17.「罰ゲーム」
今日は私服でいつも通り食堂でスイーツを食べながら仕事をする。
体育祭後に色々とやりたいので今はそれの予算を考えている。
色々と道具を使い回せる行事だしそもそもほとんど使わないので特に予算がかかることはないだろう。
何をどう計算しても二億は回せるので問題はない。
「ふぅ……」
今日は座敷席が空いていなかったので仕切りの傍のテーブル席だ。
四人席だが仕事のファイルやら電卓やらで机はいっぱいになっている。
仕切りのそばに座ってパソコンを見つめていたら案外バレなかったりする。
もうすぐで一区切り付くので一区切り付いたらミルフィーユを貰いに行こう。
最近はストレスか糖分不足かでずっと甘いものを食べている。
そろそろ糖質制限をしないと太ると思いながらも糖質制限をしたら低血糖になった。
どうしたものか。
月火が集中して仕事をしていると肩を掴まれた。
誰だと見上げると全く知らない大学生か高校生かで、三人で気持ち悪く笑っている。
「月火ちゃん一人〜? フィアンセは?」
「きも」
月火が念の為保存しておくといきなり肩を押されて殴られた。
「あぁ? 顔がいいからって調子乗ってんじゃねぇぞ。火音って火神の落ちぶれだったんだろ? 火光だっけ、お前の兄ちゃんも捨てられてんだよな。どいつもこいつもちょっと顔が良くて親が金持ってるからって」
「そいつの親犯罪者だぜ。泥棒と殺人鬼!」
「マジ!? うわ〜こっわ! 狂ってんじゃん! 水月だっけ、あのクソ真面目!」
三人が大笑いし、悪口を言っているとそれを聞き付けた女子たちが四方八方から集まってきた。
何人かは動画を撮っている。
月火がイヤホンを付けて無表情で仕事をしていると男子達が体を触ってきた。
「触らないで下さい」
「なぁ、お前の家族って狂った奴が多いんだろ? お前がやらかしたってなんも言われねえって。何するか分かるよなぁ?」
月火は私服ではスカートしか着ない。
今日は膝丈のプリーツスカートなので問題事は起こしたくなかったがこうなっては仕方がない。
月火が手を払った瞬間、真正面から水をかけられた。パソコンとともに。
「ちょっと!?」
「何、殴る?」
「……あぁウザイ」
月火は煽ってくる相手を無視するとデータの入っているUSBだけ拭いてスマホでデータの確認をした。
USBは無事だ。
水月が防水性のSDカードに取り換えてくれたのでデータは大丈夫かもしれない。
パソコンはクラッシュして落ちたのでもう無理だ。
紙の資料にもかかってしまった。
この際データ化を頑張るか。
月火が仕切りの後ろにいた女子たちに水が掛かっていないか確認すると蹴られかけたので軽く押して流す。
「情報コース生が妖輩に勝てると思わない方がいいですよ。特に体では」
月火が睨むと、相手側の一人が怒鳴ると同時に食堂に黄色い悲鳴が上がった。
火音から心配と五月蝿さが伝わってくるので火音が来たのだろうが、何故か海麗も来たようだ。
月火が荷物をまとめていると二人がやってきた。
「月火、大丈夫?」
「パソコンが壊れました」
「データは無事なんだろ。パソコンは今度買いに行こう」
火音は月火にタオルをかけると大学生達をまじまじと見ている海麗に声をかけた。
今日はサングラスをしていない。
「師匠、行きますよ」
「うーん……」
「あ、師匠になったんですか」
「罰ゲーム」
昔は海麗さんやら海麗師匠やら呼び方は定まらなかったのだがしばらくは師匠になるかもしれない。
月火が新鮮さに喜ぶなら一生別の呼び方をしよう。
「それは海麗さんが困るのでは」
「いいだろ」
火音が荷物を持ってくれたので月火は肩にかかったタオルが落ちないよう押さえながら未だ大学生を見つめている海麗を呼ぶ。
「どうしたんですか、行きますよ」
「はーい」
気が済んだのか海麗は軽く返事をすると踵を返した。
「さっきの悲鳴は?」
「師匠が転んだ女子を助けた」
「そう言えばサングラス外したんですね」
「あぁ、うん」
海麗は元々視覚過敏で、日の光やパソコンやスマホを直視出来なかった。
それを防ぐためのサングラスだったのだが、今朝遮光コンタクトが届いたので付け替えたのだ。
子供の頃や病院ではずっとコンタクトだったが届け先変更の手続きに手間取って遅くなってしまった。
「……イケメンだ」
「嫉妬される」
「嫉妬があるなら今頃生きてないと思います」
火音の物騒な言葉に海麗が怯えていると二人揃って呆れた目で見られた。
溜め息を吐くとまた余裕の微笑みに戻る。
「火音は嫉妬したことある?」
「さぁ」
「誰?」
「……月火、何食べてた?」
火音は海麗の質問からあからさまに話を逸らすと、濡れた月火の頬を拭った。
さすが、学園一のイケメンと世界一の美女だ。
一昨年にフランスで、日本で言う美人大将なるものが行われてフランスにも足を伸ばした月火社の社長が選ばれたと騒がれていた。
これエントリーしたのか、と思いながら眺めていたが今思えば不正使用だったか。
「世の中何があるか分からないね」
「いきなりなんですか」
「本当に変わりましたね」
前の方が良かったかもと言われた海麗は目を丸くした。
目を輝かせて火音に近寄る。
「本当に? 前に戻ったら何もなしでも海麗って呼んでくれる?」
「え? ど、どうでしょう……」
何気に火音といる時が一番楽しかったし今まで絡んだ子供の中で火音が一番可愛かった。
特に変な感情はなく、兄姉がお兄ちゃんお姉ちゃんと呼ばれたいと思う気持ちと同じだ。
可愛い弟子からは憧れの呼び名で呼ばれたい。
たまたま人気のない廊下だった。
海麗が火音を壁まで追い詰めていると突然心臓に痛みが走った。
思わず胸を押えてしゃがむと火音と月火が心配して駆け寄ってくる。
「いっ……!」
「海麗さん!」
火音のその声とともに懐かしい痛みを感じながら意識を失った。
パッと目を覚ますと同時に目を押える。
「いたっ……」
目と頭に痛みが走り、胸の圧迫感にも気付いた。
また再発したかと思って手で目を覆いながら開けると、焦った顔の火音と同じような表情の月火が覗き込んできた。
へらっと笑えば二人とも頬を緩める。
「……どうなった」
「一晩経ちました。弁膜症も患ってたんですね。肉芽が機械の動きを邪魔して緊急手術でした」
「またか……」
急性心筋梗塞で倒れ、当時は無名だった知衣の治療を受けられずにフランスに飛ばされた。
心筋梗塞でバイパス手術をした後に不整脈になり、ペースメーカーを入れなくてもいいが入れた方が安全だと言われた。
だがペースメーカーを入れると過度な運動や妖輩復帰が夢のまた夢になる可能性があるのでやめたのだ。
薬で治療をしながら次は弁膜症。
弁膜が上手く動かず血液が逆流してしまった。
結局機械を入れて、それでもまだ運動制限はなかった。
今日、昨日か。
倒れた日は火音が止めてくれたが軽く運動したせいでこうなったのかもしれない。
手術後の肉芽で人工弁の動きが邪魔されたのなら無関係かもしれないが、それでも弱った心臓には負荷がかかっていた。
自分で呼吸がおかしい事や圧迫感があるとは思っていたが、まさか倒れるとは。
「……寝る」
「晦姉妹が総出で手術してくれたのでしばらくは問題なく過ごせますよ。傷口も塞がって抜糸済みなので明日には退院出来ます。おやすみなさい」
手で光を遮った目を大きく見開くと同時に布団が頭の上までかけられ、部屋の電気が消えた。
翌日、元気に遊ぶようになった分身白葉が指を噛もうとしてくるので遊んで逃げていると部屋の扉が開いた気がした。
「体調は良好、血圧も酸素濃度も問題なし。食欲はないけどストレスの可能性が高い。傷口は当然ながら問題ないし呼吸音も全身の神経も異常はなかったよ。知衣は久しぶりに腕がなったって喜んでたね」
「今じゃ海外からも難病の子が来るそうですね。海麗さんも早く戻ってこれたら良かったのに」
「移動が難しい状態だったからね。空気圧の飛行機と揺れの船、医療の天敵だよ」
綾奈と月火の声に、火音のシルエットが見えた。
今日は相も変わらずサングラスだ。
「入りますよ〜」
「入ってるけどな」
「賑やかだな」
カーテンが開くと月火と後ろに火音、椅子には綾奈が座っていた。
知衣は忙しいのか。
「保健室も充実してきましたね。不備はありませんか」
「ないね。絆創膏が有り余ってくるぐらい」
「絆創膏程度で済む怪我でいちいち来る奴は滅多にいないだろ」
月火は小さく笑いながら保おけている海麗を見下ろした。
「どうしましたか」
「……ここって保健室なんだ……?」
「そうですよ。私もよく休みました」
「二度と来ないで頂きたいね」
綾奈の笑いながらの説明によると先日聞いた氷麗事件。
バタフライナイフで刺された後に屋上から落ちたらしい。
その前にも情報コース生を庇って飛び降りているし、なんなら神通力でないとどうしようもないほどぐちゃぐちゃの粉砕骨折のまま搬送されてきたこともあった。
血管を傷付けないよう骨を見つけられる知衣と骨を支えられる綾奈とパズルの要領で瞬時に骨を組み合わせられた知紗でないと絶対に無理な治療だった。
「そう考えると月火もよく生きてるな。学園教師からは問題児バカップルって呼ばれてる」
海麗がバカップルと言う言葉に反応して手を止めると分身白葉に噛み付かれた。
「痛っ!」
三人が反射的にこちらを見たので指にぶらさがった白葉を見せると綾奈と火音は安心したが月火が小さく息を吸った。
「ちょっ……離れて……!」
月火が白葉を掴んで軽く揺さぶると白葉はあくびをするように口をゆっくり開けた。
海麗は血が出た指を拭う。
「すみません、白葉はなんでも食べる癖があって。黒葉は気に入ったものしか食べないんですけど……」
「妖心って食べるんだ……」
「おせちとか実体化して残った怪異とか色々食べますよ」
月火が白葉を睨んでから海麗に返すと白葉は逃げて布団に潜り込んだ。
全く、臆病な性格だけコピーされてしまったらしい。
月火が面倒臭そうな顔のまま息を吐くと白葉は顔を出して怯えたように海麗を見上げた。
海麗は指の背で頭を撫でると苦笑する。
「いいじゃん。弱々しいよりやんちゃな方がいいよ」
「迷惑かけないといいんですけど」
「大丈夫」
火音もそうだが海麗もずいぶんと丸くなった。
月火と関わるものは皆が影響されるのだろうか。
綾奈は感心すると小さく笑う。
「不思議な力はどこにでもあるものだな」