39.「たぶん火音先生に八つ裂きにされます」
久しぶりに夜中に目が覚めた。
夜中の三時ほどだろうか。
家事も一通り終わっているし今から弁当を作ると騒音迷惑になるのでベッドに入ったままスマホを眺める。
まだ暑いので、薄くひんやりとした感覚の掛け布団だ。
長袖長ズボンのせいでひんやり感はほとんどないが。
スマホをいじっているとネット記事で、先日地震のあった九州に募金をしているらしい。
テレビどころか、スマホのニュースも新聞も見ないせいで知らなかった。
かなり大きな被害が出たらしい。
寄付は多くて越したことはないか。
月火は支払い方法を入力すると試しに最高額がいくつかやってみた。
意外にも少なく、最高額が一億だったのでどうせ端金だと思い、寄付しておいた。
そんなことがあった事の昼休み。
月火が凪担に着物や袴の着せ方を教えながらいつも通り向かい合ってご飯を食べていると、隣で炎夏と話していた玄智が月火の肩を強く叩いた。
「痛い……」
「これ月火!? 本当!?」
玄智の叫び声に火光と結月もこちらを向いた。
近すぎてピントが合わなかったので少し仰け反ると、隠すことなく全てをさらけ出すパパラッチで有名な記者が募金に一億出されたことをニュースにしていた。
これほどの資産を持っているのに公表していないのであれば月火グループの社長である月火の可能性が高い、と。
「私、その記者嫌いなんですよね」
月火が婚約を発表すると学園までやってきて、出てきた生徒や教師に手当り次第話を聞いている。
口が軽い生徒の諸君がべらべらと話したことにより火音が写真に撮られ、水月がブチ切れて先に悪評を流したおかげで顔の流出は抑えられたがおかげでアカウントを消す羽目になった。
加えて七虹が月火の婚約者だと火音のアカウントのコメント欄で呟いたせいでこちらも瞬く間に拡散され、罵詈雑言とともにフォロワーも激増、火音はアカウントを消した。
月火と兄者達が他人のアカウントをからかって遊ぶのはやめろと警告したおかげで今は問題なく活動出来ているが、それでもしつこく特定してくる煽りはいるもので。
火音はイラスト以外はアップしておらず、写真どころか絵に添えられるコメントすらもないので特定のしようがないはずだ。
なのにあのアカウトが、このユーザーがとはやし立てるのでたまったものではない。
それをネタにしようとしてくるのがその記者で、火音が作り直す度に逃げているだの誤魔化しても無駄だの吊るし上げる。
今、水月が盗撮や名誉毀損で訴える用意をしていたのを火音が変に関わるなと止めたおかげで今も記事をかけている。
が、月火が火音に頼んで今度記事になったら今までのことも全てまとめて訴えさせてと約束してもらった。
「募金なんていくらあってもいいでしょう。集めるためにやってるわけですし」
「かっこいい……! 惚れそう……」
「たぶん火音先生に八つ裂きにされます」
玄智の冗談に本気で返した月火が箸を鳴らすと玄智は身震いしながら昼食の続きを始めた。
月火は弁当箱を閉じると立ち上がり、パソコンで仕事をこなしながら凪担に帯の結び方を教える。
女性はお太鼓結びやお文庫結び、ふくら雀や千鳥と言った様々なくくり方があるが、男性は結んだ見た目もほとんど一緒なので貝の口さえ覚えておけば問題はないと思う。
月火も男ではないので男の帯の結び方に詳しいわけではないが確実にひとつ言えること。それは女性はお太鼓、男性は貝の口を覚えておけば着物人生で困ることはないと言うことだ。
逆に二つが使えない場面があるなら教えて欲しいと言うほどに。
「詳しい結び方はオシャレマニアの同級生か担任にでも聞いて下さい。なんにせよ御三家では物心ついた頃から着物なので知っているはずですよ」
「凄いね。着物って高いんでしょ?」
「まぁそうですけど」
だが、一度買ってしまえばひ孫の代まで続くので先行投資と思えば苦ではない。
それに前の代の着物を大きく端折って着ることも、出来なくはないのでそれで凌ぐことも多い。
神々がこれほど成長してからは一切躊躇わずに買えるが。
「本当にす……」
凪担がそれを言いかけた時、玄智が勢いよく立ち上がった。
机が前に押され、向かいにいた炎夏は腹に直撃する。
「先生パルクール連れてって!」
「いった……!」
「どうしたの炎夏」
こいつ。
炎夏が凪担に背をさすられながら睨むと月火が説明をしてくれた。
「えぇごめん!? 大丈夫!? 吐かないでよ!」
「吐かないけど。肋じゃなくてよかったぁ……」
肋なら確実に折れていた。
それほど強かったが、身長があってよかった。
炎夏は心配し続けてくる玄智を一蹴すると火光を見上げた。
「いいじゃんパルクール。行こうぜ」
「人多いでしょ」
「そこは先生の財力でさ」
「月火か水月に頼んで。僕は金欠」
時計とパズルを買いすぎて火の車なのだ。
実際、教職は給料がいいわけではないしほとんど妖輩で特級としての稼ぎになっている。
それと月火の仕事を手伝った際に発生するボーナス。
皆の視線が月火に集まった時、水月がやってきた。
「月火! この記事月火?」
「またそれですか。そうですけど」
「容認した?」
「してませんよ」
水月は非公認と書き込むと今までの話の流れを聞いた。
「パルクールねぇ……。知り合いがアスレチック開いたからそれなら借りれるかもだけど」
「アスレでもいい! 違い分かんないし!」
「危ない関係じゃないなら全額負担します」
「ん〜、たぶんなんとかなるよ。じゃあ聞いとく」
水月はそう言うと緩く手を振って去って行った。
月火と火光は顔を見合わせると軽く息を吐いた。
火光は結月に、絶対に水月と二人切りにはなるなと警告し、月火は興味深そうに見つめてくる凪担の気を逸らす。
未だに凪担が何に興味があって何に興味がないのか分からないのでいつもひやひやする。
何故そこを、と言うところに興味を持つのだ。
「予定とかはこっちで立てといてって。言い出しっぺ、頼んだよ」
「いいけど、皆の予定教えてね?」
そう言うと月火はタブレットを出してイラストアプリでカレンダーの画像を読み込んだ。
皆の予定の日にちと時間を聞き、最後に自分の外せない予定がある日に目印を付ける。
「はい」
「……ほとんどじゃん! 空いてる日は丸一日!?」
「頑張れば」
「仕事しすぎ!」
そう言われても。
皆が怒鳴る玄智が持ったタブレットを覗くと、週に平均三回の会議と二回の打ち合わせ。
二回の下見や様子見、毎日決まった時間の仕事仕事仕事。
日本人が働きすぎだと言われる理由がよく分かった。
「過労死決定」
「失血死かもよ」
「ショック死でしょ」
「物騒な話やめてくれます?」
少なくとも跡継ぎが決まって十八になるまでは生きなければ後世に迷惑がかかる。
月火が真顔になると五人から真顔で見られた。
物騒な話をされるほどの予定をどうにかしろ、と。
「そんな多忙ですかねぇ」
いつもの放課後。
今は体育館にて文化祭の振り付けの練習中だ。
今年は結月と玄智が入ってくれるらしいので、今は二人の振りを確認しながら火音と雑談中。
二人ともインナーに半袖の白ティーと言う似た格好になった。
月火は黒インナーに白ティー、火音は白インナーに白ティー。
「忙しいだろ。前に比べたら圧倒的」
「前が暇だったんですよ」
「いや前がギリ正常の範囲内だったんだよ」
ここまで素で麻痺されるといよいよ心配になってくる。
火音が月火の頭を撫でようとした時、海麗と火光の大爆笑の声が聞こえたので仕方なく下ろす。
「やほー!」
「来たよー」
「五月蝿いですね。練習中なんですけど」
そんな床に座って片膝を立てて後ろに手を突きながら言われても。
火音は普通のあぐらだし月火はくつろいでいる。
真面目に練習しているのはバックダンサーの二人だけだ。
「二人の振りの確認中なんですよぉ? 冷やかすなら出てってくれますか、火光先生ー?」
月火は笑って圧をかけると火光は口を閉じた。
海麗はふと火音を見下ろす。
「火音、肩の傷どうしたの?」
海麗が自分の左肩を指したので火音も左肩に触れた。
「あぁ、古傷です。もう数年経ってます」
「そうなの? ならいいけど」
火音の汗で少し透けて見えるその傷。
斜めに入っているとはいえ、肩甲骨下まで伸びている。
明らかに即死する傷口が何故あるのか。
月火を見下ろすと視線があった。
ニコリと笑われ、月火は立ち上がるとステージに上がっていく。
そう言えば過去の話を聞いた時、聞けたのは火音が二十三になる年からだった。
十一年間の空白は何があったのか。
今度火光を酔わせて聞き出そう。
「悪い顔してますよ」
「なんにも考えてないよ」
「誰も言ってません」
海麗は誤魔化すように笑うと火光とともに月火の方に歩いて行った。
「じゃあ合わせてみましょうか」
「え、俺も?」
「嫌ですか。そりゃそうですよね」
十三年間も会っていなかった師匠の前でこんな柄にもないことやりたくないだろう。
やりたくないだろうが。
「水月兄さんが前に動画見せてましたよ。ネットにも上がってますし」
「水月に連絡だけさせて」
月火は軽く頷くと先に音源をかけ、入退場を考える。
連絡が終わった火音は火光とともに真正面の扉前に立っている海麗を見てから月火を見下ろす。
「やっぱ無理」
「体育祭で見られるんですけどねぇ」
「無理……」
「仕方ありません」
月火は晦に火光がここにいると連絡をした。
月火が振りを確認し、立ち位置の調整を行っている間に晦がやってきた。
「火光先生! サボらないでください!」
「バレたっ……!」
「待てコラ!」
晦は逃げようとする火光の首根っこを掴むとそのまま引きずって行った。
ついでに海麗も火光に腕を掴まれて連れて行かれる。
「よし」
「お見事」
それから何度か合わせ、一度のめり込んだら息が詰まるまで出てこない月火によって体育館が閉まる八時直前まで練習は続いた。
 




