうなのだ。
「仕事大丈夫そう?」
「何とか……なる……かもしれません」
「不安〜。送ってくれたらやれる範囲でやっとくよ」
そのやる気を教職に向けてくれないだろうか。
毎日毎日毎日毎日、火光に振り回され牽制し、それでも健気に頑張っている晦を楽にしてあげようとは思わないのか。
あの見事な火光の牽制は他の誰かが行えるものではないので晦に任せるしかないのだ。
今度菓子折を持っていこう。
月火がおとなしく仕事を送ると火光は顔をしかめた。
「うへぇ……水月の管轄じゃん」
「そっちの兄さんは上層部で手一杯になりました」
「だよねぇ」
これはそろそろ真剣になった方がいいかもしれない。
真剣な顔で仕事をする二人を横目に生徒四人は集まる。
「先生もあんな顔するんだね」
「月火の前だからだろ」
「火光先生って案外有能なんでしょ? 水月さんが言ってたよ」
「水月さんは弟妹に甘いから……」
四人が話し合っていると昼食の時間が終わって昼休憩が始まった。
まだ食べていた玄智と凪担は慌てて食べ終わる。
すると晦がやって来た。
「月火さんこんにちは」
「こんにちは、晦先生。どうかしましたか」
「守興さんの事なんだけど、いつがいいかなと思って……」
二年の守興柊璃は担任との会話は拒否しており、毎日生存確認を行いながら何とか水月の記憶を掘り起こさせている。
通りすがりのスカウトをしたならその後に激怒されたはずだ。
その激怒から遡れと言っているが、激怒すら思い出せていない。
両親も、守興に構うようになって必要最低限の会話はしていたが最近は無視される事が多いそうだ。
それでも既読は付いている、と。
「火音さんの体調がどうなるか分からないので何とも……。たぶん二、三日で良くなると思うんですけど火音さんですから……」
話しながらも手を止めない月火がそう言うと晦は苦笑いを零した。
「やっぱり? それじゃあ都合が良くなったら教えてね」
「はい」
月火が頷くと晦はパソコンと睨めっこしている火光に視線を移した。
休み時間に仕事等珍しい。
「明日は雷ね」
「晴れ予報ですけどね」
晦は月火に手を振ると静かに去っていった。
その日の午後、月火が授業を聞き流しながらノートに落書きしていると水月がやってきた。
いつもは授業が終わるまで窓辺で見ているのだが、今日は違った。
窓を開けて月火に耳打ちをする。
「……放置で何とかならないんですか」
「無理だね。逆ギレされたら迷惑かかる」
「放課後までに……終わりませんよねぇ……」
もう五時間目も終わりの時間だ。
今日は朝から体育四時間と座学一時間。
強化練習試合で皆、疲れているので今日と明日は五時間だ。
明日は丸一日体育となる。
「でも結局放課後まで待たせることになりますけど」
「なんで?」
「火光兄さんがいかないと愚図るでしょう」
「何とかならない?」
「無理」
二人が小声で話していると火光がチョークを置いた。
「お二人さん授業の邪魔になるんだけど」
「火光、ヘルプ」
「無理」
意地でも行きなくない火光と嫌われても連れて行かなければならない水月が睨み合っていると、水月の後ろから甲高い女子の声が聞こえてきた。
「久しぶり〜!」
「なんで来てるんですか」
「さぁね……!」
月火は逃げようとする水月の腕を掴むと教室の中に入れて火光とともに扉と窓の鍵を閉める。
最後まで開いていた窓に飛び込んでこようとしたが水月が静かに閉め、お互いが負けじと力を入れていると火光が静かに鍵をかけた。
当然、後ろには顔を怒りに染めた養父がいる。
「月火、誰?」
「いとこです。伯父と従姉。血は繋がってませんよ」
月火は椅子に座ると不思議そうにする三人に説明した。
ちなみに結月は居眠り中だ。
このまま起きないことを願う。
伯父の蓮は妹である稜稀の神々当主という立場を鼻にかけ、常識の範囲内で好き放題やっていた。
当主が変わった時、まだ怪我人だった月火の胸ぐらを掴んで今すぐ娘の快弐に当主の座を譲れと脅してきたのでしばらく謹慎処分を下していたのだ。
三ヶ月の謹慎処分が明けてからと言うもの、パッタリ連絡がやんでいたが水哉の死を機に毎日連絡が来るようになった。
こちらは兄も成人しているし婚約者も成人なので特に困ることはないと思って連絡を絶っていたのだが、ついに乗り込んできたらしい。
結婚が出来ず、妖力のない娘を引き取って分家で暮らしていたのに何故関与してくるのか。
別に当主の伯父と言う立場を笠に着たとして特に問題はないのだから、今まで通り本家の援助にすがりつきながら暮らしていればいいものを。
「神々ってなんと言うか……個性的な人多いよね」
「血筋だろ。特に月火は」
「火音先生も遠い親戚なんでしょ? なんか似てるよね」
そうだろうか。
四人が話し、水月と火光が解決策を練っていると結月が目を覚ました。
皆がそちらを見ると同時に勢いよく立ち上がる。
「快弐!?」
椅子が後ろの机にぶつかる音もかき消すほどの大声に皆が耳を塞ぎ、窓の向こうの快弐も驚いたまま大きく手を振った。
「まっちー! 久しぶり〜!」
「久しぶり……だけど! あれ!?」
寝起きで勢いよく叫んだ結月は小さく咳き込み、皆は二人の関係性に首を傾げる。
「結月さん大丈夫?」
「うん……。喉いった……」
結月はお茶を飲むと背をさすってくれた凪担にお礼を言い、息を整えた。
居眠りしていたせいで火光から睨まれているが無視だ無視。
自ら怒られにいくほど真面目ではない。
「結月、あれと友達なんですか」
「小学校が一緒でね。水泳スクールで知り合ったの」
「へぇ。水泳やってたんですか」
「え、私?」
いや違う。
目を丸くした結月に対し、ゆっくりと首を振って否定するといきなり上機嫌になった水月を見上げた。
「ねぇ結月、あれ追い払える?」
伯父一人なら問題ない。
一番はあの人の話を聞かず割り込んでくる問題児だ。
あれさえ追い払えたら問題はない。が。
「うーん……しばらく会ってなかったから……」
「水月、結月をお取りにしないで」
「自分が行けばいいでしょう」
弟妹に一蹴された水月は項垂れると静かに息を吐いた。
「仕事あるのに……!」
「落ち着いて」
「来るなら事前に連絡ぐらい入れるでしょ。なんでこんなことに……!」
水月が苛立ってきていると火光が教卓の上に座った。
「炎夏、一役買ってくれたらグッズ買ってあげるよ」
「いらない……」
「玄智さん、好きなコスメ買ってあげるので演じて下さい」
「買ったばっかり」
「結月ちゃん、好きな物買ってあげるからどっか連れてって」
「自分で買います……」
水月は結月の呼び方が結月だったり結月ちゃんだったりするが何故なのだろうか。
いい加減飽きてきた月火が仕事をしながら火光の必死な懇願を聞いていると、ついに水月の我慢の限界が来た。
「あーもう! 火光が行けば早い話じゃん!」
「水月が行けばいいじゃん! 他人に擦り付けないでよ!」
「僕が行ったって意味ないでしょ!? 仲悪いのにどうしろと!?」
「水月が合わせれば……」
意味のない兄弟喧嘩が始まり、四人が後ろに逃げると月火が強く机を蹴った。
水月と火光は固まる。
「五月蝿い。擦り付けんなら二人で行けばいいでしょう。どうせいても意味ありませんし。なんなら帰ってもいいんですよ? 仕事があるんでしょう?」
月火に睨まれた二人は黙り込むと顔を見合せた。
火光は項垂れた後、後ろに手を突いて爪で机を叩く。
五時間目終わりのチャイムが鳴り響く中、静かな沈黙が流れているとずっと何かを考えていた火光がスマホをいじり始めた。
「結月、部活はないよね」
「うん……」
「月火」
「他人を巻き込むぐらいなら私がやります」
月火はパソコンを閉じるとスマホで検索しながら教室の外に出た。
水月と火光はすぐに褒美品を探す。
少しして月火が快弐にスマホを見せ、万札を渡すと快弐は大喜びしながら走って行った。
「買収した……?」
「したな……」
玄智と炎夏が顔を見合せ、複雑な顔をしていると玄智に火音から連絡が来た。
月火の機嫌が悪いが理由を教えろ、と。
廊下で伯父に責められている月火の状況を説明すると、すぐに行くと連絡が来た。
最悪な事態を収束させる救世主となるか、火に油を注ぐ油となるか。
それから少しすると珍しくジャージ姿ではない火音がやって来た。
黒いワイシャツに黒いスラックス姿だ。
本来なら火光や生徒のようにワインレッドのネクタイが必要なのだが、さすが校則のない学園。
火音は常にノーネクタイで、周りも何も言えていない。
言っても返り討ちにされることは常識となりつつある。
「月火」
「火音さん? なんで出てきてるんですか」
「治ったから」
昼頃に熱は下がった。否、解熱剤を飲んで下げた。
本当は夜に飲む予定だったのだが、眠たいのに眠れず仕方なしに飲んだ。
結果、三時間のノンレム睡眠を得た。
「明日も休みにしますよ」
「そんなことよりこれ誰?」
休み確定だ。
火音の手が肩に置かれ、かなり苛立っていた心情が少し落ち着く。
兄は怯えて出てこないので案の定役に立たなかった。
分かり切っていたことだ。
「落ち着いて」
「……はい」
月火は深呼吸をすると少し警戒している蓮を睨んだ。
「伯父です。以前、水哉様のお葬式関連で文句を言ってきたでしょう。あの人です」
「あぁ、あの」
さすがの蓮でも火音は知っているのか、少し後ずさった。
月火の婚約者という事は蓮より立場は上になる。
水哉に育てられていたのなら目上の人に罵詈雑言言うことはないだろう。ないでほしかった。
「お前、火神の養子だったそうだな。火神が零落した次は神々に漬け込んで婿養子にでもなる気か? 言っとくがな! どうやっても血筋は変わらないんだ。父親が怪異なんて不気味な奴が神々になれると思うなよ!」
痛い。
肩に置かれている火音の手に力が入る。
それどころか普通に爪が刺さっているのだ。
痛いし怖い。
「月火も月火だ! 母親を悪者に仕立て上げた上に祖父の葬式もせず挙句こんな奴と遊んでいる気か!? お前は仕事と任務を言われた通りにこなしておとなしく俺の言う通りに婚約してればいいんだよ! 自分のわがままで周りを振り回すな!」
鋭い罵声に月火の堪忍袋の緒が切れた。
火音から離れると蓮の前に立ち、胸ぐらを掴んだ。
「言いたいことはそれだけか?」
月火の静かな怒りに、その場は静まり返った。




