21.「五人目と六人目の被害者が出た」
「谷影!」
「何すんだよ!?」
「あぁん? それはこっちのセリフだ。女がぶつかったせいで舌噛んだだろうが。慰謝料払えや」
出た。理不尽なことで慰謝料を請求するやつ。
いきなり殴り掛かられた谷影に洋樹は駆け寄り、桃倉は正面に立つ。
アニメや漫画であるのは知っているがまさかここであるとは。
「私ぶつかってないわよ! そっちの女でしょ!」
「へーどうだか! 他人巻き込んで逃れようったってそうはいかねぇぞ!?」
唾を飛ばす勢いで怒鳴ってくると洋樹は少し後ずさり、口の中を噛み切った谷影は血を拭った。
今度受け身の練習もつけてもらおう。
「柄が悪すぎる。葛飾じゃねぇんだし……」
「谷影、大丈夫?」
「問題ない。どんだけ鍛えられてると」
毎日、休むことなく月火から教わった基礎練を繰り返している。
基礎練に反射神経や柔軟性、武器の扱いも全て含まれているので一日一回これをやるだけで体がなまることはないと笑っていた。
「へっ、しぶてー……な……」
「俺の生徒になんか用? 慰謝料なら無限に払ってやるよ。裁判に勝ったらな」
そう言って影が見え、三人が振り返るとマスクを外した火音が立っていた。
後ろには先ほど火音に抱き着いていた女性もいる。
谷影が睨むと洋樹と桃倉に押えられた。
「あんたって案外熱くなりやすいのね」
「本人に言う前に先輩に……」
「私の事ですかー?」
聞こえた声に皆が注目するとセーラー服に黒のスカジャンを着て十センチはありそうな厚底スニーカーを履いた月火が、後ろにガラの悪い女子三人を連れて立っていた。
耳にピアスを数十個付け、明らかに普段とは違う雰囲気を出している。
有名人がそんな悪そうな格好して大丈夫なのか。
「神々先輩! あっ……」
三人が顔を見合わせると月火は軽く首を傾げた後、火音に目を向けた。
「どういう状況で?」
「一年が絡まれてたから助けた」
「へぇ」
月火は後ろの女性に目を付けると顔を逸らして大柄な男を見上げた。
「お久しぶりですねぇ。まだ懲りてなかったんですか」
「知り合いっすか、神々姐」
「私が在校してた時にボコって入院させた奴。お前の妹にも手出してんぞ」
一番身長が高く細身の女子はそれを聞いた途端額に青筋を立てた。
妹思いなのはいい事だ。
「このっ……!」
「迷惑かけんなよ〜」
女子三人が男を殴り始めたので月火は火音の向かいに立った。
一年は顔面を真っ青にし、修羅場を覚悟する。
「ここで何してるんですか」
「お使い」
「あっそう。それは災難でしたね」
「目当ての物買えたし満足」
火音は月火を通り過ぎると月火が落とした荷物を拾い上げた。
靴やアクセが入っている。
「こんにちは神崎さん」
「何よ」
「挨拶もなしですか。まぁいいです。……婚約者持ちに色目にもなってない色目使うのはやめた方がいいですよ?」
「あ、あんたには関係ないでしょ!?」
関係ないと言われても。
月火はスカジャンを脱ぐと肩にかけた。
無意識なのだろうが、腕を組んだせいで傍から見れば物凄くかっこいい強い女に見える。
いや元から強いのだが。
「学園を卒業したから諦めたかと思えば今度はこれですか。私が婚約者だということを忘れないで下さい」
月火が舌ピの付いた舌を出して意地の悪い笑みを浮かべると神崎は激昂して月火を叩いた後に去って行った。
頬を叩かれた月火は手で冷やしながら谷影の元に行く。
「大丈夫ですか。口を切りましたね」
「今の人……」
「火音さんのストーカーです。それにしても偶然火音さんがいてよかったですね」
月火が谷影の頬に手をかざすと口の中の痛みがなくなった。
「傷が……」
「火光先生にやってたやつだ! 妖心術じゃなくて……神通力だっけ!?」
「似たようなものですよ」
月火はわざと意識のあるまま丸まった男を殴り蹴りリンチしている女子達を止める。
前に潜入で入り、やられそうだったのでやり返した結果、子分になった。
「輝夜! お前バレたら退学だろ。通報される前に帰れ」
「けど! 星夜に手出したなら!」
「家で待ってんだろ。復讐するほど大事なら帰れ」
輝夜は歯を食いしばると最後に一発腰を蹴ってから二人を引き連れて月火に頭を下げてから去って行った。
月火はスカジャンを脱ぐと軽く脱力する。
夏場にスカジャンは暑い。やはり気を張るのは疲れる。
「あーあ、なんでこんなことやってんだか……」
「いいじゃん。かっこいいし」
「可愛くありたいんですけど」
舌ピも強力な磁石なので痛いのだ。
水月や火光は耳だけでなく舌ピやアイブロウも開いているが、月火は耳だけなので磁石やリングで代用することは多々ある。
「さてと、どうしますか」
「……赤城が近くにいるから片付けといてくれるらしい」
「押し付けましたね。……私も時間ありますし別にいても……」
月火が問題ないと言いかけた時、白葉の声が聞こえてきた。
『主様! 水月が!』
『主様、火光が……!』
「前言撤回。帰りますよ」
月火は四人の腕を掴むと近くに待たせていた沙紗の車に四人を押し込み、自分は一番後ろの定位置に乗った。
「神々先輩、何かあったんですか」
「五人目と六人目の被害者が出た」
話を聞いていない月火の代わりに火音がそう言うと三人が同時に火音を見た。
沙紗も驚いているようだが運転中によそ見は出来ない。
「五人目って……誰と誰!?」
「火光と水月。まずいことになったな……」
二人が負けたのならまず一年の三人が危険になってくる。
玄智が狙われたのなら澪菜もだ。
凪担はまだいいとして、結月も反射神経で防げたらいい方か。
心配なのは海麗だ。
動きがにぶっているし激しい運動が出来ない。それに心臓が弱っているので普通より少量の出血で全身に血液が回らなくなる可能性がある。
月火が懸念して鉄分と水分を積極的に取らせてはいるが補えるかどうか。
九尾たちも四月の特級で疲弊し切っているし月火に関しては先日の一日だけの休み以来、精神は正常なものの疲れは溜まる一方だ。
暒夏と稜稀が御三家の内側から手を回していたことと双葉姉妹のことも重なり、まともに休めていない。
月火が倒れたら妖輩界は一巻の終わりだ。
当主の教育を受けてきた火音と炎夏と玄智、優秀補佐の水月、補佐も出来る火光や澪菜の手を借りてでも月火の仕事は回しきれない。
まずい。
車内に重い沈黙が走り、二人が頭痛のする頭で考えをめぐらせているとようやく学園に着いた。
月火は火音の手を引いて車を飛び出すと一直線に五階の集中治療室に向かった。
「晦先生……!」
「月火さん! 火音先生も……!」
水月は脇腹をえぐられていたが幸い心臓から遠く、自ら止血していたため命に別状はなかったらしい。
問題は火光だ。
心臓を一突きと腹部に三箇所の刺傷、一箇所は肝臓を貫いており、右手首と上腕三頭筋も切られているため大量出血のうえ手術が追い付かず、右腕は再起不可能になる可能性が高い。
心臓部を知衣が、肝臓を綾奈が、残り二個の刺傷を知紗が、数年に一度の大掛かり手術を行ったが右腕は間に合わなかった、と。
今は麻酔で眠っている。
心臓の動きが鈍くなり、今は体外式ペースメーカーをつけて人工的に動かしている。
ただ、麻酔が切れても心拍数が上がらないならペースメーカーを埋めることも考えなければならない。
晦の説明を聞いて頭が真っ白になった月火が何も言えずに立ち尽くしていると後ろから結月の叫ぶような呼び声が聞こえてきた。
「月火ちゃん!」
大きく叫ばれても月火は動けず、それと同時に強く肩を掴まれた。
「ごめんなさい! 先生私の身代わりになって! 私が弱いからっ……!」
「……にい……さん……」
月火が虚ろな目でそう呟くと晦が月火の腕を掴んだ。
結月は大泣きしてしゃがみこみ、火音も混乱と怒りで何も言えない。
そんな中、大粒の涙で頬を濡らした晦が月火の腕を掴む。
「姉さんがっ……! 火光先生が助かるかもしれないって……! お願い……!……お願い……します……!」
いつも生意気でまともに仕事をせず、手を煩わせてばかりな子供っぽい火光だが、知紗の大切な人なのだ。
毎日を笑顔で過ごせる、そうするには欠かせない人。
「お願い……」
晦が膝から崩れ落ち、それでも月火の腕を掴んでいると綾奈が駆け足でやってきた。
「知紗! 火光が起きた。皆も来い」
知紗が綾奈に手を引かれ、力の入らない足を必死で動かしながら治療室に行くと酸素マスクをつけた火光が薄く微笑んだ。
大号泣して泣き崩れる知紗と結月を見て仕方なさそうに苦笑いを零す。
まだ麻酔が効いているのか喉に力が入らず、声が出せなかった。
腕も重たいし右腕の感覚はまだ戻っていない。
戻っていないか、戻らないか。
少しして炎夏と玄智と凪担もやってきた。
ようやく麻酔が切れて意識がハッキリし、呂律が回らないが声は出るようになった。
まだ微かにぼやけている視界で扉の方を見ると月火がいなくなっていた。
「月火……」
「開口一番それかよ」
「炎夏の方が良かった……?」
「こんな時まで頭お花畑だね」
玄智に呆れられ、火光がへの字口になると綾奈が酸素マスクを取ってくれた。
ベッドが少し起こされると傷口が痛んだが、すぐに痛みのない角度で調節してくれる。
「……なんで晦は泣いてんの。もう三十半ばでしょ」
「まだ前半ですっ……!」
「三十過ぎたら変わんないって」
晦よりも玄智にすがりついて嗚咽を飲み込みながら泣き続けている結月の方が心配だ。
「……まさか怪我した?」
「ち……がっ……! せんっ、せいがっ……!」
「僕は大丈夫だよ〜。……水月は?」
月火はどこかに行ったとして、水月が来ないのはおかしい。
火光が誰も言おうとしないのを見て火音を見ると火音は微かに目を細めた。
「水月の方が軽傷」
「軽傷って……何!? どうなったの!?」
「火光傷が開くぞ!」
「水月は!?」
綾奈と炎夏に押さえ付けられ、それでも左手は火音の腕に爪を立てて離そうとしない。
「右の脇腹を刺されて腎臓を貫通したらしい。命に別状はないって。火光より前に目は覚ましてる。月火はそっちに行った」
「……そっか」
生きて火光より元気ならいい。
火光が安心して力を抜くと痛みが襲ってきた。
顔をしかめると皆が心配してくる。
「……まず二人は泣きやもうよ。結月はともかく晦はマジで」
「恩人に言う言葉か。知紗が遅れてたら大量出血で生死をさまよってたぞ」
混乱した結月が月火に言われた通り晦に連絡すると二分もしないうちにやってきて全ての傷口を止血し、知衣と綾奈が来るまでに手術の準備を終わらせておいてくれたのだ。
本当に、知衣も感心するほどの手際だったらしい。
「……教師より医者やってた方がいいんじゃない」
「私は……! 教師に命かけてるんです……」
「へぇ。珍しく気が合うや。……誰か月火呼んできて」
十二月が山場だと言うのにこんな状態で寝ているわけにはいかない。
火光が皆を見上げると炎夏が行こうと半歩引いた。
その時、顔色の悪い月火が入ってきて皆の連れていた白葉や黒葉が集まり人の姿となって月火を支えた。
「主様、妖力が……」
「治癒を使い過ぎたのよ。まだ回復しきっていないのに連続で二回も……」
「……あと何回ですか」
「無茶よ! 倒れるわ!」
火音が月火を支え、十歳ほどの白葉とそれより少し幼い黒葉は月火の手を握る。
「一週間は妖力を使わず休んでないと」
「あと何回で二人に影響が出ますか。答えなさい」
「……一回も使えば二人とも半分は使うわ」
黒葉の言葉に月火が苛立たしそうに息を吐いて顔をしかめた。
駄目だ。
事が連続で起きすぎた。
四月の特級の時、月火の妖力を底上げして氷麗と凪担に貸し出した。
二人は今、本当に少しずつだがそれを月火に返している。
神通力に影響は出ずとも、神通力を使う月火にはかなりの影響が出た。
こうも立て続けに起こってもらってはこちらも対処出来ないのだ。
水月のところにいた知衣から聞かされた説明は、火光をまる二日間眠らせている間に月火の神通力で治し、眠りで度を超えた激痛を耐えるというもの。
しかしそれには起きた際に激痛で暴れた時ように手術跡を四箇所プラス腕の傷を二箇所を塞ぎ、その後に神通力で治さなければならない。
火光の腕を治したいならタイムリミットは四日間。
それ以降は神経が自ら接着を開始するので神通力で治そうとすると手術が必要になる可能性がある。
「それまでに私の妖力を回復します」
「無理! 絶対に無理! 妖力は意識的に回復出来るものじゃないの! 分かるでしょ!?」
「火音の時だって奇跡に近かったのよ!? 主様が無茶した後に何も起きませんでしたじゃ、主様が辛いだけじゃない!」
そう。
月火は過去に腕の神経が切れて動かなくなった火音の腕を治したことがある。
火音の助けてと言う小さな想いに反応して莫大な妖力を使って意識のない中使ったのだ。
今思えば、あの時から共鳴は始まっていたのかもしれない。
が。
「黙れ。私に指図するな」
「っ……!」
月火が冷たく見下ろすと二人は俯いて月火から離れた。
二人は炎夏の元に逃げていき、炎夏に頭を撫でられる。
「月火、やるにしてもまずは火光の意見を聞け。治してもらうのは火光本人だろ」
「ですが」
「月火、自己中心的に考えるな。お前が火光を治したいって言うのはお前の罪悪感を消すためだろ。火光が嫌がるのに無理やりやる意味はない」
かっこいい。
泣く女子と月火以外が炎夏に小さく拍手を送ると玄智だけ殴られた。
「照れ屋め」
「もう一発入れるか? 髪の毛剃るか?」
「嫌だ怖い」
シンプル怖い。
玄智が綾奈の隣に逃げると火光は小さく笑った。
このまま笑って終わりたいがそうはいかない。
選べと言う炎夏の視線とやめてという女狐達の視線が刺さるので少し考える。
ぶっちゃけ、火光はどっちでもいい。
治すなら治すでいいが無理なら無理でいい。
月火には無理してほしくないし痛いのも嫌だ。
だが二度も負かされた炎夏をボコりたい気持ちもあるし三年生と水月と火音とともに行きたいところもある。
そう考えると利き手である右腕は必要だ。
「……要は月火が無理するか僕が我慢するかでしょ? うわぁ嫌だなぁ……!」
最後の声が裏返ったが気にしない。
火音は月火を落ち着けるのに必死、凪担は晦と結月をずっと慰めている。
他は放置だと言うのに、どこまでも優男だ。
「だって……うーん……」
月火の一回の神通力に妖力をどれだけ使うかは知らないし今の月火の妖力量も分からないのでなんとも言えない。
意見が対立している今、どちらかに付けば必ずどちらかが文句を言い今の仲良し関係に亀裂が入ってしまう。
たかが火光の腕ぐらいで学級崩壊は絶対に嫌だ。
死んでも嫌だ。
「あそっか。僕が死ねば……」
「知紗の涙と努力を無駄にする気かこのクズ男」
「シスコンが」
「お前もだろ」
妹とはいいものだ。
性格がどうであれ結局は可愛いものに見えてしまう。
と言うか事実可愛いのだ。
「ねぇ玄智」
「うん」
三人でシスコン同盟なるものを組んでいると炎夏の鋭く冷たい視線が首筋に刺さった。
息が詰まりそうだ。
「……酸素マスク必要かも」
「火光、麻酔なしで神通力使うぞ」
「ひぇっ……!?」
四月にあの痛みは経験済みだ。
人が感じる痛みの第一位はあれで決まりだ。
「……あれに比べると今がマシに思えてきた」
「感覚は麻痺済み」
「あとは神通力だけか」
「やめてよ!?」
あれは本気で痛い。
いっそ殺された方がマシかと思うほどに。
「……本当に……」
火光がネガティブ思考を発揮しかけている時、扉が勢いよく開くと同時に知衣の滅多に聞けない怒声が聞こえてきた。